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【ローファンタジー】 『ありふれた怪異、街の名物』

とこぬしのかみ

作者: 小雨川蛙

 誰かに名を呼ばれた気がした。

 

  踏み込んだ庭の雑草が濡れていた。

 一昨日振った強い雨の名残は薄雲から覗く弱々しい昨日の陽では乾き切らなかったのだろう。

 草履の上に乗った足はすぐに水滴で覆われ、つま先からゆっくりと体が冷えてくるが、不思議とあまり気にならなかった。

  これからさらに足が濡れるのを知っていたから。

  誰かに名を呼ばれた気がした。

  村の誰の物でも無いのに、その声はどこか懐かしく感じた。

  不可解であるはずなのに、不気味であるはずなのに、居ても立ってもいられなくなった。

  生まれ、育った村は小さかった。

 それ故にそのような者が時折視える者が居るとずっと前に祖母より聞いた事がある。

 祖母が呼んでいた者が何であるのか私は思い出せない。

 だが、それが寂しがり屋である事だけを覚えていた。

 誰かは呼び続けていた。

 声のする方へ、する方へ自然と足は向かっていた。

 従うだけで良かった。

 きっと、祖母もそうであったのだと思う。

 村の家々を抜け、畑を横切り、小川を越える。

 最中、呼び続ける名が自分の物では無い事に気付いたが今更引き返す気にもなれない。

 木々は村にある物のどれよりも高くなり、草々は気ままに乱れ散らかる。

 この姿こそが本来の世界の形であるのを歩きながら悟る。まるで、声の主がそれを伝えようとしてるかのようだった。

 村の影が目を凝らさねば見えなくなった頃、声の主は一定の間を置いていた呼びかけを一度止めた。

 理由は明白だった。

 木漏れ日が地面と草木を照らしていた。

 光は白々しく円を作り境界を主張している。

 その空間は人の家一つより大きく、家と庭を合わせたよりは小さい。

 中心から意図的に外したようかに見える場所には泉があり、木漏れ日の内と外とで水面が映し出す世界が違うように感じた。

 事実、違うのだろう。足は境界を越えれず、ただ許可を待っていた。

 許可。

 内の世界の泉を一人の女性が見下ろしていた。彼女は背を向け、じっと見つめて続けていた。

 その時間が永遠に続くのだと感じた。

 「終わる」

 呟きは短く幻聴にさえ思えた。

 振り返り、こちらを見つめた女性が永遠など存在しない事を伝えていた。

 彼女は名を呼んだ。

 それが祖母の名だとようやく気付いた。

 動けずに居ると彼女は再び祖母の名を呼び今度は手招きをした。

 抗いがたい何かがあった。

 足は容易く線を越える。

 彼女は泉の隣で座りこんだ。

 自分の体は自然と彼女を真似た。

 声の主は空を見上げ、陽をじっと見つめた。

 木の葉に遮られた日差しは隙間から覗くばかりではっきりと見つめる事が出来ない。

 それで良いのだと思えた。

 それこそが一番良い状態なのだと思わずにいられなかった。

 「終わる」

 彼女は再び呟き、寂しげに笑みを漏らしていた。

 「仲良くしていたかったのだけれど」

 境界が狭まった気がした。おそらく気のせいではない。

 空を見上げていた彼女は視線をゆるりと下げて今度は村の方を見つめた。

 「人間は強いね。本当に」

 村は目を凝らさなければ見えない。

 けれど、目を凝らせば見えた。

 彼女は再び名を呼んだ。祖母の名だった。

 「ありがとう。来てくれて」

 彼女は微笑むと両手で泉の水をすくい、喉を鳴らして飲み込んだ。

 泉はもうほとんど影で覆われていた。

 「もう閉じる」

 彼女の言葉を理解する事は出来なかったが、これから何が起こるのかは何となしに分かった。

 立ち上がって木漏れ日の外へ出る。

 彼女は微笑み、片手を泉に入れてさらに水を飲もうとした。

 強い風が吹いて、一瞬陽の光が完全に消えた。目を隠されてしまったかのようだった。

 風邪はすぐに止み、陽は再び木漏れ日となり辺りを照らした。

 彼女の姿はもう無かった。

 代わりに一匹の大きな蛙が泉の中に飛沫をあげて水の中に消えてゆくのが僅かに見えたばかりだった。

 木漏れ日は未だ泉の周辺を円に縁取っていた。

 しかし、決定的な何かが変わっていた。

 祖母の名を呼んだ女性は居らず、彼女が何者かも分からなかった。

 ただ、何かが、決定的な何かが変わってしまったのだけを感じていた。

 踵を返し、歩き出す。

 村を大分離れた気がしたが、木々の隙間から人々の生活が感じられていた。

 


 

とこぬしとは土地神を表す言葉であるそうです。

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