鬼と新天地2
最近、書く度に内容が一刀くんの修行色が濃くなってるような気がします。願望だだ漏れですね。
今回、独自解釈等々がありますので、ご容赦を。
「ようやく徐州の生産高や産業の状況などが纏め終わりましたー!」
そう達成感がこもった声をあげたのは、孔明だった。そして、その言葉に劉備や一刀達は、またひとつ仕事を成し遂げた安堵に頬を緩ませた。
劉備達が徐州に来てからというもの、やる事は多かった。政務に治安、徴兵に練兵と当然の如く山のように積み重なる。まったく知らぬ土地故に仕方のない事だと無理やり割り切り、仕事に顔を引き攣らせながら処理にひた走ること一カ月。ここにきてやっと徐州の生産高、産業状況が纏め終わったところだ。
孔明の調べによると、この徐州という土地は平原よりも生産力が大幅に高く、鉄や銅といった鉱物が産出可能。人口が多く、交通の便も良い事から商業も盛んで、力を蓄えるには良い場所だと孔明のお墨付きをもらった。
しかし、豊かだという事は、そうでない者から見れば良い狙い所に他ならない。群雄割拠の時代へと変わりつつある今となっては、賊だけでなく隣の諸侯にも油断はできない。漢王朝が未だ続いているものの、多くの英傑を押さえ付けるには壊れかけた鎖か虫食いの縄のように頼りないものだ。いつ矛を向けてくるかなど解ったものではない。
そうなると、必要となってくるのは武力――軍備の拡張となる。他の諸侯へと攻め込んでいく気など劉備には毛頭ない。必要なのは街を守る力なのだ。その為にも徐州の民にも協力を願う必要がある。事情はどうあれ、家族の一員を戦場へと駆り出すのだ。理解が得られなければ、不満は太守である劉備を始めとした軍へと爆発するだろう。
では、どうすればいいか?
劉備軍きっての二大軍師が出した結論は厳しいものだった。
「内政をして国力を充実させつつ、軍備の増強を図るしかないかと」
最大の生産科目と最大の消費科目を同時に行う。二律背反とも言える命題を達成させなければならないという現実的に見ても苦しい策だ。
「……軍備とは即ち兵。兵というものは基本的に非生産階級ですから、兵を充実させれば、生産力が落ちるのは当然です」
「その両方の天秤を平らに保つ事こそ、富国強兵の理想かと」
そうはっきりと鳳統と孔明が告げた意味は、現時点でこれが最良であり、達成しなければならないという事に他ならない。
確かに難しい策だ、と一刀は思う。けれど、不思議とダメだなどと諦める心境にならない。難しいが、これは無理でも無茶でもない。
「……やってやれないことはない」
一刀の呟きを聞いたか、趙雲がクッと喉で笑う。彼女の笑みには、一刀同様に諦観の色は無い。
「そうですな、主よ。皆で力を合わせれば、理想は実現させる事が出来る。……私達はそう信じて、ここに居るのです」
「無理だ無茶だって諦めるような場面じゃない。あれこれ考えて雁字搦めになって、動けなくってちゃ意味が無いんだ。予想で動くよりも、行動を起こしてから考えよう」
一刀は言い切り、皆の顔をゆっくりと見渡す。やはり誰一人として、諦めているようなものはいない。
掲げた理想は、これ以上に遠く険しいもの。話し聞かせれば、笑い飛ばす人だっているようなものだ。
この問題を突破して見せなければ、実現させる事などそれこそ不可能だ。
よし、と意識を切り替え、次の仕事に移ろうとすると、一刀は劉備達が笑顔でこちらを見ているのに気づいた。何やら含みがありそうな笑みで、気になって仕様がない。
「俺の顔に何か付いてるか?」
「目と鼻と口っす」
「おい」
お決まりの返しを二文字で切り捨て、先を促す。
「なんだかご主人様、男らしくなったなぁ、って思ったの。うん、すっごくカッコ良くなったよ」
「そうかな? 自分ではそう思わないけどな」
「いえ、ご立派になられましたよ、ご主人様。立ち姿にどこか刃のように鋭い風格が滲み出ています。その覇気は、そこらの将に劣る事は無いでしょう」
手放しで褒めてくる劉備と関羽の言葉に、一刀はむず痒さを感じた。鍛錬で劉焔と管路は彼を褒める事はとても少ない。自分なりに出来たと思っても、二人にとっては及第点でまあまあという、褒めるには未だ至らない評価らしいのだ。
「ありがと。でも、ホントにそんな事ないと思うよ」
