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にんげんさきものとりひき

 昏い控室。


 負けた臭い。不穏な臭い。闇の匂い。

 試合前も暗い控室だったが。

 今は昏い。


「いやー負けましたね。まさかまさか、決勝にも行けずルージュ・エメリーが負けるとは予想外ですな」


 組織の男が一見普段と変わらない様子で口を開いた。

 態度も陽気。表情も陽気。声音も陽気。なのに実際にそれを目の当たりにすると寒気がする。その声を聞くと鳥肌が立つ。それほどに全てが昏い。普段とは少し違う。


「なんとでも言いなさい。今ならいくら責めても詰っても構わないわ」


 反してルージュ・エメリーはすっきりとした声である。

 自分に迫る悲劇に気づいていないのだろうか。闇組織との契約違反を犯したのだ。裏に堕ちる。そしてそのまま姿を消す。と本人が過去言っていた事が眼前に迫っている。


「いえいえ、そんなそんな健闘を讃えたいくらいです」


 敗北後も慇懃な態度を変えない男。ルージュが言うように恫喝したり、詰ってきたりした方がよほど自然である。当初言っていた表舞台に組織が躍り出る計画が頓挫したのだ。


「だから、いつも言ってるけどね、いらないのよそんな無駄口は」

「たしかにたしかに、いつもご指摘を受けながら治すことのできないこの身がお恥ずかしい」


 いつものやりとり。

 だが、二人の関係はいつものままではない。

 もうルージュは組織のアイドルではなくただの商品だ。


「うざいけどね。でも組織に大損させたルージュにはもう何も言えないわ」

「大損?」


 男は不思議そうに首をかしげた。

 まるでルージュの敗北などなかったかのように。


 ルージュはその態度にイラつきを覚えるが、全てを吐き出したいま、それを表出させるような気力はない。

 仕方なくため息をついた。


「ええ、審判を買収するほどのコストを今回のプロジェクトにかけてきたでしょう? ルージュの知らない所でもっとかけているはずよ。そしてそのプロジェクトはルージュの敗北で頓挫したわ。当然大損でしょう?」

「ーーああ、たしかにそういう意味では今回はコストをかけてますね」


 ポンっと手を打つ。

 そのわざとらしさがまた苛立つ態度で他人を煽ってきているとしか思えない。


「でしょう?」


 今のルージュはそんな挑発に乗る気はない。

 男はその態度を見てつまらなさそうに言葉を続けた。


「ですが、決して損はしませんよ。うちは損するようなプロジェクトはそもそもやらないんですよ」

「あっそ、ならいいけど」


 薄々そんな気はしていた。

 目の前の男は保険という言葉が好きだった。

 今回もその範疇なのだろう。


「ええ。勝つか負けるかの勝負で勝つ方だけに賭けるような馬鹿な賭けをするのは破滅志願者だけですよ」

「ふーん。組織ってのはしたたかなのね。んで、今回はどうやって取り返すの?」


 組織というより目の前の男が、なのだろうが。


「嫌ですねえ。そんなわかりきった事を聞くなんてどうしたんですか?」

「いいから答えなさいよ」


 そろそろ未来を言語化しようと考える。

 ルージュは全てわかっていた。失敗した時に自分が辿るであろう道を受け入れていた。

 言うなれば男が言う「勝つか負けるかの勝負で勝つ方にしか賭けなかった破滅志願者」である。


「もちろんーールージュ・エメリーで取り返すに決まってるじゃないですか」

「ま、そうなるわよね」


 どこかに売られる。

 命がある状態で売られるか。もしくはパーツとして売られるか。使い潰した後でパーツとして売られるか。どれかだろう。


「ええ」


 普段饒舌な男がただ頷くのみだ。


「私はどうなるの?」


 問うてはいるが、その声から興味のかけらも感じられない。


「当初の目的では、好事家を顧客として今回のプロジェクトにかけたコストの倍で売る手筈でしたね。いわゆる先物取引にかけたんですが、いやー良い値がつきましたよ。おかげで今回は工作資金が潤沢でしてねえ、思わず審判の買収までやってしまいましたよ」

