2023年クリスマス『若草物語プロジェクト』~夫と私の絆の形~
* 武 頼庵(藤谷 K介)さまご主催の【能登沖地震復興支援!!】 繋がる絆企画への参加作品です。
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「イギリス料理は結婚してから、全部夫に習ったんです」
完食して洗ってくれていた容器を回収しながら私は言った。
「じゃあ、ご主人は本当に料理が上手だったんだね」
77歳独り暮らしのジェラルドは涙ぐんでいた。
「あんな美味しいものはこの40年来食べたことがなかったよ」
私は微笑んで頷くだけにして、自分の身体に備わった亡き夫との絆というものを実感していた。
ー◇ー
それはほんの思いつきだった。
「クリスマスは誰と過ごすんだ?」
「独りはダメよ、友達でもいないの?」
などなど、周囲の皆が未亡人の私の心配をするものだから、声はかけてくれるけれど誰も、英国のクリスマスは家族あげての行事で「じゃあ家に来る?」と言える人はいなかったから。
「ご馳走になる私」から「ご馳走する私」に変身してみようかと。
夫との死別から3年過ぎ、次第に折り合いがついてくると、私の心にも時間にも余裕ができてきていた。
とある夏の夕方、行きつけのコンビニ前で足の悪いお年寄りが、大量の買いものをシニアカーに積めないで困っていた。
こちとら、職場の動物園の制服を着ていて、普段のカスタマーサービスの延長線で、「お手伝いしましょうか?」と声をかけた。
座席の後ろにある荷物入れは、タテ型、蓋の上部を後ろに引く形態で、重たいものを入れたらでこぼこ道では物が飛び出そう。
ハンドル前には自転車と同じような金網のかご。
そして他の物は黒いカバンに入れて座席の足元に置くつもりらしい。
ジェラルドと名乗ったお爺さんは、杖で体重を支え、ショッピングカートとシニアカーの間で頭を抱えている。
「いつもよりたくさん買ってしまってね」
「私がやってみてもいいですか? 重たいものは足元のほうがいいですよ?」
私は荷物入れに入っていた牛乳を足元のカバンへ、カバンに入っていたお菓子の箱を買い物かごへ、彼の主食らしい三角のサンドイッチの数々を四角になるように組み合わせて後ろの物入れにしまった。
黒いカバンはスポーツドリンクや缶詰でパンパン、ファスナーを締めることはできないけれど、シニアカーのスピードなら外に飛び出てくることはなさそうだ。
「おー、全部入った!」
私はその達成感だけで嬉しくなって、勢いでカートを所定の位置に返してきたら、ジェラルドは「手品みたいだ」と笑った。
それからというもの、金曜日の夕方コンビニで見かけると、ちょっと話したり荷物積みをしたりする間柄になった。
ジェラルドは、
「こんな爺に優しくしてくれる人なんて他に居らんよ」
と口癖のように言う。
私にしてみれば77歳で足が悪くて、がん闘病歴があっても独りでしっかり生きているジェラルドのほうがすごい。
私がしている、故郷の両親への親不孝を考えたら、ジェラルドにどれだけ優しくしても相殺できるものでもない。
クリスマスが近づいて、同僚も友人もこぞって「クリスマスディナーは何食べるの? ターキー? 日本人は皆KFC買うって本当?」とか言うから少々辟易もしていたと思う。
ジェラルドのサンドイッチの数々が気になった。
私にとってクリスマスなんて特に意味はない。
大好きだった夫がいないなら、祝っても仕方ない。
普段通り、ラーメンでもパスタでも食べてればいい。
でも、ジェラルドは。
35年前に奥さんを亡くしたというジェラルドは、イギリス人でありながらクリスマスをサンドイッチやレンチンもので過ごしてきたんだ。
そう思ったら答えは見えた。
「クリスマス・イヴに、温かいイギリス家庭料理をジェラルドに届ける」
コロナ禍中ではたくさんの人々がボランティアでお年寄りに食事を届けた。
そして『若草物語』のクリスマスの朝食のくだり。
私はこの思い付きを「若草物語プロジェクト」と名付けた。
メイン・メニューは下ごしらえを前日にすることができる「コテージパイ」。
