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真・恋姫†無双 〜羅刹戦記〜  作者: エアリアル
第伍章 鬼と戦 徐州防衛編
36/37

鬼と新天地6

お久し振りです。


半年振りの更新になります。更新を心待ちしてくださっている方々(いたら嬉しいです)、今回は一刀くんが頑張ってます。


命懸けで。

周瑜は戦場を見渡していると、《孫》の牙門旗が妙な動きをしているのに気が付いた。劉備軍と接敵したのだとすぐに気付くが、その相手に苦く笑った。


相手――《十文字》の牙門旗が風に(なび)いている。という事は、あれは天の御遣いが率いる部隊だ。ならば、あそこに小鬼がいるのだろう。


(近くに漆黒の《華》旗も見えるが、まさか本当に生きているとはな)


華雄が生きている可能性がある、と情報で掴んでいた周瑜であったが、こうして自分の目で見る事になり、しぶとい奴だ、と少しばかり関心した。軍を鞍替えして尚、呉と戦う事になるというのは、華雄とは奇縁があるのかもしれない。


そんな事を考えていると、彼女の背後から影が足元まで伸びてきた。


周瑜はそれに気付くと、振り返らずに口角を片方だけ吊り上げた。


「ほう、早いな。ここまで誰にも気付かれなかったか? ……ふふ、我が軍とは一緒にするな、か。それもそうだな」


こちらは気付かれてしまったからな、と周瑜は笑みを零していると、彼女の下に伝令が飛び込んできた。


「周瑜様、孫策様が!」


「落ち着け! 伯符がどうした?」


「て、天の御遣いと一騎討ちを始めました!!」


それを聞いた周瑜の思考が一瞬停止した。だが、次の瞬間にク、と喉で笑った。随分と分が悪い賭けをするものだ。


孫呉の士気を支える柱の中で最も太い柱から折りに行く。効果は大きいが、斧を務めるのが劉備軍の玉のひとつとは。


孫策は武人としては一流も一流。一騎討ちで負ける姿など、簡単に想像できない。


けれど、劉備軍はこの一手を選んだ。いきなり自棄(やけ)になっているのかなんなのか。


「まあ、いい。こちらはこちらの役を果たそう」


周瑜は影へと一枚の紙片を渡す。受け取った事を確認すると、すぐに口を開いた。


「書いたその場所に道標(みちしるべ)が待っている。後はそのまま従って動いてくれ。……我が孫呉にとって大切な御方だ、必ずす――」


言おうとした言葉に、これでは頷いてくれないのだと思いだし、周瑜は言い直した。


連れ帰ってきてくれ、と。


その言葉を言い終わるや否や、影は消えた。頷いてくれたか首を横に振ったかは解らないが、やり遂げてくれるような気がした。


(確証のない考えは、雪蓮の担当の筈なのにね)


ふぅ、と吐息を零すと、伝令兵が首をしきりに傾げていたのに気付いた。


「どうした?」


「周瑜様、どなたと御話になっておられたのですか?」


「……まさか、見えていなかったのか?」


影は周瑜の背後にいたが、伝令兵は彼女の正面にいた。影の姿は彼の目に映った筈だ。けれど、彼は影の姿を捉えられていなかったらしい。


「本当に恐ろしい奴だ」


背筋に冷たいものを感じながら、周瑜は戦場へと目を戻した。








対峙する王と武士(サムライ)


片や死合を楽しむかのように不敵に、片や一振りの刃のように佇む。


呼吸は静かで穏やかなまま。それを意識し、一刀は反して騒いでばかりでいる胸の鼓動を沈めようとしていた。


外見は武士(それ)らしく見せられていても、内心まではそうもいかない。虚勢を張るのが精一杯だった。


――死線。


遂に、ここまでやって来た。


遂に、ここまで来てしまった。


斬る覚悟も斬られる覚悟も出来ている、とそう言った。それでも、怖いものは怖い。それは人間として当然の感情だ。


逃げたいか? 今そう聞かれれば、一刀は肯定する。


理由?


何故?


そんなもの聞くまでもない。死ぬのが怖くて、嫌だからだ。


孫策の手にある南海覇王。その鋭利な刃が自分を斬り裂く――そんな悪い想像ばかりが頭を(ひし)めき、背筋に冷たいものが走る。袴で孫策からは見えないだろうが、足が震えているのを感じていた。


今すぐ刀を抜き放ちたい。そうすれば、この震えも恐怖もどうという事も無くなるというのに。鯉口を切るだけでは、まだ“至れない”のだ。


忌々しく思いながら、刀の柄に添える手の感触を頼りに虚勢を張り続ける。


これだけが頼りだった。


武士に至れていない自分が、武人だと声高に宣言できない自分が、自分自身と相手(てき)に虚勢を張ってでも分不相応な役目を果たす為に。


そして、何よりも知る為に。


そんな内心の葛藤を知る筈もなく、孫策は剣閃を繰り出す。


鋭い踏み込みから振るわれる南海覇王。その一閃は必殺と言って過言ではない。その勢いは確実に人体を両断することだろう。


事実、幾多の敵兵を葬ってきた筈だ。それが一刀に迫る。


一刀の身体は(ちぢ)みあがり、一瞬で強張(こわば)った。白刃が瞬く間に眼前に迫ると同時に、強烈な違和感が身体中を巡って、一刀を後ろに跳ばせていた。


それにより、南海覇王の切っ先は彼の鼻先一寸程のところを斬った。


(なんだ? 今の感じは……)


一刀は孫策の放った一撃の違和感が自分を生かした事に驚いていた。それは孫策も同じだったが、それを許されたのは刹那の時だけ。すぐに続けて斬撃を放つ。生み出された銀閃は彼の(くび)を断たんとした。


(……あ、そうか)


二度目の攻撃を見て、一刀は独り得心がいった。そして、半歩だけ後ろに下がれば、刃が起こした剣風が彼の喉を撫でた。


「……大したものね」


「息子と師匠のおかげだよ」


小さな声で呟く孫策に、一刀は穏やかな声音で答えられた。


武の境地というものを知れ、と管輅は言った。踏み出した者が歩んでいる道がどのようなものか理解出来なければ、未来(あす)は無いのだと。


この道は、ただの平坦な道だろうか?


――否。そんな道がある筈が無い。


泥が足を取るように歩みを遅らせる道だろうか?


――否。その程度で済む筈が無い。


一歩進むだけで身を突き刺すような(いばら)の道だろうか?


――否。それでは、まだ足りない。


では、何か?


