【旧】鬼と天の御遣い
これは改稿前の序章になります。その為、現在改稿中の第壱章が完成次第削除したいと思います。ご容赦ください。
森の中を4人の男女が進んでいく。
先頭を見事な黒髪の少女、その次を幼さが残る小さな少女が、そして少年と栗色の髪の少女が後に続いていた。
一見、森林浴を楽しみに来たようにも見える一行だが、彼ら一人一人は武器を携えていた。
「はぁ……はぁ……。まだ着かないの?」
歩き疲れたのか、栗色の髪の少女――劉備は、前を歩く黒髪の少女――関羽に問いかけた。
「もうすぐ着きますから、堪えてください」
困ったように答える関羽。この様子から何度もこのやりとりがあったことが窺える。
「にゃはは。これくらいで疲れるなんて、お姉ちゃんはだらし無いのだ」
劉備を姉と呼ぶ少女の名は、張飛。
そして、
「まあまあ。山道を歩くのは結構体力を使うんだ。疲れるのは仕方ないよ」
劉備をフォローするこの少年こそ、劉備、関羽、張飛の主にして、流星と共に現れると言われた《天の御遣い》。
名を、北郷一刀と言う。
彼らは朝廷より黄巾党による乱を平定した功労を認められ、平原の相に任ぜられた。
そして、今回の森林浴――もとい、任務はある邑の近くの森を根城にした賊の討伐であった。
「しかし、乱が治まっても、こういう悪事は消えないもんだな」
「生きるのに必死、と言えば聞こえはいいですが、それで他人を傷つけていいということにはなりません」
一刀の小さな呟きに、関羽は憤りながら言った。
「そうなのだ。悪いことする奴がいるから、哀しい思いをする人がいるのだ。そんなの許せないのだ」
「そうそう。だから、頑張って誰もが笑顔でいられる世界を絶対つくってみせるんだから!!」
劉備は強い意志を込めて言った。
その劉備の姿に、一刀と関羽は頬を綻ばせた。
「…………誰だ?」
森の中に響く声に、少年は木の上で目を細めた。
緋い髪に漆黒の眼。薄汚れた外套を纏った小柄な少年の腰には、不釣り合いな二本の剣が提げられていた。
少し長く伸びた前髪の隙間から劉備たちの姿を見つけると、少年の手が剣に伸びる。柄を掴み、
「……違うか」
手を離した。
少年は彼女らを賊かとも考えたが、それをすぐに否定した。
まず、身の丈に合わない得物を持つ二人の少女は、そこらにいる賊が相手にならない程の武の達人。後の二人は武人ではないだろうが、賊とは対極の雰囲気があった。
つまり、かなりのお人好しに見えたのだった。
そして何より、眼が違うのだ。
欲望を満たそうとする濁った眼ではなく、何か強い決意に満ちた澄んだ眼をしている。
「これで賊だったら、この世は滅んだ方がいいかな」
ぼそっと恐ろしいことを呟くと、少年は木の上から劉備たちの前に飛び降りた。
突然現れた少年に劉備たちは一斉に武器を構えた。
「何奴!?」
関羽が青龍偃月刀を少年に向ける。
「人に名を聞くのなら、自分から名乗ってからじゃないの?」
「ぬぅ……我が名は関羽。劉玄徳が一の家臣にして、幽州の青龍刀」
「鈴々は張翼徳なのだ」
警戒を露わに、関羽と張飛は臨戦体勢に入る。
「僕は……」
少年も双剣の柄を握り、いつでも抜き放てるような体勢に入る。
「悪いけど、名乗る名が無い」
「ふざけるな!!」
素っ気なく答えた少年に、関羽は飛び掛かり、青龍偃月刀を振り下ろす。
迫る刃を少年は半身を反らすだけで避けた。
「何っ!?」
「愛紗、どくのだ! うりゃ〜〜!!」
唸りをあげる突きを張飛は放つ。だが、それも少年の拳に蛇矛の刃の腹を叩かれ、軌道を逸らされた。
「うわ!? 愛紗、こいつ強いのだ」
「ああ、そのようだ。鈴々、同時にしかけるぞ」
「応っ!」
関羽と張飛は同時にそれぞれの得物を振り上げると、
「はああぁ!!」
「うりゃあああ!!」
気合いを込めた斬撃を放った。
関羽は首を、張飛は逆方向から胴を狙う。
だが、
「やめろぉぉ!!」
「ダメー!!」
一刀と劉備が少年を庇うように前に出て来た。
これに関羽と張飛は驚き、斬撃を止めようとするも、振り下ろされた刃は止められない。
