第五話 褒め言葉
“女帝三上”は普段、理屈っぽくて面倒くさい相手だ。でも、“歌姫三上”の歌声だけは認めざるを得ない。
仕事中は、ギャーギャーと高音で叫ぶかと思えば、ドスの利いた低音で相手を威圧する。それと同じってわけではもちろんないけれど、三上ナースの歌は音域の幅が半端ない。
高い声は澄んでいて、聞く人の胸にすっと届く。低い声はしっかり響き、心に染みる。
歌謡曲から演歌、シャンソン、ブルースまで、レパートリーは豊富で、どの曲でも声の魅力が活かされ、聴く者の心を一瞬で掴んで離さない。
普段は目の敵にしてしまう相手だが、この歌声だけは本当に脱帽だ──。
「大迫さん、歌い終わった三上さんに駆け寄ってね。素晴らしい! 以前どこかで歌ってたのか? なぜプロにならなかったのか? もったいない! って三上さんの手を取って興奮気味に話してたんですよ」
と、前田さん。
そうなんだ…そこまでは知らなかったな。
大迫さんって、人がやることなすことにただ文句を言うだけでなく、きちんと相手を認めることもする人なんだな──。あ!
「思い出した!」
私が急に大声を出したので、前田さんは驚いた顔をした。
「もう1人いる! 大迫さんが認める人!」
「え? 誰?」
「久世ちゃん! 久世ちゃん!」
「久世さん?」
「そう。前にね、スタッフの1人が大迫さんに“いつもきれいですねー、女優さんみたいー”て、言ったんだけど、その言い方が軽くて、お世辞まるわかりな感じだったのよ。だから、“そんなこと言われて喜ぶと思ってるの?ばかばかしい”ってへそ曲げてね」
「わかるな。あの人、そういうの嫌いそうですよね」
「でもね、別の日に久世ちゃんが大迫さんの赤いポーチ見て、“あ! そのブランド、私も好き!”って言ったの」
私は身振りを交えて話す。
「大迫さんは黒のブラウス着ててね。久世ちゃん、目をキラキラさせながら、“赤のポーチが映える! そのブラウスもいいなぁ! レースが可愛い! それ、どこのブランド? 私も同じのほしい!”って、次から次へと立て続けに言い出して、とにかく止まらなかったのよ」
「ははは。なんか、想像できる」
「そしたらね、大迫さん、ニコって笑って、“ありがとう、嬉しいわ”って言ったの」
「へー、そうなんだ。ちゃんとわかるんですね。お世辞なのか、本心から言ってるのか」
そう、久世ちゃんはいい意味でも悪い意味でも本心をストレートで話すことが多い。話し方も荒いから、ほとんどの人にはきつく感じるだろう。
それでも、たまに心に響くことを言う。……たまーにだけど。
「めったに人を褒めない人から認められるなんて、さすが久世さんですね」
お! 久世ちゃん、聞いた? 前田さん褒めてるよ! ポイント上げといたよ! 感謝してよ!
「あの乱暴な口調は直してほしいですけどね」
oh……
前田さんの前では乙女口調だけど、しっかりバレてるな。久世ちゃん、気をつけないとね。
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めったに人を褒めない大迫さんに認められた三上ナースと久世ちゃん。
そういえば、私も、あの父から褒められたことがあったな──。
小学3年生の時、“夏休みの思い出”という作文を書いた。先生にすごく褒められ、県主催の作文コンクールに推薦され、銅賞をもらったのだ。
学校の成績も、運動も、何もかもパッとしなかった私が初めて取った賞。
別に父は興味を持たないだろうと思い、私はそのことを話さなかったが、喜んでくれた母が、
「美加ちゃん、賞をいただいたんですよ」
と、父に作文を見せた。
私はてっきり、「なんだ、金賞じゃないのか」と、辛口コメントを聞かされると思っていたが、
「ほぅ……」
と言いながら父は手にして読み進め、
「いい文章だな。特に“ビニールのように海が光っていた”という表現は大人ではなかなか表せない。うん。大したもんだ」
と褒めてくれたのだ。
父の言葉を聞いて、私は嬉しくて照れ笑いを浮かべていただけだった気がする。
家族で遠出することはほとんどなかったけれど、その夏は日帰りで海水浴に連れて行ってもらった。その思い出を作文にしたのだ。
あの時の海の景色が、ふわりと思い出される。子ども心に見たままの海──太陽に光って、ビニールみたいにツヤツヤしていた色──。
⸻
あれ、前田さんと話していたら、もうこんな時間。
やばい、早くフロアに戻らないと。廊下を小走りで階段に向かうと、背後から怒声が飛んできた。
「廊下は走らない! 学校で習ったでしょ!」
……学校って。
その声の主は──歌姫、いや、女帝。噂をすれば、だな。
「まったく! 利用者さんにぶつかったらどうするの!」
……おっしゃる通りです。
私を睨みながら通り過ぎる女帝に声をかけた。
「三上さん! クリスマス会で歌ってくれるんですよね? 楽しみにしています!」
振り向き、目を丸くする女帝。私は一礼してその場を去った。




