鬼と新天地5
またもや2ヶ月近くお待たせしてしまい、申し訳ありません。
今回は、携帯版では読みづらい箇所があるかと思います。ご了承くださいますよう、お願いします。
袁術の命により、兵隊は砂塵を巻き起こし前進する。
敵は田舎義勇軍からの成り上がり。片や、こちらは名家。その上、数も勝っている。勝利は袁術軍のものだと、銀色の華美な鎧を纏う彼らは一様に思う。
孫呉と軍旗を掲げていない部隊を除いて。
成り上がりという事は、その高みまで登って来たという事。つまりは、正真正銘の実力で太守という位まで登りつめて来たのが、劉備玄徳という英雄だ。
英雄と呼んだものの、劉備自身に取り立てて飛び抜けた才は無い。周りを囲む将達と比べるまでもなく、武も智も数段劣る。傍から見れば、何故に彼女が有能な将達の上に立っているのか疑問に思ってしまう程に。
だが現実に、劉備は一軍を率いる代表として君臨している。
それは彼女が持つ仁徳の成せる業。一騎当千の将が、神算鬼謀の軍師が君主と仰ぎ、不惜身命の限りを尽くして仕えたい、と魅せられたから。
そして、彼女と同等にして異なる仁徳を持った人物――――天の御遣いという存在があった事もその一因だろう。
劉備と天の御遣いの仁徳は、正直を言えば戦場にあるべきでない、似つかわしくないものだ。
人は、彼らを非情になりきれない半端者と笑うだろう。
人は、彼らを夢見がちな愚か者と罵るだろう。
人は、彼らを現実から目を背けた逃避者と蔑むだろう。
しかし、そんな甘さが功を奏してきたのだ。
現に、彼らが抱く甘ったれた幻想を好んだ者達がいるのだ。いや、その内の独りは、“者”と言っては語弊があるだろうか。何故なら、彼は人という律から外れた存在であるのだから。
「さぁーって、お仕事を始めますか」
そして今、その存在は牙を剥く。
彼は力を溜めるように姿勢を低くし、次の瞬間には風を切り裂いて駆け出した。
それは放たれた漆黒に赤い矢羽の矢の如く。しかし、その勢いは一矢一殺では済まない。
異形の双眸から放たれる眼光は鏃よりも鋭く、敵軍の一角へと翔ぶ。
――――――鮮やかな赤で彩られた『孫』の牙門旗を掲げた、そこへ。
大気を震わせ、響く轟音。砂塵が上がり、濛々と天に向かって伸びていく。
それは軍を率いて先人に立っていた孫策の耳にも届いた。それが、地面が砕かれた音だとも同時に認識させられた。
いや、届かない筈がなかった。
認識出来ない筈がなかった。
それは、彼女の“すぐ目の前で”起こったのだから。
孫策は後ろにいる兵達が声を失って固まっているのが見なくても解った。実のところ、一緒になって声を失いかけていた。そうならずに止まれたのは、彼女の持つ天性の勘に因るところが大きい。
そして、
「相変わらずデタラメなのね、君は」
「……厄介の次はデタラメ、ね。アンタらに僕がどう認識されてるか、よ~く解ったよ」
地面を砕いた張本人を知っていた事だろう。
舞い上がった砂塵の中から姿を見せたのは、独りの子供。
腰に双剣を佩き、漆黒の戦装束に真紅の鬼兜。
「ぞ、賊狩りのせ、戦鬼……」
その姿に誰かが声を震わせて呟き、呉の兵達は思わず息を呑んだ。
彼の戦鬼は御遣いに仇なす賊を許さず、彼と彼を慕う民を守る為ならば千の賊にも恐れず立ち向かい、その力を振るう。
彼らはそれが真実だと知っている。反董卓連合においての実力を見た。先の甘寧との攻防で、それがただの噂ではないと理解させられた。
そして、徐州へと攻め込んでいる自分達は、あの戦鬼に主に仇なす賊だと判断された。
小さな鬼の爪牙が襲い来る。その現実に身を震わせた。
「――――狼狽えるな!!」
孫策は声を張り上げ、兵達の震えを覇気で強制的に押さえ付けた。
戦鬼を前に、呉の王は前に歩を進める。
怯えも気負いも無く、悠然と向かっていく姿は彼らに力を与えた。
我らが王は戦鬼になど恐れない。ならば、仕える我らが怯えていて良い筈がある筈もない。
孫策の一喝と行動により、呉の兵達の恐怖は静まり、二本の足に力が戻る。
精兵が本来の姿を取り戻した事に、劉焔は面倒そうに頬を掻いた。
「お見事、とでも言っておくよ」
このまま落ちていてくれれば自分の仕事も楽になったのに。そう考えながら、劉焔は己が主とは違う、孫策の人を惹きつける力に感心しながらそう言った。
たった一声、たった数歩で落ち出していた士気を元に戻す。
