鬼のちょっとした一日
これは改稿前の第壱章の話になります。その為、現在改稿中の第壱章が完成次第削除したいと思います。ご容赦ください。
劉焔が劉備陣営に加わり、数日が過ぎた。
この数日、劉焔は森にいた時とは全く違う生活を楽しんでいた。
そんな劉焔は部屋に篭り、眉間に皴を寄せ、手に取った筆を一心不乱に動かしていた。
「…………出来た。雛里、見てよ」
「書き直しです」
「ええぇ……」
書き終えた竹簡を見せた途端、先生役である鳳統はばっさりと切った。
「……誤字が14ヶ所、脱字が11ヶ所。最初からやり直そ」
「9回目の書き直し……」
うだー、と机に劉焔は寝そべった。
劉焔は今、読み書きの練習中なのだ。
ある一件により、鳳統は劉焔がある程度読み書きが出来るのは知っていた。
が、
(使わなきゃ忘れちゃうよね)
忘れてしまった字も多く、覚えていても間違えているといった事がほとんどだった。
つまり、政以前に一から勉強し直さなくてはいけないのだ。
「朔くん。いつまでも休んでたら終わらないよ」
「書いても終わりません……」
「そんな事言わないで」
「うだー」
うだーを続行中な劉焔の態度に鳳統は肩を落とす。
これで何回目のうだーだろうか。鳳統は通算で15回目までは覚えているが、そこから数えるのは止めた。
この少年が読み書きは嫌いではないのは、すぐに分かった。
だが、好きという訳でもない。興味が比較的薄いのだろう。
集中力は武術も学んでいる為か高く、持続時間も長い。やり始めたら、一気にやり遂げてしまう。
まあ、誤字脱字も少なくはないのだが。
「……朔くん。頑張ろうよ」
「うだー」
「……うぅ、朔くん……」
「う!? だー……」
劉焔は困り果てた鳳統を見た途端、表面には出さずに内心慌てだす。
鳳統の眼に涙が溜まり始めていたのだ。
「……っ」
やばい。
その一言が彼の頭の中を占拠する。
政策軍策に問わず長けた頭脳を持つ鳳士元という少女の性格は、とても内気で、とても恥ずかしがり。
そして、気が弱い。
劉焔にとって相手が悪いタイプだったりする。
今も泣きそうな鳳統を前に、頭の中は警鐘が鳴りっぱなしだ。
もうとるべき行動は、ひとつしかない。
「雛里先生、出来ました!!」
ソッコーで終わらせ、鳳統に提出。
今度は間違いが無いのか、鳳統は笑顔になる。劉焔はホッと胸を撫で下ろし、次に取り掛かった。
「……そういえば、朔くん。字は誰に習ったの?」
「んー……誰ってそりゃ――」
「――――――師匠」
「え……朔くんの先生?」
「そ。師匠が僕に読み書きを教えてくれた。って言っても少しだけだけど」
「……そうなんだ」
「そうなんですよっと。はい、これで課題終了。で、何が知りたい?」
筆を置くと、劉焔は鳳統の方に向き直った。
この少女が何か迷っている顔をしているからだ。聞きたい事があるが、それが自分にとって愉快ではない質問かもしれないと気付き、決断できないのだろう。
だから、劉焔は促した。
「どんな先生だった?」
「生き残り方を叩き込むのが上手な人だったと思う。だから、僕は今まで生きてこれたんだし」
「尊敬してるんだね」
「尊敬はしてない。憧れてもないし、好いても嫌っても、ましてや憎んでもない」
「……ないない尽くしです」
「正直、わかんない」
「……最後もない、なんだね」
がくっ、と鳳統は肩を竦めた。劉焔はまだ首を傾げているが、きっと答えは出ないだろう。首の角度が45°から90°に入ろうとしているから。
「まあ、いいや。前置きは終わった?」
その一言に鳳統はびくり、と体を震わせた。
また見透かされた。軍師としては失格かもしれないが、今は内気な彼女にとっては助け舟だ。
だから、鳳統は一番の疑問を口にした。
「……朔くんは先生と森で住んでたんだよね? どうして一緒に来なかったの?」
「ああ、言ってなかったっけ。師匠はいなくなったんだよ、突然」
「……いなくなった?」
「そっ。唯一の兄弟子を連れてね」
「寂しくなかった?」
「寂しいって感情を知ったのが最近だからね、その時は何も思わなかった」
劉焔は静かに立ち上がり、
「これから先も、僕はあの時を寂しかったとは思わないよ」
そう言って劉焔は部屋を出ていった。
「…………それは嘘だよ」
部屋に独り残った鳳統は、ぽつりと呟いた。
寂しかったとは思わない。
それはきっともう無理だろう。
知ってしまったから。
気付いてしまったから。
もう心の傷は、無視出来ない。
(だから、隠せなかったんだよね?)
