孤高の挑戦者
2XX5年某所 日本時間 午後9時
「……調査報告……計画進行に遅れなし……ミッション達成率80%……第四フェーズに移行します」
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「……ようやく、ここまで来たか」
部屋の隅で丸くなっていた少年が、ゆっくりと身を起こして伸びをした。
彼の名は白石悠斗、高校三年生で引きこもり歴は約一年になる。
彼が没頭しているのは、近未来を舞台にした革命がテーマのオンライン対戦ゲーム『コンクエスト・フィールド』だった。
プレイヤー総数は2億人に達し、悠斗はサービス開始からほぼ毎日プレイしている。
「達成率80%……もう少しだ」
画面を見つめながら、悠斗は呟いた。彼は今、ゲームの大会に出場していた。これまで何度も決勝まで進んだものの、一度も優勝できたことはない。毎回二位止まりで、一位の座には届かなかった。
今夜は違う。前回の敗因を徹底的に分析し、対策を練り上げた。昨晩から夜通しプレイし、準備は万全だ。
「午後9時……始まる」
悠斗はコントローラーを握りしめた。心臓が速く鳴っている。
その時、雷鳴とともに轟音が響いた。悠斗は思わず天井を見上げる。停電だけは勘弁してくれ。急いでラジオのスイッチを入れた。
「……九州ではすでに記録的な大雨となっており……西日本と東日本でも局地的に激しい雨が……外出は控えるよう……」
また、あの雨か。悠斗は窓の外を見た。激しい雨がガラスを叩いている。
数年前から降り始めた強酸性の雨は、毎週日曜の午前中に降る。理由は不明で、環境汚染が原因だと専門家は言うが、真相はわかっていないらしい。
雨の日に外出すれば、皮膚が侵される。社会に大きな影響を与える脅威だったが、引きこもりの悠斗にはあまり関係のないことだった。
ラジオを切り、彼は再びゲームに没頭した。
「敵発見!2時の方向!」
画面の中で銃声が響き、弾丸が飛び交う。悠斗は素早く敵の位置を確認し、照準を合わせて引き金を引いた。命中。
「よし、あと一人!」
普段の鬱屈とした感情が、引き金を引くたびに放出されていくようだった。敵を倒すたびに、悠斗の動きは冴えていった。ゲームの中でだけは、自分が何者かになれる気がする。
「ランキング1位……いける!」
悠斗は歯を食いしばり、最後の敵を見据えた。画面の向こうで逃げる敵に照準を合わせる。手が震えない。これで終わりだ。
悠斗が勝利を確信し、引き金を引いた——その瞬間。
「プツン……」
画面が真っ暗になった。
「…………………は?」
悠斗は呆然とした。数秒間、何が起きたのか理解できなかった。
ゲームの故障か? 急いで再起動ボタンを押すが、動かない。ピクリとも反応しない。
「なんだよ!!いいところで!!」
怒りを抑えながら、悠斗はコンセントを確認した。そこには、見慣れた姿の幼馴染がコンセントを握りしめ、したり顔でこちらを見ていた。
「おまっ…!ふがっ!」
思わず怒鳴ろうとした悠斗の口に、何かが放り込まれた。しっとりした触感とほのかな甘味のマロンクリーム——近所で有名な和菓子屋、一国堂の栗饅頭だ。
「……理沙!なにすんだよ!?」
悠斗は不満を露わにしながら、涼しい顔をした幼馴染の黒澤理沙に向き合った。
「いつまでも引きこもってたら体に毒だよ? どうせ何も食べてないんでしょ?」
理沙は持ってきた袋を差し出した。両親が仕事で海外に行っており、引きこもりがちな悠斗を心配して、理沙の母親がこうして差し入れを作ってくれるのだ。
「……ありがとう」
悠斗は素直に受け取った。栗饅頭を噛みしめながら、少しだけ肩の力が抜ける。空腹だったことに、今更気づいた。
「うん、素直でよろしい」
