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カイゴシノワタシ  作者: 半田南都
第三章 入りません

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第一話 「入りません」

朝9時。事務所で朝の申し送りが始まった。


夜勤明けのスタッフが夜間の様子を報告し、続いて看護師からの注意事項。三上ナースが口を開く。


「今日は看護師は私ひとりしかいないので、くれぐれも事故のないように!」


……おいおい、それは看護師の人数関係ないでしょうが。


目を合わせたわけでもないのに、周りの顔に同じツッコミが浮かんでいるのがわかる。


この施設では看護師は3人いるが、シフトで1人体制になることもある。自分中心でこんな発言をするなんて──さすが女帝。



申し送りが終わり、2階のフロアへ向かうと、廊下の奥から鋭い声が響いた。


「入りません!」


声の主は220号室の中西ヨシエさん。本田さんと同じように、時々食事をしたことを忘れ、「まだ食べていない」と憤慨することがある。


そうか、入浴の日か。


「私は今朝入りました!どうしてまた入らないといけないの!?」


「んー、まだ入ってないですよー」


「もう入りました!だから、もう入りません!」


応対しているのは2階のフロアリーダー、森田さん。40代前半の落ち着いた女性。この道20年のベテランだが、苦戦している。


「わかりました、じゃあまた今度ね」


と、引き下がる。


「一度ああなると無理だから、あとでまた挑戦するわ。とりあえず、自立の人から先に入ってもらおう」


肩をすくめて、中西さんの部屋をあとにした。



ここ2階には、個浴と呼ばれる一般浴室が2つある。家庭の風呂より洗い場が広く、自分で入れる人は見守り程度、介助が必要な人はスタッフが洗髪や洗身を手伝う。立位がまったく取れず全介助が必要な人は、1階の機械浴を利用する。


今日は森田さんと新人の清水理沙ちゃんが担当だ。理沙ちゃんは22歳。ちょっとおっちょこちょいだが、一生懸命さでカバーしている。


しばらくして、ピンポーン、と浴室からナースコール。慌てて向かうと、中から荒々しい怒鳴り声が飛び出してきた。


「やめろって言ってるだろうが!やめんか!こら、殴るぞ!」


声の主は221号室の長谷勝さん。85歳。車椅子を利用している。脳梗塞の既往はあるが麻痺はなく、認知症が進んでいて指示はほとんど届かない。立位はなんとか保てるものの、とにかく入浴拒否が強い。


まだ服は着たまま。脱衣所ではなく浴室の中で車椅子に座り、大暴れ。森田さんと理沙ちゃんが必死に押さえている。


「ごめん、ゴンちゃん、こっち押さえてるから服脱がして!」


必死の声に応じて上衣を引き抜こうとするが、長谷さんは首を激しく振って抵抗する。


「長谷さーん、ちょっと我慢してくださいねー。お風呂入りますからねー」


なんとか上衣を脱がすと、次は下衣。森田さんが長谷さんをしっかり抱きかかえ、軽く腰を浮かせる。その間に理沙ちゃんがズボンとリハビリパンツを一気に下げる。私は車椅子を後ろに引き、用意していたシャワーチェアをすばやく差し込む。


「はい、座ってくださいねー!」


どうにか移乗成功。だが長谷さんはなおも足をばたつかせ、森田さんのお腹に思いきり蹴りを入れた。


「痛っ!」


それでも誰ひとり手を止めない。理沙ちゃんがタオルを握り、私はシャワーをあてる。怒号と湯気の中、必死で洗髪と洗身を終えた。


シャワーチェアを浴槽の脇に横付けする。


「せーのっ!」


三人で息を合わせ、長谷さんの腕と足、体をしっかり支えてゆっくりと湯の中へ沈めた。


「……」


さっきまでの荒れようが嘘のように静かになる。長谷さんは両手で湯をすくって顔にあて、目を閉じて上を向いた。


「あ〜……」


気持ちよさそうな長谷さんの吐息に、私たちの肩からも力が抜けていった。


——脱衣や洗身の場面だけを切り取れば、確かに強引に見えるかもしれない。虐待だと誤解されても仕方ないほどに。けれど、私たちは好き好んでそうしているわけではない。入浴を拒まれ続ければ、清潔も保てず、皮膚の異変に気づく機会も失われてしまう。


利用者さんの思いと、施設の役割。そのはざまで、いつも私たちは揺れている。



長谷さんが森田さんと理沙ちゃんと一緒に、浴室からフロアに戻ってきた。


「はい、長谷さん、こちらでちょっと休んでくださいねー」


森田さんの声が優しく響く。理沙ちゃんもにこにこしながらサポートする。


「お風呂どうでしたー?」と私が聞くと、


「気持ちよかったー!気持ちよかったー!」と繰り返す。


長谷さんは両手に風呂上がりのスポーツドリンクを握りしめ、満面に笑顔をたたえている。


ああ、もういつものパターンだ。私は思わず苦笑い。やれやれ、今日もなんとか入ってもらえたな、と少し胸をなで下ろす。



ここにいる利用者さんのほとんどが、元気な頃は、入浴も生活のごく自然な一部だったと思う。


朝起きて、ご飯を食べ、寝る──その間のひとつとして、自分のペースで入っていたのだろう。でも、体調や年齢のせいで面倒に感じたり、体が思うように動かなくなったりして、自由に入ることが難しくなることもある。


そんなことを考えていると、自然と母のことが思い浮かんだ。


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