鬼と新天地3
……どうも、ホント―にお久しぶりです。
遅筆記録を更新してしまい、本当に申し訳ありません。
遅れに遅れた今回、最後の方がグダグダかもです。
劉焔は荊州に残り、情報収集に走っていた。しかし、孫策と会話をした日から、突然城内の警備が堅固なものになり、忍び込む事が出来なくなってしまっていた。
格段に上がる警備に仕方ないと気持ちを切り替え、劉焔はその城下町で民に流れる噂、兵が不意に零してしまう内部事情を集めていた。数日が過ぎ、集まった情報の大半は袁術の施政の不満、兵の練度の低さに新たに登用された将がいるといったところだ。
劉焔も新たに登用された礼青という将を調べたいのだが、城にも忍び込めない上に、袁術軍の兵もよく捉え切れていないようで、はっきりとしたことは解らなかった。
「どうしたもんかなー……」
食堂のテーブルに突っ伏しながら、劉焔は唸った。
もう少し確実な情報が欲しい身としては、もう一歩深く踏み込むのも吝かではない。しかし、不用意な一手で戦の導火線に火を点けるような真似はしたくない。
「愛紗に怒られたくないしなぁ……」
実際問題、これが一番気になっている。
「ボウズ、どうした? いやに唸ってるなぁ」
「ん? ああ、おっちゃんか」
思考が目付役の説教回避に移りかけていると、情報収集時によく利用する食堂の店主が注文していたラーメンを持ってきていた。
子供が何日も一人でいると外套で姿を隠していても、さすがに目立つ。しかも、宿代に食事代の蓄えもあるとすれば、下手なチンピラが狙ってくる可能性が高い。
そこで選んだのが、この店主が営む食堂も兼ねた宿なのだ。理由は単純、ずばりこの店主の風貌が怖いからだ。厳つい人相に頬には大きな傷があり、筋骨隆々で誰が見ても賊か狭にしか見えないような男だ。
そのせいか、料理の味は中々なのだが入り込みは決して多いとは言えない。来るのは彼の外見に反した人の良さを知っている人に袁術軍の兵士の一部くらいだ。
「いやね、調べたい事があるけど出来ない状況になっちゃって、どうしよっかなぁと」
「ああ、親父さんの手伝いか。よく出来たガキだねぇ、お前さんは」
突っ伏したまま劉焔が返すと、店主は腕を組んで唸った。
劉焔はこの店主に自分が父の手伝いで、荊州まで来たのだと伝えていた。これを聞いた店主は感心し、宿代を割引してくれたり、おかずを一品増やしてくれたりとサービスをしてくれた。まあ、嘘はついていないからいいか、と劉焔も厚意に甘えている。
「しっかし、最近のガキは大人顔負けだなぁ」
劉焔が「いただきます」と手を合わせていると、店主は劉焔の前の席に座ってそう零した。彼の呟きに劉焔が首を傾げていると、店主は徐に語りだす。
「なに、お前さんみたいに甲斐甲斐しく親父さんの手伝いしてる奴もいりゃ、うちの領主みたいにガキ丸出しでやりたい放題してる奴もいるってこった。それにガキでも将軍になって戦場で暴れ回ってやがる奴までいるそうだしな、この違いは何なんだって俺は思うのよ」
「ふ~ん」
「ははっ、ガキには興味ねえ話か。わりぃな」
「言いたい事は解ったからいいけどね。それと……」
劉焔はラーメンのスープを一口飲むと、
「期待を裏切るようで悪いけど、僕はやりたい放題やって暴れ回るガキだよ」
飄々と言って、視線を店の外に向けた。
そこには何台もの荷車を引く袁術軍の兵士がいた。荷車には大きな箱が幾つも積まれ、荷車が揺れる度に聞こえる硬質な音は、劉焔にとって聞き慣れたものだ。
気が付けば、店主も眉を顰めていた。
「ボウズ……早くこの街から出た方がいいかもしんねぇぞ」
「戦が始まるからとか?」
「おっ、解ってんじゃねぇか。そういうこった」