「なに、謙遜なさるな」
いつの間にか間合いを詰めていた趙雲は、言い終わるや否や一刀に向かって拳打を打ちこんだ。狙いは彼の顔面。彼女の拳はまっすぐ飛んでいき――
「ふむ……」
一刀の掌に吸い込まれるように受け止められた。
「いきなり何するんだよ、星」
「いえ、男っぷりが上がったようでしたので、少し確かめさせて頂きました。いやはや、拳とはいえ、この趙子竜の一打を慌てる事無く止めるとは……中々成長なされておられるようですな」
「先生が佳いからな。きっと上達が早いんだよ」
「今度、手合わせなど如何です?」
「はは。まだ星の相手は無理だよ。もうちょっと上達したら、こっちからお願いするよ」
「じゃあ、お兄ちゃん、鈴々とやるのだ! 鈴々と!」
「お鈴、お鈴。それだとせっちゃんより弱いって認めた事になるっすよ」
「にゃっ!? そんなことないのだ、星なんかに負けないのだ!!」
「ほう、言ったな鈴々。ならば、どちらが上か思い知らせてやろう」
なんだか解らない内に張飛と趙雲が火花を散らしだし、一刀は頭を抱えた。いつもはストッパー役の趙雲が暴れる側にいくと面倒極まりない。自分では止められないし、劉備や孔明達では無理なのは確定。周倉は端から止める気は無さそうだ。
となると、もう一人しかいないのだ。
「やめんか、莫迦共!!」
関羽の一喝に、張飛と趙雲は肩をビクリと震わせると渋々引き下がる。さすが委員長、と一刀は思った。
(ツンデレが抜けてるっすよ)
周倉が耳元で囁いてきた事は聞かなかった事にした。
「何を騒いでいたんだ?」
警邏から帰ってきたのか、華雄が怪訝な顔をして部屋に入ってきた。おそらく関羽の一喝が外まで聞こえていたのだろう。
「あ、おかえりっすよ~スグっち」
「ああ、今戻った」
「お疲れ、直葉。街の皆はどうだった?」
「いつも通りと言いたいところだが、間諜の数が大分減っていた。師匠がいたく気にしておられた」
「え……朔が?」
劉焔が気にしていた、と聞いて一刀はビギリと表情を凍らせた。見れば、華雄と一緒に警邏に行ったのに、劉焔の姿が何故か無い。もう嫌な予感しかしなかった。
「直葉、うちの子はどこ?」
「師匠なら間諜を追って行ったぞ」
華雄の明瞭簡潔な答えに、また暴走かよ、と一刀は泣きたくなった。ここしばらく彼が大人しくしていたからか、油断していたようだ。
さめざめとした気分になっていると、華雄が手紙を差し出してきた。またも嫌な予感がしつつ読んでみると
ちょっと出かけてきます。
朔
散歩気分かよ、と一刀は呆れつつ、手紙を丁寧に折ると決めた。
(朔が帰ってきたら、愛紗と千里と一緒に説教だな)
(なんで、寒気がするんでしょう?)
謎の寒気を感じつつ、劉焔は間諜を追って荊州までやって来ていた。
(荊州って言ったら、領主は袁術だっけ)
思い出すのは、反董卓連合で会った一人の少女。
背丈も小さく、その小柄な体躯に見合った幼さを持っていた。人の事は言えないが、そんな彼女があんな戦場にいるのは正直なところ場違いに思えた。子供だが、彼女は名家の人間にして大領主だ。連合発起人の袁紹との折り合い――正しくは利を得る為の腹の探り合いもあったのだろう。
そんな幼い時分から後ろ暗い闇を垣間見る羽目になったのは、不幸とも言える。
(にしても、名家が治める街にしては荒れてるような)
間諜を見逃さないようにしつつ、劉焔は袁術の治めている領地にそんな感想を抱いた。
人通りが少ない訳ではないが、かと言って多い訳でもない。建ち並ぶ商店を見れば、日中だというのにぽつぽつと閉まっている店もある。
それに、民の顔に活力が無かった。
劉焔は連合戦の折に袁術軍の装備を見ており、その質の高さから潤沢な資金があるのだと思っていた。
だが、それは民に重税を強いているからだと察した。
(為政者がこれじゃ、民の暮らしは楽にならないよ)
劉備の施政は彼女の気質もあって、民と手を取り合うような体裁を執っている。無理な強制はせず、それでも必要な場合は自身の言葉で理解してもらった上で協力してもらえるように懇願する。だからか、軍と民が互いを助け合うような形へ自然としてしまうのは劉備自身の徳が齎すものだろう。
民がいてこそ政は成り立つ。故に、不和は小さく済むように理解してもらい、最大限の配慮をしている。
