私だけが分かる君の美しさ
場面は変わってこちらは庶民の住居地。いろいろな輩がいる。力持ちな頼れる男に、人を知り尽くした酒場の女将、気弱だが気遣いのできる娘。そんな個性のある人たちは日中に汗を流して働き、夜は互いのなした仕事を労い合う。しかし好ましい人間ばかりではないのが世の常だ。悪い奴ら、嫌われる奴らもこの領地には存在する。大抵そんな奴らは暗い影のような場所を好んでたむろする。
「おい! 蕪」
柄の悪い大声が響く。ここは庶民の住居地の外れ。家々は中心地とはうって変わり、窓は割れ、カラスが生ゴミを食い漁っていた。どことなく空気も淀んで嫌な感じがする。
声の主は酷く顔色の悪い大男だ。テリーと言われ、忌み嫌われている。なぜなら暴力を振るうからだ。彼は受け入れられないと癇癪を起こし、自慢の肉体で暴力を振るう。
蕪と言われた男はビクリと体を震わせた。彼はナップという名だ。腰が曲がり老婆のような姿勢だがれっきとした青年なのだが度が過ぎるほど卑屈で会ったものすべてを不快にさせる。顔も醜悪そのもので大きな潰れた鼻は顔の大部分を占め、鼻に圧迫された目が弧を描く線のようになっている。口も鼻に圧迫されて歪んだ曲線を描いている。第一印象はパンパンに膨れた風船でのっぺりしているからこの地の特産の蕪と結び付けられている。
生まれたときからこのような醜悪な顔をしているから人から避けられている。そのせいで卑屈になったのだ。
「なんだい?」ナップは自信なさそうに答えた。
「今日も気色の悪い顔しているな」テリーが蔑んだ。
「生まれたときからこうだったよ」
「これからもお前はそのままなんだろう」
「それは君も一緒なんじゃないか」
「なんだと」
テリーは切れた。より荒々しい口調で次のようにまくし立てた。
「お前と一緒にするんじゃない。俺は力持ちなんだ。見てみろよこの筋肉を」
そう言うとテリーは片腕に力こぶを作ってみせた。猛々しい隆起を見せられたナップは関心半分、呆れ半分で頷いてみせた。
ナップの様子を見たテリーは満足したらしく鷹揚に頷くとこう続けた。
「俺は力持ちなのになんで皆から慕われないと思う?」
ナップは幾度もくどくどと聞かされた愚痴が再び繰り返されると辟易した。
「さぁ、なんでだろうね?」
ナップはこう答えるもこう内心毒づいた。
(君が意地悪だからだよ)
テリーはナップのこの言葉が呼び水となって堰を切ったように不満をぶちまけた。あまりにもそれが長く続くのでナップは宙をぼうっと見た。
テリーは一通り喋り終わるとふとナップの様子を見た。ナップが自分の声を真剣に聞いていないことを感じると激昂してナップを思い切りぶん殴った。鈍い音がしてナップは吹っ飛んだ。地面に横たわったナップはシクシクと泣き出した。
テリーは得意げになるとその場から去っていった。
「俺は強いんだ。お前みたいなやつよりも」
こう言い残して。
一人になったナップはやがて泣き止み、立ち上がって自分の家に帰ろうとした。心の中にあるのは屈辱と恥ずかしさ。彼はそんなとき口笛を吹くのだ。いつも嫌なことが起きたときそうしたら悪い思い出はたちどころに脱色されるのだ。現れるのは至福の旋律。口を尖らせて舌でトンネルを作る。空気を繊細に口の中に流す。
芳醇な音色が鳴り響いた。常人の何倍もの大きな音は彼の膨らんだ顔が擁する大きな口内がなせる技だ。大きな口内で空気が振動させることができるから大きな音を出せる。大きな音は村一体に響き渡るほどでナップの仕業だと知らない人々はそれをやれ珍しい鳥の声だとか、やれ領主が村人に隠れて音楽家を呼んで楽しんでいるだとか噂する。
ひそかにそんな噂を耳にするとナップは少し誇らしい気持ちになるのだ。視線を感じて振り返ると小さな男の子がナップの方を見ていた。