「……そうだね、ここらが切り上げ時かな」
劉焔はラーメンを完食すると、代金をテーブルの上に置いた。
「それじゃ、おっちゃん、元気でね」
「お前さんもな」
じゃあ、と劉焔は踵を返して一歩踏み出すと、すぐに振り返った。
「そうそう、おっちゃん」
「なんでい?」
「袁術の栄華、あと少しで終わるから」
「? なんでそんな事が解るんだ?」
「さあ、なんでかな」
困惑する店主を他所に飄々と返すと、劉焔は荊州を後にした。
荊州を後にした劉焔は徐州への道中を直走っていた。途中、山賊の追い剥ぎに遭ったが拳で黙らせて追い払ったり、盗賊に恐喝に遭って蹴散らしたりもしたが、あとは順調に徐州の領内に辿り着いた。
しかし、それも領内に入った途端に終わってしまった。
察知した気配の方向を見れば、遠くに砂塵が濛々と上がっている。しかも、風に微かに血の臭いも混じっている。
「辞卑くして広きものは徒の来るなり……だっけ。厄介事が増えそうだよ」
面倒だと零しながら、劉焔は外套を被り直すと砂塵が上がる方へと走り出した。すると、すぐに徐州領内の目と鼻の先にボロボロの軍隊が騎馬を駆け、こちらへと全速力で向かって来ている。その後ろにはもう一つの部隊が前の部隊を追い立てていた。
明らかに戦争があり、逃走中の敗残部隊と止めを刺さんとする勝者の構図だ。
そして、予想通り面倒な事に、敗残部隊の将が公孫賛であり、勝者の部隊が袁紹軍だった。
公孫賛軍は見た限り、確実に徐州へと向かっている。恐らく、親友である劉備に保護を求める為に来たのだろう。
袁術との戦争が起こるだろう現在、劉備軍に強引に物量で押し迫ってくる袁紹の相手までしていられる筈が無い。かといって、公孫賛を見捨てるような真似は夢見が悪い。
(それに、白蓮に何かあったら桃香様が悲しむよね)
仕方ないんだ、と言い訳がましく独り言ちると劉焔は肩を竦めた。そして、姿勢を低く構えると、公孫賛軍の後方――袁紹軍へと向かって駆けだす。
突然現れ、接近してくる劉焔に混乱する公孫賛軍だが、彼は知らんとばかりに加速。馬と馬、兵と兵の間を縫うように抜け、疾走する速度が十分に高まった瞬間、高々と跳躍して見せた。
外套を纏う劉焔を誰もが仰ぐように見上げ、言葉を失う。
上昇が終わり、降下が始まる。その勢いを利用し、劉焔は蹴撃を袁紹軍の前方の地面へと叩き込んだ。蹴撃は地面を砕き、砂塵を噴出させる。
袁紹軍は突然の襲撃に加え、砂塵に視界を遮られて混乱に陥る。前方に配置された兵は思わず足を止めてしまい、後ろに続く兵が次々に押し寄せて将棋倒しが起こってしまった。
出来上がった人垣を踏み越えて、劉焔は袁紹軍の後方の撹乱に向かう。砂塵が舞う中で双剣を抜くと、白と黒の刃を以てまた地面を破砕し、生じさせた土砂を浴びせるように飛ばした。
飛ばした土砂に泡を食った兵達は転ぶ者もいれば、転びかけて味方に自身の武器を刺さないように慌てている者もいた。その様子を視界の端で捉えつつ、混乱を治めようとしている騎馬部隊へとダメ押しにかかる。
劉焔は干将を振るい、馬の足を擦れ違いざまに斬りつけていく。斬られた馬は悲鳴を上げ、騎手を巻き込んでどんどん倒れていった。
「これで最後……っと!」
倒れかけている馬を蹴り飛ばし、混乱に拍車をかけて追走を不可能にした。
「そんじゃ、帰りますか」
砂塵の中に身を潜め呟くと、劉焔は戦場から姿を消した。
袁紹軍を足止めに成功した劉焔は、縮地を使ってすぐさま公孫賛軍を追っていた。そして、それ程時間がかからない内に彼女の軍はすぐに見つかる。