(――――きっと、この道は己と他者によって拓かれる血路なんだ)


たった二振りの斬撃によって死線の異常さを肌で感じ取り、一刀は己の道を知った。


死線は、まるで樹海だ。


きっと敵は鬱蒼(うっそう)と生い茂る木々に雑草で、道なき道を進む自分はそれを己が得物で()(はら)う。その度に葉が、枝が襲うようにして肌を切りつけていく。


掃ったそれらの残骸は、正しく骸。破片は血だろうか。その上に自分の血が上塗りするように滴る。


時を経れば、獣道だった己の道は整備されたように整いだす。


敵の骨と肉が道を(なら)し、染み込んだ敵と己の血が路面を固くしていく。


そんな血路が死線を織り成しているのだ。


その道を歩んでいなかった頃の自分は、これを知っているつもりだったのかと思うと反吐(へど)が出る。それが今の一刀の心情だった。


小さなあの子の身体で、こんな道を進ませていた自分を憎くも思う。


だが、死線に立つ決断は間違いではなかったと確信した。


「孫策さんが相手で良かったよ」


「あら、それは私にだったら勝てる――なんて思ってるってことかしら? だったら、思い違いもいいところよ。この孫伯符を侮らないでほしいわね」


「莫迦にしたつもりも、舐めているつもりもないよ。でも、されたと思ったなら、すまない。

 ……知る必要があったんだ。一線級の武を持つ者がどんな境地にいるのか、それを知る為にさ」


「……そう。まあ、許してあげましょう。それで、ご感想は?」


「孫策さんには思い知らされた。やっぱり、死線(ここ)は怖くて嫌なところだ。しかも、遠いよな、朔や皆がいる境地(とこ)はさ。地平線でも見せられた気分だよ。でもさ――」



――――いつか、そこに辿りついて見せる。



道は遠くても、目指す境地(ところ)は解っているのだ。


ならば、進むだけだ。


一刀は胸中に秘めている決意を足に乗せ、一歩前に踏み出す。


「……(オン)()()()(エイ)()()()


紡ぐは真言。武士の守護神たる摩利支天の加護を得る。


柄に添えた右手で、柄を握り直す。


「……天清浄」


孫策(てき)を見据える。


「……地清浄」


深く息を吸う。そして、吐く。


「……人清浄」


その行動一つ一つが、武士としての北郷一刀(じぶん)へと変えていく心地がしていた。


「……六根清浄」


刀身を鞘から抜き放ち、刃は陽光に輝く。


刀長は二尺六寸五分(約80.3cm)。造り込みは鎬造(しのぎづくり)(いおり)(むね)。反りは腰反り高く小切先。刃紋は変化に富んだ小乱れ。帽子は小丸、掃き掛け。


その特徴を聞く者が聞けば、すぐに気付く事だろう。彼の手にある刀が天下五剣の内、一振りであると。


一刀はその一振りの刀が(もたら)す重みに、これは命を奪うものであり、守るものでもあるのだ、と否応にも感じさせられる。それを真摯に受け止め、己の一部とする。


刀を抜き放った以上、もう恐怖が身体を縛り付ける事は無い。


ゆっくりと右足を引き、己が流派独特の右半開の構えをとった。


「……いくぞ」


孫策(てき)を見据え、一刀は呟く。


前に進む為に、敵に向かう為に砂地を蹴る。


次の瞬間には、砂が爆ぜた。


強烈な踏み込みが生み出す速度は、劉焔や周倉には程遠いものの、趙雲や甘寧に迫る。


間合いを詰める一刀の両腕が跳ね上がる。上段に掲げられた刃が神速に迫る勢いで、閃光と化して飛んだ。


斬、という音が一刀と孫策の耳に届く。


はらり、と淡い桜色がかった髪が掠めて切れ、一刀と孫策の前を通り過ぎていった。


「……この親子は、乙女の髪をよく切ってくれるわね」


「最初の一太刀が江東の麒麟児の髪か……下手な賊を斬るよりも光栄かな」


苦々しく顔を歪める孫策に対し、一刀は飄々としている。そして、彼女の目が刀に行っているのに気付いた。


「変わった剣ね。なんて言うか……そう、綺麗」


「ありがとう。俺の母国の武器で、芸術品としても有名なんだ。

 これは、その中でも特に優れているとされた五振りの一つ――童子切安綱」



――――()()()()()()()



その一言に、彼女の目は大きく開かれた。それは人外(あやかし)を斬り伏せた逸話に対する驚きか、一刀に宛がわれた役目を読み取ったが故か。


だが、今気にする事でもない、と一刀は頭を切り替えると安綱の切っ先を孫策に向け、


「次は当てる」


言葉少なに宣言する。


「そう簡単にやらせる訳ないでしょ」


孫策は一刀よりも先んじて剣戟を振るう。迫る銀閃を見切り、一刀は最小限の動きで回避。もう剣風が撫でてこようと、肌が(あわ)()つ事はない。刃がこの身を裂こうが、それだけのことだ。


生か死か。


頭に――武士となった北郷一刀という存在(うつわ)の中には、もうそれしかない。


戦う為の頭脳、戦う為の肉体、戦う為の技術。


戦場という地獄を生き抜く為に、自己を変革し最適化する。覚醒と言ってもいいそれを、抜刀という動作による自己暗示によって齎した。


本来ならば、武士は柄を握った瞬間にそれが起こる。だが、管輅は一刀が未熟であるのもあってなのか、彼の自己暗示による変革を完全な抜刀に限定した。それに彼も賛成していた。


武士たる者、その刀を用いる場合がどのような時か、それを知っていなければならない。


刀とは、武士道における力と武勇の象徴であり、誇りだ。その刀を(みだ)りに抜いて振り回す事は、武士道において不当不正な使用であるとされ、厳しい非難を受ける上に忌み嫌われる行いである。それを行う者は、卑怯者か虚勢を張る者として(そし)りを受ける事になるのだ。


加え、一刀は劉焔に、殺したくなければ殺さなくていい、と説いた事がある。刀を抜くという事は、殺し合いに至らずとも血生臭い事態へと等号で結びついている事が殆どだ。その中で、敢えて命を奪わないよう抜刀しないというのも、ある種の覚悟だろう。


(けど、今すべき覚悟は斬る覚悟だ)


心中で呟くと、一刀は孫策の一閃を避けると同時に横薙ぎの斬撃を放つ。それは孫策の南海覇王に防がれ、鋼が生み出す激突音が()()を打った。


鼓膜が金属音に震える最中、一刀は全身に幾重にも走る線を想像し、その先端を安綱で結び束ねる。その線は(みち)だ。全身から生み出した(ちから)はそこを余すことなく駆け抜け、終着点にて発せられた。


「っく……!」


堪えるような呼気が、()()の口から零れる。それに混じっているのは、驚愕だった。


彼女は確かに防いだが、刃同士の鍔競り合いになった途端、安綱に込めた一刀の膂力に押し込まれ出した。痩躯(そうく)とまで言わないものの、見た目細身の一刀に押し込まれる程に力が強いとは思わなかった。