一瞬といえども、悲しみの色が彼の眼には表れていたのを鳳統は見逃さなかった。
「…………私は何が出来るのかな」
知謀に長けた彼女でも、その零した言葉の答えは中々出てこなかったのだった。
劉焔は警邏が嫌いだ。
主の護衛が自分の仕事。その主が直々に城下街を視察するのだから、付いていくのは当然であり、仕方ない事なのだ。
そう割り切りたいのは山々なのだが、どうしても好きになれない。納得いかない。
「これのどこが警邏なのさ」
呆れながらぼやく劉焔の視線の先には、どうしようもなく善良で善人で有徳で人格者でお人好しな彼の2人の主がいる。
というか、子供と一緒になって鬼ごっこしている。
「街で一番偉い人が何してんのさ」
と、劉焔が過去にツッコんだのは言うまでもなく、
「子供達と遊ぶのも大切な事なんだよ」
と善良な笑みで劉備に返されたのも言うまでもない。
そして現在、
「…………」
何も言わず放置中。
関羽曰く、
「ああいうものだと思え」
それは言っても無駄だから諦めろ、と劉焔には聞こえた。
だから、劉焔は一刀と劉備が遊んでいるのを、いつも彼らの近くの店の屋根から眺めていた。
楽しそうだ。いや、実際楽しいのだろう。
でなければ、子供は笑顔でいられない。
子供の笑みに影響されたか、その光景を見た大人さえ笑みを浮かべている。
誰もが笑顔でいられる世界。
それが主の理想で、実現したい願い。
(ここ限定でなら、実現してるのかな)
ぼんやりとそんなことを考えていると、視線を感じた。
男の子が一人、下からこちらをじっと見ていた。
またか、と劉焔は思う。遊びに夢中になってる子供達の邪魔にならない――視界に入らない――ように、わざわざ屋根にいるというのに何かの拍子に気付かれるのだ。
「…………」
「…………」
劉焔も気付いた男の子も何も言葉を発しない。
ただただ見合い続ける。
それに気付いた他の子供達も遊ぶのを止め、見上げて来た。
視線が一気に増え、劉焔は辟易しながら立ち上がると、その場を去ろうと歩き出した。
「朔ーー! 何処に行くんだー?」
「散歩」
女の子を肩車している一刀の問いに劉焔は後ろ手に振りながら答えた。
とは答えたものの、行く宛ての無い筈の散歩なのに、劉焔の足は進んで行く。
着いた先は、ラーメン屋。
開いているのを確認して店に入る。すると、陽気そうなおばちゃんが出て来た。
「いらっしゃい!! あら、翔刃ちゃんじゃないかい」
「こんちは、おばちゃん。また来たよ」
劉焔がまた、というのには理由がある。
劉焔を字で呼ぶこの女性は、このラーメン屋の店主であり、今のところ唯一民の中で心安い存在なのだ。
何せ、劉焔の第一印象を「随分と毛色の変わった子だね」と語り、普通の子供同様に扱った。
そして、後から劉焔が劉備に仕える武将の一人だと知っても、「あらあら、そりゃすまなかったね」と全然悪びれず、笑いながら謝った。
この店主の性格を呆れながらも劉焔は気に入り、以来警邏もどきの合間に訪れている。
「翔刃ちゃんが来たって事は、劉備様と御遣い様は子供達と遊んでるのかい」
「そうだよ。まあ、部屋に篭りきりで仕事してたから気分転換にはいいでしょ。ってな訳で、ラーメンお願い」
「あいよ。でも、離れてていいのかい? “一応”護衛なんだろう」
「大丈夫。僕って“一応”護衛だから、もう一人ちゃんとした護衛付いてるから」
殊更に一応を強調する店主に、劉焔も強調して返した。だから、いいんだよ的に。
「そうかい。翔刃ちゃんがそう言うんなら、あたしゃ何も言わないよ。大事なお客様だしねぇ」
