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カイゴシノワタシ  作者: 半田南都
第三章 入りません

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第二話 こだわり

母はもともと、人に体に触れられるのを好まない人だった。


整体やマッサージはもちろん、美容院に行くのも苦手で、髪を切ったり洗ってもらうのも、“気持ちいい”というより“落ち着かない”というのが本音だった。


それだけでなく、人の髪に触れるのもあまり好きではなかった。子どもの頃、友だちがお母さんに髪を三つ編みにしてもらったり、リボンを結んでもらったりしているのを見て、私はうらやましく思ったものだ。


母は器用で、洋裁も編み物もこなす人だった。私の髪もいざとなれば見事に結ってくれる。けれどそれは、「やってほしい」と何度も頼んで、しぶしぶ引き受けてくれる時だけ。


母の手で可愛く髪を結ってもらうのは、子どもの私にとって特別な日の“おまけ”のようなものだったな…。


そんな母が病気で体力を落とし、酸素のチューブをつけて生活するようになった。家の中を歩くのさえしんどく、ひとりで入浴するのはもう難しい。


離れて暮らしていた私は、週に何度か実家に通い、母を風呂に入れる役目を担った。


「背中、流すね」


「はいはい、よろしく」


あの母が、私に背中を流させ、髪を洗わせてくれる。嫌々というわけではなく、ただ体がもう自分でできないだけのことだ。


「頭も洗うよ」


「はいはい、お願い」


弱ったからといって、嫌だと思う人もいるだろう。けれど母の場合は、できないだけで、やってもらう。それだけだった。


年を取るというのは、こういうことなのかもしれない──状況に応じて、自分がしたいこともできなくなるのだ。


だからといって、受け入れられずに介護を嫌がる人もいれば、母のように淡々と受け入れる人もいる。人それぞれなんだ。



「はい、中西さんあがられましたー!」


森田さんの声。


ん?「入りません!」と嫌がっていた中西さん、いつの間に?


「お風呂、いただきましたー」


笑顔の中西さん。風呂上がりのスポーツドリンクを手渡すと、「ありがとうございます」と、また笑顔。


「お医者さんから体重を測ってと言われているから、と伝えたら素直に脱衣所に来てくれてね」


と森田さん。脱がないと正確に測れないからと言ったら、スルスルと脱いでくれた。そこで「さ、入りましょう」と声をかけたら、すんなり浴室に入ったとのこと。さすがだな。



昼食の時間が近づき、森田さんは残りの入浴を理沙ちゃんに任せ、フロアへ移ってきた。ほどなくして、209号室の大原敬子さんが歩いてフロアに現れる。


──あれ? さっき浴室に向かったばかりじゃなかったっけ。まだ15分も経っていない気がする。


大原さんは90歳。足腰はしっかりしていて杖も使わない。物忘れは多少あるが、基本は自立で入浴している。それでも、見守りは必要だ。


「大原さん、お風呂、入られました?」


森田さんが声をかける。


「はい、入りましたよ」


笑顔で答える大原さん。けれど、着ている服は浴室に行く前と同じ。髪も完全に乾いている。私は森田さんと顔を見合わせた。


理沙ちゃんがフロアに現れ、森田さんはすぐに声をかける。


「理沙ちゃん、大原さんね、“入った”って言ってるけど、見守りできた?」


「え? あの方、自立でしたよね?」


森田さんは浴室に確認に行った。用意した着替えはそのまま置かれ、着ていた服をまた着直したらしい。シャワーを使った形跡はあるけれど、ドライヤーを使った様子はないので髪は洗っていないだろう。体を洗ったかどうかもよくわからない──そんな感じだった。


森田さんが理沙ちゃんに穏やかに説明する。


「自立の人でも確認は必要なの。髪や体を洗っていなかったり、洗い方が十分でないこともあるしね。特に足先は水虫になりやすいでしょ。それに入浴はボディチェックの機会でもあるの。皮膚の異常や内出血を見つけられるし、転倒防止のためにも様子を見るのは大事だからね」


「……わかりました。すみません」


理沙ちゃんはしゅんとした表情になったけど、まだ経験が浅いのだから仕方ない。森田さんもそれはよく理解している。


「あとで着替えだけでもしてもらいましょう」


と、森田さん。


──お風呂に入っても、こちらが“洗えていない”と思っても、本人にとっては“ちゃんと洗った”になるのだ。


髪を毎回洗わないのも、不要だと思っているから。着替えだってそう。下着を毎日替えるのが当然だと私たちは思っているけれど、そう考えていない人もいる。


父もそうだったな。



父は、頭は週に一度しか洗わない、体を洗う時は石鹸を使わない──そんな自分ルールを貫く頑固者だ。


洗髪に関しては「洗い過ぎると頭皮に悪い」、体を洗う時に石鹸を使わないのは「必要な皮脂を取りすぎて肌に悪い」──だそうだ…。


その事実を知る前までは、確かに時々プンと匂いが漂うこともあったけれど、それは男性特有の匂いだからしょうがないと思っていた。だけど、知ってからは、“だからか…”と、不快に感じてしまったな。


それでも父は皮膚トラブルは一切なし。周りがどう思おうと、本人は気にしていなかった。


父と母2人でかの有名な温泉地の湯布院へ旅行に行った時もそうだった。


私はてっきり温泉目的で行ったと思っていたけど、父は一度も温泉に入らなかったそうだ。母が「せっかく来たんだから」と誘っても、父は「別に入らんでもいい」の一点張りだったらしい。


湯布院に泊まったのに温泉に入らないなんて…。何しに行ったんだろう、と思ってしまったな。


とはいえ、父の場合はそれでも週一で頭を洗うし、見た目に不潔さが際立つわけでもなかった。


それを思うと、205号室の野田芳子さんの入居当初の様子は、もっと大変だった。なんせ、1か月も風呂に入らず着替えもしなかったのだから……。

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