牛ミンチとみじん切り玉ねぎ、人参、グリーンピース等をビーフ・ストックで煮込む。トマトピューレで風味をつけて、ウースターソース少々。
とろりと煮込む間にマッシュポテトを作る。
バターと牛乳を足してクリーミーに。
パイ焼きトレイの下半分に、ビーフ煮込み。
上半分をマッシュでカバーしてフォークで波状模様をつける。
オーブンでこんがり焼いて出来上がり。
クリスマスの1週間前の金曜日にコンビニでジェラルドを掴まえて、「嫌いなものある? コテージパイ作るから持っていくよ!」と宣言した。
「クリスマスにサンドイッチじゃダメだからね」
と笑ったら、彼は泣きだして鼻水まで垂らした。
「やっぱりチキンも欲しいよね? もも肉とかでよかったらローストしようか?」
と重ねて聞いたらうんうんと頷いて。
付け合わせに緑の物も要るから芽キャベツと、リーキねぎとマッシュルームのソテーくらいあればいいか、と私の中でフルコースが決まった。
料理好きだった夫は、立てなくなるまでキッチンの主導権を譲ろうとしなかった。
最初の入院から戻ると、床につくどころかスーパーに買い出しに行ったぐらいの人だ。
新婚の頃に基本をいろいろと教えてくれた。
ストックの取り方、ジャケットポテトの上手な焼き方、ベイクドビーンズの隠し味、ヨークシャープディング、グレイビーソースのとろみ感。
日本の自宅にオーブンのなかった私は、夫の目から見たら酷い料理オンチだったのだろう。
私がもっと強引に食事作りに参加していたら、夫の病気にも早くに気付けただろうに。
飲み込めないものが増えた。ドライなものが食べにくくなった。パスタはもっと柔らかくしろと言った。
今思えばそれらはすべて、夫を殺した「食道がん」が始まっていたからだ。
私はたまに作った自分の料理を夫が喜んでくれないのが悲しくて、自分が不甲斐なくて。
大好きだった日本のカレーを食べてもらえなかった時に、気付くべきだった。
キッチンに立つと夫を思い出す。
洗い物をするたびに、もっと私が片付けるべきだったと思う。
立っているのもしんどかったのだと今になってわかる。
そんな苦い思いと、ずいぶん昔に笑いながら教えてくれたこと、初めてコテージパイを自力で作った時に「うまくできてるよ」と言ってくれたこと、そんなことをぐるぐる思い巡らせながら、ジェラルドへの料理を作った。
2023年クリスマス・イヴ日曜日午後4時。
私はジェラルドの玄関のベルを鳴らした。
テレビを大音量で見ているジェラルドはドアベルが聞こえづらいらしく、私は居間の窓をドンドンと叩いた。
玄関先でお料理だけ渡して帰るつもりだったけれど、ジェラルドが、
「本当に来てくれるかどうか半信半疑だった」
なんて言うから、こっちは買い物から含めたら丸々2日間かかりっきりだったってーのと言い返したくなって、上がり込んで食べてもらうことにした。
保温状態で持ってきたものをお皿に盛り合わせて、電子レンジで再度温めて、グレイビーソースをかけまわして。
ソファに座ったジェラルドは、
「クリスマスが1日早く来た!」
「うわあ、美味しい」
「芽キャベツのゆで方が上手」
「ローストチキンなんて久しぶり」
「ローストポテトまである!」
と感激しながら食べてくれた。
手放しに喜んでくれるジェラルドを見ていられなくて、私は「友人の家にいかなきゃいけないから」とウソをついて帰宅した。
「まだたくさんあるからちゃんと食べてね。29日に入れ物回収に来るから」と約束して。
29日仕事納めの後、ジェラルドを訪ねたら、
「来てくれるの待ってた」
と出迎えられた。
そして、褒め言葉の連発。
「あんな美味しいものはこの40年来食べたことがなかったよ」
その言葉全てが行くべきところは、私の夫の元。
私を通して、私と夫との絆を伝って、夫に届く。
料理が上手だったのは夫。
私は教えてくれたことを試しもせずに、夫の生前中は専ら食べさせてもらう側だった。
レシピの全てを憶えているわけじゃない。
それでもやはり、夫は私の中に生きている。
私はジェラルドのお陰で、こんな私でも夫との絆をお料理という形で具象化することができると教えてもらえた。
ジェラルド、ありがとう。
-了-