8.王妃にふさわしくない
そのとき、
「その女をどうする気だ」
と声がした。
「誰だ」
アシェッド王太子が振り返った。メリーウェザーも思わず声のに目をやると、そこにはリカルドが燃えるような目で立っていた。
「その女性は私のものだから君がどうこうする権利はない」
リカルドは威圧的に言い放った。
アシェッド王太子はカッとなった。
「なんだと? 俺がこの女を買うと言っているのだ」
「買うとか以前の話だ。彼女は私のものだったが、盗まれたのだよ。そして知らぬ間に売られていた。騙された奴隷商には不本意ながら金を払ってやるつもりだが、もともとの所有権は私のものだから。ねえ?」
リカルドはこそっとメリーウェザーにウインクする。話を合わせろという意味だ。
「は、はいっ」
メリーウェザーはこくこくと頷いた。
メリーウェザーはぼーっとなっていた。リカルド殿下が助けに来てくれた。そりゃこの場を収めるためだけど、『私のもの』と言ってくれた。このままリカルド殿下のものになりたい。
アシェッド王太子はそんなメリーウェザーの表情を見逃さなかったようだ。
イラっとした様子で、
「おまえのもの? ではもっと遡って言おう。こいつはもともとは俺の婚約者だった。だから俺のものだ」
とぶっきらぼうに言い返した。
「婚約は破棄したんだろう? 君の方から。彼女がそう言っていたよ。というか、婚約ごときでおまえの所有物扱いというのは少々ひどいな」
「ひどい? おまえだって所有物扱いしてるじゃないか」
「ああ、そうか。ははは」
リカルドは軽く笑って見せた。
「が、まあ、とりあえず、彼女は私のものだ。その手を離したまえ」
しかしアシェッド王太子はキッとリカルドを睨むと、メリーウェザーの腕を余計に強く握り、ぐっと引き寄せた。
「嫌だ。元婚約者の令嬢を夜伽の奴隷にさんざん使ってやるんだ。こんな楽しみはない」
リカルドは呆れたようにため息をついた。
「おまえの性癖ってどうなっているんだ?」
「そうよ。マリアンヌ様がかわいそうだわ!」
メリーウェザーも心底気持ち悪いと思い、アシェッド王太子の腕を振り払った。
リカルドの方もその一瞬でメリーウェザーをさっと抱き寄せる。
「こんなのと婚約を破棄できてよかったな、メリーウェザー」
とリカルドが言うので、メリーウェザーは大きく頷いた。
そのとき階下がざわつく音が聞こえてきた。
何事だろうか、大勢が押し掛けてくるような気配がした。
メリーウェザーが緊張して入って来る者をじっと待っていたら、入ってきたのはリカルドの婚約者のガーネットだった。
「あ、リカルド殿下の婚約者様……」
メリーウェザーが委縮する。
そうだ。助けに来てもらって嬉しかったメリーウェザーだけれど、リカルドにはこの婚約者がいた! 状況はあんまり進展していないのだった。
「ガーネット。こんなところまで追いかけてきたのかい」
リカルドがため息をついた。
その様子にガーネットは激昂した。
「リカルド殿下! 何、こんな小娘を追ってわざわざヒトの国まで? しかも私との婚約を破棄してってどういうことですの?」
ガーネット様と婚約を破棄? メリーウェザーは驚いた。あれ? 状況が進展している?
リカルドはふうっと大きく息を吐いた。
「それは君があまりにも常識を逸していたからだよ。気に入らないからと無実の娘を攫って女奴隷として売り払うとか、悪いけど正気とは思えない。無実の者を奴隷だなんて、何の正当性があって身体の自由を奪う権利があるんだ? 君は、自国民の娘にも同じことをするのか?」
「あ……」
ガーネットはたじたじとなった。
リカルドはさらに続けた。
「そんなことを平気でできる女なんて、とてもじゃないが王妃にはできない。国民が危険すぎる。それはきちんと説明したはずだ」
ガーネットは目に涙を溜めてリカルドの足元にひれ伏した。
「私がこの娘を攫って売っただなんて、どこに証拠があるというのです……濡れ衣ですわ」
しかしリカルドはガーネットを冷たい目で見降ろした。
「濡れ衣だと? ここに来ているではないか。私は侍従にも行先を言わなかった。君は私をどうやって追えるのだ? 私が助けにいくはずのメリーウェザーの居場所、自分の手下に聞いたのだろう?」
「そんなの知りません! 手下って何ですか? 私はあなたの後を追っただけです!」
ガーネットは言い張った。
リカルドは悲しそうな目をした。
「ガーネット。君の手下の一人をな、私はすでに捕えているんだ」
「あ……」
ガーネットは言葉を失った。だがしばらくの沈黙の後、ガーネットは恨めしそうな顔をして叫んだ。
「わ、私はあなたを愛していたのに……だから許せなかったの。公衆の面前で他の女とまるで痴話げんかでもしているかのように振舞って……。こうさせたのはあなたではありませんか!」
「痴話げんかって何だ? 私とメリーウェザーは誓って何もないぞ! そんな誤解で奴隷として売り飛ばしていいと思っているなら、ガーネット、やはり君は王妃には向いていないよ。君は権力を持ってはいけない」
リカルドは族長として断じた。
ガーネットは唇を震わせた。
リカルドは続ける。
「断じて私は不貞な行為はしていないよ。愛してくれてありがとう、ガーネット。しかし、被害妄想からあっさりと人身売買に手を染めたのは看過できない」
ガーネットはついに泣き出してしまった。
「にしても」
リカルドはアシェッド王子の方を向いた。
「私の国では奴隷のような人身売買は許されていないのだがな。君の国はそういった事が平気と見える。しかもそれを王族が、下世話にも密かな楽しみとして自ら買おうというのだからな。良識を疑う」
アシェッド王太子は顔を赤くした。
リカルドは続ける。
「それどころか婚約者だった女をそういう目的に使おうというのだから。君には人の心がないのか? 上に立つ者としての素質が疑われる。そんな国はさっさと滅びるだろう」
「貴様……!」
アシェッド王太子はあまりの侮辱の言葉に拳を握りしめた。
しかしリカルドはそんなアシェッド王太子の顔は無視して、部屋の売られた女たちを見渡した。
「私は海竜の一族だが、こんな気の毒な立場に追いやられたヒトを見ると心が痛むね。ここの女性たちが望むのなら私の国で保護するが」
「はいっ」
売られていた女たちはイマイチ話を理解していなかったものの、保護という言葉に食いついてパッと顔を輝かせた。
その様子を見て、リカルドはさらに眉間にしわを寄せた。
「見ろ。この解放を喜ぶ顔を。自国民が何を望んでいるのか、これでも君には理解できないか」
リカルドはアシェッド王太子の顔を冷たく一瞥した。