「そうそう、お客様は大事にしなきゃね」
「はい、お待ち。よく噛んでゆっくり食べな」
「いただきます!」
「……ところで翔刃ちゃん。もう一人の護衛ってのは、関将軍かい?」
「よく分かったね」
「そりゃ分かるさ」
「……っ!?」
そう答えた店主は引き攣った笑みを浮かべた。劉焔はその笑みが引き攣るような原因が自分のすぐ後ろにいるのを感じた。
正直、振り返りたくない。
だが、そうは問屋が卸さない。いや、閻魔が強制的に判決を降す、だろうか。
恐る恐る振り返ると、
「――――っ」
金棒よろしく、青龍偃月刀を構えた鬼神然とした関羽がいた。
「お疲れ、愛紗」
労う言葉をかけた瞬間、前髪が数ミリ散った。
「…………」
「職務放棄し食事とは、いい御身分だな、朔よ」
冷たい……。そう劉焔が零してしまいそうなくらい関羽の声は底冷えしている。
「……まだ昼食をとってなかったもので」
「城に戻ってから食べればいいだろう」
「食は生きる上で必要不可欠。ならば、美味しい物を食べたくなるのは道理だよ」
「空腹は最大の調味料というらしいぞ」
「空腹は嫌いだよ。というか調味料って何?」
子供っぽく――事実、子供なのだが――首を傾げる劉焔。それに怒気を抜かれたか、関羽は頭を抱えた。
簡単に説明すると、理解したのか劉焔は何度も頷いていた。
「じゃあ、このラーメンが美味しいのも調味料のおかげ?」
「翔刃ちゃん、それは違うねぇ。職人が食材の味を引き出し、調味料の力を最大限に活かしているから美味いのさ。つまり、あたしの腕が佳いからさ」
「へぇ、成る程。じゃあ、おばちゃんの腕に敬意を表して、いただ――――」
「いただくな」
関羽は劉焔の首根っこを掴むとひょい、と持ち上げた。
「悪いな、店主。我らは護衛に戻らねばならん。一口も口にせずにすまないが、この代金は払わせてもらう」
「あー、ラーメンが!?」
「諦めろ、朔」
「伸びてしまう!」
「諦める気、皆無だな貴様は!?」
「ラーメンが僕を呼んでいるんだ!」
「ラーメンは喋らん」
「聞こえるんだ、鬼だから」
「ラーメンと会話する鬼がいるか! 想像しただけでおかしな構図が出来上がってるぞ!」
「いや、いるよ。最初は交遊を深め、段々と想いを募らせていって、そしていつか告白するんだ。
『お前が愛しい。食べてしまいたいくらいに』って」
「恋愛に発展してしまっているのか!? しかも台詞がある意味適切だ!!」
「それで、こう返事されるんだよ。
『ずっとその言葉を待ってました。でも、もう遅いんです』」
「何か暗雲立ち込める様子だな」
「『だって、汁を吸ってもう伸びきって、かぴかぴになった麺しかないんだもの』」
「交遊期間が長過ぎたっ!!」
自慢の黒髪を振り乱しながら、ツッコミ続けた関羽は、ぜーはーと息を切らしながら、疲れの原因をジト目で睨んだ。
「で、食べていい?」
「……好きにしなさい」
とどめの一言に疲れきった関羽は折れた。
わーい、と劉焔は彼女の苦労を知らずに食べ始めた。関羽は劉焔の隣の席に座ると、小さく溜息をついた。
「関将軍、頑張ってくださいな」
「……うぅ、店主……」
差し出された彼女の気遣いとお茶の温かさが身に染みる。
少しはこういった気遣いを見習えと視線で説教しようとした途端、関羽は目を大きく見開いた。
「…………店主」
「はい?」
「明日から私も通うかもしれぬ」
「はあ……お待ちしてます?」
突然の関羽の言葉に、店主は首を傾げながら答えた。
余談だが、劉焔と関羽が二人の主の許に戻ると、
「待て待てー♪」
「ほら、捕まえたっ♪」
まだ遊んでいたのだった。