理沙は軽く笑った。合鍵らしきものをちらつかせながら、得意げに説明する。
「おばさんから合鍵もらってるもんね。引きこもりの息子が心配なんだろうねぇ……」
理沙の言葉に、悠斗はぐうの音も出なかった。確かにその通りだ。
「今日も雨すごかったねー。旧校舎、そろそろやばいらしいよ」
旧校舎——一年生の頃、通っていた校舎だ。酸性雨による腐食と老朽化で取り壊しが決まったという話は聞いていた。前から床抜けが激しかったし、仕方がないのだろう。
「んで……? まーたゲーム? もうやめなってよ。どうせ勝てないんだからさー」
理沙は呆れたように、リビングのドアに寄りかかった。
悠斗は振り返りもせず、真っ暗なモニターを見つめたまま答えた。
「うるせーな。今度こそ必ず勝つんだよ。邪魔すんな」
理沙は腕を組んで肩をすくめた。
「それ毎回言ってるけどさー、いい加減諦めたら? FP……Cだっけ?」
悠斗は顔をしかめた。
「FPSだっつーの! もう、お前には関係ないだろ」
「はいはい、その、FPSの何がそんなに面白いワケ? 結局勝てないくせに」
理沙は軽くため息をついて、呆れたように言葉を続けた。
悠斗は少しの間沈黙した後、低く呟いた。
「……うるさいな。必殺技が当たれば絶対勝てるって」
理沙は興味なさげに返した。
「ふーん、それで勝てるつもりなワケね。まったく……おじさんもいつも言ってるじゃん。白石家の家訓は何事も一番でなきゃ……あっ、ごめん……」
理沙が口をつぐんだ。
悠斗は深いため息をついた。そう、それが俺が落ちこぼれた原因の一つでもあるのだ。
幼い頃は秀才と呼ばれ、親からも周囲からも大きな期待を寄せられていた。小学校の時は活発で好奇心旺盛、中学では真面目な優等生として過ごした。
だが、高校に上がり、期待と現実のギャップに苦しみ始めた頃、酸性雨が降り始めた。外出が制限され、友人関係もギクシャクし始め、俺は次第に殻に閉じこもるようになっていった。
悠斗はモニターの電源を落とし、椅子に深く腰掛けた。
「……もういいよ。それより今日はなんの用だよ?」
理沙は笑顔でバッグから包みを取り出し、差し出した。
「別に、ただの生存確認。はい、うちのお母さんからの夕飯のおすそ分け」
悠斗は受け取り、小さく微笑んだ。
「いつもありがとうございます」
理沙は少し驚いた表情で微笑み返した。
「そういうところだけは素直なのね……」
理沙のお母さんは心優しい。引きこもりの俺を心配して、時々こうして差し入れをくれる。直接会ったことはないが、いつか恩返しがしたいと思っている。
「じゃ、私はもう行くから。いい加減学校も来なよ? 卒業式だけでも出ないと、あんたの卒業証書、私が預かっちゃうかもよ」
理沙は軽い調子で言い、悠斗は真剣な表情で返した。
「……やめろ。それだけは持って帰らないと親父にどやされる」
理沙は笑顔で手を振りながらドアに向かった。
「ふふ、じゃあまた来週ね。ばいばーい」
そう言い残し、理沙は去っていった。実に掴みどころのない性格だ。幼馴染という間柄もあり、俺の性格も知り抜いている。小中学校では隣のクラスで、よく一緒に帰ったものだ。高校でも同じクラスになったが、俺が籠もりがちになってからは、こうしてたまに家に来るようになった。
心配されるのは嬉しいが、どこか後ろめたい気持ちにもなる。前に進めない自分に腹が立つ。
「……学校、か」
悠斗は呟きながら、ため息をついた。すっかり行くのが億劫になってしまっている。クラスメイトとの関係も、もはや修復は難しいだろう。
悠斗は再びモニターを見つめ、コントローラーを手に取った。電源を入れる。画面が明るくなった。再びゲームの世界に没頭するために、悠斗はゲームを起動した。