いくら鍛えたと言っても短期間。自分とは鍛錬も実戦での経験も段違いであり、体格の差があろうとそう簡単に押し負ける筈がない、と侮っていた。


押し負けて(すき)を作られでもすれば、命取りだ。そう考えた孫策は流すようにして後方に跳躍し、着地と同時に下段から斬り上げる。


南海覇王がその身に届くよりも速く、一刀は滑り込むように間合いを侵略し、孫策の横を取った。自ら斬撃()へと飛び込むような形になるが、踏み込むだけの意味がある。


その踏み込みに体が連動し、安綱が孫策の胴へと閃く。そして、刃は彼女の紅い戦装束の片袖を切り裂いた。


「まったく……やってくれるわね」


地に膝を着けながら、一閃を回避した孫策は無くなった片袖を見てぼやいた。その内心、彼女は自分に天性の勘が備わっていた事に感謝していた。一度目は子に、二度目はその親ときた。


孫呉の王と対峙して、両人共にして命を(おびや)かすなど、(たま)ったものではない。


残心の構えを取る一刀を軽く睨んでみるが、彼は飄々と流してしまう。


この親子は……、と小さく零しながら孫策は立ち上がる。手に持つ南海覇王をゆらゆらと遊び出すように揺らして。


その様に、一刀は目を細める。孫策の覇気が急に鳴りを潜めだしたのだ。対峙してから始終肌をビリビリとひりつかせていたというのに。英雄に数えられる彼女が、未熟な自分を相手に勝機を見出せなくなる筈がない。


ならば、何だというのか? 答えを探るように一刀は彼女の眼を見る。


すると、孫策は微笑んだ。一言で言えば、可憐。しかし、その微笑は一刀に戦慄を齎す。


孫策が襲いかかってきた。


一騎討ちをしているのだ。何を今更と思うだろうが、この言葉に間違いは無かった。


苛烈にして、激烈。


今までの孫策には王としての人間らしい理性的な動きがあったのだが、それが消え去って出てきたのが、猛獣のような猛々しい動き。


剣戟に美が無くとも、それは命を喰らう牙に違いなかった。


「虎の娘は虎って事か……!」


毒づきながら、一刀は若虎の爪牙を避ける。迫るのは剣一本だと言うのに、倍以上に錯覚さえしてきた。


それでも、不動心で孫策を見据え、剣閃を()り足で滑るように(かわ)していく。それよって巻き上がる砂塵の濃さが、孫策の攻めの苛烈さとそれを躱す一刀の足捌きの激しさを物語っていた。


斬撃を一太刀避ける度に、一刀の精神はガリガリと削られている。余裕など最初から無いが、更に追い打ちをかけられている気分だ。


そもそも、北郷一刀には攻撃を刀で受けるという選択を、簡単には選ばさせてもらえない。いくら刀が【折れず】、【曲がらず】、【よく切れる】といった3つの性質を兼ね備えていようと、大陸の剣を相手にそう何度も打ち合ってなどいられない。


それは師の一人であり、この刀を授けてくれた管輅からも言われていた。


『それ、本物を基に私が鍛錬した贋作だけど、強度は本物以上に仕上がってるわ。でも、武器同士のぶつけ合いは避けなさいよ。刀の持ち味が下がるから』


特に未熟者が使う場合は、と彼女は最後に付け加えた。


いくら名剣名刀だろうと、振るう者が未熟では真価を発揮できない――というのは武器でも他の物でも同じだろう。


求められるのは、速さと技術。“斬る”という目的を追究し、その究極を実現する為の形を成したのが刀だ。その“斬る”という技術も未熟ならば、(しのぎ)で受け流す事もまあまあ未熟と言われては、一刀も立つ瀬が無い。


唯一、彼が師匠から及第点をもらえたのは“観る”という一点だけ。


(何が、星くらいの速さだ!)


あのペテン師め。そう毒づかねばいられない一刀は、今にして管輅に騙されていた事に気付き、それが自身を生かしている事に釈然としなかった。彼女と小鬼に鍛えられた眼で剣戟を見切る。孫策の攻撃は速い。だが、出鱈目なあの師匠に比べればなんとか見切れる速さだった。


この速さでは、あのエセ占い師の師匠には程遠い。今なら解る。あの人外(ししょう)なら、観えたと思った瞬間に五体はバラバラにされている事だろう。でも、取り敢えず帰ったら殴っておこう、と一刀は固く誓った。まあ、無理だろうが。


「おっと!」


苛立ちに不動心と集中が揺らいだ瞬間、一刀の髪が数ミリ散った。すぐさま武士としての自分を取り戻す。


今の孫策の剣は、型に(はま)ったものではない。荒々しい動きは正に攻撃的で、襲いかかる圧迫感は一撃毎に増していた。それは一刀をじわじわと追い詰めていくには十分過ぎる。


下段から跳ね上がる刃。一刀は仰け反りながらも後ろに跳ぶ事で回避する。体勢を整える動作の中に、納刀を組み込んだ。


その行動に、孫策は訝しみを瞳に乗せた。


一刀は腰を落とし、左手を鯉口に添える。そして、鞘から走るように刃が抜かれ、銀閃が宙に半月状の弧を刻んだ。


「――――っ!?」


――――居合い。


神速の一閃が孫策の左腕を斬り裂き、赤い血を流させた。


自身の血を眼にした孫策は、怯むどころか口角を益々吊り上げる。そして、再び獰猛(どうもう)に襲いかかった。左腕の負傷が少なくない痛みを発しているだろうに。それにも関らず、滅多(めった)矢鱈(やたら)と攻撃し続けていく。


彼女の今の状態は、正に『血沸き肉躍る』といった様相だ。これが戦闘狂ってヤツなのか、と一刀は心中で独り言ちながら、尚も躱しながら反撃の一太刀を狙う。


上段からの孫策の一撃が振り落とされる。一刀が横に身体を(さば)き避け、面打ちにかかったが、技後硬直を無視するかの如く、孫策の体当たりによって初動を潰された。


「ちぃっ!!」


「あははははハハハハハ!!」


舌打ちする一刀に対し、孫策の口から抑えられていた哄笑が遂に漏れた。


哄笑を鮮明に彩った愉悦の色が、彼女の血の(たぎ)りをより一層熱くさせる。脳内の興奮物質がどんどん分泌され、左腕の痛みは早くも消えていた。未だ流れる血も今や興奮剤に近い。


倒されかけた一刀は、踏鞴(たたら)を踏みながら間合いを取ろうとするが、孫策がそれを見逃さない。牙を突き立てるように跳びかかり、上から剣先で突き貫こうとする。


半端な足捌きで彼女の斬撃は避けられない。折れない事を祈りつつ、一刀は安綱で一閃を弾いた。


未熟者(じぶん)の腕でどこまで耐えてくれるか、不安に駆られるがもう仕方がない。


(頼むから、折れるなよ!!)


