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「革」命転生 ――転生した化学エンジニア、13世紀の皮革産業を「革」新する  作者: 柄臼田廬翁
解析する革、祈られる書 ――クレフェルト革職人ギルド篇――
12/31

第11話 - 夜は、嘘をつかない。だからこそ。

夜は、

仕事を終わらせるためにあるのではない。


仕事が

終わらないことを引き受けるためにある。


革は、

昼間には嘘をつく。

乾き、

整い、

分かったふりをする。


だが夜になると、

正直になる。


伸びる。

縮む。

裏切る。


だからこそ、

この夜は

避けられなかった。


誰か一人の判断ではなく、

誰か一人の腕でもなく、

全員の手が必要な夜だった。

問題は、

最後に起きる。


それは、

戦場でも

工房でも

同じだった。


聖書の装丁は、

ほぼ終わっていた。


革は、

完璧に近い。


匂いはない。

割れない。

張りも、

戻りもいい。


――だが。


最後の折り込みで、

それは起きた。


「……止めろ」


ハインリヒの声だった。


夜の工房に、

その声は妙に響いた。


革の背。


ごくわずかに、

波打っている。


目を凝らさなければ、

見逃す程度。


だが、

ここまで来た以上、

それは致命的だった。


「……戻りが、

強すぎる」


俺が言う。


ないわー。


ここでか。


「張りすぎだ」


グスタフが、

短く言う。


「……そう簡単には

収まらんな」


革は、

乾きすぎている。


だが、

水を足せば

歪む。


油を入れれば、

匂いが残る。


――詰みかけだ。


時間は、

夜に入っていた。


外では、

鐘が鳴る。


修道院の時。


「……要するに」


ハインリヒが、

低く言った。


「革が、

自分に戻ろうとしている」


「主張が、

出た」


沈黙。


誰も、

否定しない。


これは、

工程の問題ではない。


革そのものの、

性質だ。


「……すなわち」


俺は、

息を吸う。


「革が、

緊張したまま

固定されています」


「解けていない」


ハインリヒが、

俺を見る。


視線が、

初めて

敵ではない。


「……どうする」


問いだった。


逃げ道はない。


ないわー。


俺は、

革を触る。


【解析】は、

黙っている。


ここは、

数字の領域じゃない。


「……時間です」


口から、

自然に出た。


「時間?」


グスタフが、

眉を動かす。


「はい」


「急いだ工程は、

ここで返ってきます」


「なら」


一拍。


「今から、

もう一度、

待たせます」


沈黙。


ハインリヒが、

腕を組む。


「要するに」


「今夜、

終わらない」


「はい」


即答だった。


グスタフが、

鼻で笑う。


「……そう簡単には

いかん、

って顔だな」


「はい」


「悪くない」


その言葉で、

決まった。


炉の火を落とす。

湿り気を

ほんのわずかに戻す。


革を、

一度外す。


時間を、

与える。


工房に、

夜が深く入る。


誰も、

帰らない。


誰も、

眠らない。


ハインリヒが、

革を押さえる。


「……俺が、

ここを持つ」


「監督が?」


「今は、

職人だ」


それだけで、

十分だった。


夜半。


扉が、

静かに開く。


「失礼します」


声は、

小さい。


エルサだった。


手には、

籠。


中から、

湯気が立つ。


「……差し入れを」


パン。

薄いスープ。

温かい。


「院長が」


一言、

付け足す。


「言葉を守る仕事は、

夜に折れると」


ハインリヒが、

一瞬だけ

目を伏せた。


「……なるほど」


エルサは、

革を見る。


触らない。


ただ、

見守る。


「だからこそ」


小さく言う。


「今は、

急がないでください」


挿絵(By みてみん)


夜が、

さらに深くなる。


革は、

少しずつ

落ち着いていく。


波が、

消える。


張りが、

均される。


誰も、

声を出さない。


ただ、

呼吸だけがある。


朝。


最初の光が、

窓から差す。


革は、

そこにあった。


静かで、

平らで、

戻らない。


グスタフが、

指で撫でる。


「……悪くない」


ハインリヒが、

深く息を吐く。


「……要するに」


「急がなかったことが、

正解だ」


俺は、

その場に座り込んだ。


ないわー。


しんどい。


だが。


エルサが、

小さく笑う。


「なるほど」


「夜は、

嘘をつきませんね」


俺は、

革を見る。


完璧ではない。


だが。


誤魔化していない。


それでいい。


そう簡単には

いかない。


だが。


だからこそ、

やる価値がある。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


第11話は、

いわゆる「クライマックス前の静かな山場」です。


派手な対立も、

大声の啖呵もありません。


あるのは、

黙って革を引っ張る手と、

無言で湯気の立つ器です。


でも、

この話で一番大きく変わったのは

関係性です。


ハインリヒは監督役であり、

グスタフは工房の主であり、

テオドールはまだ半人前。


その立場は変わっていません。


けれどこの夜、

彼らは

「同じ失敗を引き受ける側」になりました。


誰かの責任にできない。

誰かを切り捨てられない。


だから、

徹夜になる。


そして、

そこにエルサが来る。


彼女は解決策を出しません。

命令もしません。


ただ、

置いていきます。


――湯気のあるものを。


この世界では、

それが

「一緒にやる」という意思表示です。


次の話では、

この夜の結果が

きちんと“形”になります。


壊れかけた革が、

壊れなかった理由。


それを、

見届けてもらえたらと思います。

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