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カイゴシノワタシ  作者: 半田南都
第十章 「ありがとう」

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第四話 夜の救急、午後のデジャヴ

長谷さんが転倒し、救急車を呼んだことが結果的に息子さんの怒りを買ってしまったらしい。


私が言葉を失ったままでいると、橋本さんは一息ついてから詳しい経緯を教えてくれた。


転倒したのは深夜で施設にナースはいなかったため、夜勤の橋本さんはオンコールで夜間対応している大森ナースに連絡した。


大森ナースもすぐに主治医に電話して指示を求めると、医師は「頭部を打っている可能性が高く、夜間で経過観察を続けるにはリスクが大きい」と判断した。


本来であればこうした場合は家族の意向を確認して対応を決めるのが原則だ。深夜でも連絡を取り現状と判断を共有する必要がある。けれど、その夜は息子さんに電話しても出てもらえず確認は取れなかった。


結果として大森ナースは医師の指示に従い、救急車を要請するよう橋本さんに伝えた。検査の結果、異常はなく長谷さんは明け方には施設へ戻ってきた。


一連の経緯は留守番電話に残してあったが、それを聞いた息子さんから先ほど強い口調で電話がかかってきた──ということだった。


「こういう場合は難しいですよね」


ひと通り話を聞いて、私はそう言葉をかけた。


「そうなの。大森さんの話では看取りの契約の時に息子さんに緊急の場合の対応も説明したとのことだけど、こういうズレは起こってしまう時もあるのよね」


看取り対応であっても、予期しない急変や不慮の事故があれば救急車を呼ぶことはある。そうした説明もきっと契約の時にされていたはずだ。


小さな行き違いが今回の出来事につながってしまったのだろう。


「今回のこと、施設長にきちんと報告して今後どうしたらいいか決めてもらうね。同じようなことが起きたら対応に困るから」


そう言って橋本さんはその場を離れ事務所へ向かった。


夜中に救急車に同乗し、明け方に戻ってきてからもフロア業務をこなし、そのうえ息子さんに怒鳴られたのだ。どれだけ気を張り続けていたのだろう。


夜勤をする人は本当に大変だ──あらためてそう思った。


橋本さんの背中を見送ったあと、長谷さんのもとへ向かう。そっと様子をうかがうと変わった様子はなく寝息を立てて眠っていた。頭は打っていたようだが外傷はなく、ほかも特に異常はなさそうだ。


弱っているとはいえ、まだ立ち上がろうとする気力があったんだな、と少しホッとする。けれど同時に、また同じことが起きるかもしれないという不安がよぎる。次は同じ思いをしないようきちんと防止策を考えないといけない。


──頭の中であれこれ考えているうちにフロアは少しずついつもの日常に戻っていった。



午後になり休憩に入ろうとエレベーターに向かった。ちょうど扉が開き、中からぞろぞろと人が降りてくる。思わず足を止めると、その中に伸江さんの娘さんの姿があった。小さな子どもたちもいる。


「こんにちは。大所帯で来ちゃってごめんなさい」


「とんでもない。……お孫さんですか?」


「そうなんです。長女と次女夫婦と、その子どもたちです」


男の子と女の子。どちらもまだ2、3歳くらいだろうか。とても愛らしい。


お孫さんがいるのかぁ……。伸江さんの娘さんは私と同じくらいの年齢だと思っていたけれど、ずいぶん若いおばあさんだな。


——いや、待て待て。私は今年54歳だ。そう考えると、もう立派な娘や孫がいても何ひとつ不思議じゃない。


自分に子どもがいないからなのか。それともいつまでも自分は若いと思い込んでいるからなのか。こういう場面に出くわすたび、ずれていた年齢の感覚をふと引き戻される。


ああ、私はもうそういう年なんだ──現実に軽くショックを受けつつも笑顔で声をかける。


「じゃあ伸江さんのひ孫さんですね。きっと喜びますよ」


「娘は2人とも遠方に住んでいてなかなか会いに来れなくて。孫たちとも赤ちゃんの時以来だから大きくなったのを見たらびっくりするかもしれませんね」


そう言って目を細める娘さん。


看取りになりいつどうなるかわからない段階に入ったからこそ、会える時に会わせよう──そんな思いなのだろう。


なんだか切ない気持ちと、伸江さんはきっと喜ぶだろうという嬉しい気持ちが入り混じる。


「ゆっくりなさってくださいね」


「ありがとうございます」


子どもたちの手を引き娘さん一家は伸江さんの部屋へと向かっていった。



お弁当を持って休憩室に入ると、ひとりで座っている前田さんが目に入った。タブレットを見ながらパンをかじっている。


私に気づくと隣の椅子を引いてくれたので、そのまま腰を下ろす。久世ちゃんが見たらヤキモチ妬くかな、と思いながらも遠慮はしなかった。


もう54だし、ヤキモチなんて妬かれないか──なんて、さっきの年齢のことをまだ引きずっているな。はは。


「権田さん、お疲れ様。長谷さん、大変だったんですね」


手元のタブレットを覗くと、長谷さんの介護記録が表示されていた。休憩時間でもちゃんと各フロアの利用者さんの状態を確認している。さすがだな。


「そうなの。橋本さん、夜勤明けなのに記録を書いたり施設長と話をしたりして、昼前まで残ってて。息子さんに怒鳴られてメンタルもやられているんじゃないかな」


「夜勤あるあるですよね。日勤帯と違ってナースも事務所もいないし、判断に迷うことも多いけど、橋本さんの行動は間違ってなかったと思いますよ。本人も周りもそれはわかっているはずですから」


「そうよね。でも、今後の対応はどうしたらいいんだろうね」


「そのこと、ここに書いてますよ。えっと……施設長の記録だけど、息子さんの意向を再確認したら、同様のことが起こっても救急搬送はしないって」


「……それって、よくなる見込みがある場合でも、ってことよね」


思わず息子さんを責めるような響きになってしまった。少し高ぶった私の声にしばらく間を置いてから言葉が返ってきた。


「家族さんの考え方は、本当にいろいろありますからね」


静かな調子でそう言って、前田さんはタブレットから目を離し私をまっすぐ見た。


「家族さんの中には、無理な延命措置は望まないにしてもできるだけ長く生きていてほしいと思う人もいれば、しんどい思いをさせるくらいならそのまま別れてもいいと考える人もいると思うんです」


小さく息を吐く気配がした。


「それに、看取りの契約をするということは、この施設で最期を迎えたいという意思でもあるから……今回のように病院に運ばれてそこで亡くなってしまったら、それは本人や家族さんにとって望まない結果になることもあると思うんですよね」


いつのまにか私は姿勢を正して黙って聞いていた。


「だから……それは必ずしも冷たい決断というわけじゃない、と俺は思いますよ」


その言い方にはどこか重みがあった──さっきまで高ぶっていた私の中で、何かが一度止まった。


あれ? 似たような感覚、前にも味わったような……。これってデジャヴ?


すると、頭の中で山野さんの声がした。


「親子の関係って他人にはわからないところがあるからね」


あ、そうだ。長谷さんの息子さんが葬式用の写真を撮った話を山野さんにした時だ。


山野さんの話を聞いて、看取りの対応も家族さんの考え方も答えはひとつじゃないって理解したはずなのに。


それでも、無意識のうちに息子さんを責めるような気持ちが湧いてしまった自分──ああ、あの時も反省したのに。またやっちまったな。


なにがデジャヴだ。私は同じことを繰り返しただけじゃない……。


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