だが、一刀の願い空しく、鋼同士の応酬が始まる。


王と武士が描く刃の軌跡は幾度も交差する。鏡映しのように、申し合わせたかのように途切れない。その度に打ち鳴らされる金属音は甲高く、戦場に響いていく。


そして、降り注ぐ陽光を受けた刃が、見る者の眼に銀の残光を焼き付けた。


それは刃を振るう一刀と孫策にも言えた。残光に加え、鋼の触激が生み出す火花の朱が瞳の奥から消えない。けれど、視界が鮮烈な火色に染められようと、その剣戟が止まる事は無い。


何十合かの衝突。そして、鍔迫り合い。互いに刃を押し込もうとする両者は、自然と顔を近付かせる。


歯を食い縛る一刀の眼の前には、美麗な相貌に異様なまでの好戦的な気色を滲ませた孫策の顔がある。覇気ではなく、狂暴な光を宿した彼女の双眸に一刀の芯が震えた。


不動心が揺らいでしまった、と感じた瞬間に己の失態を悟った。


「しまっ――がぁあ!?」


腹部に突き刺さる激痛。孫策の膝が打ち込まれ、一刀の身体が硬直する。孫策は呻きを漏らす一刀の頭を掴むと、彼の顎へともう一度膝を叩き込み、最後に横っ面を薙ぐように蹴り飛ばした。


ゴロゴロと不様に転がり、一刀は砂塵に(まみ)れた。良いのをもらったのか、脳が揺らされて視界も揺れている。口の中にジャリジャリとする砂を吐き出してみれば、赤く染まっていた。口の中を切ってしまったらしい。


「いってぇ……」


そう零しながら、一刀はゆっくりと立ち上がる。ゆっくりと――なのは、相対(あいたい)する王様が楽しげに続きをご所望だからだ。


早く立て、と。


早くかかってこい、と。


この頸を落としてみせろ、と。


心行くまで満足させてみろ、と。


暗に、言ってくる。


(――――上等だ)


(おと)にせず、吐くように心中で呟く。


一刀は安綱を鞘に納め、また居合いの構えを取る。自身に傷を負わせたその構えに、孫策はやはり愉快げな表情を浮かべていた。


「疾っ!!」


呼気を短く吐き、一刀は踏み込み挑む。鞘に納まっていた安綱が加速し、閃光と化す。抜き打ちの一閃は孫策の頸を刈ろうと飛び、


「……残念」


くっ、と喉で笑う孫策の手にある南海覇王に阻まれた。一度見たものは通用しない、と言わんばかりの顔をした彼女に、一刀の左手が動いた。


陽光が彼の指先を照らし、一瞬()()に反射した。


鈍色の光が孫策の眼に飛びこみ、彼女は身体をすぐ様(かが)ませた。耳に届いた、小さく鋭い風切り音。それがその行動が正解だったという答えだった。


だが、それで終わってはいけない。彼は終わらせるつもりも無い。


孫策が屈んでの回避を選んだ事で、衝突していた刀はもう自由だ。力強く踏み込み、一刀は袈裟斬り、逆袈裟斬りと連続して振るう。


銀閃二連。鋭く弧を描いて飛ぶが、刃は躱す孫策の身には届かない。ならば、と即座に攻撃手段を変更する。


繰り出すは、蹴撃。武器を持つ相手に対して選ぶには危険な選択だった。


迫る一刀の蹴りに、孫策は愚かだと剣を向けた。剣で受け、一刀自ら足を切断させよう、と。


もう放たれた蹴りは止められない。風を唸らせ飛んだ一撃は――――


「――――嘘っ!?」


ガギィン、と硬質な音をたてて、南海覇王ごと孫策の両腕を跳ね上げた。驚愕に頭の中が染まる孫策は、追撃を避けようと後ろに跳ぼうとするが、それは叶わなかった。


孫策の眼が大きく見開かれる。一瞬の間に納刀した一刀の足が彼女の足を踏みつけ、(とど)まらせていたのだ。


鈍い音と共に、安綱の柄が孫策の腹に打ち込まれた。それに間髪入れず、一刀は孫策を掴むと一気に投げ飛ばした。


一瞬の浮遊、落下。全身を打つ衝撃が彼女の視界を白く塗り潰し、次の瞬間には空の青を見上げさせていた。視界の瞬く間の変化に、一瞬と言えど意識が飛んでいた事に孫策は気付いた。


気付いてしまった。


(死線に立ったばかりの新参者に、ここまでやられた?)


莫迦な。有り得ない。


そんな否定の言葉が脳裏に浮かんでは消える。しかし、身体に残る投げられた痛みが、現実だと告げて続けていた。


孫策の眼に、冷たい刃の輝きが飛び込む。それは彼女の喉元に突き付けられた安綱が陽光を照り返したもの。


あと少し刃を突けば、孫策の命は失われる。目に見える死期の訪れに、彼女は身を委ねようとした。


しかし、一刀はそれ以上突き付けず、それどころか安綱を下げた。


「何してるんだ? 早く立ってくれ。決着が着けられないだろ」


「……どうして? あのまま突けば、孫伯符の頸が取れたのよ?」


「お互い様だろ。さっき俺を蹴り飛ばした時、アンタだって(とど)めを刺してこなかった」


ま、仕返しみたいなもんだよ、と一刀は淡々と続けた。


やられたからやり返す。まるで子供のような答えだが、それでいいのだろう。受けた借りは何であれ、返すものだ。


自分は弱い。だが、侮られてばかりでいてたまるか。


新参者には新参者なりの矜持があった。例え、これを汚す者が王であろうと簡単に許せはしない。


「こんな勝ちで、賊狩りの戦鬼の親だなんて誇れるか。俺はアイツが胸張って誇ってくれるような親になりたいんだ」


だから、と一刀は続け、


「この死合は、その為の第一歩だ」


不敵な笑みを浮かべ、言い放った。


孫策は一度ゆっくりと眼を閉じる。数秒後、開かれた彼女の瞳には、もう愉悦の色は消え去っていた。


孫策は立ち上がると一度だけ深呼吸をし、戦装束に付いた土を払った。そして、南海覇王を手に取ると、静かに構えた。


「……我が子の為に、ね」


天の御遣いなどと呼ばれ、甘い理想を抱く仲間を支える異邦人。


小さな戦鬼の義父親(ちちおや)


死線に来たばかりの新参者。


天の国の武人。


そして、(じぶん)を踏み台にすると宣言した男。


いいだろう、と孫策は胸中で呟く。彼を侮っていた事を認めよう。そして、それを切り捨てよう。眼前のこの武士は、自身の想いの丈を貫こうとしている。


それこそ、王を軽んじる発言をしても、だ。


北郷一刀が武士(サムライ)ならば、孫伯符は王だ。


なら、王として現実と不敬という罪科をその身に教えてくれよう。


「……北郷一刀」


厳かに彼の名を孫策は口にする。それが切っ掛けとなったのか、彼女の内より出でる覇気が揺らめくように滲みだしていく。


獣のような狂暴な色はそこに無く、淡く深く“覇”を唱える王の威風によって(いろど)られていた。


「武士が如何様なものかは知らぬが、貴殿が一武人(もののふ)として、短き月日の中において鍛錬を積み、手にしたその武は見事だ。

 だが、王に対しての不敬、無礼の数々、許し難し。その罪科、貴殿の頸を以て贖うが良い」


小覇王、孫伯符の言を聞き、覇気に()てられる一刀。しかし、不敵な笑みは消えない。


不敬?


