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カイゴシノワタシ  作者: 半田南都
第七章 あの人、こわい

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第三話 拒絶の理由

フロアに戻ると、風間くんが野田芳子さんと手をつないで歩いていた。


ゆっくりと、まるで散歩でもしているみたいな歩調。


どうやら野田さんの入浴介助を終えて戻ってきたところのようだ。


風間くんは野田さんのテーブル席まで付き添うと、椅子を静かに引き、


「はい、どうぞ。今、お風呂上がりの飲み物を持ってきますね」


と、笑顔で声をかけた。


──よかった。いつもの風間くんだ。


野田さんは、入居当初は頑なに入浴を拒んでいた利用者さん。


今では声かけに素直に応じてくれるようになったが、今日は特に機嫌がいい。


「お兄ちゃん、ありがとうねぇ。ほんっと気持ちよかったわ〜」


認知症のため、自立での入浴は難しく、洗髪や洗身、更衣にはしっかりと介助が必要な野田さん。


今日はイケメンお兄さんが一緒で、とても嬉しそうだ。


そこへ、永田佐登子さんが歩行器の音をコトコトと立てながら近づいてきて、野田さんに声をかけた。


「あなた、いいわねぇ。風間さんにお風呂入れてもらって。羨ましいわ〜」


永田さんは比較的しっかりしていて、入浴も自立。様子確認はするけど介助は必要ない。


風間くんがイタズラっぽい笑顔で返す。


「よければ、今度ご一緒しましょうか?」


すると永田さん、顔を赤らめて言った。


「いや〜、私はいいわ、風間さん。風間さんに入れてもらうなんて恥ずかしいわぁ」


“風間さん”を連発するのは、“私は記憶力がいいから、人の名前はきちんと覚えてますアピール”だと、私は思っている。


実際、スタッフの名前を覚えている利用者さんは少ない。


でも永田さんの場合、気に入った人や、逆に気に入らない人の名前だけは覚えている。


私はその他大勢なのか、覚えてもらえていないようで、このあいだなんて、


「えっと……あなた、“トンガさん”だったかしら?」


と言われた。


……ゴンダだよ。


“ン”しか合ってないし。


それ、南の島の国名だし。


と、心の中でツッコミを入れたのを思い出す。


永田さんも女性だな。やっぱりイケメンには弱いんだ、と苦笑い。



「さてと。次は大原さんを入れますね」


と言って、その場を離れようとした風間くんを私は呼び止めた。


「あ、次は磯野さんお願いできる?」


すると、彼は少し戸惑った表情を見せた。


──あ、そうか。今月から独り立ちして、自分なりに入浴の順番を考えていたんだ。なのに、私が口を挟んじゃったから、気を悪くしたのかも。


そう思い、急いで理由を付け加えた。


「大原さんはほとんど自立で見守りレベルだから、そんなに介助は必要じゃないのね。磯野さんはしっかり介助しないといけないから、先にお願い」


そう言うと、風間くんはまた笑顔になり、


「わかりました」


と答えて、フロアで車椅子に座っていた磯野さんに近づき、声をかけた。


磯野崇子さんはレビー小体型認知症で、幻視があったり、急に車椅子から立ち上がったりする利用者さん。


指示が通りにくいから介助は必要だけど、入浴に関しては拒否は少なく、思っている以上に手がかからない──はずだった。


「磯野さん、お風呂行きましょうか」


風間くんが身をかがめ、磯野さんと目線を合わせて手を差し出した、その瞬間──


「やめて!」


突然の叫びとともに、風間くんの手を強く振り払った。


え!?


びっくりする私。


フロアの空気が一瞬止まって、ほかの利用者さんも驚いた顔でこちらを見た。


こんなに強く拒否するなんて、どうしたの?


風間くんを見ると、彼も驚いた顔をして──いや、一瞬、表情がきゅっとこわばったように見えた。


「磯野さーん、どうされましたー?」


私が優しく声をかけると、磯野さんはうつむいたまま、袖のボタンを指でコリコリと擦りながら黙っている。


けれど、風間くんがもう一度近づき、


「お風呂に──」


と言いかけた瞬間、


「もう! あっち行って!」


と大声を上げた。


本当にどうしたんだろう──いつもと違う気がする。



「あらまあ、何かあったの?」


背後から声がして振り向くと、フロアリーダーの森田さん。


今日は遅番で、ちょうど今から勤務に入るところだった。


「磯野さんがお風呂嫌がっちゃって」


と、私が言うと、森田さんは私を見てから風間くんの方を向いて、


「風間くんが入浴当番よね?」


と聞いた。


「はい」


と、まだ少し緊張したような表情で風間くんが答えると、少し間を置いてから森田さんは静かに言った。


「この人は感情に波があるからね。お風呂は午後からにしましょう。私が入れるわ」


その言葉に彼は、


「……わかりました」


と答え、別の利用者さんを連れて浴室へ向かって行った。


森田さんは彼の背中を見ながら小さく息を吐き、私に話しかけた。


「聞いたわよ、事務所で。滝川さんのこと」


「そうなんです! もう、びっくりしました」


私は簡単にあの青あざを発見した時の状況を説明した。


「あ、それと──」


私は石嶺さんの久世ちゃんに関する訴えも報告した。


「久世ちゃんにも困ったものね。あんなに働き者で気が利くのに言動で損をしているんだからもったいない」


と言った上で、


「おそらく、“置いとけ”という言葉遣いや、“リモコンを投げた”というのは大げさな表現だと思うけど、誤解を与える言動をしていることは間違いないと思うの。あらためて久世ちゃんには私から話をしておくわ」


と、対応してくれることになった。


「あ、あと──」


私は風間くんの久世ちゃんに対する反応に少し違和感を感じたことを話そうとしたが、余計なことかも、と思い直し、


「磯野さん、午後からの入浴になるなら、今のうちに排泄見ておきますね」

と、話を変えた。


「わかった。よろしく」


その時、森田さんも何か言いたげな顔をしていた──そんな気がした。



とりあえず、磯野さんをトイレに連れて行こう。


「磯野さーん、トイレ行きましょうね」


車椅子に手をかけて動かそうとした瞬間、磯野さんが体をよじって抵抗する。


「いや! 風呂は行かない!」


「お風呂じゃないですよー。トイレです、トイレ」


ずり落ちないように、片手を後ろから磯野さんの体の前に回して支えながら、慎重に車椅子を押して部屋へ入る。


部屋に入ると少し落ち着いたようで、暴れることはなくなった。けれど、まだ興奮は収まっていない。


夜はオムツを使っているけれど、支えがあれば立てるので、日中はリハビリパンツでトイレに誘導している。


トイレに座った磯野さんの横で、声をかける。


「どうしたんですか、今日は。お風呂、いや?」


「いやなのよ! あの人!」


磯野さんは、こちらの話はほとんど理解してくれる。でも、返ってくる答えがチンプンカンプンで、会話にならないことが多い。


……けれど、この答えはなぜか理にかなっているように聞こえる。


「あの人って、さっきの男の人?」


「あの人、こわいのよ! だから、いや!」


「え? こわい?」


「そうよ。こわいわよ」


「どこが?」


「ほんと、こわいのよ」


「どうしてこわいの?」


「そうそう。それね。それなのよ」


「それって?」


「それが、あれなのよ」


……だめだ。これ以上は引き出せそうにない。


でも、風間くんを怖がっているのは間違いなさそうだ。


たとえそれが、磯野さんの勘違いや妄想によるものだとしても。


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