しかし、袁術は違うようだ。
「一方的な強制に理解は無く、ただただ不和を生むばかり、ってね」
小さく呟くように独り言ち、劉焔は外套を被り直すと歩きだした。
「……なんだか妙ね」
孫策は酒瓶を片手に、視線を巡らしながら呟く。
孫呉は今、客将という身分に甘んじている。しかし、袁術にとっては、使い勝手の良い矛扱いだ。
それは彼女らにとって屈辱に他ならない。
江東の地は孫策の母、孫堅が治めてきた領土だ。その地を袁術に好き勝手されるのは、我慢ならない。その大地を取り返す、という宿願は孫呉の民一人一人のもの。
それを袁術も気付いており、警戒しているのだろう。その証拠に孫策達には一昼夜に渡って監視が付けられている。
しかし、孫策はその監視の数が日毎に経つにつれ、段々と減っているのに気付いた。
「戦でも起こるのかしら……ねえ、どう思う?」
口角を吊り上げ、孫策は一本の木に問い掛けた。
普通なら気が狂ったかと思うところだが、彼女の神懸かった勘は常識に囚われはしない。
「…………狙いは徐州だよ」
木――その裏から声が返ってくる。
聞き覚えのあるその声に、孫策は頬を緩める。そして、その木に寄り掛かるようにして座った。
「久しぶりね。私に会いに来てくれたの?」
「まさか。そこまで暇じゃないよ」
「……少しはお世辞というものを覚えたら?」
「さあね。その内、孔明にでも習っとくよ」
相変わらずの飄々淡々ぶりに孫策は嬉しく感じ、杯に酒を注ぐ。トクットクッ、と音に比例して杯に酒が満ちていく。口に含めば、喉から熱さが込み上げてくる。
「あー、おいしい。君も飲む?」
「いらない。お酒は二十歳になってからって言われてる」
「随分と遅いのね。おいしいのに、勿体ない」
「……僕、酔っ払いと話す口は持ってないんだけどさ?」
「はいはい。で、本題は何?」
注いだ酒を飲みつつ、孫策は先を促す。劉焔の溜息が聞こえても、次の酒を注ぐ手は止まらない。
「最近、僕らのいる徐州に間諜が増えてね。そいつを追ってきたら、こんなとこまで来ちゃったんだ」
「へぇ。だから、私達への監視の数が減ったのね。それじゃ、袁術ちゃんと一戦交える訳だ」
「かもね。そうなると、そっちはどうするのさ? 同盟は不可侵を条件に結んだもの。客将なら、利用される可能性は高いでしょ」
「どうかしらねぇ? 袁術ちゃん、莫迦だし」
当たり前の事のように孫策は言い、袁家だしなぁ、と劉焔もその言い分に納得してしまった。
何にしても彼女ら孫呉が攻めて来る可能性は消えない。それに劉焔が憂慮していると、孫策はグッと酒を飲んで言う。
「けどね、孫呉は約定を違える事はしない。戦場で矛を交える事になっても、孫伯符の名に誓って何とかしてみせるわ」
「ま、期待しないで戦わせてもらうよ」
「あはは、そこは信用してほしいわね」
孫策は小さく笑うと、劉焔の気配が完全に無くなったのに気付いた。
(もうちょっとくらい、ゆっくりしていってもいいのに)
気ままぶりも相変わらずね、と嘆息すると、孫策はぐっと杯をあおる。舌がぺろりと酒に濡れる桃色の唇を舐めた。
その様はどこか妖艶で、どこか虎のような獰猛さを感じさせる。
「有り難く、この機を利用させてもらうわよ」
劉焔が留守の為、一刀は鍛錬を独りでやろうと思っていたが、思わぬ人が先生役を買って出た。
「旭先生の特別授業っすよ~♪」
それが周倉だ。
一刀も彼女が関羽や張飛に引けを取らず、劉焔にも一目置かれているのを知っている。何せ、彼女は劉焔と同じく“鬼”と名乗る者だ。江東の麒麟児と称される戦上手、孫伯符相手を圧倒して見せたらしい。
だが、普段の周倉はそんな素振りをまったく見せない。それどころか、人前で鍛錬する姿さえ見せないという、少し秘密主義的な面があった。
そんな彼女が何を教えるというのだろうか? 一刀には見当もつかない。
「カズ兄、今日は錬功を覚えてもらうっすよ」
「錬功? えっと、氣の扱い方を教えてくれるって事か?」
「その通り。これを覚えれば、カズ兄の武は格段に進歩する事間違い無しっす」
あはー、と笑いながら周倉は右手の指を三本立ててみせる。
「覚えるのは二つ。“氣”と “勁”っす」
は?と一刀は顔いっぱいに疑問を露わにした。