――だから、どうした。


無礼?


――そんなもの、今更だ。


きっとあの子もそう思うに違いない、と一刀は思う。ならば、こう言ってやろう。



「不敬だろうが無礼だろうが、王が相手だろうが――――()()()()()()

 今やるべき事は、生き残る為の布石を手に入れる事なんでね」



ただ飄々と、淡々に。


それだけを告げ、武士は刀を構える。


「……はぁ。ちょっと、こっちがせっかく王らしく振舞ってるんだから、少しは合わせなさいよ」


「ああ、悪い。形式染みたのは、まだ勉強中でね。また今度にしてくれ」


どこまでも子と似たような事を言う一刀に、孫策は王としての風格を和らげ呆れる。そして、小鬼に触発されたのか、ふと鬼を自称する少女をも思い出した。


だから、だろうか。彼女は聞いてしまった。


「北郷は、斯くもなんたら~、とか言わないの?」


「それは鬼が言うものなんだよ。特に、本心隠してばかりいる素直じゃない鬼が、ね」


でも、まあいいか、と一刀は口の中で呟く。それに気付いたか、孫策はくっ、と小さく喉で笑った。


「それじゃ、再開だ」


「そうね、再開しましょうか」




「「――――斯くもメンドい殺し合いを」」




その言葉が口火となったか、武士と王は同時に剣戟を振るう。


二つの銀閃は折り重なるように衝突し、再び火花を散らす。散った火花の向こうに見える互いの双眸。そこに喜も怒も哀も楽も無かった。


勝利への一念、執念の色で染まりきっていた。


ただ、この手にある刃を以て眼前の敵を一刀(いっとう)に伏す為に。


振り上げ、振り下ろし、突き、薙ぐ。


只管(ひたすら)に両者はそれを繰り返す。刃が起こす剣風が幾度も肌を撫で、火花が肌をジリと小さく焦がしても、それすら無かったかのように。


十数合を超えた頃、いつしか剣戟の衝突によって生まれていた朱は消え、一瞬だけ咲く小さな真紅の花が姿を見せ始めた。


刹那の真紅の花は咲いた瞬間に散り、地に落ちて赤黒い染みを作って消える。宙に舞って落ちるか、戦装束を伝い滴るか、刃より滴り落ちるか――それだけの違いしか生まずに。


「はああああああ!!」


「でぇやああああ!!」


南海覇王の刃が一刀の肩を斬った。


安綱の刃が孫策の脇腹を斬った。


南海覇王の刃が一刀の頬を切った。


安綱の刃が孫策の足を斬った。


刃傷から流れる一刀の、孫策の血が地面に染み込み、小さいながらも血溜まりを作っていく。()しくもそれは粒の小さい砂で出来た足場を僅かなりとも固めていく結果となった。


足場が固まれば、踏み込みも強く出来る。振るわれる刃の速さも上がり、両者の傷は加速度的に増えていく。


宙に舞う血がかかり、血化粧で赤く彩られる。血のぬめりからくる不快感、負った傷の痛みに一刀は歯を食い縛り、崩れそうになる体と心を持たせていた。


一歩踏み込めば、足が軋む。刀を振れば、腕ごと何処かに飛んでいく気がする。


刹那でも気が緩めば、意識が断絶する確信が彼の中にあった。


初めて死線に来た新参者の割には、よくやったんじゃないか?


未熟な自分が、あの孫策に勝てる筈ないだろう?


もう楽になってもいいんじゃないか?


甘い言葉が頭を過り、(すが)りつきたくなる。


「……っ、ああああああああ!!」


その度に振り払うように吼えた。


何の為にここに来た?


何の為に刀を振るう?


何故、強くなりたかった?


自身に対するその答えだけが、彼の芯を支えていた。





――――――しかし、何事にも限界はある。





一歩踏み込んだ瞬間、一刀の足から力が抜けた。続くように体が崩れ落ち、地に倒れ伏した。転がった刀が彼の視界に入るが、一瞬だけこれが何なのか解らなかった。


全身が油の切れたブリキ人形のような状態だった。ギシギシと軋む音が痛みを伴って彼を襲い続けている。精神も棒きれよりも頼りないくらいに削れ切っていた。


(……何やってるんだよ)


立たなくちゃ。思考がぼやける中、体を動かそうとするが言う事を聞かない。指先がピクリと動くだけで終わった。


耳にザッ、と足音が聞こえた。首さえ動かない為、一刀は眼だけでその足音の主である孫策を見上げる。


「……ここまでね」


彼女の口から幕引きを告げられた。


(まだ、まだ終わってない)


そう言い返したいのに、彼の体はその意思に反してしまう。


「……新参者で、この孫伯符相手にここまで刃を交えられた。誇っていいわ」


(……違う)


「安心しなさい。翔刃は、私の名に懸けて面倒を見てあげる」


(……違うんだよ)


「劉備ちゃんや他の将達だって、呉の将として組み込めば袁術ちゃんだって簡単に手出しできない」


(それじゃ、ダメなんだ……)


一刀は手に力を込める。また指先だけが動いた。何度試みてもその結果に終わってしまう。


…………悔しい。


こんな終わり方なんて、悔しくて堪らない。


体は限界、精も根も尽きた。


なんでこんなとこで限界なんだ!?


まだ()だけは折れてないというのに!!




