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カイゴシノワタシ  作者: 半田南都
第七章 あの人、こわい

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第四話 疑念

磯野さんはどうして風間くんを怖がっているのか──。


彼が入社してからまだ1か月。いつも爽やかな笑顔で利用者さんに接しているし、怖がる理由なんて思いつかない。


……やっぱり、磯野さんの妄想なのかもしれない。


そう思った時、ふと今朝の久世ちゃんへの態度が頭をよぎった。


普段は爽やかで柔らかい笑顔なのに、久世ちゃんに対してだけ、目の敵のような反応をしていた。


ほんの一瞬だったけど、いつもと違う彼の表情、彼の声。小さいけれど、確かに感じた違和感──。


考えを巡らせながらフロアに戻ると、利用者さんが集まり始めている。そろそろ昼食の時間だ。


とりあえず、仕事に集中しよう。風間くんに対しても普段通りの態度でいよう。


そう決めて、今感じている違和感は、とりあえず心の中にしまい込んだ。



昼食の片付けを始めた頃に、キクちゃんが病院から帰ってきた。


「おかえりなさい!」


大森ナースと女帝三上と一緒にフロアに戻ってきたキクちゃん。


森田さんはナースたちと少し言葉を交わしたあと私のそばに来て耳打ちする。


「……骨折だって」


そうじゃないかとは思っていたけど、やっぱりショックだ。


それに──気になるのは事故原因。どうして、自分で動くことがままならないキクちゃんが肘を骨折したのか……。


「ゴンちゃん、とりあえず滝川さんをベッドに寝かしてあげよう」


いつもならひとりでベッドに移乗するけれど、無理に持ち上げて骨折した腕に負担をかけるわけにはいかない。だから今回は、2人で介助することにした。


キクちゃんを横にすると、森田さんはあとのことは私に任せて部屋をあとにした。


ナースや施設長と話があるようだ。そりゃあそうだろうな。


森田さんが退室したあと、私は取り置きしていた食事をセットし、ベッド上で介助する。


「キクちゃん、痛かったね……」


と声をかけると、キクちゃんは私をじっと見て、小さく首を振る──「痛くないよ」って言ってくれてるんだ。本当は痛いはずなのに……。


泣きそうになったけど、泣いたらキクちゃんが心配するから我慢した。


食事を終えたあと、


「また様子見に来るからね!」


と、できるだけ明るく声をかけると、ニコッと笑って頷いてくれた。 


落ち込んでいたけど、その笑顔を見たら、少しだけホッとした気分になった──ありがとう、キクちゃん。



フロアに戻ると、森田さんが私に向かって手招きをしている。


森田さんの隣には理沙ちゃんもいる──風間くんは休憩中で、この場にいない。


「あのね、やっぱり滝川さんの骨折は、スタッフの介助中に起こったことだと思うのね」


「……そうですね」


私が同意すると、理沙ちゃんは少し残念そうに小さく息を吐いた。


「ああ、はい……」


残念に思う気持ちは私も同じだ──意図的にキクちゃんに危害を加えたわけではなくても、結果としてスタッフの誰かがケガをさせてしまったかもしれないのだから。


「それでね、再発防止を立てる前に、まず原因を考えないといけないから。みんなに協力してもらうことになると思うの」


協力──つまり、キクちゃんのあざの原因をはっきりさせるために、私や理沙ちゃん、もちろん風間くんも含め、このフロアの担当スタッフ全員が、ここ数日の入浴や排泄、移乗など、関わったすべての場面で、どのように介助したか──細かく尋ねられるだろう。


まるで犯人探しのようだが、仕方がない……。


今回のように、骨折という一大事なのに、原因がわからなければ問題だ。家族さんもこのままでは納得できないだろう。


「わかりました」


理沙ちゃんはそう答え、持ち場に戻った。


私は同じくその場を離れようとした森田さんに声をかけた。


「あの、滝川さんの件とは別なんですが、報告しておきたいことがあるんですけど……」


森田さんは、私が言いにくそうにしているのを察したのか、やさしく頷き、少し身を乗り出して聞くような姿勢を見せた。


少し緊張していたけれど、森田さんが話しやすい空気を作ってくれたおかげで、磯野さんが風呂を嫌がるだけでなく、風間くんを怖がっているらしい、と伝えることができた。


森田さんは黙って聞いていた。


続けて、少しためらいながらも、私の気のせいかもしれない、と前置きしつつ、久世ちゃんのことで風間くんが見せた態度に違和感を覚えたことも打ち明けた。


話を聞き終えた森田さんは、少し間を置いてから静かに言った。


「……わかった。ありがとう。とりあえず滝川さんのこともあるし、施設長に報告して、対応を考えるね」


森田さんはそう言って、私の肩をポンと軽く叩いた。


磯野さんの件は報告すべきことだけど、違和感を覚えたというのはあくまでも私の感情だ。


言ってよかったのかはわからないけれど──重たい空気の中、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。



「ただいま戻りましたー」


休憩から戻った風間くん。午前中の入浴介助の続きを始めようと、浴室に足を向けたところを森田さんが呼び止める。


どうやら、さっき私と理沙ちゃんに話したこと──原因究明のための聴き取りがあることを彼にも伝えているようだ。


私はその様子を遠目に見ていたけれど、その後の彼の仕事ぶりを見ても、いつも通り明るく、何ごともなかったかのように振る舞っている。


その姿を見て、私は今朝まで彼に抱いていた“爽やか”というイメージが、もう自分の中にはないことに気づいた。


その代わりに、胸の奥にあった小さな違和感が、少しずつ形を持ちはじめ、それが疑念へと変わっていく気がして──少し怖くなった。


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