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カイゴシノワタシ  作者: 半田南都
第六章 家族様、来られました

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第三話 会いたい

昼食が終わり、利用者さんはそれぞれ部屋に戻ったり、そのままフロアに残ってテレビを観たりして過ごしている。


「部屋に戻りましょうか?」


私が南部さんに声をかけると、うなずいたので車椅子を押して部屋に向かう。


「息子、来たでしょ? さっき」


──銀縁メガネね。


「はい。楽しかったですか?」


「まあね。あの子は昔から優しい子だから」


……。


「……そうなんですね」


絞り出すように、やっと声が出た。


「あの子、何か言ってた?」


ええ、そりゃあもう……。


「あ、お風呂。このあいだ入られなかったの、気にされてましたよ」


そう言うと、嫌がらずに入ってくれるようになるかな、と思ったけど──。


「私はね、昔から嫌いなの。お風呂」


……お母さん、風呂好きって言ってなかったっけ。話が違うじゃないのよ。


「まあ、息子さんも心配されるから入りましょうね」


「……」


──黙秘権か。まあ、いいや。


南部さんを送り届けると、私は例のセーターを持って浴室へ向かった。


手洗いで洗わないと。縮んだら、また何を言われるか……。


「プロですよね?」


銀縁メガネの言葉が、頭に浮かんだ。


あの言葉、どうも好きになれないな。


セーターを洗面器の中で優しく洗いながら、そんなことを考えていると、ふと父のことを思い出した。



父は、自分に厳しいが、人にはもっと厳しい人だった。


それは、私たち家族にだけでなく、他人に対してでも同じだ。


私がまだ実家に住んでいた頃、業者に頼んでエアコンの洗浄をしてもらったことがある。


父は、作業の様子をじっと見ていた。作業員は茶髪にピアスのお兄さん。


頑固そうなおじさんに見られてやりづらかったことだろう。


「浴室、借りますね」


「何でだ?」


私が慌てて間に入る。


「お父さん、部品洗うのにお風呂場を使うって前もって聞いてたから」


「……ふーん」


さすがに浴室は狭いから父は見学を諦めてリビングで新聞を読み始めた。


「終わりましたー」


エアコンを元通りに取り付けて、道具を片付け始めるお兄さん。


そこに、父登場。


「君ね、風呂場、見てきなさい」


「え?」 

「え?」


お兄さんと私、同時に声が出た。


「いいから、行きなさい」


渋々手を止めてお兄さんは風呂場へ。


「ここ、見なさい。泥が残っているだろう」


私も横から覗くと、排水口の周りにうっすらと茶色い汚れが残っている。でも、許容範囲じゃ──。


「ああ、そうですね」


と、少し不機嫌そうに言うお兄さん。


あ〜、父のスイッチ入るぞー……。 


「君ね、プロなんだろう? 仕事をしてお金をもらってるんだから」


お父さん、言い方、言い方……。


「プロだったらこんな中途半端な仕事ではダメだろう。今すぐきれいにしなさい」


チラッとお兄さんを見ると、少しムッとした表情。


うわー、逆恨みされて、家に火でもつけられたらどうするのよ……。


「はい……」


と、小さな声で返事をして排水口にシャワーをかけるお兄さん。


そのあとはほとんど無言で道具を片付けてお兄さんは帰っていった。


あーあ、もう、二度と同じ店には頼めないな。


その時は、そう思った。


──「吉井様の家族様、来られましたー!」


廊下の先から梶さんの声がしてハッと我に返る。


いけない、いけない。さ、仕事に集中だ。



吉井さんの家族さんは30分ほど部屋で過ごしたあと、エレベーターの前で何度も振り返りながら、名残惜しそうに帰っていった。


吉井さんは少し寂しそうな顔をして、静かに部屋へ戻っていく。


その背中を見送っていたその時──。


「ねえ!」


突然、背後から呼びかけられた。振り向くと白井さん。


「うちの娘は!? 今日来るの!?」


白井レイさん、89歳。杖も使わずに歩き、比較的元気だが、認知機能の低下が進んでいて、会話がかみ合わなかったり、ついさっきの出来事を忘れたりする。


確認すると、今日の訪問予定リストに、白井さんの娘さんの名前はなかった。


「今日はどうでしょうね。来たらいいですね」


やんわりとそう答えると、白井さんは眉をひそめた。


「今日は来るの? 来ないの?! どっちなのよ!」


白井さんの娘さんは2日前に面会に来ている。でも、白井さんはきっともう忘れてしまっているのだろう。


「娘に会いたい! 連れてきて!」


今日は面会が多い。でも、自分には誰も来ない。


家族が訪れて嬉しそうにしているほかの利用者さんの様子を見て、羨ましく思ったのだろう。


「わかりました。今日いらっしゃるか聞いてみますね。部屋で待っててもらっていいですか?」


とりあえずそう言って、少しでも落ち着いてもらおうと思った。


「絶対よ! 来るように言ってよ!」


……多分また、10分も経たないうちに今のやり取りは忘れてしまうだろう。申し訳ないけど。


白井さんを部屋まで送ると、私は心の中でそっと謝った。


──ここにはいつも利用者さんやスタッフなど、人がたくさんいる。


にぎやかだけど、それでも本当に会いたい人がそばにいないのは、やっぱり寂しいよね。


ホスピスにいた母も……母だって、私がそばにいても、会いたがっていた。


──父に。



ホスピスに入ってから2週間ほど経ったある日、母がまた同じことを尋ねた。


「美加ちゃん、お父さんどうしてる?」


「……うん。元気だよ。大丈夫」


「なんで会いに来てくれないの?」


「お父さん、元気だけど、まだ風邪が完全に治ってないからね。お母さんに移しちゃダメだから、お父さんも我慢してるよ」


「そうなの……お父さん、大丈夫かなぁ……会いたいなぁ……」


母は、白井さんのように、会いたい人に会えないことに怒ったりはしない。


静かに、ただ、会えない寂しさを全身で表している。体の隅々まで、会えない寂しさが染み渡っているようだ。


父はいわゆる亭主関白で、母はあまり口を挟まなかった。


意見を言うことはあっても、すぐに諦めたように小さくうなずいて終わりだった。


母は友達と出かけることも、趣味に時間を使うこともほとんどなかった。


いつも家族のことばかり考え、手を休めることなく動き続けていた。


それでも今ここで、酸素チューブをつけて呼吸をしながら、母は自分の体のつらさより先に、父のことを心配している。


父は……そんな母の気持ちに気づいているのだろうか。


私は、正直そうは思えなかった。


父はその頃、母のことよりも自分のことで精一杯で、母に会いたいと思う余裕がない──そのことを私は知っていた。


だから、「会いたいなぁ……」と母がつぶやくたびに、胸がぎゅっと締め付けられた。


父は、会いに来ないのではない。今は、会いに来られないのだ。


──認知症が進んでいたから。


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