――――大丈夫だよ




ふいに我が子の声を思い出す。




『大丈夫だよ。主上は、負けない』


『どこからくるんだよ、その根拠は?』


『どこだろうね? なんか、なんとなく』


『うっわ、すごいぼやっとした答えだよ……』


『死にはしないよ、絶対に。というか、死んだら怒るよ?』


『死人を怒るなよ。いや、俺だって死にたくないけどさ』


『うん、しっかり生きて帰ってきてよ。僕は、まだお父さんと一緒にいたいから』




「…………俺だって、一緒にいたいよ」


気付けば、記憶の中の劉焔に自然に答えていた。それが聞こえたか、孫策は怪訝な表情を浮かべていた。


一緒にいたい。一緒にいてやりたい。



――――生きる



その一念に魂を燃やす。


“限界”だなんて言葉は、投げ捨てる。体が自壊するかもしれない恐怖があるが、動かない腕を必死に伸ばした。


ギシギシ、と軋むどころかブチブチ、と筋肉が切れたような感覚がする。それでも安綱の柄まで伸ばし、掴んだ。


限界によって壊された武士として自分の欠片を集め、繋ぐ。もし、それが目に見えたなら、それはきっとみすぼらしく見えるかもしれない。


けれど、これで立ち上がれる。


四肢に力を込め直す。ボタボタ、と傷口から血が流れ出した。


零れそうになる呻きを口の中に押し留め、一刀は立ち上がった。


「……待たせちゃったな。悪い」


かすれ、ほとんど呟くような声音で彼は謝った。その彼の姿は、どう見てもひどいものだった。手に持つ刀をだらりと提げ、重心が定まってないのか頭がゆらゆらと小さく揺れている。そんな死に体の一歩手前の様相で立ち上がれた事にも驚いたが、眼光に灯った戦意が妖しく明滅していた。


やはり、彼は限界なのだ、と孫策は思った。一歩歩けば――いや、指先を少し動かしただけで倒れるのではないか、思わせる程に。


しかし、明滅する彼の戦意は、それを繰り返す度に灯る光が強くなっていく。吹けば消えるような蝋燭(ろうそく)の火が、段々と松明(たいまつ)へと変貌するかのようだ。


(松明で終われば良い方なのかもね)


彼の眼光に、どこかざわつく感覚を孫策は感じていた。元々、彼女が持つ天性の勘は凄まじい精度で何某(なにがし)かの予兆を知らせる。だが、それに加えて孫伯符自身の経験が原因不明のざわつきで以て警鐘を鳴らしている。いや、原因は解っているのだった。


何にしろ、彼を倒さねば話は進まないのだ。


孫策は治まらないざわつきを感じながらも南海覇王を振り上げる。


刃は一瞬の残光だけを残し、一刀の体を切り裂いた。


しかし、手応えが無い。肉を裂く感触も、骨を断つ感触がない。


(……避けた?)


まさか、と孫策は信じられなかった。一刀はもう立っているのがやっとだ。避けられる余力など無いはずだ。


「……っ、あああああ!」


半ばやけくそ染みた声をあげながら、今度は彼の頸を狙う。間違いなく、鈍色の閃光は彼の頸を通過した。


しかし、先と同様に手応えも無ければ、勿論、噴き出る筈の血さえ無い。


……おかしい。孫策は惑う。


一刀に余力は無い。対して自分には、まだ有ると言って差し支えない程度には残っている。そんな自分の一閃を彼は避けられる筈もなく、外すなど有り得ない。


有り得ない。


有り得ない。


有り得ない。


有り得ない。


心中で湧き上がる困惑を振り払うように、孫策は南海覇王を振り上げる。それに反し、剣を振れば振るほど困惑は増していく。


剣は確かに彼に届いている筈なのに、彼は何もなかったように変わらず立ち尽くしている。


困惑は彼女の剣から鋭さを鈍らせ、精彩さも奪っていく


「ああああああああっ!」


惑いを咆哮に混ぜながら、孫策は一刀の頭へと叩きつけるように斬撃を放つ。伝わってくる手応えは、砂地を抉るそれだけ。


「…………荒々しいな」


ぽつり、と一刀の呟きが耳に届き、孫策は思わず彼の顔を見た。


「――――――っ!?」


瞬間、孫策の芯が震え、彼女は一気に後ろへ跳んで一刀から距離を取った。


(違う……この男はあの子じゃない。親子かもしれないけど、血は繋がってない。だから、()()だって有り得ない)


動揺を抑えこみ、孫策はもう一度見る。やはり死に体の一刀だ。今にも倒れそうな彼のままだ。それにどこか安堵してた。


一刀は深く息を吸い、吐く。一定の拍子で繰り返す事で、体内に活力を満たしていく。


一刀の持つ安綱の切っ先が上がる。


ゆっくりと。だが、しっかりと。


そして、ぐらりと揺れそうになっている体がぴたりと止まった。


はっきりとしない視界が像の輪郭を明確にし、一刀は孫策を見遣る。惑う彼女の表情から、一刀は賭けが成功していた事に他人事のように気付いた。


正直言って、出来るとは思っていなかった。教えてもらった訳ではなく、()()()()だけ見ただけなのだから。


(やっぱ、朔に助けられてばっかりだなぁ)


まだぼんやりとしている思考でそんな事を思いながら、彼の足は孫策(まえ)へと進んだ。どうも感覚がマヒしているのか、激痛さえ大人しくしているように感じる。


丁度いい、と一刀は更に一歩踏み出す。二歩目には駆け――消えた。


一刀の消失に孫策は一瞬だけ惑いを強め、天性の勘が示す頭上を見た。


そこには高々と跳躍し、安綱を振り上げた一刀の姿がある。そして、銀閃を宙に刻むように刃を振り下ろした。


奥歯を噛みしめ、孫策はその斬撃を防ぐ。伝わってくる予想以上の威力に思わず舌打ちが零れた。


真の神速の動きに攻撃。反董卓連合戦で周倉を相手にした時、孫策はそれを体感した。勘が知らせるよりも速く、知覚するよりも(はや)い攻撃に命を失いかけたが、その経験が功を奏したらしい。


(といっても、北郷を相手に役立つとは思わなったわ)


死に体が見せる一撃に彼女の背には、冷たいものが流れていた。


一刀は着地と同時に踏み込む。そして、左から右へ横一文字に刃を振るった。それが孫策に避けられると、そのまま旋回するように勢いを利用し蹴りを叩き込んだ。


硬質な音が両者の耳へと届く。一刀の蹴りは南海覇王によって阻まれ、弾かれた。そこへまだ終わらないとばかりに、一刀のもう片方の足から二撃目の蹴りが叩き込まれた。


間断を置かない蹴撃の威力に負け、孫策は蹈鞴(たたら)を踏まされた。その隙を逃せる筈もなく、一刀は強く踏み込み高速の突きを放つ。しかし、刃は避けられ、孫策の顔の横の空間を穿つに終わった。


鈍色の刃が陽光を反射し、彼女の端正な美貌を照らす。そして、その美貌ごと命を刈ろうと迫った。剣閃を屈む事によって紙一重で避ける孫策だが、息を呑む暇なくまたも一刀の蹴りが彼女を襲った。


