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「革」命転生 ――転生した化学エンジニア、13世紀の皮革産業を「革」新する  作者: 柄臼田廬翁
作らないという技――聖バルトロメオの谷修道院編
14/31

第01話 - だからこそ、同行する朝

この話は、

大きな事件が起きる前の話です。


誰かが何かを決断する前で、

まだ取り返しがつくと思っている朝の話です。


革職人が街を出て、

修道女が旅を続けている。

それだけのことが、

この時代では、

生死の境目になることもあります。


第一部が「技術が試される場所」だったなら、

第二部は「技術が置かれる世界」の話です。


同行は、

約束ではありません。

ただ、

同じ方向を向いてしまった結果です。


だからこそ――

夜までに、

何かが決まります。

別れは、思っていたよりも簡単だった。


「三年だ」


グスタフはそう言って、テオドールの肩を一度だけ叩いた。

力は入っていない。叩いたというより、確かめるような触れ方だった。


「長いようで、短い」


「そう簡単にはいかない、って言わないんですね」


「言ってもいいが、今さらだ」


グスタフは口の端をわずかに上げる。


「悪くない顔になった。それで十分だ」


それ以上、言葉はなかった。


ハウス・グスタフの戸口で、二人は向かい合い、やがてそれぞれの方向へ体を向ける。

振り返らない。

それが職人の別れ方だった。


◆◆◆


街道に出ると、空気が変わる。


クレフェルトは、もう背後だ。

見えない線を越えた感触だけが、足裏に残る。


ゲゼレ。

遍歴修行。

三年間、この街に――いや、この街が見える距離に足を踏み入れてはならない。


(……何里分だ、これ)


テオドールは頭の中で言いかけてから、その考えを捨てた。


距離は数字じゃない。

「一日で戻れる範囲を越えろ」

ということだ。


技術を認められた証として与えられる、ずいぶん回りくどい自由。


「……ないわー」


独り言のように呟き、彼は背負い袋を掛け直した。


◆◆◆


修道院の裏門で、彼女に会った。


純白の修道服。

旅装ではあるが、慌ただしさはない。


エルサは門脇の石台に腰を下ろし、

小さな木箱を背負い袋へ収めようとしていた。


両手で持てるほどの大きさ。

装飾はなく、留め具も簡素。

だが、雑には扱われていない。


「……あ」


袋の紐を締める途中で、エルサが顔を上げた。


「おはようございます」


「どうも」


それだけの関係だ。

少なくとも、表向きは。


「出立ですか」


「ええ。今日で、この街を離れます」


彼女はそう言って、背負い袋を肩に掛け直す。

その動きには迷いがなかった。


テオドールは、そこで思い出す。


「……そういえば、エルサさん、ここに来てどれくらいでしたっけ」


「一年と、少し」


即答だった。


「写本が立て込んでいましたから。それと……この修道院は、静かでした」


なるほど。

一時滞在というほど短くはない。


「でも、所属は?」


「別です。私はアルマリア。書を追う者ですから」


「さっきの箱は……?」


テオドールが訊くと、エルサは少しだけ視線を落とした。


「ローマへ運ぶものです」


「巡礼、ですか」


「はい。途中です」


「……中身は?」


「知りません」


迷いのない返答。


「知る必要がない、という判断です」


すなわち、重要だが、触れてはならないもの。


「軽そうですね」


「軽くはありません。

 ですが、背負える程度です」


それで十分だった。


門を出るところで、二人の歩調が自然と揃う。


意図はない。

だが、止まる理由もない。


「行き先は?」


「ライン川沿いを南へ。まずは――」


テオドールは言いかけて止まる。


「……まずは、一日で引き返せない距離まで」


エルサはそれを聞いて、小さく頷いた。


「私も、同じ方向です」


なるほど。


「結果として、同行……ですかね」


「結果としては」


まだ、決まってはいない。


だが、夜までには何かが決まる。

そんな予感だけが、二人の間にあった。


街が遠ざかる。


ハウス・グスタフの屋根も、修道院の尖塔も、少しずつ低くなる。


テオドールは、背負い袋の重さを確かめながら思った。


これは、始まりではない。


続きだ。


挿絵(By みてみん)