眼前にまで迫った刃に二人は眼を強く閉じると、
「何してんのさ」
少年の呆れた声が聞こえ、服の襟を引っ張られた。その時、視界の端に見えた彼の表情は、ひどく呆れていた。
そして、一刀と劉備は黒と白の閃きを眼にした。
ガィン、と鋼がぶつかり合う音が響く。
少年は黒刃と白刃の双剣を一瞬で抜き放ち、関羽と張飛の一撃を受け止めたのだ。
「お兄さんとお姉さんって死にたがり?」
双剣を鞘に納めながら、少年は言う。尻餅をついたまま、一刀と劉備は彼を見上げるようにして笑いかけた。
「死にたい訳じゃないよ。ただ、君を助けようとしたんだ」
「そうだよ。愛紗ちゃんも鈴々もとっても強いんだから、ケガしたら大変だよ」
「助けようとした本人に助けられといて、そんなこと言うんだ」
う…、一刀と劉備は押し黙った。そんな彼らの後ろでは、
「申し訳ございません!!」
「ごめんなのだー!!」
関羽と張飛が全力で頭を下げていた。
「守るべき主君に刃を向けるどころか振り下ろすなど、仕える武将として失格! 本当に申し訳ございません!!」
「気にしなくていいよ。生きてるし」
「いや、気にするべきことでしょ」
のほほんとした一刀の言葉に少年は思わずツッコんだ。
それは劉備も一刀同様のようで、落ち込む張飛の頭を撫でて宥めていた。
自分が助けなければ、一刀の首は断たれ、劉備は胴を裂かれていたかもしれないというのに。
この二人は怒るどころか殺されかけた相手を逆に慰めている。全く理解できない、と少年は思う。
「お姉さんたち、何者なの?」
少年が問うと、劉備は屈んで目線を合わせ答えた。
「私は劉備玄徳。この近くを縄張りにしてる盗賊をやっつけに来たの」
「劉備玄徳……平原の相自ら賊退治? しかも、一番近くの村からでも来るのに半日はかかるこの森に?」
「そ。だって、どんなに遠くにいても盗賊があそこにいるんだって知ってたら、不安で仕様がないだろ」
「お兄さんは誰?」
「俺は北郷一刀。桃香――劉備たちの主で、天の御遣いって呼ばれてる」
ふぅん、と少年は一刀を見た。光りを放つ変わった服を着ていると噂に聞いていたが、確かに一刀の服は薄暗い森の中でありながら、強い光沢が見て取れた。
「噂通りかぁ。……天の御遣いさん。盗賊退治に来たなら、早く帰りなよ」
「どうしてだい?」
「もう盗賊はこの森にいないからだよ」
少年は踵を返し、
「ここから西に少し歩いて行くと奴らの根城跡があるから、確認してきなよ。ただ、お墓がたくさんあるから荒らしちゃダメだよ」
茫然とする一刀一行を他所に、少年は去っていった。
「どうだった、鈴々?」
一刀は少年が言っていた場所から戻ってきた張飛に早速聞いた。
「盗賊は一人もいなかったのだ。あいつが言ってた通り、お墓がいっぱいあるだけ」
「その墓って、誰のか解った?」
「多分だけど、全部盗賊のお墓だと思うよ」
「本当に?」
一刀の確認に、張飛は静かに頷いた。
「ご主人様、これは恐らく……」
「ああ、きっとあの男の子がやったんだ」
関羽の推測を一刀は肯定する。
盗賊の根城を知り、墓のことまで知っていた。
そして、関羽と張飛の攻撃に対抗できる技量を持つ彼ならば、やってのけるだろう。
ただ、あの少年がどういった経緯で盗賊を倒したのかは解らない。
「あの〜、ご主人様」
もじもじとしながら劉備は一刀を上目遣いで見つめる。一刀は一瞬ドキッとしながらも何とか答える。
「どうしたの?」
「あの子、私たちの仲間になってもらえないかな」
「あの子を仲間に?」
「うん。きっと力になってくれると思うの」
「確かにあの少年の力ならば、乱世を終わらせる一助になることでしょう。しかし……」
「愛紗ちゃんは反対なの?」
「いえ、反対ではないのです。むしろ、賛成です。しかし、あやつが言っていたことが気になって」
「? もしかして『名前が無い』って言ってたことかぁ?」
「ああ、そうだ」
関羽が気になっていたことは、一刀も気になっていた。
何故、名が無い?