寸での所で南海覇王を間に挿しこむ事で直撃を免れたが、結果、ゴロゴロと地を転がされる破目(はめ)()った。


蹴りの反動を利用して孫策から距離を取った一刀は、片手を何かを振り払うようにした。


同時に、極小の閃きが4つ、空を飛ぶ。


孫策は南海覇王で一気に全て斬り払うと、地に落ちたソレを見た。


「……投げヒ首」


呟きながら、孫策は自分の頬がひくつくのを感じた。暗器まで使うとは、天の御遣いと呼ばれておきながら、えげつないと彼女は思う。加えて、だ。盾にした剣を4度蹴り飛ばしておきながら、当の本人は平然としている。しかも、硬い音をたてて。


「ねえ、北郷。何か、変なの履いてない?」


「……ああ、履いてるよ」


浮かんでいた疑問を孫策がぶつけると、一刀はあっさりと肯定した。まだ頭がぼんやりしているのかもしれないが、どちらしろ彼なら答えた気がする。


一刀が袴を摘み上げると、汚れているものの金属特有の光沢が見え、それは彼の膝から爪先まで包んでいるようだった。


「グリーブっていうんだ。ちょっと重いけど、まあ使い勝手はいいよ」


剣だって蹴れるし、と彼は何て事のないように言う。実際には、両足合わせても決して軽くない重量がある。死に体のその体で、そんなものを履いて尚加速するなど異常ではないか。


「…………ねえ、貴方、本当に北郷一刀なの?」


感じた異常さ故か、孫策の口から零れたのはまたも疑問。


二度目になるその問いに、一刀は眉を顰めた。何故、今になってまたそんな事を聞くのか理解出来なかった。


孫策との面識は薄い。けれど、当時と今での差異など彼にとって然程(さほど)無いのだ。ただ、『天の御遣い』であるか、『武士』であるか。その違いしかない。


「俺は、正真正銘、北郷一刀だよ」


だから、肯定する。


『天の御遣い』だろうと『武士』だろうと、その根幹にあるのは間違いなく『北郷一刀』という人間だ。


甘い幻想(りそう)を追っていて、お人好しと言われ、親バカとまで言われる北郷一刀だ。


「そして……貴女は孫策伯符だ」


「ええ、そうよ」


「朔が倒れたって聞いて、心配してお見舞いに来てくれた孫策さんだ」


「…………」


「朔との約束を守ろうとしてくれた孫策さんだ」


穏やかな声音で紡がれたその言葉に、孫策は胸を深く抉られた。


「……がう」


「え?」


「違う! 私はそんなんじゃない。私をそんな良い人みたいに言わないで!! 孫家の――母さまの為に、呉の民の為に私は剣を手にしてきた! でも、母さまが死んだら殆どの諸侯は掌を返すように離れていった。私が――孫伯符が孫堅に遠く及ばないから……! そうでしょうね、現に袁術ちゃんなんかに良いように使われてるんだし」


激昂し、叫ぶように語る孫策は、次第に自身を嘲笑うようにその語気を沈めていく。


まるで、言葉の刃で自身を傷付けていくように。


「それでもね、続いてきた孫呉の血脈を守るために剣を取り続けた。敵を討った。何十、何百、何千、何万と……。周瑜と共に利用できるものも最大限利用してきた。

 劉備達なんか、とても丁度良かったわ。あんな莫迦みたいに真っ直ぐで、人を裏切る事を知らないような娘、戦場なんかいるべきじゃないのよ」


淡々と心中を吐露していく孫策の言葉に、一刀は静かに耳を傾けていた。ダメージ的には自分の方が酷い筈のなのに、彼女の方が今にも倒れそうになるくらい。



「そうだ、知ってる? 袁術ちゃんが徐州を攻める原因をつくったの、私なのよ」



彼女はひび割れた笑みを浮かべ、そう言った。


「反董卓連合の時、私達が動き易くなるように袁術軍の目を少しでも逸らしておきたかった。

 それに翔刃は最適だった。何と言ったって賊狩りの戦鬼だし、あの子の容姿はどうしたって目立つわ。袁術ちゃんと年が近いから興味を持つ可能性は高かった。そして、狙いは見事過ぎるくらい的中。……いえ、的中し過ぎたから、今こうやって戦ってるのよね」


言葉が発せられる度に、自嘲の色は益々その濃さを増していく。


策に溺れたのだ。自身を嘲笑いたくもなる。


袁術が劉焔を一目で気に入り、欲したのはこの目で見ていた。恋に落ちたかのような輝きを瞳に表していたのだから、その効果は確信以上だった。


誤算だったのは、袁術が戦を起こし、大勢の兵の(いのち)を対価にしたとしても、かの少年を欲していた、という事だった。


そんな事をすれば、尚の事、劉焔翔刃は離れ、その命を喰らおうとするだろう事は勧誘した時点で明白だったというのに。


そして、今回の戦火の種を撒いたのは、孫策(じぶん)である事も明白だった。


そんな自分が、どの口でなんとかするなどと言えたものだろうか?


言える筈もない。


戦上手、江東の麒麟児、小覇王と持て(はや)されようと――――その実、子供との約束さえ守れない王なのだ。


家族を人質にされ、孫呉の血を守るため等と言いながら、その内にあるのはもう失いたくないという感情。それを言い訳に徐州を――劉備を攻めた。


この身は王だ、と言いながら、王である資格など()うに無くしていたのだった。


「…………言いたい事は、それで終わりなのか?」


静かに、一刀は問う。


そうだ、と孫策は頷く。


決壊しかけている自分に、あとたった一言告げてくれればいい。


――お前のせいだ。


その一言でいい。


情の深い劉備を始めとした貴方達の敵として、この孫伯符を認識しろ。


「…………そっか。そういう事があったのか」


その一言で、孫伯符(わたし)は――――――



「だったら、尚更、朔との約束を守ってもらうぞ」



――――え?


その言葉に、孫策は耳を疑った。


自分を糾弾する口実を教えたのに、何故そんな事が言える!?


「俺は言ったぞ? 朔との約束を守る気はあるか、って」


彼は言う。叫ぶように、吼えるように。


「守る気があったなら、守りたいと思う気持ちがまだアンタの中にあるなら、俺達はそれに応えてみせる! 勝手に自分で自分を見限るな! 勝手に俺達の事を簡単に安く見るな!」


そして、安綱の切っ先を孫策へと向ける。


「今回の戦争の原因がそっちにあったっていうなら、とっとと終わらせてやる。絶対手伝ってもらうからな!」


言葉と共に、一刀は疾駆する。


その身を風とし、孫策に迫る。速度は先よりも速く、鋭い。鈍色の閃光は止まない豪雨の如く彼女に振りかかった。


一太刀毎に加速していく剣閃。そして、増していく威力。


北郷一刀の全霊を込めた斬撃は、自身の心を傷つけていた孫策の芯へと響いていく。


お人好しにも程がある、と孫策は思う。原因である自分を責めもせず、あろうことか救おうとしているのか?


