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カイゴシノワタシ  作者: 半田南都
第七章 あの人、こわい

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第六話 微笑みの裏側

心の中にひっかかりを残したまま、しばらくは目の前の仕事に集中する。


テーブルの上を整え、次の介助の段取りを確認しながらも──やっぱり、久世ちゃんとの会話の余韻がまだ残っていて気になっていた。


なんだろう……。


その正体が掴めないまま時間が過ぎ、仕事を終えた久世ちゃんがバッグを肩にかけながら声をかけてきた。


「ゴンちゃん、帰るね」


「あ、久世ちゃん、お疲れさま。またね」


久世ちゃんはニッと笑って Vサインをして帰っていった。


その後ろ姿を見ながら考えた──おそらく風間くんが久世ちゃんに冷たい態度を取るのは、彼女に注意されたからだろう。


彼にしてみれば、普段から介助の仕方や声かけが適切とは思えない久世ちゃんに注意されたことで、腹を立てたのではないだろうか。


彼には、久世ちゃんに指摘された“内容”そのものよりも、“誰に言われたか”が問題だったんだろう。


風間くんの久世ちゃんに対する態度の理由はわかった気がする。でも、やっぱり何かが引っかかる。



フロアでは、伸江さんが足元にいる“チョコちゃん”に話しかけている。私には見えないけれど。


「伸江さん、部屋に戻りましょうか」


声をかけると、伸江さんはゆっくりと顔を上げた。


昼食まで少し時間があるからそれまで横になってもらおうと車椅子を押して伸江さんの部屋へ。


立位が不安定な彼女をベッドに移す時は、安全のために車椅子のフットレスト──足を置く台を取り外す。


そして、両脇の下に腕を入れ、体を密着させて背中やお尻を支えるように抱きかかえる。


「ベッドに移りますよー」


声をかけると、伸江さんは、


「なにするの? やめて!」


と、首を振り、手を払いのけた。


状況が理解できない時は、こうして拒否することがよくある。磯野さんもそうだ。


「大丈夫、大丈夫。こっちに移るだけ」


片手でベッドを指し示しながら、落ち着くまでゆっくり声をかける。少しずつ抵抗が弱まったのを見て、


「はい、いきますよー。せーの、よいしょっ」


と声をかけ、移乗完了。


と、その瞬間、久世ちゃんから聞いた話を思い出した。


風間くんが伸江さんをお姫様抱っこで移乗したという話だ。


その光景が頭に浮かんだ。



お姫様抱っこ──見た目には、利用者さんを大切に抱えているみたいで、優しい介助に見えるかもしれない。でも、介護の現場では基本的にNG。


正面から体を寄せて、“よいしょ”と移乗する。それが安全で、基本のやり方だ。


足にまったく力が入らなかったり、拘縮(こうしゅく)──つまり関節がこわばって動きにくい状態があったり、体が大きくて前から抱き抱えることが難しい利用者さんの場合は、安全のために2人で介助する。


力のある人ほど、つい両手で抱き上げたくなる気持ちはわかる。でもこの施設ではお姫様抱っこは禁止にしている。


国の指針でも、抱き上げての移乗は原則禁止とされている。それは、スタッフの腰に大きな負担がかかり、腰痛やヘルニアの原因になるから。


それに、スタッフが不安定な体勢で抱え上げれば、利用者さんが怖がったり、落下や怪我の危険もある──。


あ……落下……。


さっきまで心の中で引っかかっていたものが、ふっと解けた気がした。



久世ちゃんは、風間くんが伸江さんをお姫様抱っこしているのを見た。ということは——ほかの利用者さんにも、同じことをしていた可能性が高い。


伸江さんや磯野さんは、移乗の時に拒否することが多い。だから、風間くんにとっては、有無を言わさず抱き上げてしまう方が手っ取り早いのかもしれない。


きっと、キクちゃんにも……。


キクちゃんは、おとなしくて暴れはしないけれど、体が拘縮しているから脇に腕を差し込むのは容易ではない。


だけど、無理に脇に手を入れなくても、華奢(きゃしゃ)なキクちゃんが相手なら、体を密着させ、腕を上から回して抱きかかえるようにすれば移乗できる。私はいつもそうしている。


それでも、男性の彼にとっては、ヒョイと持ち上げる方が早い──そう考えたのかもしれない。


そして、ベッドに下ろすときに手が滑ったか、あるいは、故意にポンッと放り投げるようにしたせいで、肘がベッド柵に当たってしまった──。


ベッド柵を外さずにそのままだったとしたら、ありえる話だ。骨折は左肘。ベッド柵もベッドの左側……。


あくまでもこれはすべて推測だけど。



フロアに戻ると、高山さんと風間くんが楽しげに話していた。


「ほんとにありがとうねぇ。こんなに親切にしてもらって」


「どういたしまして。気になったらいつでも言ってくださいね」


どうやら入浴後に爪を切ってあげたあとのようだ。


嬉しそうに手を合わせる高山さんの横で、風間くんが優しく微笑む。


私の考えがまったくの勘違いと思えてしまうほどの光景だ。


いや、本当に勘違いかも……。考えすぎのような気もしてきた。


どうしよう──。


私はお姫様抱っこの件を森田さんに話すかどうか迷っていた。


その話をすると、風間くんを疑ってるって丸わかりになっちゃう。


ちょっとためらって、でも、まあ、今はとりあえず保留にしておこう──そう決めて仕事を続けた。



昼食が始まる頃になると、フロア全体が一気に慌ただしさを増した。


「あれ? 磯野さんがいないね」


すると、橋本さんが答える。


「風間くんが迎えに行ったよ」


「あ、そう」


と言いつつ、何気なく様子を見に行くことに。


廊下を進んで磯野さんの部屋に近づくと、何だか騒がしい。部屋から磯野さんの叫ぶ声がする。


軽くドアをノックして中に入る。


「入るよー。大丈夫?」


そう声をかけると、風間くんは振り向き、一瞬驚いた顔をして私を見たが、すぐに表情を緩めた。


「あ、すみません。磯野さん、起きてくれなくて……」


彼はベッド横で身をかがめ、横になっている磯野さんの肩にそっと手をかけていた。


磯野さんはその手を振り払いながら叫ぶ。


「もう! やめてったら! どっか行って!」


入浴の誘いの時と同じように、風間くんに激しく抵抗している。


伸江さんもそうだけど、磯野さんも移乗の時は、何をされるのかわからなくて不安になるのか、思うように動いてくれない時がある。 


でも、ここまで大声を出して抵抗することは珍しい。


「私、代わるよ」


そう言って近づこうとした時、


「誰かー! 助けてー!」


磯野さんは叫びながら、目の前の風間くんの顔を思いっきり引っぱたいた!


フルスイングだ。手のひらが頬を打つ音まで聞こえた気がした。


その瞬間──


「うわっ、痛ぇっ! 何やってんだコラァ!」


彼は怒鳴りながら、磯野さんの肩を両手で掴み、ベッドに押し当てた。


えっ!? ──ほんの一瞬、何が起こったのかわからなかった。だけど、体が反射的に動いた。


私は2人の間に迷わず飛び込み、風間くんを磯野さんから引き離す。


彼は我に返ったのか、ゆっくりと私の方を見た。


見られてしまった──という顔。


私は……見てしまった。


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