溢れだす覇気に才気が混じり、王としての風格を顕わにしたその姿は、正しく『覇王』。
これが鎖に繋がれながらも、孫策が小覇王と呼ばれる所以なのかもしれない。
「まったく……これで鎖に繋がれてるって言うんだから、世の中ってのは儘ならないね」
「ホントね。でも、キミと戦えるのは不幸中の幸いかもしれないわ」
「僕は不幸だと確信してるよ」
相変わらずつれないわね、と零しながら、孫策は口元を歪めて笑みを形作る。手はゆっくりと剣へと伸び、南海覇王が鞘から引き抜かれた。
陽光に反射し輝く刃。その切っ先が劉焔へと向けられる。
「……さあ、始めましょ」
「血の気の多い事で……」
戦意を高めて告げてくる孫策に、劉焔は嘆息しながら双剣を引き抜いて構える。
両者は見合い、黙した。
言葉を語らず、自然と互いに一歩踏み出す。二歩目には地を蹴り、敵の命を狩らんと駆けた。
繰り出す干将と南海覇王。
ぶつかり合う鋼が甲高い硬質な音を打ち鳴らす。その音は何合も切り結ぶ度に凄惨なものへと変わっていった。ここが戦場だと、命を喰らい合う無情な地獄なのだと自覚させるように。
だと言うのに、孫策の顔には笑みが張り続けている。
これを勇猛と言おうが、異常と言おうが、なんだろうと構わないだろう。
敗北と死が同義であるこんな場所では――――
(――――考えるだけ無駄な行為なのかもね)
口の中でそう呟きながら、劉焔は孫策が振り下ろす一撃を交差させた双剣で受け止める。拮抗の様相を削り合う音が知らせる中、彼は愉悦が滲む孫策の笑みを冷やかな目で見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「…………約束」
ぼそり、と小さく呟いた一言に、孫策の笑みが消えた。変わるように表れたのは、感情の揺らぎ。そして、悔恨の表情。
なるほど、と劉焔は内心で独り言ちる。
「完全に割り切った訳じゃないんだ」
「…………割り切った筈なんだけどね」
孫策は後ろに跳んで、劉焔から距離をとった。
顔に表れていた悔恨の色を引っ込め、彼女は王としての自分を戻す。割り切った筈の感情の発露に、孫策は内心で溜息を零した。
結んだ同盟は、呉に生きる民の為だった。母、孫堅が築き上げた大地を取り返す為の布石。敵を減らし、味方を増やす一手に間違いは無い。
相手は格好の者達だった。その時点で最上の相手だった。
少しの対話に、少しの共闘で知りあって間もない他勢力との同盟に応じてしまう、愚かといっていい程にお人好しな彼ら。
そして、会ったばかりの自分に簡単に死ぬなと、命を軽く扱うなと怒る小さなお気に入り君。
その誰もが性格と反した高い武と智を備えている。
そんな彼らが孫呉と轡を並べるならば、難敵が立ち塞がろうと簡単には屈しない確信があった。もし、劉備達が先に落とされたのなら、盟友として彼女らを保護し取り込めれば孫呉の武は更に強大にする事が出来るだろうと打算もあった。
だが、それも今では意味は無い。
崩れ去った約束に価値は無い。
「悪いけど、孫呉の宿願……その為の礎になってもらうわ」
「礎? 人柱か人身御供の間違いでしょ」
生憎と僕は鬼なんだけどね、と劉焔は飄々とそう返し、双剣を鞘に納める。孫策は不審に思い、甘寧が無手での一撃をもらった事を思い出した。
超至近距離にまで間合いを侵略されては敵わない。甘寧の二の轍を踏まぬよう、孫策は警戒心を最大まで高めた。
警戒する孫策を他所に、劉焔はゆっくりと口を開く。
「さて、問題。約束を持ちかけられ、結んだ相手に裏切られた者達はどうしたらいいと思う?」
その問いは、言外と言うには聊か直球過ぎた。それが自分達の状況を物語っていると気付けない当事者はいないだろう。
「普通なら、敵対でしょうね。機を狙い、力を蓄えて報復してもいい。もしくは、他勢力と新たな同盟を組むなりなんなり勝手にすればいいわ」
「勝手に、ね……」
孫策の言葉を反芻し、劉焔は口角を吊り上げる。丁度良いと言わんばかりに。
「勝手に、って事は自分の都合で、好きなようになんでもしていいって事だよね?」
「それがどうしたの?」
「つまりは――――アンタの相手もしなくて言い訳だ」
言い終わるや否や、劉焔は姿を消す。それは孫策に先の周倉との戦いを想起させ、弾かれるように南海覇王を構えた。
どこから来る?