あの子自身を産んだ親がいるだろうが、黄巾の乱により親を亡くした子供も少なくない。あの少年も、その一人なのかもしれない。
だが、その子らは親から貰った名まで無くしてはいない。
(もしかして捨て子なのか?)
だが、それならば何故言葉を話せる?
今より幼い頃に捨てられたのなら言葉をきちんと学べず、半端な言葉遣いになる筈だ。
しかし、少年の言葉ははっきりとしていた。
森に訪れた誰かが言葉を教えたのかもしれないが、それならば自然と名の大切さだって解ってくるだろう。
名は自分の存在の標だ。
名は生を受けて、初めて親から授かるものだ。
それをあの少年は――――
「……あの子を探そう」
一刀の言葉に劉備の顔が輝く。
「ご主人様!」
「よろしいのですか?」
「うん。俺と桃香を助けてくれたんだ。きっと悪い子じゃない」
「そうそう。あの子だって盗賊を退治するくらいだもん、きっと人の為に何かしたいんだよ」
うんうん、と頷く一刀と劉備の横で、関羽は困ったように笑い、
「では、ご主人様。あの少年を探して参ります。行くぞ、鈴々」
「わかったのだ。絶対見つけるのだ!!」
張飛を連れ、駆け出した。
少年は焚火をしようと枯れ枝を集めていると、遠くから呼び声が聞こえた。
(まさかあのお兄さんたち、帰り道が解らなくなったんじゃ……)
そう思い、仕方ないと声の主の下に歩いていった。
いたのは、関羽だった。
「何してんのさ」
「よかった。まだこの近くにいてくれたか」
呆れた少年の声に気付いた関羽は、彼を見るなり柔らかい表情を浮かべた。
「僕に何か用なのさ? もしかして道に迷った?」
「お前を探していたのだ」
「……へぇ。それはどんなご用向きで?」
「その前に一つ聞きたい。盗賊を退治したのは、お前か?」
「……だとしたら、まずかった?」
「やはり、お主か。…………良ければ、私たちと共に来ないか?」
関羽の言葉に少年は訝しむように目を細めた。
「なんでさ?」
「我らには大望がある。皆が笑って平和に暮らせる世の中をつくりたいのだ。それにお前の力を貸してほしい」
「それであのお姉さん――劉玄徳に仕えろと?」
はっ、と少年は鼻で笑い、
「嫌だね」
拒絶を口にした。
「平和? 笑って暮らせる世の中? 夢見過ぎだよ。人はいつだって他人を淘汰しなくちゃ生きていけない。
この森に来た盗賊だってそうだった。食物やお宝、それどころか人の命を奪うのも、みんな遊び感覚でその数を競ってた。
そんな奴らがいるのに、誰もが笑って暮らせる世の中なんか到底来やしない」
「なんだ。君も解ってるじゃないか」
関羽に自分の言葉をぶつけていたせいか、少年は後ろから近付く気配に気付けなかった。
「天の御遣い……」
やぁ、と一刀は片手を上げて少年に笑いかける。彼の横には、劉備と張飛もいた。
「君の言う通りだよ。誰かが誰かを傷つけようとする限り、本当に皆が笑っていられる世の中なんて夢物語だ」
「じゃあ、永遠に来ないね」
「ああ、そんな世の中を待ってる限りね」
「だから、つくる?」
「そ。待ってるだけじゃダメなんだ。そんな世の中をつくりたいって強い想いと力が必要なんだ。
だから、俺たちは立ち上がった。夢物語でなんか終わらせないために」
少年には理解できなかった。
夢幻のような世の中。それは確かに幸福な世界だろう。
だが、夢幻のようだからこそ、実現は困難を極めるのだ。
それを彼らは困難であっても、不可能ではないと思っている。
だからこそ、実現できると。
「…………この甘ちゃん集団め」
呆れた心地がするのに、自然と頬が緩んだ。
「僕を登用したいそうだけど、この眼を見てもまだそう思う?」
少年は嘲るように前髪を手で上げた。
緋い髪に隠れていた彼の瞳を見た劉備らは眼を大きく見開き、言葉を失った。
人あらざる双眸が、そこにあった。
綺麗な漆黒の瞳孔が、獣のように縦に開かれていた。
「僕が近くの村人に何て呼ばれてるか知ってる?」
「もしかして……鬼?」
怖ず怖ずと劉備が口にした答えを、少年は首肯した。
童姿の人喰い鬼。
この森に着く前に寄った村で、一刀たちは村人から聞いていたのだ。
