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「革」命転生 ――転生した化学エンジニア、13世紀の皮革産業を「革」新する  作者: 柄臼田廬翁
作らないという技――聖バルトロメオの谷修道院編
23/34

第08話 - やっちまうか!清めと穢れの統合前夜

泡が立つようになった。


それは、成功の証ではない。

失敗を、繰り返さなくなったというだけのことだ。


酒が安定し、

革が回り、

工房に静かなリズムが戻る。


だが、世界は、

彼らの現場だけで完結していない。


道は途切れ、

物は遅れ、

値は上がる。


祈りがあっても、

銀は減る。


この話は、

新しい発明の物語ではない。


捨てていたものを見直し、

流れを描き、

数字を並べ、

「続けられるか」を問う話だ。


奇跡を待たず、

現場に立ったまま考える者たちの、

小さな相談から始まる。

ビールの泡は、きちんと立っていた。


桶の縁に、白く、軽く、持続する泡。

甘みの奥に、ほのかな苦味。

鼻に抜ける香りも、鈍さはない。


失敗から一月。

ビールは、安定して“育つ”ようになっていた。


革の工房と、酒の現場。

作業は分かれ、掃除も徹底され、

桶の置き場も、乾きも、冷えも――

それぞれが、それぞれの居場所を持った。


朝の空気は、少しだけ軽い。


「よし」


スザンヌが桶を覗き込み、満足そうに頷く。


「今回は、ちゃんと生きてるな」


「ええ」


テオドールも、泡を一瞥する。


【解析】を出すまでもない。

感触と匂いだけで、十分だった。


ルディが、桶の横で背伸びをしている。


「もこもこだ!」


「静かにな、落とすなよ」


「できるもん!」


一連のやり取りが、当たり前になっていた。

革の製造も順調に回っている。


――その、当たり前が一月続いた頃。


スザンヌが、珍しく作業の手を止めた。


腕を組み、少しだけ考え込むような顔。


「なあ、ゲゼレ殿」


「スザンヌ、どうしました?」


「修道院長から、相談が来た」


その言い方に、軽さはなかった。


「相談、ですか」


「ああ。

……金の話だ」


テオドールは、黙って続きを待つ。


スザンヌは、言葉を選ぶように、ゆっくり続けた。


「修道院の財、正直きついらしい」


「いつも通り、酒は出してる。

革も、装丁も、最低限は回ってる」


「だがな――」


彼女は、鼻で息を吐く。


「原材料の値が、上がりすぎだ」


「麦、ホップ、塩、油……

前と同じ量を仕入れるだけで、銀が飛ぶ」


「原因は?」


「諸国の小競り合いだとよ、ふざけんな!だぜ...」


スザンヌは、工房の外――

遠くの街道の方を、親指で示した。


「戦争ってほどじゃねえが、

道が止まる。

荷が遅れる。

届かねえ」


「そうなると、値が跳ねる」


「それが、最近は続いてる」


テオドールは、静かに頷いた。


(供給が不安定になれば、価格は上がる...ないわー)


(しかし、現代と何も変わらない)


「修道院長は、こう言ってた」


スザンヌは、少し口調を変える。


「“祈りで腹は満たせない”ってな」


珍しく、冗談めいた言い回しだった。


だが、笑いはない。


「だからだ」


「“何とか、原材料費を抑えられないか”

そう聞かれた」


「アタシは、酒の出来は守れるが、

値段の話は、お前の方が向いてる」


「そう思ってな」


テオドールは、しばらく黙っていた。


桶の縁から垂れた泡が、床に落ち、消える。


(原材料費)


(供給不安)


(価格上昇)