公孫賛軍は徐州の州境から然程遠くない位置で、小休止を取っていた。擦れ違う際にチラと見えてはいたが、敗戦に重ねて強行軍での逃亡だったのだろう、兵達の疲労は色濃い。一里でも歩けば、すぐにでも倒れてしまうのではないかと思わせる程だ。
しかも、ゆっくりと正面から近づいているのだが、誰も劉焔の存在に気付かない。気付けていない。恐らく、周囲に斥候も出ていないのだろう。それは、それ程までに余裕も体力も失われている事の証左だった。
「酷く疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
「……は? あっ、あなたは!?」
外套のフードを脱ぎ、一番近くの兵士に聞く。兵士や彼の近くにいた兵もやっと劉焔の存在に気付き、皆一様に表情を驚きに変えた。
「りゅ、劉焔将軍!! どうしてここに!?」
「も、もしかして、劉備様の軍が俺達を助けに来てくれたんじゃ!?」
「そうだよ! 現に袁紹軍の奴らが追って来ない! 俺達、助かったんだ!!」
そんな希望的観測を誰かが呟いた。それは瞬く間に次々と伝播していき、多少なりとも彼らに活力を起こしていた。
そこに真実を告げるのは劉焔とて心苦しい。希望が湧いた瞬間に挫くなど、とても残酷な行為に他ならない。
「落ち着け、お前達!!」
劉焔が真実を口にしようとした瞬間、一喝が兵士達を沈める。場に沈黙が広がる中、人垣が割れ、白い鎧を身に付けた見覚えのある少女がこちらへとやって来た。
「よう。久しぶりだな、朔」
「白蓮……」
手を振りながら公孫賛は挨拶する。その彼女の顔にも疲労が色濃く滲んでいた。白の鎧は血糊と砂に塗れ、見る限り純白な部分は無いほどに汚れている。
「ご健勝のようで何より……とは言えないか。手酷くやられたみたいだね」
「……ああ、麗羽に――袁紹の奴にやられたんだ」
悔しさを言葉の端に滲ませて、公孫賛は語る。
反董卓連合後、自身の領地に戻った公孫賛は戦後処理の為、内政に取りかかっていた。しかし、明くる日の事だ。袁紹から使者が訪れ、突然の宣戦布告を告げられた。驚きに気を取られている暇を与えず拍車を掛けるように、袁紹はその日から国境の城を次々と落としていく。
連合戦の影響による兵糧や兵力の不足、それに加えての宣戦布告と同時の侵略に、公孫賛は終始後手に回る事になる。抵抗と言う抵抗も出来ず、気付いた時には領土の半分を奪われ、遂には遼東の城を全て落とされてしまった。
成す術も無くした公孫賛は敗北を余儀なくされ、残った兵を纏めて最後の頼みの綱――友である劉備に保護を求める事にしたのだった。
「甘かった……。麗羽がそんな事する筈ないって思ってたんだが……」
「確かに甘いね。諸侯同士で機を虎視眈々と狙ってる情勢じゃ、あのクルクル虚栄太守?が欲出して攻め込むのなんて時間の問題でしょ。前の連合戦じゃ、アイツは利っていう利を手に出来なかったんだから」
「ホント、読みが浅かったよ……」
「まあ、安心しなよ」
「……何がだ?」
「白蓮に死相は出てないから」
さらっと言い切る劉焔に、公孫賛は苦く笑う。占いでいきなり安心しろと言われても、簡単には安心できないだろう。
「朔、そんなの視えるのか?」
「うん。でも、信じなくてもいいよ。所詮、占いだし」
「いや、信じるよ」
公孫賛は劉焔の頭に手を乗せ、
「賊狩りの戦鬼が言うんだ、間違いないだろ」
穏やかな笑みを見せた。
「さすがの甘さだね。まあ、そういう甘さが好きだから、僕もあの主に仕えている訳だし」
「ははっ。お前も十分甘いじゃないか。
敗走する私達を見かねて、単身突っ込んで助けてくれたんだろう?」
図星を突かれ、むっ、と思わず唸る劉焔。それを見た公孫賛もふっ、と、してやったりと口角を片方釣り上げた。