思考を巡らせ、視線を走らせる。
だが、彼女の警戒を他所に悲鳴が上がった。
孫策が目を向ければ、自身の精兵が宙を舞っていた。
劉焔の拳が鎧をものともせず突き刺さり、蹴りが薙いでいく。何度も、何度も繰り返し、人が雨のように落下していった。
孫策は気付く。あの小鬼は、もう孫伯符を見ていない。ただ、兵を削ぐ事だけしかするつもりはないのだと。
(素通り? 無視? ……やってくれるじゃない!!)
胸の内に広がる不快感が苛立ちを巻き起こす。孫策は駆けだすと、劉焔に南海覇王を叩きつけるように振り下ろした。
しかし、刃は劉焔の戦装束すら掠めなかった。彼は孫策の斬撃が迫るよりも速く、別の兵へと接近してその一撃を回避と同時に攻撃を行った。
傍から見れば、小鬼は小覇王に歯牙にも掛けない。戦闘中においては徹底した無視っぷりだった。
肩がわなわなと震え、南海覇王を握る手からギリ、と音が鳴った。不快感による苛立ちが身体の芯に種火を着け、血が熱く滾り始める。
「劉焔……翔刃ぁあああああああああ!!」
「そんなに叫ばなくても聞こえてるよ」
咆哮を上げ、孫策は刃を振り上げ肉迫する。その彼女に対して、劉焔は干将を投擲した。
孫策は南海覇王で迫る干将を弾き、次の一太刀を喰らわせようとした瞬間――――
「――――!?」
彼女の持つ天性の勘が、危機を知らせた。悪寒じみた電流が身体を走り、無理矢理に身体を横に反らさせた。身体が急制動に軋みを上げる中、孫策は自分の首があった空間を干将とよく似た白の刃――莫耶が貫いて行ったのを見た。
体勢を立て直した孫策の視界に、掠めて切れた淡い桜色がかった自身の髪が舞った。その向こうで、付けていた鋼糸で双剣を引き寄せた劉焔は気のない拍手をしていた。
「よく避けたね。それも勘ってやつなのさ? 大したもんだね」
「そっちこそ、二本目の剣が一本目の剣に隠れるように投げるって、どれだけ器用なのよ」
「その分、苦労してるんだよ」
そう答えて肩を竦めた劉焔は、双剣を一閃する。黒閃と白閃は飛来した二本の矢を斬り落とした。
「援軍か……」
目を向ければ、そこには『黄』の軍旗を掲げた部隊があり、その先頭に矢を番えた妙齢の女性がこちらを狙っていた。
ここまでかな、と口の中で呟くと劉焔は踵を返して走り出した。
戦鬼が一目散に後退した事に呆気にとられた孫呉。数拍の後、劉焔の追撃に掛かる。
そこで、事態は起こった。
「深追い、し過ぎたわね……」
苦々しく零す孫策の耳には、怒号と悲鳴が混じり合った叫喚が響いていた。
視界は砂塵で埋め尽くされて、無いと言っても過言ではないだろう。何せ、すぐ隣にいる黄蓋の顔もよく見えないのだ。
「やられましたな、策殿……」
「短絡的だった、そう言いたいんでしょ? 祭」
何の含みも込めず言う黄蓋に、孫策は半眼で言い返す。
孫策隊、そして援軍の黄蓋隊は後退した劉焔を追った。だが、その時点で気付くべきだった。劉焔が尋常ではない速さで動けるというのに、行軍速度の遅い軍隊で辛うじてでも追えていた事に。
