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「革」命転生 ――転生した化学エンジニア、13世紀の皮革産業を「革」新する  作者: 柄臼田廬翁
作らないという技――聖バルトロメオの谷修道院編
33/81

第12話 - 大丈夫!?馬車の旅で絶望的展開!?

揺れは、止まらない。

だが、人は揺れに慣れ、やがて当たり方を選ぶ。


谷を離れてから、

いくつの距離が置かれただろうか。


修道院の石壁。

麦の匂い。

桶を蹴飛ばす音と、

「やっちまうか!」という、あの声。


ルディは、今も革の干し場を走り回っているだろう。

スザンヌは、今日も釜の前で眉をひそめているに違いない。

そしてケルンでは、地図の上で指が動き、

誰かが「流れ」を計っている。


こちらが動けば、

あちらも動く。


それでも――

今はまだ、

馬車の中で出来ることがある。


揺れを止めることではない。

揺れを理解し、

噛み合わないようにすること。


それだけで、

世界は少しだけ静かになる。

馬車に乗って、三日が経っていた。


打った覚えはない。

それでも、朝になると体のあちこちに違和感が残る。

鋭い痛みではない。ただ、起き上がるたびに、どこかが一拍遅れてついてくる。


揺れのせいだろう、とは思う。

だが、揺れそのものは最初から同じだった。


馬車は一定の調子で進んでいる。

木の軋む音。

車輪が轍を拾う感触。

馬の歩みに合わせて、上下と横が混ざる。


テオドールは、目を閉じた。


意識を、体の内側へ向ける。


──【解析】


視界の奥に、淡い重なりが浮かぶ。

文字ではない。

数でもない。


揺れの「来方」だけが、輪郭として残る。


一つではない。

いくつかの揺れが、同じ間合いで重なっている。


その瞬間だけ、体に深く入る。


「……ここか」


揺れは無秩序ではなかった。

だが、規則的でもない。


ただ――

噛み合う瞬間がある。


向かいにはエルサが座っている。

背を伸ばし、手を膝に置いたまま、ほとんど動かない。

揺れに抗わず、逃げもせず、ただ受け流している。


その隣で、ルドヴィコは気楽そうだった。

体を預け、この程度の移動は最初から条件に含めている。


問題があるのは、こちらだ。


テオドールは足元を見る。

革束と布袋が、まとめて置かれている。


【解析】は、揺れの強さを示さない。

どこが悪いとも言わない。


ただ、

「ここで重なる」

という感触だけを残す。


テオドールは、革束の一つを前へ寄せた。

重みが、ほんの少し車輪寄りになる。


次の揺れ。


上下は変わらない。

横も消えてはいない。


だが、腹に返ってくる感触が、浅い。


視界の奥で、重なりがずれる。

噛み合いが、外れる。


揺れは続く。

だが、増幅されない。


テオドールは座面の下に敷かれていた毛布を引き出し、畳み直す。

一枚増やすだけで、板の当たりが変わる。


【解析】は沈黙している。

だが、体の違和感が減っているのは、はっきり分かった。


「……完全には無理か」


当然だ。

揺れそのものを止める仕組みは、ここにはない。


それでも――

一番きついところは、外せる。


ルドヴィコがこちらを見る。


「何かしたのか?」


「揺れを消したわけではありません」

テオドールは答える。

「重なるところを、ずらしただけです」


ルドヴィコは軽く笑った。


「十分だ。壊れなければな」


エルサは何も言わない。

だが、次の揺れで、わずかに姿勢を変えた。


それで分かる。

少しは、楽になっている。


テオドールは背を預け直す。


【解析】は、万能ではない。

答えも、完成図も示さない。


だが――

世界がどう揺れているかだけは、教えてくれる。


止められないなら、

噛み合わなくすればいい。


テオドールは、そう理解した。


◆◆◆


野営は街道脇だった。

馬を休ませ、馬車を止める短い停滞。


揺れから解放されると、体がはっきりと違いを訴える。

楽になった、というより――戻ってきたに近い。


テオドールは馬車の脇にしゃがみ込み、車輪と車体の繋がりを見る。


──【解析】


揺れの重なりは、まだ残っている。

昼より弱いが、消えてはいない。


「……ないわー」


思わず漏れた。

揺れを止める仕組みが、何もない。

車体は、受けた力をそのまま返している。


「すなわち、返りが強すぎる」


独り言のように呟き、木の桟に手を当てる。

硬い。

遊びが、ほとんどない。


そこへ、ルドヴィコが陽気に顔を出す。


「大丈夫!」


根拠はないが、彼はいつもそう言う。

商人の経験則だ。


テオドールは革袋を一つ引き寄せ、厚手の革を折り畳む。

桟と座面の間に挟み込み、強く締めない。

あえて、余裕を残す。


次に縄。

固定ではなく、吊るす“真似事”。


本物の構造ではない。

だが、直結は避けられる。


作業を見ていたルドヴィコが、わざとらしく肩を落とす。


「絶望的展開!」


そう言いながら、口元は笑っている。

本気でそう思っていない時の口癖だ。


挿絵(By みてみん)


