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第12章 売り物のセキュリティ

第12章では、サラリーマン・城田悠一の視点から、民間企業の矛盾と個人の苦悩を描きます。


会社の利益を守るためには「安全」を売り文句にしなければならない。

しかし、その実態は自社も同じ脆弱性を抱え、家庭ではマイナンバー詐欺に直撃している。

「売り物」としてのセキュリティと、家族を守るための本当の安全。そのギャップに直面する姿が浮かび上がります。


政治や官僚の議論から一歩離れ、現場のビジネスマンの視点で、サイバー危機がどう生活に入り込んでいるのかをご覧ください。


新卒の頃、システム開発の理想を描いていたあの日を思い出す。コードは人を幸せにする、と信じていた。


午前八時半。社内サーバールームは冷房が効きすぎて、息が白い。モニターには「信用情報監視サービス・サーバーダウン」の赤文字が点滅している。


「城田さん、A商事からクレーム。システムが不安定だって」


後輩が焦る声に、私は営業スマイルを張る。


「大丈夫です。当社製品は万全ですから」


――嘘だ。吉岡からLINEが来ていた。『NPD-J流出はSQLインジェクション脆弱性放置、同種の穴がうちにもある』。


午後一時。会議室。プロジェクターの光が汗を光らせる。部長がニヤリと笑う。


「今回の流出事件、営業チャンスだ。『政府システムより安全』を売り文句にしよう」


私は資料をめくる手を止めた。


「でも、同じ脆弱性が──」


「契約更新が優先だろ? Q3目標達成のための戦略を策定」


その瞬間、スマホが震えた。妻から。


【遼の修学旅行費が詐取された】


同じ文字が三回続いた。指先が震える。


午後七時。居酒屋。ビールの結露が「信用情報監視サービス報告書」を濡らす。佐伯が小声で言う。


「闇市場で流出データ、1件500円で売ってるらしい」


隣のテーブルで、初老の男性が嘆く。


「マイナンカーで病院にも行けない」


私はつい口を開きかける。――俺もだ。でも佐伯が肘で突く。


「会社に報告したらクビになるぞ」


カラスが鳴くような蝉時雨が、外で響いている。


夜十時。自宅。エアコンが効かない。テレビで「#マイナンバー危機」トレンド100万件突破。アナウンサーが天城総理の弁明を伝える。


「海老名基地システム改ざんはデマ」


――デマじゃない。匿名メールで画像が送られてきた。城田家のマイナンバーも、リストに載っている。


息子が廊下で描いた落書きを拾う。サイバーおにぎりマン。笑顔の下に「パパの作ったシステムは安全だよ」と書いてある。


妻が寝室から声をかける。


「どうするの? 遼の修学旅行」


私は、初めて答えた。


「ITの仕事を辞めたい」


机の上に副業求人サイトを開く。14:30の会議資料の隅に、遼の修学旅行の見積もりが挟まっていた。3万8千円。私が売った「安全」の値段だ。


画面の光が、蝉時雨を越えて、8月の夜を照らしている。



第12章をお読みいただき、ありがとうございました。

ここでは、サラリーマン・城田悠一の視点を通して、「安全を商品として売る企業」と「生活の安全を失った家族」という対比を描きました。


セキュリティは本来、人を守るための技術です。

しかし企業の論理に従えば、それは「営業の道具」として利用され、現場の社員は矛盾を抱えながら働かざるを得ません。

悠一が最後に口にした「ITの仕事を辞めたい」という言葉は、逃避ではなく、その矛盾に抗う小さな誠実さでした。


サイバー危機は社会全体の問題であると同時に、一人の家庭の夕食や子どもの修学旅行費にまで及ぶ。

その現実感を、この章から感じ取っていただければ幸いです。


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