◆◆◆


朝の空気は、思ったよりも冷たかった。


街を出てしばらく、

石と土が入り混じった道を二人並んで歩く。

都市の近くでは、昔の敷石がところどころ顔を出しているが、

少し離れれば、それもすぐに途切れる。

道は均されるものではなく、

踏み固められて残るものだ。


会話は、ほとんどない。


鳥の声と、

荷が擦れる音だけが、

ゆっくりと進んでいく。


テオドールは、

何度も周囲を見回していた。


畑、

低い森、

そして、

人の気配の薄い空間。


――こんなに、

何もないものなのか。


◆◆◆


最初に異変に気づいたのは、

匂いだった。


土と、

湿った布と、

それから――

人。


「……え?」


声が、

思わず漏れた。


道から少し外れた草むらに、

人が倒れている。


いや、

倒れている、

というより――

そこにあった。


テオドールは、

足を止めたまま動けなかった。


「……死んで、

 ますよね」


確認するような言い方になったのは、

自分でも分かっていた。


エルサは、

すぐに頷いた。


「ええ」


彼女は歩み寄り、

一瞬だけ目を伏せる。


「行き倒れです」


その声は、

驚いていなかった。


◆◆◆


テオドールの胸が、

妙にざわつく。


人が、

こんなふうに――

道のそばで、

誰にも看取られずに。


「……町を出るの、

 初めてで」


咄嗟に、

そう言っていた。


自分でも、

少し驚くほど自然な嘘だった。


「だから……

 その……」


「なるほど」


エルサは、

特に追及しなかった。


「慣れませんよね。

 最初は」


◆◆◆


彼女は、

膝をつき、

小さく十字を切る。


「旅人は、

 よく倒れます」


淡々とした声。


「水が尽きる。

 脚を痛める。

 病に気づかないまま、

 歩き続ける」


そして、

少しだけ間を置いて。


「助けを呼ぶ場所が、

 近くにないことも、

 多いです」


それが、

この時代の旅だと。


◆◆◆


二人は、

黙って作業を始めた。


浅く、

土を掘る。

石をどけ、

草を分ける。


道具は、

十分ではない。

だが、

やらない理由もない。


テオドールの手は、

革よりも重い土の感触に、

戸惑っていた。


エルサは、

最後にもう一度祈る。


声は低く、

短い。


言葉は聞き取れなかったが、

それで十分だった。


◆◆◆


土を戻し終えたとき、

空は、

もう昼に近づいていた。


「……これ、

 普通なんですか」


テオドールが、

ぽつりと訊く。


「普通、

 というより……

 珍しくはありません」


エルサは立ち上がり、

衣の裾を整える。


「だから、

 宿が見えたら、

 必ず入ります」


「見えたら?」


「ええ。

 見えなければ、

 見えるまで歩きます」


なるほど、

とテオドールは思う。


◆◆◆


しばらく歩いたあと、

遠くに、

小さな光が見えた。


昼の名残の中で、

妙に温かい色。


「あれは……」


「宿です」


エルサが言う。


「今夜は、

 あそこまで行きましょう」


テオドールは、

その灯りから目を離せなかった。


これは、

始まりではない。


だが――

戻れなくなった、

という実感は、

確かにあった。


だからこそ。


夜は、

決めるためにある。


その前に、

まずは――

火に、

近づこう。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


第二部(章にした方がよさそうですね笑)は、

「旅に出る話」ですが、

同時に

「戻れなくなる話」でもあります。


13世紀の街道では、

人が倒れていることは珍しくありません。

それを特別だと思うか、

日常だと受け止めるかで、

生き方は変わります。


テオドールは驚き、

エルサは祈りました。

どちらも、

間違ってはいません。


この一話は、

同行が決まる前の段階で終わります。

次の話で、

火を囲み、

言葉にして、

ようやく決まります。


すなわち――

ここまでは、まだ前置きです。


次回、

「すなわち、最初の宿と焚き火」。


よろしければ、

もう少しだけ

一緒に歩いてください。

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