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「革」命転生 ――転生した化学エンジニア、13世紀の皮革産業を「革」新する  作者: 柄臼田廬翁
作らないという技――聖バルトロメオの谷修道院編
26/31

第09話前日譚 - 「圧の正体」

修道院は、守られている。


強いからではない。

壊したあと、

誰も責任を持てないからだ。


地図の上で、

谷は空白のままだ。


触れた瞬間に、

音が出る場所だけが、

静かに残されている。

挿絵(By みてみん)


ケルン革職人ギルドの会議室には、

地図が広げられていた。


革ではない。

河だ。


ライン川。

支流。

関所。


会頭は、指で川をなぞった。


「……大司教が動いた」


誰も驚かない。

だが、空気が一段重くなる。


「選帝侯だぞ」


年長の親方が言う。


「誰を支持している?」


会頭は、即答しなかった。

一呼吸置いてから、名を出す。


「リヒャルト=フォン=ケルノワだ」


誰かが舌打ちした。


「……最悪だ」


書記が補足する。


「ケルン大司教は、

 彼を“正統な守護者”として扱っている」


「護送、関税、

 すべてが“好意的”になる」


若い親方が言う。


「それが、革と何の関係が?」


会頭は、静かに答える。


「武装だ」


沈黙。


「兵の鎧」

「鞍」

「剣帯」

「箱」

「補修」


「数ではない。

 失敗しない革が要る」


年長の親方が、低く呻く。


「……だから、修道院か」


「そうだ」


会頭は頷いた。


「シトー会の革は、

 市場に出ていない」


「だが、

 “崩れない”という評判だけが回っている」


書記が紙をめくる。


「ヴェネツィアの商人から、

 問い合わせが来ています」


「直接の取引ではありません」


「ただ――」


言葉を選ぶ。


「“供給が安定しない革に、

 これ以上船を出せない”と」


誰かが息を呑む。


「……ヴェネツィアが?」


会頭は、苦々しく言った。


「連中は、嗅ぐのが早い」


「河が荒れる前に、

 “信頼できる素材”を押さえに来る」


年長の親方が言う。


「だが、

 シトー会は武器商人じゃない」


「売らない」


「名も出さない」


「帳簿にも載らない」


会頭は、机を強く叩いた。


「だから困っている」


声が、珍しく荒れた。


「我々は、

 武装する必要がある」


「だが、

 不安定な革で武装すれば、

 次は我々が責任を負う」


「失敗しない革が、

 どうしても要る」


沈黙。


「しかも」


会頭は続ける。


「その革は、

 ギルドの外で成立している」


「名前も、

 家も、

 印もない」


「あるのは――」


一拍。


「止めるというやり方だけだ」


誰かが呟く。


「……そんなもので、

 戦えるのか」


会頭は、はっきり言った。


「戦える」


「だから、

 我々は呼んだ」


「潰すためじゃない」


「奪うためでもない」


「枠に入れなければ、

 こちらが揺らぐ」


年長の親方が、苦しそうに言う。


「従わなかったら?」


会頭は、答えなかった。


代わりに、

地図の上で、修道院のある谷を指す。


「聖バルトロメオの谷修道院……あそこが、

 武装と流通の外にあるうちは、

 我々は動けない」


「だが、

 選帝侯が動いた以上――」


声を落とす。


「時間は、向こうにある」


誰も、反論しなかった。


革は、どこにも動いていない。


だが、

革が無いと困る世界が、

 すでに動き始めていた。

守られている革は、

安全なのではない。


逃げ場がない。


名を出せば教会が動き、

手を出せば河が止まる。


だから、

誰も触れない。


だが、

必要になった瞬間――

その理由は、

刃になる。

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