後悔すらも糧にして ≪side 光希≫
≪光希視点≫
気づけば、辺りはすっかり夕闇に染まっていた。朱から藍へと静かに染まりゆく空は、まるで僕の心の変化を映す鏡のようだった。頭が冷えた今、さっきまでの自分が妙に恥ずかしい。
「落ち着きましたか?……これを目にでも当てください。そうすれば、目の腫れが早く治まりますよ。」
渡されたタオルに包まれた保冷剤を目に当てる。狭くなった視界の中の先生はいつもの穏やかな表情を崩さないままだ。
「先生にも……取り返しのつかない後悔って、ありますか?
自分の……やろうとしていたことが、全部から回って、後悔する。結果、その後悔で身を焦がして、……消えてしまいたい、なんて考えてしまうんです。」
脳裏にはここ最近の出来事がはっきりと思い出される。今もその場面にいるんじゃないかと感じてしまうほど、鮮明に浮かび上がるのだ。
あの施設との戦いで僕をかばって消えていったせせらぎ。
『私も、光希と一緒にいたかった。でも、これ以上大切なものが失われるのは見たくない。』
彼女にあんなにも悲痛な表情をさせてしまったこと。僕が弱かったがゆえに犠牲にならざるを得なかったこと。
涼介は、村で孤立していた僕にできた最初の友達だった。そんな彼が差し伸べてくれた手を、僕は振り払った。言ってはいけないことまで口にしてしまったせいで、一気に取り返しのつかないほど遠ざかってしまった。
『俺、お前の気持ちを何も考えていなかった。……思えば、俺はいつもお前にエゴを押し付けてばかりだったな。だから、今日でそれももう止める。』
『ち、違う。……そうじゃ、そうじゃないんだ。』
あの時、僕が昏睡状態になったとき一番走り回っていたのに何もお礼を言えないまま疎遠になってしまったこと。彼のやさしさに甘えきっていたこと。
そして、手紙の中で明らかになったせせらぎと水鞠の真実。
それらが、折り重なって広がって、僕の思考を隅々まで占拠する。
「後悔、ですか?……そうですね、そんなの山ほどあるに決まっているんじゃないですか。むしろ上手くいったことの方が少ないですよ。」
あまりにもあっけらかんとした態度だった。しかし、その中にはほんの少しだけ憂いが混じっているように見える。初めて見る先生の微笑み以外の表情。
先生はおもむろに立ち上がり、窓の近くに行くとそのまま外を眺めている。何かを思い出したのだろうか。ほんの少しだけ目を震わせた。
僕もつられて窓の外の景色を見る。その窓は大きく、夜空に輝く星々がとても美しい。先生は星に何を見出しているのだろう。
「私は、人よりも長い年月を生きてきました。その中で、たくさんの出会いと別れを繰り返すのは必然でしょう。最も、出会いよりも別れを経験することの方が多かったのですが。
人生を歩んできて失敗しなかったことはありません。あなたの言う通り、身を焦がすほどの後悔をしたことだって何度もあります。」
僕は学院長先生の過去を噂でしか聞いたことがない。その噂たちだって本当だとは思えないちんけな話がほとんどだ。
一度だけ、先生に思い切って過去のことを聞いてみたことがある。今よりも幼く、好奇心の旺盛だった小学生の時に。
『せんせいはむかし、どんなことをやっていたの?』
『どんな事とは?……私、別にぐれていたりしていませんからね』
『ちーがーう‼【がくいんちょう】になるまえになにをやっていたのかがしりたいの‼』
『私が学院長になる前ですか。別に特別なことはしておりませんよ?』
……今思えば、あの時の僕は本当にしつこかったと思う。それでも先生は――ずっと笑っていた。それでも、先生はずっと笑って接してくれる。そんな先生の大人な姿に、どこか憧れていたのだと思う。
だからこそ、その強さのルーツを知りたかった。先生とは違うけれど、陰陽術を教えてくれたのは、せせらぎだった。
『少年、大丈夫ですか?もう怖いものはありませんからね。あの化け物……クルイモノ達は私たちに任せなさい。』
7歳の夜、死を覚悟したとき、助けられてからずっと憧れていた。だから、彼に追いつきたいと思った。そして、それならば一体何が必要なのだろう。
『私の過去は秘密です。……私の過去は今の時代には必要ありませんから。』
その時の先生は笑みを絶やすことなく、僕の頭を撫でていた。
過去の何気ない情景に思いを馳せていると、先生は懐かしいものを見るような目を向ける。僕と誰かのことを重ねているのだろうか?