「助けてないよ、守っただけ。にしても、よく解ったね。僕が独りだって」
「これでも一応、太守だったんだぞ? 私は。それに、私達の軍に使者を送る余裕も無かったしな。救援にしては早すぎるし、その人数が独りだけってのは更におかしいからな」
言われて、そういうものか、と劉焔は納得してみる。単騎での応援をこなした経験からか、どうやら感覚がズレてきたらしい。きっとお人好しのせいだと責任を擦り付ける事にした。
「? どうかしたか?」
「いや、なんでもないよ」
いつの間にか顔に出ていたらしい。
「もう少しだけ休んだら、桃香様のいる彭城まで案内するよ」
「ああ、助かる」
「あっ、あと馬に乗せてくれると助かるんだけどさ」
「解った。用意させてみる」
「え?」
「は?」
何故か首を傾げる劉焔に、公孫賛も首を傾げる。何かおかしな点があったかと考えてみるが、無かったのではないかと二人は思った。
「馬、乗るんだよな?」
「うん、乗る」
「だよな。すぐ用意させるからな」
「あれ? 乗せてくれるんじゃないのさ?」
「いや、だから馬を……」
何か噛み合ってない。
おかしい、と公孫賛はもう一度考えてみる。馬に乗りたいのに用意すると言うと、首を傾げられる。もう一度ちゃんと確認しても、同じやり取りが発生した。
(まさかな……)
公孫賛の脳裏に冗談染みた予想が浮かんだ。しかし、すぐに有り得ないな、と否定する。なんせ相手は賊狩りの戦鬼。あの呂布と引き分ける程の武の持ち主が、そんな筈がないだろう。
公孫賛が頭の中で否定を繰り返していると、乾いた笑いを浮かべた。そんな彼女を劉焔はずっとキョトンと見ていた。
「どうかしたのさ?」
「いやさ、朔が馬に乗れないなんて莫迦みたいな事を考えてしまってさ」
「うん、そうだよ」
「…………えーと、今なんて?」
「僕、馬に乗れないよ」
案内役の劉焔は公孫賛の馬に相乗りさせてもらい、ゆらりゆられて城まで帰って来た。始終、公孫賛は遠い目をしていたが、そこは疲れているんだろうと気に構わずにおいた。
その後、公孫賛を一刀達がいる玉座に案内し、その間に彼女の兵士を城内の休める所まで誘導した。
「やっと帰って来たなぁ……」
劉焔が独り言ちながら歩を進めていると、前に困った顔をした月と妙に険しい顔をした詠がいた。何故か、自分を待ち構えていたような気がしてならない。思わず進行方向を反対に取る。
「待ちなさい」
一歩後ろに前進した瞬間、詠の制止の声がかかる。顔を引きつかせながら振り向けば、メイドがそれぞれ握力全開で劉焔の両肩を掴んだ。
「……どうして逃げるのよ?」
「虫の知らせで、そっちの方向には行かない方が良い気がした」
「そう……なんて勘の良い奴なの」
「…………」
「詠ちゃん……それ、暗に何かあるって言ってるよ。ほら、朔くんも絶句してるし」
思わず零した詠の呟きに絶句しつつ、劉焔が逃げようと一歩踏み出すと足が後ろにずり下がった。
「…………」
もう一歩踏み出してみる。同時にまた後ろにずり下がった。念の為、もう一回試せば、当然のようにずり下がる。
「放してほしいんだけどさ」
振り返り、半眼で訴えるが二人のメイドは変わらず、険しい顔と困った顔をして劉焔を離さない。
「ダメよ。アンタを逃がしたら、ボク達がどうなるか解ったもんじゃないもの」
「どういう事なのさ?」
「ごめんね。朔くんが帰ってきたら、すぐ捕まえてお風呂に入れるように言われてるの」
「いくら天然でお人好しって言っても、桃香はアンタの主でしょ。そんな汚い格好で顔を出させる訳にはいかないの」
そうだね、と劉焔は納得しつつ首を傾げた。風呂に入れ、というのは解った。しかし、『捕まえて』が付くのは、これ如何に?
