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「革」命転生 ――転生した化学エンジニア、13世紀の皮革産業を「革」新する  作者: 柄臼田廬翁
作らないという技――聖バルトロメオの谷修道院編
29/31

第10話前日譚 - 要するに、そう簡単にはいかない

戦争は、叫ばない。

剣の音より先に、帳簿の端が減り、

倉の奥から革が消えていく。


この季節、

何が売れ、何が残るかは、

噂でも理想でもなく――

数だけが決める。


職人はそれを、

誰よりも早く感じ取る。

革の匂いが、今日は重い。

湿り気を含んだ空気が、工房の梁の下に溜まっている。


グスタフは、干し場から戻ってきた革を一枚、手で叩いた。

音は鈍い。

悪くはない。だが、誇れるほどでもない。


「……いくさになると、革は売れる」


独り言のように言ってから、彼は首を振った。


「いや、正確じゃねえな。

 売れる革と、死ぬ革が分かれる」


弟子たちは黙って聞いている。


「馬具。靴。盾張り。

 数が要るもんだ。多少荒くてもいい。

 一戦役もてば、それで合格だ」


グスタフは指で革の縁をなぞる。


「だがな――

 薄さが自慢の革、染めが売りの革、

 そういうのは、今は倉で眠るだけだ」


火口の方を見る。

燃料は減っている。

なめし槽も、余裕はない。


「兵站の連中が見るのは、見た目じゃねえ。

 濡れても割れねえか。

 切り直せるか。

 次も同じのが来るか。

 それだけだ」


一拍、間が空く。


「……テオドールがいりゃあな」


誰も応えない。


「歩留まりを詰めて、

 乾きと脂を揃えて、

 “外れ”を減らせる」


言い切るようでいて、どこか未練が滲む。


「今の需要に合わせるのも、

 ずいぶん楽になるんだが」


その時、工房の入口で、杖の音がした。


ゆっくり。

だが、遠慮のない足取り。


ハインリヒだった。


「相変わらず、戦争の匂いがするな」


グスタフは振り向かずに答える。


「革の匂いだ。

 あんたの好みじゃねえだろ」


挿絵(By みてみん)


ハインリヒは軽く笑い、棚に並んだ革を眺めた。


「数は出ているようだな。

 だが……顔が渋い」


「単価が落ちてる」


「だろうな」


沈黙が一つ落ちる。


ハインリヒは、さも思い出したように言った。


「ところで――

 テオドールから、何か連絡はないのか?」


グスタフの手が、一瞬止まる。


「……ない」


「そうか」


それ以上、ハインリヒは踏み込まない。

だが、その沈黙は、探っている。


「今の市場は、

 頭を使える職人を欲しがっている」


グスタフは、ようやく振り返った。


「分かってる。

 だから言ってる」


革を一枚、持ち上げる。


「今は、腕より『揃え方』の時代だ。

 あいつは、それを分かってた」


ハインリヒは小さく息を吐いた。


「連絡があれば、すぐに知らせてくれ」


扉が閉まる。


工房に残ったのは、革の匂いと、数の話だけだった。


グスタフは干し場を見上げ、低く呟く。


「戦争は、革を選ぶ。

 だが――

 選ぶ側が、いつも賢いとは限らねえ」


◆◆◆


昼過ぎ、工房の戸口に立った男は、挨拶をしなかった。


濃い外套。

腰の帯には短剣。

剣ではない。

だが、兵の装いだ。


「――親方は?」


声は低い。

怒気も威圧もない。

ただ、急いでいる。


グスタフは、手を止めずに答えた。


「俺だ」


男は頷き、工房を見回した。

干し場。

なめし槽。

積み上げられた革。


視線は、革の“表”を見ていない。

縁。

厚み。

積み方。


「今月、靴革と馬具革が要る」


「どれだけだ」


「多い」


即答だった。


「質は?」


男は一瞬、考える素振りを見せたが、すぐに首を振る。


「戦で使う」


それが答えだった。


グスタフは一枚、革を差し出した。


「雨に打たせた。

 三日干して、もう一度濡らした」


男は受け取り、無言で折った。

音を聞く。

割れない。


次に、爪で縁を引っかく。

繊維を見る。


「硬すぎないな」


「切り直せる」


「現地で?」


「できる」


男は革を戻し、干し場を見上げた。


「……数は揃うか」


グスタフは一拍置いた。


「外れは減らしてる」


「『ない』とは言わない?」


「言わねえ」


兵站担当は、そこで初めて、わずかに口角を動かした。


「正直だな」


彼は帳面を開き、炭で印を付ける。


「兵は、揃ってなくても戦える。

 だが――」


顔を上げる。


「外れが出ると、死ぬ」


工房の空気が、少し重くなる。


「次も、同じ革が来るか」


「来る」


「天候が崩れても?」


「工程を変えた。

 燃料も節約してる」


男の視線が、初めてグスタフの顔に向いた。


「……誰が考えた」


一瞬、工房の奥が静まる。


「……テオドールだ」


名前が出た瞬間、兵站担当の眉が、僅かに動いた。


「その男、今はいないのか」


「いない」


「そうか」


帳面を閉じる。


「なら、ここは当たりだ」


彼は戸口で立ち止まり、振り返らずに言った。


「数を切らすな。

 完璧は要らん」


そして、低く続けた。


「外れを、出すな」


扉が閉まる。


グスタフは、しばらく革を見ていたが、やがて小さく呟いた。


「……あいつなら、

 今の要求、笑ってたな」


干し場の革が、風もないのに、わずかに揺れた。

兵站は、感情を持たない。

だが、記憶はする。


外れを出さなかった工房。

切らさなかった場所。

理由を説明せずに、

同じ物を出し続けた名前。


評価は、

その瞬間には口にされない。


だが、

次の注文が来るかどうかで、

すべてが分かる。

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