「私たち人間は、決して完璧にはなれません。だからこそ、失敗し、傷つくのです。それでも立ち上がるのは——同じ過ちを、繰り返さないため。
……それを支えるのが、“後悔”という名の炎なのですよ。
菱谷くん、先ほど君は『自分のやろうとしていたことが全部から回って、後悔する』と言っていましたね。それは本当にあなたが空回って起きてしまった悲劇なのでしょうか?」
僕は思わず目を見開いた。その言葉は、閉ざしていた心の奥を容赦なく突き刺してきた。
後悔はできればしたくない。後悔したって欲しかったものは何一つだって戻ってこないのだから。それをこの人生の中でも嫌でもかと見せつけられてきた。
だから、先生のこの言葉は僕にとってまさに晴天の霹靂とも言えるものだった。僕の考え方、生き方では決してたどりつけないものだから、余計にそう思う。
「せせらぎさん……彼女は祠に封印されていた。そうですよね?」
「はい、祠の中で足に拘束具が付いたような状態でした。それを霊力を込めて破壊して祠の外に出て一緒に村で暮らして、それで……」
「それでは一つ聞いてもいいですか?」
せせらぎ、今の僕が抱えている焦燥と後悔は大抵が彼女に起因するものだと思う。それほどまでに彼女は僕の生活の中で最も大切な存在だったんだ。
「せせらぎさんは、あなたに対して嫌悪感を向けたことはありますか?」
「えっ、はっ、それはたぶんないと思います。」
「まぁ、それもそうでしょうね。とにかくそれを前提に話を続けましょう。」
わかっているのなら、どうしてそんな質問をするのだろう。先生の意図が見えない。
「少なくとも、彼女はあなたと暮らしてきて幸せだと思っていたのでしょう。それは昔のことではなく、今だってそう。だからこそ、彼女はあの時自分が犠牲になる道を選んだ。
本当にどうでもいい存在なら、見捨てる選択肢もあったのかもしれない。でも、彼女はそうしなかった。彼女にとって愛おしい家族だったのですよ、あなたは。」
「先生……」
「過去を後悔しても、過去を変えることはできません。けれど、未来なら変えることができる。なぜなら、まだ起こってもいないことなのだから。」
長い時を生きてきているからだろうか。先生の言葉は、まるで何度も火にくぐってなお残った鋼のようだった。
でも、それは負担や苦難などの負の感情になるものではない。むしろ、その言葉は忘れかけていた心の熱さを思い出させてくれる。
「先生、あなたはせせらぎが亡くなっていると思いますか?恐らく、あの時あそこで自分自身ごと封印したんだと思うんですよ。」
「それならば、ほぼ確実に生きていると思いますよ。水神としてだけではなく、……せせらぎという一人の女性としての人格を残したまま。」
「なら、まだ希望はありますね。」
窓一面の星空は先ほどと変わらずその光を目一杯に解き放っている。今なら少しだけ先生がさっき星空を見上げていたのか、分かる気がする。
あの星たちは、きっと僕たちだ。誰ひとり、同じ人生を歩んでいない。星もまた、それぞれに違った光を放っているように。
それならば、どんな結末が待っているとして、絶対に諦めたくない。星たちのように、最後まで燃え盛っていたい。
「先生、僕決めました。せせらぎともう一度ちゃんと友達になる。それでお互いバカやって、楽しんで、……最後には笑顔で終われるように。」
その言葉に答えるかのように、一筋の流星が駆けていく。僕はそれをしっかりと目に焼きつけた。
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