そして、気付いた時には遅かった。追跡していた劉焔がその姿を突然消せば、地が爆ぜて砂塵が舞った。警戒する為にも足を止めるべきなのだが、勢いの乗った行軍がすぐに止まれる訳が無い。孫策達の部隊は砂塵の中へと突入していく。
砂塵の中に入った途端、その密度に目を細めた。視界をほとんど奪う密度の砂塵は、今度は兵達の冷静さを奪い、混乱を生みだした。そして、行軍速度が止まれるまで減速できたと思えば、地面に足を取られた。
いつのまにか、硬い地面から蹴りにくい砂の多い地面に変わっていた。突然の地面の変化は混乱に拍車をかける。前に進むにも、止まろうにも砂のせいで体勢が崩れやすくなっており、いくら足腰を強靭に鍛えていても、その突然の変化に対応出来る者は稀だろう。
案の定、孫呉の兵は慌ててしまい、転ぶ者もいれば将棋倒しに倒れ込む者も現れた。その影響は隊列に影響を与え、陣形を揺さぶるように崩していった。
「放てぇええええええ!!」
そして、追い打ちの一手がかかる。
敵の号令が聞こえ、孫策は顔を歪めた。
砂塵を突き抜け、風切り音と共に襲い来る矢の雨。それは孫呉の兵達を強かに撃ちつける。
視界を奪い、混乱しているところを突く。単純だが、効果のある策だ。
隊列を整えようにも、敵どころか味方の姿も見れない。いくら孫策が号令を掛けようが、銅鑼を鳴らしたとしても、今の兵達の耳に届く可能性は低い。
「それにしても、奴らは正気ですかな……」
「ほんとね、味方を殺す気なのかしら?」
自分達を覆う砂塵の帳は未だ晴れない。当然だ、まだ地面が爆ぜる音が聞こえるのだ。小鬼がせっせと地面を砕いているのが伝わってくる。
つまり、劉備軍は味方が“敵陣の真っ直中にいるにも関わらず”矢を斉射したのだ。
視界をほぼ奪われている孫策隊と黄蓋隊だが、奪っている当人がその敵陣の中にいる以上、劉焔とてその例に漏れる筈がない。それで尚、射ってきたのは彼への信頼の厚さか、単なる運任せか。
「如何する? 策殿。ここは一旦、尻尾でも逃げるべきかの?」
「んー……それはやめとくわ。もうすぐ、砂塵も晴れる気がするから」
「ふむ、それも勘ですか」
そうよ、と孫策が頷くと、示し合わせたように砂塵がゆっくりとその密度を薄くしていく。日光を遮る暗雲が晴れるかのように、視界が広がっていった。
「ふ~ん……これは予想してなかったわね」
砂塵が晴れたその先に居たのは、賊狩りの戦鬼ではなかった。関羽でも、張飛でも、趙雲でもない。
それどころか、一廉の武人でさえなかった。
その人物は、ここ大陸より東――日の本の國の衣装を纏っていた。白の『十文字』の家紋を入れた漆黒の半着に、薄墨色の武者袴。額には真紅の鉢金、両腕には漆黒の籠手、そして腰には一振りの刀を佩いている。
その戦装束は、普段の彼の服装とは真逆の色合いだった。どこか戦鬼と似せているのは、彼と近しい者であると示すが故か。
それとも、“今の自分は天の御遣いではない”とでも言う気なのか?