解らない。


何故、こんな人がこんな戦場(ところ)にいるのだろうか?


こんな戦場(ところ)に居てはダメだ。


死線などに居ずに、遠いどこかで誰かを笑顔にして、共に笑っていたらいいだろうに。


けれど、彼は死線(ここ)にいて、剣を振るっている。


そして、知っている。


彼の(まな)()しは、いつか見た少年の眼差しと同じだった。


後に託せる者がいるからこその全力を振るう自分を、嫌いだと言ったあの少年のそれに。


(ホント……似た者親子だ)


迫る斬撃を弾くと、ねえ、と孫策は呼びかける。


「賭けの景品、私の分まだ決めてなかったわよね?」


その言葉に一刀は眉を顰めるが、頷いて促した。


「私が勝ったら、貴方達親子をもらうわ」


「……は?」


「だから、北郷と翔刃には孫呉の為に生きてもらうわ。そうね……孫家に天の御遣いとそれを守護する戦鬼の(たね)を落としてもらいましょ」


「……えっと、本気?」


「ええ、本気よ。だって、貴方達を気に入っちゃったんですもの。

 それに――――」


「天の御遣いと賊狩りの戦鬼の血を入れれば箔がつく、ってとこかな」


ご名答、と孫策は残る片袖を切ると、そのまま手を南海覇王の柄に縛って離れないようにした。


「これは……負けられない理由が増えたよ」


苦笑し、一刀は安綱を納刀する。


「朔にお嫁さんは、まだ早いからね」


「あら、北郷もお嫁さんを貰うのよ」


「悪いけど、朔の母親になるなら、あいつが認めた相手じゃないとね」


「安心しなさい。皆、綺麗で可愛い子ばかりだから」


「それでもだよ」


一刀は腰を落として、重心を低く構える。


孫策には解った。彼が次の一刀(いっとう)で決着をつけようとしているのだと。


だから、孫策も構える。


一刀は全力で向かってくる。こちらも全力で迎え撃たねば、勝利が味気ないものに終わってしまうような気がした。


音が消える。


両者の耳に戦場の怒号も悲鳴も、剣戟が響かせる金属音も届かなくなった。


ただ、勝利を得んが為に不要な全てを集中力で削除する。


見えるのは、敵の姿のみ。


死に体の武士と傷だらけの王さま。


どちらともなく、口角を吊りあげ――――



――――同時に動いた。



生み出された二つの銀閃が衝突。神速の一閃は甲高い音をたて、尚も敵を喰らおうと突き進んでいく。


「あああああああっ!!」


「はああああああっ!!」


獣のように()え、更に力を込める。筋肉が軋もうが、骨がひび割れようが、この一太刀はもう止められない。止めてなるものか。


「ちぃぃっ!」


一刀の口から苦悶が零れ、斬撃の勢いが軽くなる。


孫策はそれに勝利を確信する。元々、負傷具合や疲労度からいって彼の方がずっと深手を負っている。孫伯符相手にここまで喰らいついてきたのだ。賞賛を心から送っても良い。


けれど、ここで終わらせてやろう。


慈悲じみた思いを浮かべ、孫策は剣閃を押し返そうとし――――視てしまった。


「――――っ」


心臓が引き攣るような感覚が彼女を襲う。


あれは見間違いではなかったのか? そうだった筈だ。ならば、()()はどういう事だ? あの少年以外持つ筈がないものを、何故北郷一刀が持っている!?


「――――――――あ」


間の抜けたような声を孫策は零してしまった。


手にある筈の南海覇王が無かった。風切り音が頭上から聞こえた。目を向ければ、くるくると踊るように回りながら空へと昇っていく。


ほんの少しの――刹那の間だけの心の揺らぎが、孫策の剣を弾かせた。


武士(サムライ)の刀の切っ先が(ひるがえ)る。


繰り出すのは、タイ捨流の型の終結――袈裟斬り。


孫策の肩から胴へと斬線を追うように衝撃が襲う。肉を潰し、骨を砕き、彼女の内臓までも痛めつけた。


衝撃はそれに(とど)まらず、孫策の細い体を吹き飛ばす。砂地の地面を転がし、滑らせた。



剣戟の音が止む。



劉備、孫呉の兵が共に武器を振るう事もせずに、信じられない光景に棒立ちしていた。


王が負けた。


江東の麒麟児と称される王、孫策伯符が破られた。


戦場の異様な静けさの中、武士は残心の構えを解き、斬り伏せた紅衣の王を前に天へと高らかに宣言した。





「江東の小覇王、孫策。劉備軍が武士、北郷一刀が討ちとったーー!」










半年……なんと一年の半分も更新していなかった事になりますね。申し訳ありません。


どうにもこうにもテンションが上がらないもので……。


お詫びというのもなんですが、何かリクエストがあれば教えてください。


ただし、徐州防衛線が終わった後の日常編で登場できるキャラ限定での希望エピソードでお願いします。まあ、来ない可能性大である事は重々承知してますので、その時は予定している話を載せます。


制限は設けませんが、応えられる限りは頑張りたいと思っています。


それでは、感想、批評、お待ちしております。


以下、よくあるおまけの風景







~~おまけ~~



孫策「だから、北郷と翔刃には孫呉の為に生きてもらうわ。そうね……孫家に天の御遣いとそれを守護する戦鬼の(たね)を落としてもらいましょ」


一刀「……えっと、本気?」


といった会話の同時刻





愛「っ! はああああああああ!!!!」


星「うぉ!? ど、どうした愛紗? 今の一撃で袁術軍の兵が数十人まとめて吹き飛ばしたぞ!?」


愛「……今、もの凄くイラッとした。通常の2倍くらいもの凄くイラッとした」


星「そ、そうか……(何故2回言った? 取り敢えず、障らぬ神に祟り無し、だ)」





雛「…………………………むぅ」


桃「ね、ねぇ、朱里ちゃん……雛里ちゃ――」


朱「桃香様、見ちゃダメです!!」


桃「で、でも、なんだか雛里ちゃんが急に怖く感じるんだよ!? ずっと寒気がするの! 怖いよぉ!!」


朱「耐えてください! そして、見なかっちゃふりをしてくだちゃい! 例え、雛里ちゃんが朔きゅんがいる方を見て黒い気的なもの出しちぇててみょ! 帽子を壊しちゃいそうなくらい握りしめててみょ! 私ちゃちは見ちぇないんでちゅ!!」


雛「…………………むぅぅぅぅ」




こんな会話があったとか無かったとか。


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