「おチビ、カラスの行水って知ってる?」
「ふぇ?」
「お風呂に入ってもゆっくり洗わないで、すぐに出ちゃう事の例えだよ」
「つまり、アンタの入り方って事」
「へぇ、勉強になったよ。じゃね」
「自然な流れで逃げようとしない」
「うにゅぅ……」
再度逃走を図る劉焔の首元を、詠は猫っ掴みの要領で掴んだ。すかさず月も続くと、予想に反して腕をガッチリと極めてみせ、簡単に外せないようになっていた。
月なのに、月の筈なのにと思わずにいられない。
「月、そのやけに上手な捕まえ方はどうしたのさ?」
「千里さんの撃剣授業の一環でね、簡単な捕縛術も習ったんだよ」
劉焔の問いに月は、はにかんで可愛らしい笑みを見せる。劉焔もそっかー、と頷くが、その可愛らしさに反した技術の高さが恨めしい。
「あと、もう一個質問。なんだか、どこか必死な感じがするんだけどさ? 何かあったの?」
その問いに月と詠はビギリと固まった。それを切っ掛けに月は涙目を浮かべ、詠は体を震わせて遠くを見つめ出した。
明らかに図星を突いた事に気付き、劉焔は嫌な予感が強まってきた気がした。
「…………にばる」
「は?」
「カーニバルって言われたのよっ!!」
詠の叫びが耳にクリーンヒットし、鼓膜を強く震わせる。キーンとして、正直痛い。
「かーにばる?」
「そう! カーニバルよ!! アンタを捕まえて入浴させないと、リオでジャネイロでカーニバルな服をボク達が着せられちゃうのよ!!」
「李尾? 邪子? 禍似婆琉?」
パニックを通り越して半狂乱に突入しようとしている詠。劉焔が小首を傾げて聞いても、彼女の耳には中々届かない。
すると、涙目な月が教えてくれた。
「……千里さん、朔くんがいない間に旭ちゃんから天の国の衣装の話を聞いて、色々作っちゃったんだ。それで私達とか、朱里ちゃんに雛里ちゃんに着せてたんだけど……」
「なんだか、強制力があった印象を受けたんだけどさ……」
「それでね」
「あ、流すんだ……」
「それでね、どうしても着れない、着たくない服があったの。それを罰にされて以来、詠ちゃんは……」
「あの様だと……」
綺麗な髪を振り乱して「お母さーーん!!」と叫ぶ詠の姿に、どれだけ嫌なのか察せられる。しかし、同時にどんな衣装なのかと好奇心が鎌首をもたげてきた。
「因みにどんな感じなの?」
「え? う~ん……大きな鳥の羽みたいな冠に、同じような飾りが腰の辺りに立てて付けられてるね。あ、あと、あと……ね……」
急に俯き、顔を紅潮させる月は恥ずかしそうにモジモジしだした。その際に極められた劉焔の腕が小さくミシッといったのだが、彼女は気付かない。静かに小鬼は痛みに耐えながら答えを待つ。
「あ、あと、あと何っ……?」
「そ、その……だ、だからね」
「う、うん。早めに答えてくれると嬉しいな。き、聞こえない? ほら、ギリッとかミシッとかさ。すぐ近くから」
「やっぱり言えないっ!!」
「うなあぁぁぁああああああ!?」
軋む音がギリッからギギギッへと変わる。的確な拘束は完全に間接破壊へと至っていた。
半狂乱のメイドに、可愛らしく恥ずかしがりながら――本人の知らぬ間に――関節技をかけているメイド。そして、その被害を受けて痛みに喘ぐ小鬼。
何ぞ、この状況?
この言葉通りの状況が見事に完成していた。
だが、そんな状況にツッコミを入れてくれる者は誰も通らない。主も、将も、兵も、侍女部隊ですら影さえ見せない。
「もう……やめてほしいんだけどさ!」
自分の世界から戻ってこない月の帰還を待つのも限界に達し、劉焔は自分から腕の関節を外して拘束を解いた。
拘束していた月は関節が外れる生々しい音と感触に言葉を無くし、腰を抜かして顔を青くした。劉焔が関節を手際良く嵌め直すと、また生々しい音を聞かされた為か彼女は口元を押さえて、何かを必死に耐え始めた。
月がどうしてそんな状態に陥ったか解らない劉焔は、目を丸くしてメイド二人を見る。そして、ふと思った。
今なら逃げれると。
「……そしたら、禍似婆琉が見れるかな」
好奇心が満たされるなぁ、と思考が逸れた瞬間に、つい独り言を零した。
「――――させるかああ!」
禍似婆琉に反応したか、詠が半狂乱のまま劉焔に襲いかかる。そのタイミングは中々のもので、彼女の細い腕は小鬼の首を見事に捉え、徐庶仕込みの拘束術を遺憾なく発揮した。
何せ、偶然にも彼の頸動脈を綺麗に締め上げていたのだから。
血流が阻害され、脳に酸素が足りなくなる。
次第に劉焔の視界は黒く染まっていく。その中で、
(千里さんてば、けっこう鍛えたんですね)
徐庶の指導能力に感心して、気絶した。
玉座の間では、一刀に桃香を始めとした劉備軍の将が集まり、帰還した劉焔の報告に耳を傾けていた。
「報告は以上だよ…………」
そう締めくくり、劉焔は一刀達を見渡して頬を引き攣らせた。
何故、頬を引き攣らせたか。それは報告をしている彼を見て、全員が癒されているかのような蕩けた顔をしているからだ。それはもう、話を聞いていたかさえ怪しいレベルだった。
原因は、そんな彼の今の格好のせいだったりする。