「どういうつもりなのかしら、御遣いさん?」
「見ての通りだよ。死線にやってきた」
孫策の問いに、天の御遣い――北郷一刀は恐れも惑いも無い声で淡々と答えた。
おかしい、と孫策は違和感を覚えた。会ったのは同盟の話を持ちかけた2度だけ。だが、その時の彼は、今目の前にいるような男だっただろうか。
劉備と並んでお人好しであり、反董卓連合での彼の閃きを聞いて、多少は頭の切れる男なのだと知った。だが、武では一兵卒程度の強さだろうと察しをつけていた。
そして、今現れた北郷一刀は、あの時の北郷一刀と同一人物なのだろうか。
あの時の彼の佇まいには鋭さが無かった筈だ。刃のように鋭い、武人としての覇気が。
「会わない内に随分と成長したじゃない」
「息子の成長が早いからな、親も負けてられないだろ」
「大変ね、お父さんは」
からかうような口調の孫策に、子が子だから尚更だよ、と一刀は肩を竦めた。戦場に不釣り合いな雰囲気を出し始めた一刀に、戦る気も無さそうに飄々としている劉焔が思い出される。やはり親子か、と孫策の口角は笑みをつくった。
「策殿、あれが噂の男か……?」
「ああ、祭は初見だったわね。彼が劉備と並び立つ大徳の一人、北郷一刀。天の御遣い……でいいのよね?」
「何故、疑問形なのかの?」
「――――だって、違い過ぎるんだもの」
孫策は目を細め、一刀を見遣る。それに一刀は正解だとでも言うように笑みを浮かべた。
「死線にやってきたのなら、北郷一刀はもう天の御遣いじゃない」
――――武士だ。
知らぬその呼称に孫策と黄蓋は眉を顰めた。
その存在は、自分達と同じ存在。
武勇を以て主君に仕え、戦場を駆ける者。
それを知らぬが故に、彼女らは同類の匂いを感じ取り、悟った。
「手を血で汚す覚悟が出来たんだ?」
「正直言って、まだ怖いよ。人を斬るのも、斬られるのも。だから、孫策さん達に比べたら俺の覚悟なんて、比べられたもんじゃないのかもしれない」
だけど、と一刀は言う。
「後ろで見ているだけの自分は、もうやめた」
一刀の手が左腰に佩いている刀の柄に添えられる。
それに黄蓋が反応し、即座に弓に矢を番えた。しかし、孫策が遮るように手で制する。
何をするのか、と黄蓋が抗議しようとするが、すぐにやめた。何せ、己が主の顔に愉悦が浮かんでいた。孫策を小さい頃から見て来た彼女だ、もう止められないのだと理解するのも早かった。
「殺り合う前に、聞いていい?」
「いいよ。何かな?」
「貴方達、本当にあの賭けに勝てると思ってるの?」
「それを聞くって事は俺達の声は届いてたんだな。そう思ってるからこその賭けだよ。まあ、ほとんど実力行使だけど」
「つまりは、もぎ取るってことね。嫌いじゃないけど……」
「乗るには分が悪過ぎるんだろ? だから、好きにしたらいいさ。こっちはそうしてる訳だしさ」
「……ほんと、この親にしてこの子あり、って事かしら。貴方、翔刃と似たような事言ってるわ」
「へぇ、そうなのか。……あの暴走っ子と似てるって言われると、複雑な気分だな」
そう困ったように言いながらも、その顔には確かな嬉しさが混じっている。微笑ましい姿なのだろうが、ここは戦場。似つかわしくない行いは控えるべきだろう。
一刀は、すぐに表情を引き締めた。
「今度はこっちからいいかな?」
「ええ、どうぞ」
「どうしたら、孫呉はこの賭けに乗ってくれる?」
その言葉に、孫策は耳を疑った。
この男はまだそんな事を言っているのか? 自分で分の悪い賭けだと言い切ったというのに。孫呉にまだそんな希望を抱いているのか。
「それは虫の良い話じゃない? 好きにしたらいいって言っておきながら、賭けに乗ってほしいなんて。こんな敵味方の状態で、今更持ちかける話じゃないわ」
「同盟は互いの利害の一致からのものだろ。俺たちは生き残る為に、孫呉は宿願を果たす為に敵を討つ。味方は多いに越した事は無い筈だ」
「前に私達が持ちかけた内容をなぞるように持ちかけられてもね……」
「だろうね。なら、もう一つ。……朔との約束を守る気はもうないのか?」
「…………っ」
「もし、まだ守る気があるなら……破ってしまった事で王の誇りに付いた汚名を少しでも雪ぎたいのなら、俺達と一騎討ちで戦ってくれ。そして――――」
――――俺が勝ったら、力を貸してくれ。
その一言は驚きを招き、そして理解できないものだった。
一騎討ち。
味方の助力もない、一個人同士での純粋な武の競い合いをこの男は希望した。
相手は誰だ?