「壊しません」

テオドールは淡々と返す。

「壊れたら、意味がありません」


少し離れた場所で、エルサがこちらを見ていた。

作業が終わり、馬車に戻る前、彼女は小さく頷く。


「なるほど」


短い一言。

だが、理解した時にしか出ない言葉だ。


翌朝。


馬車は再び動き出す。


揺れはある。

道も、馬も、昨日と同じ。


それでも――

揺れが、割れる。


上下と横が、同時に腹に来ない。

返ってくる力が、散る。


エルサは姿勢を少し変え、前を見たまま静かに言う。


「だからこそ、耐えられるのですね」


評価でも感想でもない。

事実の確認だ。


テオドールは息を吐き、視線を落とす。


──【解析】


揺れは残る。

限界も、はっきり見える。


だが、構造を変えれば、

世界の当たり方は変えられる。


「……これでも、十分だな」


完全ではない。

だが、確実に前進している。


馬車は進む。

揺れと共に。


そしてテオドールの思考もまた、

次の段階へ進み始めていた。


◆◆◆


揺れは、かなり収まっていた。


消えたわけではない。

だが、体の内側を叩くものではない。


上下と横は、別々に来る。

返りは散り、重ならない。

揺れは揺れとして残り、痛みにはならなかった。


テオドールは背を預け、呼吸を整える。

【解析】は沈黙している。

示すべき異常は、今は見当たらない。


向かいで、エルサが帳簿を開いていた。


羽根ペンの先が、揺れの合間を縫って紙に触れる。

墨は滲まず、線は線として残る。


馬車の中で、数字が積み上がっていく。

それだけで、この改善が実用域に達していることが分かる。


「……ここまで落ち着くとは」


エルサは帳面から目を離さず、静かに言った。


「条件が揃っただけです」

テオドールは淡々と答える。

「揺れが消えたわけじゃない」


「ええ」

彼女は一行を書き終え、頷く。

「それでも、書けます」


それが評価だった。


ルドヴィコは感心したように、座面を軽く叩く。


「この道で帳簿が書ける馬車は、そう多くない」


商人としての実感が、そのまま声に出ていた。


やがて道は狭まり、

空が枝葉に切り取られる。


馬車は、プファルツの森へ入っていった。


湿った土の匂い。

苔。

光の断片。


そのときだった。


テオドールの視界の奥で――

【解析】が、一瞬だけ反応した。


揺れではない。

構造でもない。


何かが、条件に含まれていない。


だが次の瞬間、

輪郭も理由も示さぬまま、表示は消えた。


「……?」


声には出さず、眉だけがわずかに動く。

馬車は、何事もなく進んでいる。


短すぎる反応。

だが、無視するには、はっきりしていた。


向かいで、エルサが帳簿を閉じる。

最後の頁を見直し、羽根ペンを止めた。


一箇所だけ、空白が残っている。


材料でもない。

金額でもない。


「ここは……後にします」


理由は書かれない。

数字も置かれない。


ただ、書かないという判断だけが、帳簿に残った。


ルドヴィコは外を見ながら、何気ない調子で言った。


「川を使わないのか、って顔をしてるな」


問いではない。

確認でもない。


エルサは帳簿を閉じ、顔を上げる。


「はい」

短く、率直に。

「なぜ、ライン川を使わないのかと」


ルドヴィコはすぐには答えなかった。

馬の歩調を聞き、森の奥を見据える。


「使えるなら、使うさ」


そこまでは、いつもの理屈だった。


「だが……」


言葉が、続かない。


彼は軽く笑い、話を切る。


「まあ、そのうち分かる」


理由は、言い切られなかった。


馬車は進む。

揺れは、もはや問題にならない。


改善は、確かに成功している。


それでも――

すべてが把握できているわけではない。


【解析】は沈黙し、

帳簿には空白が残り、

商人は理由を伏せたままだ。


テオドールは、座面の下に挟んだ革と縄を思い出す。


小さな工夫。

それで、世界の当たり方は変わった。


だが、

道そのものが何を孕んでいるかまでは、変えられない。


馬車は森を抜けていく。


揺れを整えたまま、

まだ名前のついていない条件の中へ。


整えられた移動の中に、

まだ定義されていない条件を抱えたまま。


ー 第二章 聖バルトロメオの谷修道院編 ー 

       ー 完 ー

小さな工夫は、確かに効いた。

帳簿は揺れず、

馬車は進む。


だが、

静かになったからこそ見えるものがある。


道は、個人の努力では決められない。

川が選ばれない理由も、

森が選ばれる理由も、

どこかで誰かが先に決めている。


ルディが握る革切れも、

スザンヌが見つめる泡の具合も、

ケルンのギルドが囲む机も、

同じ流れの中に置かれている。


今はまだ、

揺れを散らすことが出来ている。


だが次に来るのは、

当たり方を変えるだけでは済まないものだ。


それは名前を持たず、

数字にもならず、

【解析】にも映らない。


ただ、

確実にこちらへ向かってくる。


馬車は森を抜ける。

その先で待っているのは、

揺れではなく――

流れそのものだ。

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