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カイゴシノワタシ  作者: 半田南都
第二章 飯はまだか

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第六話 一筋の光

前田さんが立ち上がると、階段の明かりがすぐに戻った。手元のスマホを確認する前田さん。


「あ、もうこんな時間か。そろそろ行きましょうか。権田さんも帰らないと、愛しいダーリンが待ってますもんね」


「ははは。愛しいかどうかはわからないけどね。まあ、確かに待ってるかも。今日は日曜日で家にいるし」


一緒に階段を降りかけた時、ピロン、と着信音。私のスマホだ。


「先に行ってて」と言い、カバンから取り出す。


「じゃあ、お先に」


前田さんは階段を降りていった。


スマホを確認すると、通知は大した内容ではなかった。けれど、手を止めてボーっと画面を見つめていると、自然と昔のことを思い出していた。



成人式の時も、やっぱり同じことだった。


母は私の晴れ姿を楽しみにしていて、デパートまで足を運び、振袖のパンフレットを手に入れてきてくれた。居間のテーブルに広げ、母と二人で眺めていると、父がふいに顔をのぞかせる。


「なんだ、それは」


「美加ちゃんの成人式の着物ですよ」


七五三の時のことを、母も私も覚えていた。だけど、成人式くらいはさすがに許してくれるだろうと思っていたのに──甘かった。


「たった一度のために、そんな高いもの買ってどうする。いらんいらん」


まるでコピぺでもしたように、七五三の時と同じ言葉が返ってきた。


「でも……」


母が食い下がったけれど、もちろん父は譲らない。その夜、私は布団の中で泣いた。──なんでうちはこうなんだろう。“普通”の家に生まれたかった、と。


ただ、七五三の時と違ったのは、私はもう自分で動ける年齢だったということ。諦め切れなかった私は、父には一言も言わずに貸衣装店で振袖を借りて式に出ることにした。


当日の朝、早くに家を出て、美容院で髪を結い、着付けをしてもらった。友達と合流し、胸を張って会場に向かったものの、式を終えて家に戻る時には心臓が早鐘のように打っていた。


父が見たら、きっと怒る。そう思いながら玄関のドアを開けると、ちょうどそこに父の姿があった。


一瞬で血の気が引いた。息を呑んだ私をよそに、父は無言で奥へと歩いていく。


「……怒ったのかな」


不安で立ちすくんでいると、少しして戻ってきた父の手にはカメラが握られていた。


「ほう……きれいだな」


そう言いながら、父はパシャパシャと何枚も写真を撮った。滅多に見せない、嬉しそうな顔をして。


「そんなに喜ぶなら、最初から許してくれたらよかったのに」


そう思った瞬間、胸の奥が熱くなり、泣き出しそうになった。



父の姿を思い出していると、自然と本田さんの顔が重なっていった。頑なで、譲らなくて、周りを振り回すところもあるのに──なぜか憎めない。


「飯はまだか」と声を荒げた昼間の姿。でも夕食の時には、穏やかに「おいしかった」と笑ったあの表情。


もしかしたら、父も同じだったのかもしれない。私にとっては厳しく、理不尽に思える言葉ばかりだったけれど、その裏には父なりの価値観や愛情が、確かに隠れていたのだろう。上手に表せない、不器用なだけで。


そんなことを考えると、胸の中にあった重たい石が少しだけ軽くなった。


昔の父を恨んでばかりいるのではなく、これからは父の中にあった不器用な優しさをもっと探してみてもいいのかもしれない。


そして、本田さんの頑固さも、ただ大変なものとしてではなく、その人らしさとして受け止めていきたい。


ふと気づけば、周りはまた暗闇に包まれていた。だけど、よく見ると、扉から細く一筋の光が漏れている。


──まだ前に進めそうな気がする。



背後で、ガチャッと扉が開く音がした。


「どわーーーっ!!!」


叫び声とともに、山野さんが立っていた。私と同じパターンだ──驚いて固まる山野さん。


「ゴ、ゴンちゃん? ど、どうしたの?」


声も手もわずかに震えている。


「ごめんごめん、ちょっと黄昏てたの」


私が笑いながら言うと、山野さんはますます困惑顔。


「え?えーーー???」


私は軽く肩をすくめて、にっこり笑った。


「へへ、お疲れ様!」


明るい階段をゆっくり降りる。頭の中でぐるぐるしていたことも静まり、気持ちも少しずつ明るくなっていった。



事務所に入って、ヒヤリハットの続きを片付ける。作業はスラスラと進み、あっという間に終わった。


まだ残っていた沢渡さんと前田さんに「お疲れ様でしたー!」と声をかける。


二人は、なんだか元気だね、と言わんばかりの顔で微笑んでくれた。その様子につられて、私も笑い、肩の力がさらに抜けるのを感じながら、ゆっくりと施設をあとにした。


風がひんやりと肌をなで、空は夕闇に沈みかけている。自転車のペダルを踏むたび、胸の奥のもやもやが静かにほどけていく。


藍色の空に、街灯の小さな光が道をそっと照らす──ふっと、心の中にも光が差し込んだ。


「さて、愛しいダーリンの元に帰りますか」


つぶやきながら、私は静かにペダルを踏み続けた。



第二章 完

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