頭の中で、いくつかの歯車が噛み合い始める。


「……一つ、考えがあります」


スザンヌが眉を上げる。


「ほう?」


「酒と、革」


「今は分けていますが――

完全に“別物”として扱いすぎている」


「どういう意味だ」


テオドールは、ゆっくり言った。


「すなわち、原材料を、奪い合うのではなく」


「“捨てているもの”を、共有する」


一拍。


スザンヌは、すぐには返さなかった。


「捨ててるもの、だぁ?」


「はい」


「例えば――」


テオドールは、指を折る。


「ビール粕」


「麦殻」


「煮沸後の温い湯」


「乾燥炉の残り熱」


「革の方でも」


「石灰の使い残し」


「洗いで流している色々な残りかす」


「それらを、

“不要な残り”として捨てるのではなく」


「工程の外に置くのではなく」


「互いの工程の中で、

使い切る」


スザンヌは、腕を組み直した。


「……理屈は分かる」


「だがな」


「酒は、酒だ」


「革は、革だ」


「混ぜりゃ、また腐る」


その言葉は、重かった。


失敗を知っている者の言い方だ。


テオドールは、首を振る。


「混ぜません」


「分けたまま、繋げます」


「同じ場所に置くのではない」


「同じ“流れ”に置く」


スザンヌは、じっとテオドールを見る。


「それで、銀が浮くのか」


「すぐには、分かりません」


正直に答える。


「ですが」


「捨てているものを

“資源”に変えられれば」


「買わなくていいものが、増える」


「少なくとも、

これ以上、銀を失う速度は落とせます」


しばらく、沈黙。


泡の立つ音だけが、微かに続く。


やがて、スザンヌが口を開いた。


「……修道院長には、どう説明する」


「まだ、“考えがある”段階です」


「形にする前に、

勝手に約束はできません」


スザンヌは、ふっと笑った。


「そこは、ちゃんとしてるな」


「嫌いじゃねえ」


彼女は、桶を軽く叩く。


「よし」


「じゃあ、こうしよう」


「まずは、話を聞かせろ」


「酒と革で、

何を、どう回すつもりか」


「修道院長の前に出す前にな」


ルディが、二人を見上げる。


「また、やっちまう?」


スザンヌが、にやりと笑った。


「まだだ」


「今回は――」


テオドールも、静かに答える。


「すなわち、“捨てない”だけです」


泡は、静かに立ち続けている。


失敗の後に残ったものが、

次の節約の種になるとは、

まだ誰も知らない。


だが、

その芽は、

確かに、ここにあった。


◆◆◆


帳面の紙は、少し黄ばんでいた。


エルサが机の上に静かに置いたそれは、

修道院の倉で使われている、ごく実務的な記録帳だった。


「……こちらが、ここ三年分の材料の出入りです」


淡々とした声。

感情は抑えられているが、言葉に迷いはない。


「麦、塩、皮革用の油、糸、膠……

使う量も、捨てている量も、すべて書いてあります」


スザンヌが椅子にどかっと腰を下ろす。


「相変わらず、きっちりしてんな」


「アタシは数字を見ると、つい言いたくなる」


「……ふざけんな、ってな」


エルサは小さく首を振った。


「数字は、責めません」


「事実を並べるだけです」


テオドールは帳面を覗き込み、静かに息を吐いた。


「……助かります」


「こうして揃っていると、話ができます」


スザンヌが鼻で笑う。


「話が出来る、ね」


「祈りじゃ腹は満たせねえって、院長も言ってたぞ」


エルサは、少しだけ目を伏せた。


「ええ」


「知らない方が、世界は美しいことも多いです」


「それでも、

知ってしまった以上は、

整えなければなりません」


テオドールが、指を折る。


「では、順にいきましょう」


「まず――ビール粕です」


スザンヌが即答する。


「捨てるか、家畜だ」


「余れば、土だな」


「……やっちまうか、って量でもねえ」


テオドールは頷いた。


「一仕込みで、桶一つ」


「月に四、五回」


エルサが静かに補足する。


「乾いていない状態で……

この桶なら、倉の秤で量って、

だいたい二十プフント前後です」


挿絵(By みてみん)