それは、孫策伯符。
江東の虎、孫堅が一子。戦上手とも、江東の麒麟児とも呼ばれた自分を。
たかだか数カ月程の鍛錬で、この高みにまで来たと思っているのか。
ああ、それはなんて愚かだろうか。身の程知らずも甚だしいとしか言えない。
「それは、本気?」
「力不足で、分不相応な役目だってのは解ってるんだけど……やる気出さないとさ」
「どうしてよ? 負けるって、死ぬって解っていながら挑むなんておかしいじゃない」
理解できないとばかりに零す孫策の言葉に、一刀はゆっくりと穏やかに笑みを浮かべる。
「……おかしくていいよ。それに、親が子の期待を裏切る訳にいかない」
その笑み、その言葉で孫策の脳裏に小鬼の姿が過る。
その笑みはいつか見た、今もなお自分の中に焼きついている笑みにとても似ていて。
その言葉で、子が親を信じて任せたのだと解った。
「……いいでしょう。翔刃に免じて、受けて立ってあげる」
気付けば、了承していた。
黄蓋が了承に驚いているが、孫策の心境はいやに落ち着いていた。まるで、始めからこうするつもりだったかのように。
「策殿! 袁術の目が何処にあるか解らん状態で、そのような博打など受けてはならん!! 呉の宿願の成就が遠退いてもよろしいのか!?」
「大丈夫よ、祭。監視の目がある可能性を劉備の軍師が見落とす筈ないわ。だから、北郷だって持ちかけてきた……そうよね?」
「ああ、ご明察だよ」
一刀の答えと同時に、それ程遠くない場所で破砕音が響いた。見れば、そこには真紅の鬼兜に黒の戦装束を着た子供の姿がある。ただ、その手にあるのはいつもの双剣ではなかった。
自身の倍の長さもある長槍――張飛の武器である蛇矛を肩に担いでいた。
「へぇ……今度は張飛の得物を使ってるのね、翔刃ってば」
そう納得したように孫策が呟けば、遠くにいる小鬼が不敵に笑ったように見えた。
先の戦で、三国無双と称された呂布を相手に関羽の得物――青龍偃月刀を用いて一本取ったとも聞いていた。蛇矛を使っていたとしても、ありえない事ではないだろうと思った。
「実は、朔に孫呉の兵隊に紛れ込んだ袁術軍の兵士を倒してもらってたんだ」
「万単位の人の中から探し出すなど、いくらなんでも無理じゃろう!? いくら出来たとしても時間が足りぬ上に、敵軍であるお主達ならば尚の事解らぬ筈じゃ」
「朔が言うには、敵だからこそ解るんだってさ」
孫呉の兵を赤い石に例えて言おう。
赤い石は綺麗に縦横に並べられている。間隔さえも均等な幅で乱れがないのだが、おかしな箇所があった。赤しかない筈の中に、黒い石がぽつぽつとあったのだ。そこだけ色だけでなく、間隔もずれているのが如実に解る。
石と石の間隔は、兵の練度。陣形を描くのは兵達一人一人なのだ、隊列の乱れは戦に多大な影響を与えてしまう。一人が誤ってしまえば味方に悪影響を及ぼし、最悪、仲間にも自分にさえも死を招いてしまう事だろう。
だから、皆必死になる。生き残る為に、願いを叶える為に。
その中に異物と言える黒い石――練度の低い袁術軍の兵士が紛れ込めば、劉焔にとって一目瞭然らしいのだった。
「じゃが、新兵の可能性も考えられたであろう?」
「主君である王の部隊に、足手纏いになりやすい新兵を組み込むとは思いにくい。そういうのは後方に回すものでしょ」
「むぅ……。では、あそこに小鬼らしき姿があるという事は、監視の目を全て潰したという事かの?」
「そういう事だよ」
「ふ~ん……じゃあ、邪魔もされず君と戦える訳だ」
安心したわ、と零す孫策。
「私を無視してまでやったんですもの、それくらいはしてもらわなきゃね」
「じゃ、お手柔らかに頼むよ」
言葉は穏やかに、一刀は刀の鯉口を切る。
カチャリ、と音が鳴り、空気が一変した。
戦場の温度が急激に下がり、より鋭い気配が辺りを包みこんだ。
それを発したのは、北郷一刀。
もうそこには天の御遣いは、居ない。居るのは――――
「日の本が武士、北郷一刀」
「孫呉の王、孫伯符」
両者は名乗りを上げ、王と武士は剣戟を振るう。
実をいいますと、まだ執筆モチベーションが下がったままなんです。
このままでは、埒が明かないと判断し、一端ここで切ることにしました。もしかしたら、大幅な修正を入れるかもしれません。
ご容赦ください。