4.残念令嬢ですけど頑張らされています
メリーウェザーが勉強をすると決めたので、リカルドは秘書官の一人に言いつけてメリーウェザーの勉強の面倒を見てやるように指示を出していた。
その秘書官はたいへん真面目な男で、分かりやすい本や参考資料、適切な家庭教師などを用意してくれた。
その若い秘書官は──ウォルトンと言ったが──始めは、急にリカルド殿下付きの通常任務を外され、訳の分からない娘の相手を言いつけられたのが不満だったように見えた。
特にその後2週間はリカルドが近隣国へ外交に出る予定だったから、ウォルトン秘書官としては同行して外交上の評価が欲しかったのだろう。
ウォルトン秘書官は相当ピリピリしていた。
他の大事な仕事を取り上げられてメリーウェザーの面倒を見ることになったのだ。だからウォルトン秘書官は、自分の犠牲に釣り合うくらいメリーウェザーは真面目に勉強をするべきだと強く思っていた。
メリーウェザーの方もウォルトン秘書官のがっかりっぷり、八つ当たりっぷり(※メリーウェザーの主観)を肌で感じていた。
だからメリーウェザーはだいぶ気を遣った。ウォルトン秘書官に向かって、おずおずと、
「2週間お休みをもらったと思ってゆっくりなさってくださいね。どうぞ私のことなど気にしないで。放っておいてくださったらいいですから。自分できちんと勉強を進めますわ……」
と言った。
しかしウォルトン秘書官の方はため息をつくばかりだ。
目の前の大きな仕事を逃しておいて、「ゆっくりしてね」の言葉に「はい分かりました」と言うとでも思ったのか?
メリーウェザー嬢は、私がどれだけリカルド殿下に同行したかったか、まるで分かっていない!
かくなるうえはしっかりと勉強してもらう。
リカルド殿下は私にこの任務を与えたのだ。
そして『自分できちんと勉強を進めます』の言葉は一般的にほとんど信用に値しないものだということだってよく知っている(※サボるヤツはサボる)。
ウォルトン秘書官はキッとなってメリーウェザーの勉強につきっきりで構うこととなった。
「とりあえず、2週間でこの一冊は理解してもらいます」
メリーウェザーの方だって、勉強すると言い出したのは自分だし、そのせいで若く有能な秘書官の時間を奪ってしまっていることに責任は感じていた。
今後の身の振り方を考えても、勉強しなければ未来が碌なことにならないという焦りもあった。身一つで世間の荒波に放り出されたとき、やはり何かしらの職を得る必要があるからだ。
だから、一応、やる気はあった。実際に本を開いて速やかに勉強を始めた。
しかし、ウォルトン秘書官はメリーウェザーが思っている以上の努力を要求する。
「うーん、分からないな。後で考えよう」なんてメリーウェザーが思っている箇所も、どう嗅ぎつけるのかウォルトン秘書官はすぐさま「難解ですか? お手伝いしましょう」と、険しい顔でメリーウェザーのページをめくる手を止める。「後回しなんて許さないぞ。後回しにしたらどうせ忘れるんだろ」といった圧を感じる。
念を押すが、メリーウェザーはヒトの国では高位の令嬢で容姿・礼儀作法などは洗練されているが、頭の中身などに関しては有能なところのないごく平凡な令嬢である。
「なんか鬼気迫るものを感じますわ……」
メリーウェザーはウォルトン秘書官のスパルタにゼイゼイ喘ぎながら、それでも逃げられずに、机にかじりついて勉強した。
やがてメリーウェザーは、勉強こそウォルトン秘書官の不満を取り除く唯一の方法だと気づいた。
そしてメリーウェザーは、半分は女一人で手に職持って生きていくために、そしてもう半分はウォルトン秘書官にがっかりされないために、高いモチベーションで勉強を続けることができたのである!
そのうち、メリーウェザーは勉強も楽しくなってきた。
始めは時間がかかっていた本も、基礎が分かり始めるとすらすら読めるようになってきた。
するとウォルトン秘書官の目が少し優しくなる。
メリーウェザーはそのウォルトン秘書官の目に強い期待(という名の脅し)を感じて、また次の本に手を伸ばす。
ウォルトン秘書官の目を気にしてのびくびくしながらの勉強であるが、通常の人が学ぶ量を半分の時間でマスターしたメリーウェザーは、今度はウォルトン秘書官がつれてきた家庭教師に褒められた。
「通常であればもっと時間がかかりますな。あなたは筋が良いのではないか」
メリーウェザーは表面上こそ笑顔を貼り付けているが、心の中では「ウォルトン秘書官のおかげ以外の何物でもないわ」と毒づいた。
まあ、もともと数字は苦手ではなかったから、それは少し人より有利だったのかもしれないけれど。
そしてメリーウェザーは、横で「逃がしませんよ」といつもぴったり張り付いているウォルトン秘書官もこの家庭教師の言葉を聞いているかしらと思った。
メリーウェザーは聞こえよがしに
「先生ったら、すっごく褒めてくださるのね。そんなに出来がよかったですかあ?」
と少々大袈裟に言ってみた。
が、ウォルトン秘書官は「当然です」と言った顔をしてノッてきてくれない。
メリーウェザーはむむうと思った。
もう、一筋縄ではいかないやつ。
そんな感じで当人のモチベーション以上に環境によって流されているメリーウェザーの勉強であったが、知識が身に付くにつれ、わずかに自分にも可能性を感じ、少し自己肯定感があがった。
勉強というものは自分の自己肯定感を引き上げてくれる、手っ取り早い方法らしい。
ついこの間までは、婚約破棄されて殺されかけて、自分には職になるような技術が何もないことに気付き──なんとも肩身の狭い、恥ずかしい思いをしたものだったけれども。
勉強嫌いだった幼い頃の自分に教えてあげたい(※今も別に好きではないが)。
なんだか自分がつまらないと思ったら、とりあえず何でもいいから少しでも勉強するべし、と。
まあ、勉強してたからといって婚約破棄が回避できたとは思わないけれどね。
しかし、メリーウェザーが確かに知識が身につけてきていると分かると、ウォルトン秘書官の態度はやや軟化するようになった。
メリーウェザーは「ふふん、どうよ見た?」と満足げに思った。そのうちウォルトン秘書官を驚かせるのが密かな楽しみとなった。
そうするとメリーウェザーの笑顔もどんどん張りが出てきて、明るくなってきた。
ウォルトン秘書官の方もメリーウェザーが朗らかにしているのを目を細めて見るようになった。
ついにウォルトン秘書官は
「いい傾向ですね」
とぼそっと言った。
「学びをサポートする甲斐があるってものです」
えっ! 認められた!?
