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カイゴシノワタシ  作者: 半田南都
第十章 「ありがとう」

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第七話 家族の時間

この仕事を選んだ理由を思い返すと、あの時の確かな思いがいつの間にか薄れていたような気がする。


長谷さんの息子さんの沈黙の意味や、伸江さんの家族さんが胸の奥で抱える覚悟も私は表面だけで判断しているのかもしれない。


家族の立場に立った介護。これを忘れてはいけない──母を見送ったあの時の自分がそう言っている気がした。



「ありがとうございました」


声をかけられて振り返ると、伸江さんの娘さんが笑顔を向けていた。面会を終え、家族そろって部屋から出てきたところだ。


「おばあちゃん、今日は調子が良かったのか、ずっとニコニコしてよく話もしてくれたんです」


嬉しそうな娘さんに私も笑顔になる。


「それはよかったです。きっとひ孫さんたちからパワーをもらったんですね」


すると、男の子の母親が頭を撫でながら言った。


「ひいばあちゃん、この子から若さ吸い取ったのかもねー」


男の子はきょとんとして、


「ぼく、なにを取られたの?」


不思議そうに首をかしげる姿に、笑い声が廊下に広がった。


看取りの段階とはいえ、伸江さんや娘さんの人柄のおかげか、その場に重苦しい空気はなかった。最近は状態も落ち着いている。家族で過ごす穏やかな時間が少しでも長く続けばいい──そう静かに願った。



数日後、小康状態を保っていた伸江さんに急に変化が現れた。


ベッドで過ごす時間が増えても、食事の時だけはなるべく車椅子に座ってもらっていた。だが、体にまったく力が入らず、それもできなくなった。


ベッド上で介助しても、食べ物も飲み物もほとんど口にしない。点滴で水分を補いながら経過を見守るしかなかった。


「伸江さーん」


耳元で声をかけるが、口元が少し動いただけで目は閉じたままだ。


「呼吸、浅いね」


そばで大森ナースが心配そうに言う。体内の酸素濃度が低下しており、鼻にチューブを装着して酸素を吸入していても、なかなか数値が上がらない。


ノックの音がして振り返ると、娘さんだった。看取り対応になってから、ほとんど毎日会いに来ている。


「……どうでしょうか」


普段の明るさは見えないものの、大森ナースに尋ねる娘さんの表情は、悲しみに沈むというより、どこか覚悟を決めているように見えた。


「ちょっと厳しい状況だと思います。午後から往診の先生が来られるので、その時にしっかり確認しますね」


「お願いします。私、それまでここにいますので」


「わかりました。娘さんも無理しないでくださいね」


「ありがとうございます」


大森ナースが退室したあと、部屋に残っていた私に娘さんは向き直って笑顔を作った。


「……先週、娘や孫たちが来た時は調子がよかったから、少し安心したんですけどね。あれで疲れちゃったんでしょうか」


その笑顔は少し寂しげだった。


「そんなことはないですよ。あのあと私も伸江さんとお話ししましたけど、本当に嬉しそうでした。疲れたというより、むしろ元気をもらっていたように見えました」


「……ありがとうございます。そう言っていただけると、何というか……やっぱり孫たちに会わせてよかったんですよね。そう思えます」


「本当にそうですよ。私も久しぶりに伸江さんの笑顔が見れて嬉しくなりましたから」


私の言葉に少し吹っ切れたのか、娘さんはいつもの笑顔に戻った。


「本当に……本当にいつも親切にしてくれてありがとうございます。ここのみなさん、本当によくしてくれて……母も幸せだと思います」


まっすぐ私を見て口にするその言葉を受け止めながら、娘さんの覚悟が私の中にも重なっていくのを感じた。



伸江さんの様子を気にしつつも、目の前の仕事に追われているうちに、頭の中は少しずつほかのことにも向いていった。


けれど、午後になって往診医が伸江さんの部屋に入っていく姿を見たとたん、頭の中はまた伸江さんでいっぱいになった。


往診医と大森ナースが部屋から出てきて、森田さんに何やら説明している。気になりながらも仕事を続けていると、やがて娘さんの姿が廊下に現れ、そのままエレベーターで下へ降りていった。


