第03話 - 教えるつもりはなかった。すなわち。
技術は、
目立たないうちは
誰のものでもない。
だが、
一度「違い」として
見えてしまうと、
それはもう
放ってはおかれない。
革は、
黙って応えているだけなのに、
人のほうが
勝手に名前を付けたがる。
――正しいとか、
――怪しいとか。
この話は、
まだ衝突しない。
ただ、
見られ始める話だ。
教えるつもりは、なかった。
本当に。
一切、なかった。
俺がやったのは、
見えた地雷を避けただけだ。
爆発しそうな反応槽から、半歩下がっただけ。
すなわち、
生き残るための最低限。
なのに。
「テオドール」
呼ばれる回数が、増えた。
呼ばれ方も、変わった。
怒鳴り声ではなく、
確認する声だ。
「この桶だが」
「この革の状態だが」
……ないわー。
これは、
責任が発生する流れだ。
朝の工房は、相変わらず臭い。
だが、その臭いの中に、
奇妙な“静けさ”が混じるようになった。
職人たちが、
作業の途中で、俺を見る。
理由はわかっている。
三日前の革だ。
乾燥棚に並んだ革は、
毎日、誰かに触られている。
触って、
曲げて、
匂いを嗅いで。
職人というのは、
良い革を見つけると、
無言になる。
すなわち、
言葉が不要になる。
「……なあ」
年嵩の職人が、声をかけてきた。
名前は知らない。
だが、手を見ればわかる。
この人は、長い。
「この柔らかさだが……
どうやった?」
来た。
心の中で、警報が鳴る。
ないわー。
これは、
“説明しろ”という意味だ。
俺は、桶を見る。
温度。
泡。
匂い。
【解析】が、いつも通り、
余計なほど正確に囁く。
(……言える範囲で、だな)
「……熱を、落としました」
「それだけか?」
「それだけ、です」
嘘ではない。
だが、全部でもない。
職人は、眉をひそめる。
「そんなことで、変わるか?」
変わる。
変わるに決まっている。
だが、それをどう言えばいい?
pH?
反応速度?
拡散?
ないわー。
この世界に、
その言葉はない。
俺は少し考え、
桶の縁を指で叩いた。
「……革って、急かすと拗ねます」
自分でも、
何を言っているのかわからなかった。
だが、
職人の目が、わずかに動いた。
「急ぐと、表だけ固まる。
中まで、染みる前に」
指で、革を軽く曲げる。
「だから、
待たせました」
沈黙。
職人は、革を見る。
曲げる。
音を聞く。
「……なるほどな」
その一言で、
空気が変わった。
すなわち、
通じた。
昼前。
今度は、別の桶の前で呼ばれる。
動物の皮は、
全部が同じじゃない。
年齢。
脂。
傷。
【解析】は、
それを全部、平等に暴く。
だが、人間は、
“違い”を嫌う。
「同じやり方でいいのか?」
グスタフ親方の声。
(……来たな)
俺は一瞬、言葉を選ぶ。
「……同じだと、失敗します」
工房が、止まる。
「革は、生き物だったので。
癖が、残ってます」
これは、
半分は方便だ。
だが、半分は真実だ。
反応系に個体差があるのは、
どの世界でも同じ。
「……じゃあ、どう見る」
グスタフが、問いを投げる。
試されている。
ないわー。
だが、
逃げ場はない。
俺は、革に触れた。
匂い。
厚み。
脂の残り。
「……匂いが、重いです。
この革は、時間をかけた方がいい」
「理由は」
「……焦らすと、割れます」
短い沈黙。
グスタフは、
ゆっくり頷いた。
「……お前、
説明が下手だな」
「……はい」
否定できない。
「だが」
親方は、
革を棚に戻した。
「わからんことは、
してない」
……それは。
すなわち、
最高の評価だ。
その日の終わり。
俺は、
自分が教えていることに気づいた。
教えるつもりは、なかった。
ただ、
失敗しない理由を、
言葉にしているだけだ。
だが。
それは、
この世界では“教える”という行為らしい。
ないわー。
責任、
重い。
だが同時に。
すなわち、
居場所ができた。
藁の上で、目を閉じる。
天井は低い。
梁がある。
だが、
もう圧迫感はない。
俺は思う。
理解できることは、
支配ではない。
ただ、
壊さないための距離だ。
明日も、
桶を見る。
泡を見る。
匂いを嗅ぐ。
すなわち、
今日と同じだ。
――そして、
少しだけ前に進む。
ないわー、と思いながら。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第三話では、
何か大きな事件が起きたわけではありません。
誰かが怒鳴ったり、
直接責められたりもしていません。
ただ、
見られ始めました。
仕事そのものは、
前話と何も変わっていません。
革は革で、
やることも同じです。
変わったのは、
革ではなく、
周囲の視線です。
技術というものは、
成功すると評価され、
失敗すると笑われます。
ですが、
「失敗しない」状態が続くと、
今度は
理由を問われ始めます。
テオドールは、
まだ何も主張していません。
正しさを証明する気も、
誰かを説得する気もありません。
ただ、
手を止め、
待ち、
やるべき時に動いただけです。
それでも、
人は勝手に意味を見出します。
次の話から、
その意味づけが
言葉になります。
良い言葉とは、
限りません。
もしここまで読んで、
「静かすぎる」と感じた方がいれば、
それは正しい感覚です。
この物語は、
音が大きくなる前の
時間を描いています。
もう少しだけ、
続きます。
革は、
まだ
何も語っていませんが、
人のほうが
先に語り始めます。