「月で、

八十から百プフントほどになります」


スザンヌが目を見開く。


「……ふざけんな」


「そんなに捨ててたのか」


「はい」


エルサは淡々と続ける。


「“使っていない”だけです」


テオドールが、帳面に線を引く。


「これを、革の脱灰工程に回します」


「石灰を落としすぎない段階で」


「麦の力を借りる」


スザンヌが腕を組む。


「また、ろくでもねえこと考えてる顔だな」


「やっちまうか?」


「……まだです」


テオドールは即答した。


「まずは、数字です」


エルサが口を挟む。


「それが可能なら」


「膠と油の使用量が、減りますね」


「どれくらいだ」


「慎重に見て、一割」


「条件が整えば、二割」


スザンヌが舌打ちする。


「でけえ……」


「……やっちまうか!」


「いえ」


テオドールは首を振る。


「やっちまう前に、

整えます」


次は、湯。


「煮沸後の湯は、

まだ温かい」


「今は、そのまま流している」


エルサが帳面をめくる。


「薪の消費が、

ここです」


「三割、削れます」


「……ふざけんな」


スザンヌが笑う。


「捨ててたもんで、

酒も革も助かるってか」


テオドールは、静かに答える。


「払わなくて済むだけです」


「すなわち、それだけで、

現場は長く持ちます」


沈黙。


帳面の上に、数字が残る。


エルサが、最後に言った。


「……この程度減らせれば」


「材料が届かなくても、

すぐには困りません」


「修道院長も、

納得されると思います」


スザンヌが立ち上がる。


「よし」


「院長には、アタシが話す」


「お前らも来い」


「“やっちまうか”じゃなくて」


「“やれる理由”を、

その口で言え」


「はい」


テオドールは短く答えた。


ルディが、机の下から顔を出す。


「ねえ」


「それって……」


「ごみ?」


テオドールは、しゃがんで目線を合わせる。


「違います」


「使い道を、

決めていなかっただけです」


ルディは考え込む。


「じゃあ……」


「ぼくも?」


スザンヌが豪快に笑った。


「ふざけんな!」


「一番、使ってるだろ!」


「できるもん!」


帳面には、

“残り物”ではなく、

“使われる予定”が書かれていた。


知らない方が、

楽な世界もある。


だが、

知って、整えて、

回すことでしか、

守れない現場もある。


「……やっちまうか」


スザンヌが呟く。


テオドールは、心の中で答えた。


(まだだ)


(だが――

もう、始まっている)