しばらくして森田さんが私に近寄ってきて、声を落として言った。


「伸江さんね、今日明日みたい」


「……そうなんですね」


覚悟はしていたから、必要以上に驚きはしなかった。ただ身が引き締まる思いだった。


「娘さんね、弟さんに連絡するって。それで今夜はなるべく遅くまで伸江さんと過ごしたいから、一度家に帰って用意をしてすぐにまた戻ってくるそうよ」


「わかりました。娘さんが戻られるまでは訪室の回数増やしてしっかり確認しますね」


「私もそうするから。悔いのないように見守ろうね」


「そうですね。そうします」


今日か、明日か。そう言われながらも、そのまま長く状態を保った人もいる。今回もそうかもしれない。でも、そうであってほしいと願うより、いつその時が来ても後悔のないように一瞬一瞬を大切にしよう──そう自分に言い聞かせた。



夕食の準備を始める頃、娘さんがご主人と一緒に戻ってきた。


「あとで弟一家が来ることになってます。また大勢で押しかけることになりますが……」


「大丈夫ですよ。安心してください」


「ありがとうございます。私はひと晩ついていようと思っていますが、主人と弟たちはしばらく様子を見たら、今日は引き上げますので」


息子さん一家は遠方に住んでいるそうで、今夜はこの近くのホテルに泊まり、明日の朝また来る予定だという。


もともと年に数回は面会に来ているが、看取り対応になったこともあり、近いうちに来るつもりだったらしい。その時が近いと知って、急いで駆けつけることにしたのだろう。


伸江さんの呼吸は浅く、声をかけてもほとんど反応はない。まぶたがわずかに動くかどうか、その程度だった。


せめて息子さんたちが来るまでは何とか持ち堪えてほしい──心の中でそう思った。



夕食時間の少し前、息子さん一家が到着した。よかった、間に合った。


息子さんは50歳前後だろうか。状況が状況だけに言葉少なで挨拶をしたが、どこか伸江さんに似た朗らかさを感じさせる人だ。お嫁さんも穏やかな雰囲気で、大学生と高校生だという男の子と女の子も礼儀正しく好感の持てる家族だ。


部屋に案内すると、娘さんがホッとした表情で息子さん一家を迎え入れた。


家族水入らずで静かな時間を過ごしてもらおうと、そのままドアを閉めようとした時──。


「おかあ、来たぞー! そろそろ起きてー」


息子さんは部屋に入るなり伸江さんのそばに寄って大きな声で呼びかけた。


ドッと笑いが広がる。私もつられて笑ってしまった。


「おばあちゃん、今動いたんじゃない?」


「あ、目開けた! おばーちゃーん!」


お孫さんたちの声に誘われ、部屋を出ようとした私も中に入って伸江さんの様子を見ると、確かに薄目が開いている!


「拓也が大声出すから、おばあちゃん、こっちに戻ってきてくれたわ」


娘さんの声も笑っていた。


「いやー、狸寝入りしてたんじゃないの?」


「あ、今、バレたかーって顔しましたよ、おばあちゃん」


お嫁さんも参戦──。


なんという家族! しんみりした空気を想像していた私は、良い意味で見事に裏切られた。


「すみません、うるさくして」


笑いながら謝る娘さんに、私も笑いながら答える。


「いえいえ、伸江さんも喜んでますよ。おちおち寝られないと思ってるかもしれませんが」


また笑いが起こる。笑いの渦の中、一礼して笑顔で退室した。



フロアに戻ると、夕食が運ばれてきたところだった。


配膳をしながら森田さんに伸江さんと家族さんの様子を伝える。


「そう。よかった。伸江さん、にぎやかなほうがきっと喜ぶから」


「そうですね。しんみりしているのは伸江さんらしくないですもんね」


不安や悲しみはあるはずなのに、息子さんたちの明るさは自然で、作られたものではなかった。家族みんなでにぎやかに過ごしていた日常がそのままそこにあるようで──娘さんや息子さんたちは、そういう家庭で育ったのだろう。


きっと伸江さんは、あの頃の家族の時間に心が戻り、居心地の良さを感じていると思う。


伸江さんがこのまま幸せな気持ちでいてくれたら──そう思わずにいられなかった。


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