頭には黄色い円形の帽子、水色のスモック、胸にはデフォルメされた鳥の刺繍がされ、『さく』と何故かひらがなで名前まで入れてある。とどめに、肩には小さなショルダーバッグ。
総じて、幼稚園児服と称される服装をしていた。幼い子が着る服だ、幼い劉焔が着て似合わない筈が無い。前のにゃんこパジャマの時もそうだが、今回も余りの似合いように和みに和んでしまったのだ。
それに不満なのは、当然で必然の事ながら被害者である。
詠による幸運的――劉焔にとっては不幸――な首絞めによって意識を刈り取られた劉焔は、気絶している間に風呂に入れられ、気が付いた時には幼稚園児服を着せられていた。すぐ隣で徐庶が満面の笑みを見せていた為、服は確実に彼女の仕業だと勘付いた。
因みに、
『や、やっぱり、子供でも付いてるのよね……』
『へぅ……そ、そうだね、男の子だもんね。と、とと、当然だよね』
『……ってことは、おチビが大きくなったら、ああ、あ、あれも――――』
『え、詠ちゃん!? ダメだよ、そこから先を考えちゃダメええええ!』
などという会話があったかどうかは……察してほしい。
閑話休題。
「前も言ったと思うんだけど、いっその事笑い飛ばしてくれた方が清々しいんだけどさ」
「笑い飛ばすなんてしないよ~」
「そうです。朔を笑い飛ばすなんて、そんな罰あたりな事などしない」
少しむくれる劉焔の言を劉備と関羽が否定。そして、力強く断言する。
「「むしろ、あやして愛でまくりたい!!」」
「僕は赤ちゃんじゃないんだけどさっ!?」
何故それを力込めてまで言うのか理解できない。自分がいない間に何かあったのかと怪訝な顔をするが、彼は知らない。
彼が心配するような事は特に無く、彼自身が意図せずして仲間の母性を――約1名は父性だが――いたく刺激しているだけなのだ。
そんな要らぬ心配をしている劉焔は、この場に連れてきた筈の人物がいない事に気付いた。
「そういや、白蓮は?」
「白蓮なら、今は部屋で休んでもらってるよ。俺達のところに来て大丈夫だって解ったら、張り詰めていたもの切れたんだと思う。今はぐっすり寝てるよ」
「……だろうね」
劉焔の眼――延いては、子供の眼から見ても公孫賛達の限界は近かったのだ。いや、もう疾うに超えていたのだろう。
そこをなんとか耐え、落ちのびようとも生きてここまで来たのだ。劉焔からすれば賞賛ものだ。
「それで、白蓮達はこれからどうするのさ? やっぱり、仲間になるのかな?」
「やっぱり、って朔くんってば、お見通しだったんだね。うん、もちろん白蓮ちゃんもこれから一緒に頑張っていく仲間だよ!」
嬉しそうに劉備は劉焔の予想を首肯した。経緯はどうあれ、大切な友人が無事で、これから共にいれる事に心から喜んでいるのが、とても伝わってくる。
助けを求める公孫賛を拒む理由など、劉備を始めとしたこの仲間達には無い。いや、あっても関係ないのだ。だから、どうしたとばかりに撥ね退けてでも、彼女らはきっと手を差し伸べ、掴んでみせるだろう。
現に大領主である袁術との戦争が頭を出し始めている。そんな状況下で、またも大領主の袁紹とまで矛を交えなければならないという危機的状況に陥る事は、弱小軍の劉備にとって明日は無いも同然だ。
それを理解していながらも、劉焔は公孫賛を守り、劉備の下まで連れて来た。そして、愚を犯した筈の彼を誰も叱らない。むしろ、よくやったと褒め称えた。
本当に変で、お人好しの集団。
心中で呆れに似た評価を付ける劉焔。そして、それが好ましくて共にいる自分も、やはり変わり者だという事実に何とも言えなくなった。
「話を戻すけど、袁術との戦は確実として……孫呉はどうする?」
劉焔の懸念事項に、皆一様に神妙な面持ちになる。
物量、兵数の両方で大きく優位に立つ袁術。彼女の傘下にある客将――孫呉の武力はどう言っても見過ごせない。
袁術よりも兵数などは少ないだろうが、戦上手の孫策に出て来られでもすれば、あちらの掌の上で踊らされる可能性が高い。たられば、などと希望的観測で語るにはリスクが高過ぎる相手だ。
「僕としては、同盟云々関係無く参戦すると思うよ」
「でもでも、孫策のお姉ちゃんは鈴々達が攻めなきゃ戦わないって言ってたのだ」
「そうだよ、孫策さんが約束を破る筈無いよ」
「いや、それはどうだろうな」
劉焔の考えに異を唱える張飛と劉備。それに返すように異を唱え返したのは、趙雲だった。
「確かに不可侵の同盟を交わした。しかし、あれは我らと孫策との密約だ。故に袁術は知る由も無く、知っていたとしても守る謂われも無い。あの武力を浪費する事はあっても、飾りにしておく愚は流石に犯さんだろう。
それに英雄とはいえ、今の孫呉は袁術の客将にすぎん。主従程の強制力は無くとも、出ざるおえんよう仕向けるだろうさ」
「まあ、最初から反抗できるくらいなら、客将なんて身分に甘んじるような人じゃないっすからね」
趙雲の言に周倉が同意した。
彼女の言に納得した部分があるからか、劉備も張飛もむぅ、と押し黙った。
では、どうするのか?