「無駄だったけどね」


 自分の戦闘訓練にかけたコスト。審判を買収したコスト。暗殺した他者の後始末コスト。もっと色々とかかっていただろうそれらは全て無駄になった。

 トワイライト時代に稼いだ金なんて足元に及ばない額なのはわかっている。


「いえいえ、無駄なんて。そんなそんな。予算は使い切らないと減らされますので使ったもの勝ちなんですよ」


 男はそれをさも端金だと言わんばかりに言ってのける。


「じゃあ私はそこに売られればいいのね?」

「それがですね、今回の戦闘能力を見て、横からさらに高値をつける方が続出しまして」


 先物で売れていたはずの商品に横槍を入れられるという事実はイコール金だけではなく、それを超える権力を持った人間である事の証左である。


「あっそ」

「興味なさそうですね」


 男が少し意外な顔をした。

 それも当然である。男の知っているルージュ・エメリーは金が好きです。でも権力はもーっと好きです。というタイプの人間だ。権力者に取り入れば今回の失敗だって取り戻してその上を狙える可能性もある。


「そうね」

「条件の良い買い手もいますよ?」


 試すような言葉。


「そういうのいらないわ」

「それはまた……」


 意地を張ったり、嘘をついている言葉ではない。

 腹の底から出てきている言葉。


「……条件か。ねえ、ちょっと待って。逆に私が買い手に条件をつけられたりする?」

「そうですねえ。現時点で相場が組織がかけたコストの十倍くらいになっていますのでそれ以上の顧客の中で選ぶのであれば、可能でしょうかね? やはりルージュ・エメリーとはいえ条件のいい飼い主がよろしいですか?」


 男は言葉だけなら普段通りのわがままなルージュに普段の饒舌を取り戻す。


「ふーん。じゃあさ」

「はい」


 しかしそれに対してのルージュの返答はあっさりしていてやはり男は拍子抜けする。


「私を死ぬほど酷い目にあわせてくれる買い手にしてちょうだい」

「は? なんと?」


 予想外の言葉。


「だから、人間失格みたいな飼い主にして頂戴って言ってるのよ。耳死んでんの?」

「……贖罪ですか?」


 ルージュ・エメリーの柄ではないが、男にはそれ位の理由しか思い浮かばなかった。


「何言ってんの? 私が贖罪? なんでそんな事しなきゃなんないのよ」

「ではなぜわざわざ条件のーー」


 悪い飼い主を? と心配の言葉を言いかけたガラにもない男の言葉を遮る。


「はぁ。あんたにいう義理はないけど教えてあげるわ。私の力の源は怒りよ。今回でそれが完全に消えてんのよ。これから私が復活するのにはそれを溜めなきゃいけないじゃない。だから、よ」


 めんどくさそうに語るルージュの顔を男は理解できないと言った表情で見つめる。

 自分の知っているルージュ・エメリーは痛みを与える相手や自己否定をする相手を徹底的に嫌う女だった。しかし今選ぼうとしている飼い主は徹底的にそれを行い、ルージュ・エメリーを屈服させ、心も体も折ろうとしてくるだろう。


「はあ、理解できませんが、言っている理屈は理解しました。……でも順当にいったら死にますよ?」


 えてしてそういう人間はおもちゃは壊すまでがおもちゃだと思っている人間だ。


「それはそれまでだったってことよ。ま、そんな状況になるまでには力が溜まってるでしょうし、そん時は飼い主ぶっ殺して逃げるわ」


 肩をすくめて悪い顔で笑う。

 その表情、その言葉はいかにもルージュ・エメリーらしかった。

 男もそこに自分の知っているルージュ・エメリーを見つける。


 ならば。


 男も男に戻ろう。

 商品の心配などせず、ただ損得のみで考えよう。


「……そう、ですか。ならとっておきの飼い主をご準備しますよ」


 男はニヤリと嗤い。

 女もまたニヤリと嗤った。

お読みいただきありがとうございます。

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