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「革」命転生 ――転生した化学エンジニア、13世紀の皮革産業を「革」新する  作者: 柄臼田廬翁
解析する革、祈られる書 ――クレフェルト革職人ギルド篇――
11/31

第10話 - 見張りは、音を立てる。だからこそ。

話し合いは、

結論を出すために

行われるわけではない。


多くの場合、

誰が見続けるかを

決めるために行われる。


条件が揃い、

監督が置かれ、

逃げ場が消えたとき、

残るのは

仕事そのものだ。


この話は、

説得の話ではない。


壊れる場所でも壊れないかを

確かめる話だ。

ハインリヒ・フォーゲルは、

工房にいるだけで

空気を変える男だった。


座っていても、

立っていても、

革を見る目が、

常に「点検」だ。


ハウス・グスタフの工房は、

朝から静かだった。


いや、

正確には――

余計な音が消えていた。


桶の水音。

革を引く音。

刃の音。


どれも、

必要なものだけが残る。


ハインリヒは、

一歩も動かず、

すべてを見ていた。


「……要するに」


午前の途中で、

口を開く。


その一言で、

皆の手が止まる。


「工程は、

これまで通りか」


「はい」


俺が答える。


「変更は」


「ありません」


嘘ではない。

だが、

全部でもない。


ハインリヒは、

革に触れる。


曲げる。

戻す。

匂いを嗅ぐ。


「……静かだな」


評価ではない。

確認だ。


「静かすぎる」


来た。


「革が、

語っていない」


ないわー。


それ、

褒め言葉でも

悪口でも

使えるやつだ。


「要するに」


ハインリヒは続ける。


「技が、

前に出ている」


「それは、

不純だ」


空気が、

少し冷える。


グスタフが、

革を一枚手に取る。


「……そう簡単には

暴れん」


短く言う。


「暴れない革は、

戦場じゃ

ありがたい」


ハインリヒは、

視線を向ける。


「ここは戦場ではない」


「……だが」


グスタフは、

引かない。


「本来なら壊れる様な条件でも、

壊れない」


一瞬、

沈黙。


そのときだった。


工房の入口で、

布の擦れる音がした。


「失礼します」


静かな声。


振り向くと、

シスター・エルサが立っていた。


背筋が伸び、

視線が低い。


だが、

逃げない目だ。


「進捗の確認に

参りました」


ハインリヒが、

眉を動かす。


「修道院の

図書係だったな」


「はい。

図書係〈アルマリア〉です」


一礼。


「……なるほど」


エルサは、

革を見る。


触る前に、

少しだけ距離を取る。


それから、

手を伸ばす。


曲げる。

戻す。


長い時間。


「……だからこそ」


ぽつりと、

言った。


「この革は、

装丁に向いています」


ハインリヒが、

即座に返す。


「要するに、

どこがだ」


エルサは、

視線を上げる。


「革が、

語ろうとしていません」


「語らない?」


「はい」


「聖書は、

語らせるものではありません」


「革が主張すると、

言葉が負けます」


沈黙。


「……なるほど」


ハインリヒは、

一歩近づく。


「だが、

革が沈黙しているのは」


「技で

抑え込んでいるからでは?」


「それは、

不純だ」


エルサは、

一瞬だけ考えた。


それから、

はっきり言った。


「だからこそ」


空気が、

張る。


「沈黙は、

暴力ではありません」


「整理です」


「混ぜたものを

残さないことと、

混ぜないことは

違います」


「前者は、

制御です」


「後者は、

拒絶です」


挿絵(By みてみん)


その場の誰も、

口を挟まなかった。


ハインリヒは、

ゆっくり息を吐く。


「……要するに」


「お前は、

混ざったこと自体を

罪としない」


「はい」


即答だった。


「言葉も、

革も」


「人の手を

通っています」


「だからこそ、

手の痕跡を

消す必要があります」


沈黙。


グスタフが、

ぽつりと言う。


「……悪くない」


それだけで、

十分だった。


ハインリヒは、

革から手を離す。


「……監督は

続ける」


「だが」


一拍。


「修道院の意見は、

記録する」


完全な譲歩ではない。

だが、

一歩だ。


エルサは、

小さく頭を下げた。


「なるほど。

それで十分です」


彼女は、

革を一度だけ

見つめ直す。


「進めてください」


「この革は、

言葉を裏切りません」


彼女が去った後、

工房はしばらく静かだった。


グスタフが、

俺を見る。


「……な」


「はい」


「そう簡単には

いかない」


「はい」


「だが」


一拍。


「悪くない」


胸の奥で、

何かが

きちんと

収まった。


監督がいようが、

疑われようが、

やることは変わらない。


静かに、

誤魔化さず、

言葉を守る革を作る。


要するに。


見られている仕事ほど、

誠実でいろ、

ということだ。


ないわー。


だが。


だからこそ、

今は

ちょうどいい。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


第十話では、

修道院案件が

ついに「作業」として

動き出しました。


議論は終わり、

監督がつき、

条件が明文化されました。


この時点で、

テオドールに

有利な点はほとんどありません。


むしろ、

不利です。


見られている。

記録されている。

失敗すれば、

個人の問題では終わらない。


それでも、

彼がやることは

これまでと変わりません。


急がず、

誤魔化さず、

止まるべきところで

止まる。


ハインリヒが警戒しているのは、

技術そのものではありません。


「壊れる条件が揃っているのに、壊れない」

その事実が、

制度にとって

扱いづらいからです。


グスタフは、

その危うさを

最初から理解しています。

エルサも、

同じです。


だからこそ、

この場に

全員が揃っています。


この回は、

派手な成功も

劇的な失敗もありません。


ですが、

ここから先は

もう後戻りできません。


仕事は始まり、

結果は

必ず残ります。


次の話では、

この静かな作業の中で、

最初の歪みが

顔を出します。


革は、

今日も

正直でした。


正直であることが、

守られるかどうかは、

まだ

決まっていません。

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