その判断をどう下すべきか、皆の視線が軍師二人に向けられる。
熟考していたのか、孔明は一瞬遅れてそれに気付く。鳳統に至っても同様で、視線に気付くとビクッと体を振るわせた。
「わ、私としては、朔くんの考え――孫呉が出てくる可能性が高いと思いましゅ!」
「うぅ、朱里ちゃんまで……」
「怖いのは袁術軍のような物量で押してくるのではなく、兵数が少なくとも孫呉の武力が紛れもなく高い事です。
兵数の多い袁術軍が壁役として私達の動きを抑え、その隙に孫呉の高い武力による一太刀を当てる。これは単純な例ですが、当たり所によっては致命的な一手になりかねません」
質と量。
互いの利点を組み合わせてぶつかられては、流石に苦戦は避けられない。必至といったところか。
その事実を再認識させられ、皆の表情に僅かなれど陰りがかかる。
「でもさ、これっていつもの事だよな」
「だね。僕らが不利な状況なんて、連合の時もそうだったし」
「そんで、そんな不利な状況を打ち破ってきたのが桃ちゃん達なんすよね。私なんて、おかげで過去に痛い目見たっすからねぇ」
だが、その中で能天気ともとれる発言をする者が3名いた。一刀、劉焔、周倉である。
確かに彼らの言う事は事実で、自身達が起こしてきた結果だ。苦境を越えて培ってきた自信も勿論ある。しかし、そう何度も上手くいくかどうか不安な面もあるのが事実だ。
そう安易な事ばかり考えてもいられない。
「今更悩んでたって状況は変わらないよ。
それに周りの餓虎なんかの餌にならない為にも、僕らが得なきゃいけないのは勝利という結果。そのひとつだだけだよ。弱々しく見えようと、この獣には鋭い爪と牙があるんだって世に知らしめなきゃいけない」
淡々と述べられた劉焔の言には、どこか含みを感じた。彼の言葉を噛み砕いて考え直すと、劉備達はその表情の陰りを一段階濃くなった。
「これも朔くんの言う通りなんです」
孔明は劉焔の言を肯定し、補足する。
将は一線級でも兵の質は決して高いとは言えない――それが劉備軍の実状。要は、徐州の州牧となろうが、一カ月と幾許かの月日で弱小の域から抜け出せる訳がないのだ。
徐州は、土地としては地理的にも商工的にも中々の土地。そんな土地を弱小軍が治めているのだ、格好の的だと諸侯は考えている事だろう。それでも安易に攻める動きを見せてこなかったのは、先の反董卓連合においての名将、飛将と打破して見せた武功が功を奏しているからだろう。
そして今回、動きを見せたのは袁術。言わずと知れた名家の出にして大領主の彼女が劉備を攻めると知れば、諸侯は餓虎の如く鼻を利かせ、劉備軍が劣勢となればその尻馬に乗るのだろう。あとは、袁術に取り入るなり奪うなりする事で自分の取り分を確保しようとするだろう。
「卑怯者共め……」
孔明の説明を聞いた関羽が吐き捨てるようにそう呟く。
卑怯者。確かにそうなのだろう。だが、乱世においては、これが常と言っても間違いではないだろう。理想、宿願、大望、野心、と言葉を変えようとそれを胸に抱えて戦場を歩む者は、いつか選択を迫られる。
非情と卑怯。
どちらか二つに一つ。
蔑まれ、誹りを受けるしかない選択を。
この選択を躊躇い、放棄や拒否した者は、餓虎の腹の中に消える事だろう。言葉通り、“弱肉強食”を実感しながら。
「……ですから、私達は袁術さんを素早く撃破し、隙は無いのだと示さなくてはいけません。でなければ、餓虎となった諸侯の餌食になりかねません」
でも、と結論を述べた鳳統は続け、
「今回は運が良かった面もあります」
その一言に劉備達は眼を丸くした。
