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カイゴシノワタシ  作者: 半田南都
第九章 情けない

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第五話 クローゼットの小さな秘密

夕食の準備が始まる前にキクちゃんの部屋に行くと、私の顔を見てベッドの上でニコッと笑った。


橘さんの娘さんの攻撃で少し弱っていただけに、この笑顔は余計に癒される。


「ちょっと聞いてくれる?」


オムツ交換をしながら私はキクちゃんに語り始めた。


橘さんのこと。娘さんのこと。請求書を突き出されたこと──そして“情けない”という言葉。


キクちゃんがどこまで理解して聞いてくれているのかはわからない。けれど目を私から逸らさず、時々ほんの少しだけ表情が動く。それを見るとちゃんと聞いてくれている気がして少し安心する。


「うちの親に限ってそこまで情けないはずがない、だって」


私は苦笑いしながら続けた。


「よくある反応なんだけどね……そのたびに、なんだか複雑な気持ちになるのよね」


キクちゃんは相変わらず穏やかな表情だ。


「キクちゃんは、自分のこと情けないと思う?」


私がそう聞くとキクちゃんは真剣な顔になってゆっくり首を横に振った。


「そうだよね。私もキクちゃんのこと、情けないなんて思ってないから」


できないことが増えて、ベッドの上で過ごす時間が長くなって、それでもこうして私の話を聞いて私を癒してくれている。


「情けないって、周りが決めつけるものでもないし、本人もそう思わなくていいのにね。永田さんはプライドが高いから、できなくなった自分を認めたくない。そこがいちばん難しいところなのよね」


困った顔でそう語りかけると、キクちゃんの口元がほんの少しだけ緩んだ気がした。


答えが出る話じゃないけれど、キクちゃんに話を聞いてもらって少し気持ちが軽くなった。


「聞いてくれてありがとう。もうすぐごはんだから、また迎えに来るね」


そう言って小さく手を振り、私は部屋を出た。



フロアに戻ると利用者さんたちがぽつぽつと集まり始めていた。


あ、まだ部屋のゴミを回収していない。食事の時間まであと少しある。今のうちに済ませてしまおう。


袋を手に廊下を進み、一番端の部屋から順に回っていく。ノックをして中に入り、ベッド脇やテーブルの横のゴミ箱の中身を袋に移していく。


永田さんの部屋の前に立った。フロアで姿を見ていたので、部屋にはいないのはわかっている。それでも、いつものように軽くノックをして中に入った。


久世ちゃんの話がふと頭をよぎった。けれど部屋には異臭はなく静かな空気が漂っている。ゴミ箱を覗いても汚れた衣服は見当たらない。……そう毎度毎度失敗するわけじゃない、か。


少しほっとして部屋を出ようとしたところで、クローゼットの隙間から衣服がはみ出しているのが目に入った。そのままにしておけず、扉を開けると──そこにはハンガーに掛けられた下着のパンツが並んでいた。


1枚、2枚……全部で3枚。どうやら洗面台で自分で洗ってここに干したのだろう。中には汚れが落ちきっていないものもある。


永田さんはこれまで排泄に特に問題はなかった。だからこそ、失敗してしまった分だけは誰にも言わず自分で何とかしようとしたのだろう。


やっぱり──今までできていたことができなくなった自分を認めたくないのだな。そう思いながらフロアに戻り、このことをすぐに森田さんに報告した。


私の話を聞いた森田さんは少し考えるように間を置いてから口を開いた。


「このままじゃいけないわね。一度、永田さんに話をしてみるわ」


その言葉に私は思わず表情を曇らせた。


「それは……どうでしょうか。永田さん、プライドも高いですし、簡単には認めないんじゃないですかね」


「うーん、そうかもしれない。でもね、認知症状が出てきたとはいえ、まだしっかりしているでしょう。プライドが高いっていうのは自分の考えをちゃんと持っているってことでもあると思うの。だから、まずは今の永田さんの気持ちを聞いてみたほうがいいんじゃないかな」


「……そうですか」


そう答えはしたものの、やっぱり少し引っかかりが残った。永田さんは情けない自分を誰にも見せたくないに違いない。話を切り出せば怒り出してしまうだろう。


内心そう思いながらも、この件はフロアリーダーである森田さんに任せるしかない。軽く息を吐き、私は夕食の準備に取りかかることにした。


フロアの端のテーブルでコップを並べお茶を入れながら考えた。


できていたことができなくなった時、人は大なり小なりショックを受けるものだ。でもそこから先を受け入れるのか、それとも抗おうとするのかは、本当に人それぞれだ。


私だって老眼が始まった時はかなり衝撃を受けた。私の場合はすぐに現実を受け入れて眼鏡を買ったけど。


──ふと、母の場合はどうだっただろうと思った。


体力が落ちていく中でも長いあいだ家事は続けていた母。少しずつできないことが増えていったけれど、あの頃の母はその現実を素直に受け入れていただろうか。


そう考えた時、母ががんの宣告を受けた日のことを思い出した。



「美加ちゃん、お母さんね、がんだって」


電話口から聞こえてきた母の声は、いつもと変わらず穏やかな声だった。そのせいで私は一瞬、状況が飲み込めなかった。


結婚してから実家に行くのは月に一度くらいだったけれど、電話ではよく話をしていた。


数日前も電話がかかってきて、体調不良が続いているので病院に行くとは聞いていた。だけど、これまで大きな病気ひとつせず元気そのものだった母が、まさか──。


「ウソ! そんなの、ウソだ!」


信じられず私は泣きながら叫んでいた。そのあとは何も言葉が出ず黙り込んでしまった。


すると、そんな私に母は静かに言った。


「美加ちゃん、そんなに落ち込まないで。元気出して!」


……って、私が励まされてどうすんのよ。


「もう、お母さんたら……立場、逆じゃん」


泣きながら笑ってしまった記憶が蘇る。


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