「お兄ちゃん、すごい口笛を吹くね」
男の子の言葉にナップは照れた。その照れ隠しのためにナップはその場を後にした。
庶民の朝は早い。皆はそれぞれの仕事に勤しむ。あるものは田畑を耕し、あるものは布を織り、あるものは森へ出て木材を取りに行った。ナップは力がないので女性と混じって布を裁縫している。
作業所は華やかな声で賑わっている。しかしきれいな花には棘がある。ときどき心無い声が囁かれることがある。
「なに? あいつ」
「力が無いから布を縫い合わせることしかできないそうだよ」
「たいして手先が器用でないくせに」
「ていうか蕪みたいな頭。気持ち悪い」
ナップは俯いた。くすくす声が聞こえた。ガラスの破片が刺さったように心が痛い。ナップは気にしないふりをして裁縫を続けた。
作業が小一時間続いた。すると作業所に老年の女性と若い女性のペアが入ってきた。壇上に立つと老いた女性が大声を出した。
「皆さん、作業に励んでいるようでなによりです」
作業をしていた女性の一人はひそひそと次のようなことを言った。
「あれは着物を作る部門長じゃない」
この声に他の女性がこう答えた。
「となりにいるのは誰かしら?」
突然のことで徐々に場が騒がしくなりつつあった。部門長は軽く咳払いをした。還暦が作り出す圧で周囲のざわめきが収まった。
「さてわたしのとなりにいる方を紹介します。この方は領主様の娘です」
その言葉を聞いた瞬間に場が再び騒がしくなった。
部門長は「静かに」と声を荒げた。
再び静かになった場で領主の娘は一歩前に出て自己紹介した。
「みなさん。ごきげんよう。領主の娘のキシル・ビヨンです。私は1週間後、隣の領地の婚約者と契を結び、この土地から離れてしまいます。そこで私のわがままを言ってここに連れてきてもらったのです」
キシルの言葉に部門長はこう補足した。
「キシルお嬢様は一度、裁縫の仕事に挑戦されてみたいそうです。日々、花嫁修業で習ったことを活かされて、実際にお働きになりたいと思われています。くれぐれも失礼の無いように」
そう言うと部門長は指示をして裁縫の一部隊の中にキシルを混ざらせた。
キシルが席に着こうと移動しているときナップと目が合った。キシルは微笑を浮かべた。ナップは気恥ずかしくなり、顔を背けた。
4時間ほど作業した後、その日の仕事は終わった。
帰路につくナップは柵に沿って歩いていた。キシルの笑顔を反芻していた。こんな自分に笑顔を向けてくれたことに嬉しさを覚えていた。ナップは喜びのままに口笛を吹いた。
「あなたの口笛いいわね」と不意に声がした。
ぎょっとしてナップはあたりを見回した。ナップの視界に他の人間は居なかった。ということは柵の裏側に人がいることになる。
「ねぇ、あなたは誰なの? 是非、うちの館に来てほしいわ」
この声は今日の作業場に乱入した領主の娘のキシルだ。ナップは押し黙った。自分が見られるのが怖かった。自分の容姿を悪く言われたくない。口笛を褒めてもらえて嬉しかったが自分の容姿で幻滅してほしくなかった。
キシルは柵のてっぺんに指をかけた。それを見たナップは彼女が柵をよじ登って自分の姿を確認しようとしていることに気づいた。
「できれば姿を見るのはやめてほしいんだ」
「あら、そう? それはどうして」
ナップは口をつぐんだ。
柵の裏から息を吐いたような笑いがした。キシルはこう言った。
「あなたは姿で判断されてきたのね。私はそんな君のずば抜けた魅力に気づいているってわけね。あなたは自分が思うほど捨てたもんじゃないわよ。あなたの口笛で私は救われてきた。ありがとう」
柵の裏側から駆けていく音が聞こえた。
ナップの心は熱くなった。ナップは空を見上げた。きらびやかな夕日が今にも落ちようとしていた。美しく壮大な景色。ナップは泣いた。