森には鬼が住んでいる。子供の姿で現れ、森に迷い込んだ者を油断させる。隙を見せれば最後、森から出ることは叶わず、喰い殺されてしまうそうだ。
盗賊を倒すなら、鬼も倒してほしいとまで言われた。
だが、劉備らはこれを単なる噂としか思わなかった。
実際に、この少年の眼を見るまでは。
動揺は想像以上に大きく、言葉を紡ごうと口を動かそうとしても言葉にならず、ぱくぱくと動くだけに終わる。
その様子に少年はやはりか、と顔には出さずに思った。
「――――よし。じゃあ、これで鬼はいないって証明されたな」
今度は少年が驚く番だった。
一刀一人だけが異形の眼を見ても特に気にした様子もなく、その言葉を口にした。
鬼がいるなんて単なる噂は、噂でしかない。
それは鬼と呼ばれた少年を前にしても一刀の中では少しも変わらない。
そんな飄々とした一刀の態度に少年は茫然とした。
「この眼を見て、気味が悪いとか思わないの?」
「驚きはしたけど、そういうのは無いな。それに、君は人なんて喰わないだろ」
「それはそうだけど……」
「俺の世界――まあ、天の国か――だと、鬼って必ずしも悪い存在じゃないんだよ。神様になってたりもするんだ」
だから、と一刀は少年の頭に手を置き、
「天の御遣いの傍に鬼がいたって変じゃないだろ」
くしゃくしゃ、と撫でた。
自分の頭を撫でる一刀の手が、なんだかくすぐったくもあったが、悪い気はしなかった。それどころか心地良いとさえ感じた。
「関羽さん、もしかして、この人っていつもこうなの?」
「ああ、変だろう?」
「うん。変過ぎて益々気に入った」
「それは良かった……って、言っていいのか?」
「別にヘンじゃないと思うよ?」
首を傾げる一刀と劉備。ああ、ヘンなのは二人だったのか、と少年は気付いてしまった。
それはそれで面白みが大きくなっていいのだが。
「天の御遣い――いや、主上。僕には名前が無い。出来たら、貴方に名を付けてほしい」
「そうだったな。けど、なんで名前が無いんだ?」
「……覚えて無いんだ。3年以上前のこと、自分の名前さえ」
「記憶喪失か……」
一刀は唸りながら考えた。
「記憶、取り戻したくは無いのかい?」
「んー、別に。記憶がなきゃ前に進めないなんて思ってないよ」
「そっか。偉いな」
一刀はもう一度少年の頭を撫でると、劉備たちを見た。
「この子の名前、俺が決めていいかな?」
「うん。だって、その子の願いだもん」
「私も異存ありません」
「鈴々もお兄ちゃんが決めるなら、いいのだ」
「ありがとう、みんな」
一刀は少年を真正面から向き合い、彼の新しい名を口にした。
「性は劉、名は焔、字は翔刃。真名は、朔」
「……劉焔翔刃。それが僕の名前」
「そうだよ。君の名前は、俺を含めた4人の名前からとったんだ」
「え? 桃香様は解りますが、私と鈴々もなのですか?」
困惑顔の関羽。彼女と同じなのか、鈴々も首を傾げていた。
「劉は、もちろん桃香から。焔は愛紗、翔は鈴々で、刃は俺から……なん……だけど……」
少年以外の3人にジト目で見られ、一刀の言葉は段々と尻搾みしていった。
少年の名に自分の名が使われているのだ。この説明だけで納得する当人ではない。
「愛紗の性からとった焔だけど、“関”は“繋がり”って意味だろ。同じ意味を持つ“縁”を、この子の火みたいに緋い髪に合わせたんだ。
翔は鈴々の“飛”から同じ意味を。
刃は、俺の“刀”から。乱世を終わらせる道を切り開けるように、だよ」
「へぇ。なんか捻って考えたの、焔と刃だけだね」
少年の言葉の刃は、ズブリと一刀を貫いた。
バタリ、と倒れた一刀に、劉備たちは苦く笑った。
「けど、気に入ったよ。僕は今から、この名を名乗る」
少年は一刀と劉備の前に跪き、双剣を鞘ごと引き抜くと、献上するように掲げた。
「この劉翔刃。この身、我が双剣の如く戦場を翔ける刃となし、主上が望む世への道を切り開いてみせましょうぞ」
こうして、名無しの少年は名を得て生まれ変わった。
性は劉、名は焔。字は翔刃。
真名は、“始まり”の意味を込めて――――朔。
この真名の通り、劉焔という少年の物語は始まった。