「にゃー? 敵はいっぱいで孫策のお姉ちゃんまで出てくるのに、なんで運がいいのだ?」
張飛が口にした疑問は皆の疑問だった。明らかな状況不利に頭を抱えているというのに。
「……敵の正体は明らか。最悪の状況も不安要素も解っています。あとは、対処と仕掛けで私達が戦局の流れを掴みます。軍師の智望の見せ所です」
軍師モードの鳳統の強気発言に、劉備を始め劉焔まで思わず拍手する一行。
「それで、どんな策で袁術の度肝を抜いてやるんだ?」
一刀がどこか愉快そうに聞くと軍師二人は愛らしい笑みを見せ、
「「まず、何もしない事です」」
袁術よりも先に仲間の度肝を抜いた。
「悪いけど、もう一回言ってくれる?」
そう言葉を発したのは孫策だ。その美貌は声音と同じく、どこか苛立ちを押し隠しているように見える。
孫策は袁術の急な召喚により、彼女のいる居城を訪れた。そして、その城の玉座の間にて、城主である袁術と謁見していたのだが――――
「妾は徐州を落とし、小鬼を手に入れるのじゃ。孫策、そちも付いてくるがいい」
開口一番に徐州攻略を宣言した。
予想してもなかったが、ここまで直球で言ってくるとは思っていなかった。しかも、土地が狙いではなく、劉焔を狙っているときた。
(……な~んか、癪に障るわね)
よく解らない不快さと苛立ちを感じ、孫策は内心で首を傾げた。
「妾は戦鬼、劉焔翔刃が欲しい。その為に徐州を落とすのじゃ。異論は許さぬ」
「……あなた、本当に袁術ちゃん?」
再度の宣言に孫策は眉を顰めた。最後のいやに強気な言葉に違和感を覚えたのだ。いつもの袁術ならば腹立たしい物言いなれど、見た目に年相応な言動の色が混じる。しかし、今の袁術からはそれを感じない。数日の間で、こうも変わるものだろうか。
それに、と孫策は袁術の隣へと視線を向ける。
そこには秀麗であり冷酷な印象を持った導師がいる。彼女の視線に気付いたのだろう、導師は温度を感じさせない笑みを顔に張り付け一礼した。
「お初にお目に掛かります、孫策殿。私は于吉。つい先日から袁術殿に御厄介になり、軍師の真似事をしています」
ふっ、と笑うその顔は、普通ならば見惚れる程に端正な顔付きだ。しかし、見ているだけで、どこか嫌悪感を起こさせる。
「そう、せいぜい頑張んなさい」
「おやおや、つれない御方だ。ですが、そんな孫策様に要請があるのです」
于吉は口角を吊り上げ、言う。
「兵2万を率い、徐州攻略に参戦しなさい」
それは要請ではなく、もはや命令だった。
「随分と上から言うじゃない? 新しい軍師は」
「ええ、相手の弱みを握っているものですから」
「……どういう事?」
「妹君……孫尚香殿といいましたか。中々お転婆なお姫様だ」
「…………っ」
末の妹の名が于吉の口から零れ、孫策は苦虫を噛み潰したような表情をした。
末妹の孫尚香は袁術軍の監視下に置かれ、孫策とは遠く離れた地で暮らしている。連絡は頻繁ではないものの、息災だとは知っていた。それでも、袁術の一言で処遇が変わる可能性がある。両親を失い、妹まで失うのは正直……辛い。
「…………解ったわ、劉備と矛を交えましょう」
絞り出すように口にした言葉が、自身の心を苛む。無意識の内に歯をギリッと強く噛み締めていた。
(悪いわね、翔刃。嘘、つくことになっちゃったわ)
届かぬ謝罪を、孫策は心中で唱え続けた
前書きに続き、遅れに遅れて本当に申し訳ないです。
夏の暑さにやられ、書く気力が微塵も湧かないような状況でした。その原因の一つに仕事も入るのですが、なんにせよ言い訳ですね。
本当に申し訳ありませんでした。