◆◆◆


修道院に併設されている応接室は、静かだった。


壁に掛けられた十字架。

簡素な机。


贅沢なものは、何もない。


エルサは、背筋を伸ばして立っている。

スザンヌは、腕を組み、少し居心地悪そうだ。

テオドールは、言葉を選ぶ準備をしていた。


修道院長は、三人を順に見て、

小さく頷いた。


「……では」


「順に、聞きましょう」


まず、

スザンヌが話した。


酒の仕込み。

泡の安定。

置き場と湿りの問題。

そして、

失敗と、学び。


飾りはない。

誇張もない。


ただ、

現場で起きたことだけ。


修道院長は、遮らない。


次に、

テオドールが続く。


原材料費。

捨てているもの。

回せるもの。


「混ぜないこと」

「分けたまま繋ぐこと」


技術の話は、

なるべく感覚の言葉に置き換えられていた。


最後に、

エルサが帳面を開く。


「……こちらが、概算です」


数字。

減る量。

延びる時間。


声は小さいが、

揺れはない。


修道院長は、

すべてを聞き終えるまで、

一言も挟まなかった。


しばらく、沈黙。


窓から入る光が、

机の角を照らす。


やがて、

院長が静かに口を開いた。


「ありがとう」


「三人とも」


その声は、

裁く声ではなかった。


「それぞれの立場が、

よく分かりました」


まず、

スザンヌを見る。


「あなたは、

現場を守る人です」


「酒が腐れば、

祈りも、慈善も、

続かない」


「失敗を隠さず、

原因を掴み、

次に活かした」


「それは、

責任を負う者の姿です」


スザンヌは、

居心地悪そうに鼻を鳴らす。


「……ふざけん...ないでください、院長」


「褒められると、

調子が狂う」


院長は、

少しだけ笑った。


次に、

テオドールへ。


「あなたは、

流れを見る人ですね」


「物が来ない理由」


「銀が減る理由」


「それを、

誰かの罪にしない」


「“構造”として捉えている」


テオドールは、

静かに頷く。


「今の世は」


院長は、

ゆっくり言葉を選ぶ。


「諸国が、

小さく、しかし長く、

ぶつかり続けています」


「大きな戦ではなくとも」


「道が止まり」


「港が滞り」


「物は、届かなくなる」


「値は、上がる」


「これは、

誰かが悪いからではありません」


「ただ、

そういう時代なのです」


エルサが、

そっと目を伏せる。


院長は、

彼女にも視線を向けた。


「あなたは、

数を書く人です」


「あなたが訪れて数か月ですが、

とても助かってます」


「祈りと、現実の間で」


「目を逸らさず、

記す人」


「数字は、

厳しい」


「ですが」


「厳しいものを見ない祈りは、

人を救いません」


エルサは、

小さく息を吸った。


「……ありがとうございます」


院長は、

一度、手を組む。


「あなた方の提案は」


「危うさも、

あります」


スザンヌが、

ぴくりと反応する。


「一つの工程が狂えば」


「連鎖します」


「それは、

以前、経験した通り」


「ですから」


「どれも、筋が通っています」


一拍、置いてから。


「ですが」


その一言で、

空気が変わった。


「時間が、ありません」


スザンヌが、僅かに眉を動かす。


修道院長は、窓の方を見た。


「今年の冬は、

長くなるでしょう」


「道は、すでに不安定です」


「争いは、国を滅ぼすほどではない」


「しかし」


「人を、ここへ追い込むには、十分です」


エルサが、そっと息を吸う。


「修道院の役割は」


院長は、ゆっくり言葉を選ぶ。


「祈ることだけではありません」


「行き場のない者」


「仕事を失った者」


「家を追われた者」


「彼らにとって」


「ここは、“最後の逃げ場”です」


テオドールは、無言で頷いた。


「その人数が」


「増えています」


「しかも、

増える一方です」


修道院長は、帳面を指で叩いた。


「このままでは」


「冬を越せません」


「酒も、革も、

これまで通りでは足りない」


「だから――」


院長は、三人を見据えた。


「あなた方の提案は」


「“やがて効く”ものでは、

意味がありません」


スザンヌが、低く呟く。


「……ふざけんな」


「間に合わねえ、ってことか」


「ええ」


否定しない。


「ですから」


修道院長は、声を落とした。


「急いでください」


「安全を捨てろとは言いません」


「祈りを忘れろとも」


「ですが」


「改善を、

先送りにする余裕はない」


エルサが、静かに口を開く。


「……失敗すれば」


「現場が止まります」


「ええ」


院長は、頷いた。


「だからこそ」


「あなた方が必要なのです」


テオドールは、思わず前に出た。


「責任は――」


「私が負います」


院長は、首を振った。


「いいえ」


「それは、私の仕事です」


「判断し」


「進めると決めるのは、

修道院長の席に座る私の責任なの」


「あなたは」


「“できること”を、

最速で考えてください」


沈黙。


やがて、

スザンヌが口を開いた。


「……やっちまうか」


それは、

いつもの軽さではなかった。


覚悟の音だった。


エルサは、帳面を強く抱く。


「数字は、

すぐに更新します」


「削れるところを、

洗い出します」


テオドールは、深く息を吐いた。


(急げ)


(だが、

壊すな)


頭の中で、

図面が重なる。


樋。

温水。

残り熱。


「……分かりました」


「出来るところから、

すぐに着手します」


修道院長は、静かに微笑んだ。


「ありがとう」


「あなた方に頼むのは」


「奇跡ではありません」


「現場と知恵を、

信じることです」


外で、

風が鳴った。


冬は、

すでに、

近づいている。


だが――

準備は、

もう始まっていた。

修道院は、

祈りの場であると同時に、

行き場を失った者の、最後の居場所でもある。


その役割は、

静かな時代には見えにくい。

だが、

道が閉ざされ、

仕事が失われ、

人が流れ込む時、

はっきりと姿を現す。


第八話で描かれたのは、

発明や理想ではない。


時間が足りない、という現実だ。


材料が届かない。

値が上がる。

銀が減る。

それでも、

人は来る。


修道院長が若者たちに求めたのは、

完璧な計画ではなかった。


安全を保ちつつ、

最短で効く改善。

失敗を恐れすぎず、

だが、壊さないこと。


それは、

信仰と現実の両方を背負う者の判断であり、

経営者としての決断でもある。


スザンヌは、

現場を動かす覚悟を持ち、

エルサは、

数字で未来を測り、

テオドールは、

流れを描き直す。


三人の立場は違う。

だが、

目指す先は同じだ。


この場所を、冬まで持たせること。


革と酒は、

まだ答えを出していない。


だが、

捨てていたものを見直し、

流れを繋ぎ、

急ぐ理由が共有された今、

改善は“いつか”ではなく、

“今”の仕事になった。


次に動くのは、

言葉ではない。

図面でもない。


現場である。


冬は、

待ってはくれない。

そして、

安寧を切り裂く外部からの圧が、

ついに追いつく。

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