メリーウェザーはぱああっと顔を輝かせた。
メリーウェザーの無邪気な笑顔に、ウォルトン秘書官は照れたようにコホンと咳払いをして、
「最初はどんなつまらない仕事を押し付けられたかと思いましたけどね。リカルド殿下がメリーウェザー様を大事に思われる理由が分かるような気がします」
と言った。
「え、リカルド殿下が私を大事に!?」
メリーウェザーは急に胸がドキドキする。
メリーウェザーの顔が少し赤らんだのをウォルトン秘書官は見逃さなかった。
ふふっと笑って
「ええ。頑張り屋さんでしょう? 頑張っている人のことは応援したくなりますよね」
と優しく言った。
「なに、あなた笑えるの!? 本当にウォルトン秘書官!?」
メリーウェザーは、ずっとしかめっ面だったウォルトン秘書官のほぐれた表情に思わず突っ込んだ。
そうこうしているうちに、リカルドが外交から帰ってきた。
リカルドが帰ってくる前からバタバタと屋敷内が騒がしくなって、そうしてその日の夕方ごろ、疲れた表情のリカルドが帰ってきた。
メリーウェザーはウォルトン秘書官と共に出迎える。
「メリーウェザー。出迎えてくれたのか。ありがとう」
リカルドは嬉しそうに笑った。
「私が留守の間は大丈夫だったか? 勉強ははかどったか?」
メリーウェザーはちらりとウォルトン秘書官に目をやる。
ウォルトン秘書官は表情一つ変えずに、
「ええ。大層呑み込みが早いですよ。彼女ならどこかの貴族でも商店でも奉公に出れると思います」
と淡々と答えた。
リカルドは思わず吹き出しそうになる。
メリーウェザーはそんなリカルドの様子を見て「?」と思った。
なんでここでリカルド殿下が笑うの?
が、その理由はすぐに分かった。
リカルドがウォルトン秘書官を下がらせると、
「大変だっただろう」
とリカルドはメリーウェザーに悪戯っぽくウインクした。
「へ?」
メリーウェザーが思わず聞き返すと、リカルドは
「ウォルトンは真面目で少し融通が利かないところがあるが」
とヒントを出した。
メリーウェザーはああと思って、
「おかげさまで、大層効率的に勉強がはかどりましたわ。まったく的確な人選でございましたね」
と厭味たっぷりに答えた。
リカルドはぷっと笑った。
「そうか、メリーウェザーもやっぱりウォルトンには苦労したか。私も子供の頃はこってり絞られたよ。歳はそういくつも離れていないんだがね」
「え、リカルド殿下も!?」
メリーウェザーは仏頂面のウォルトン秘書官に背後に立たれ、逃げられずに机に向かうリカルド殿下を想像して面白くなった。
リカルドも苦笑する。
「まあ、それも、いい面もあるのだ。勉強ははかどったからな」
「それはその通りですね」
メリーウェザーは大きく相槌を打った。
「でも頑張ったんだね。ウォルトンについていけるというのはたいしたものだよ」
リカルドはまるで自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。
メリーウェザーも嬉しくなる。
頑張ったことを褒めてくれた。
何もスキルを持たない残念令嬢だったけど、頑張れば誰かがちゃんと見てくれるんだ。
嬉しかった。
メリーウェザーはじっとリカルドを見つめた。
しばらく会えなくて寂しかった。
勉強がたいへんであっという間だったと言えばあっという間だったけれども。
そうか、そういう意味でもウォルトン秘書官には感謝しなければね。結果的に、不必要な心細さを感じないようにしてくれたんだ。
リカルドはメリーウェザーの視線に気づいた。
「メリーウェザー。来月あたり、港へ漁獲量を見に視察に行くんだ。メリーウェザーも来るかい?」
「え、いいんですか?」
「いいよ。君にこの国を少し紹介したい気分でもあるんだよ。せっかく滞在しているのだから」
リカルドは微笑んだ。
「はいっ!」
メリーウェザーは嬉しそうな顔をした。
リカルドはハッとして、バッと顔を背けた。メリーウェザーを可愛いと思ってしまったのだ。
リカルドは心を落ち着かせる。
いけない。このままこの笑顔に見惚れていたら。メリーウェザー嬢はふらふらと自分の心に忍び込んでくる。
好きになっては絶対にいけないのだ。
自分だけではない。メリーウェザーにとっても良くない。
メリーウェザーは婚約者に殺されかけたばかりで傷ついているのだ。男性不信に陥っている可能性だってある。
冷静になれ、とリカルドは自分自身を叱りつけた。
「どうかしましたか」
とメリーウェザーが心配そうに声をかける。
「あ、いや。何でもない」
とリカルドは精一杯答えた。