氣の扱い方という話だから、氣はまだ解る。だが、勁が解らない。聞いた事はあるが、氣と似たようなもののイメージしか湧いてこない。
(二つに分けて言ったって事は、別物って事だよな。……まずい、全然解んない)
そのせいか、一刀の表情は怪訝なものへと変わった。しかし、周倉は気づかぬふりをして話を進めていく。
「まず、氣から説明するっす。氣は万物を構成する元素であると同時に、万物を動かす力だと考えられているっす。つまり、人間に動物、草花に限らず、剣や矛とか城にも宿っているって話っすね」
「じゃあ、俺の体にもあるし、世界中に溢れてるって事か」
「構成されてるって考えると、そうなるっす。想像しにくかったら、空気みたいにあるけど見えないものだって無理やり納得するっすよ」
強引だ、と一刀は口の中で呟きながら苦笑した。
「世界と比べるのもおかしな話っすけど、人間が保有、発生する量は少ないっす。そこで、余りある世界の氣を利用しようと考えた結果に生み出されたのが、氣の運用法っすね」
その運用法の例を挙げれば、『行気』という修行方法がある。これは特殊な呼吸法により世界に満ちている氣を取り込み、不老不死を図るものだ。
似たようなものがあり、身体に必要な良い氣を外から体内に入れ、身体に合わない悪い氣を体外に排出させるなど氣の積極的な交換を行う外気功がある。他にも、体内に氣を循環させ氣の質やコントロールする能力を高める内気功がある。
他の分類には美容や病気の治癒も含めた健康面に関する気功を軟気功、護身術など相手を倒したりするものを硬気功が含まれる場合がある。
「で、次に一個目の勁っすけど、氣みたいに摩訶不思議なもんじゃないっす」
「? 違うのか?」
「全然違うっす。勁は運動量の事っす」
「……」
「無言!? 無言はやめてほしいっすよ!」
「いや、だってさぁ。氣の次に運動量って……」
「ぱっとしない?」
「うん!」
「あはー。先人に謝れ、この野郎……!!」
「ご、ごめんなさい……」
羲和の穂先を笑顔で顔面に突きつけられ、一刀は謝罪を即断。少し刺さったような気がしないでもない頬をさすりさすり、周倉に先を促した。
「まったく先人の功績を莫迦にするのは許さないっすよ」
「確かに失礼な発言だった。すまない」
「勁――まあ、発勁って言っちゃうすか。これは、発生させた運動量を作用させる事っす。因みに、接触面まで導く事を運勁、その所作を勁道って言うっす。簡単に言うと、まず発生させた勁を余す事無く伝えられるように経路である勁道を開いて、運勁で放ちたいとこまで持ってくんすよ」
まあ、口で言っても解り辛いから実演するっす、と周倉は言うなり一刀に寄り添うように近付いた。
劉備に関羽、趙雲といった綺麗どころ達と理想の実現に奔走してきたとはいえ、どうしたところで一刀も男だ。自身より少し年下の周倉が醸す少女特有の甘い匂いに、ドキッとさせられる。
心臓の音が高鳴るのを感じつつ、一刀は周倉の顔を覗くようにして見た。そこには少女ではなく、艶やかな一人の女の顔があった。そして、
「ちゃんと、防がないと痛いよ?」
周倉の言葉に思考が一瞬だけ止まっていたのに気付かされた。だが、その警告が来た時点で既に遅いのだ。一瞬より短い刹那の時間さえ思考を、動きを止めてはいけない。それは“油断”という愚行に他ならない。
その愚行を犯した一刀の腹部に衝撃が貫いた。勿論、比喩でしかない表現であるが、彼は言葉通り槍や剣で体を貫かれたように感じ、たった一撃で意識が途切れる寸前までやられてしまった。倒れなかったのは、もはや偶然にしか思えない。
だが、解ったことがある。
“勁”の実例。
超至近距離からの一撃。
「い、今の……」
「あはー。ご察しの通り、寸勁っすよ」
寸勁。
至近距離から相手に勁を作用させる技術。身体動作を小さくしての僅かな動作で高い威力を出す技法。
これを周倉は実演してみせた。
「今のはご察しの通り、最小限の動作で生み出した勁を拳に収束して打ち込んだんす。これの他にも、体重移動なんかで体を沈む時に働く力の沈墜勁。体が開く時に働く力の十字勁。体や手足を捻じった時に働く力の纏糸勁なんかがあるっすね」
「でも、それって剣術じゃないよな?」
「まあ、基本は無手で扱う武術ではあるっすけど。戦場では武器を扱うのが普通っすよね?」
「当たり前だろ」
「じゃあ、武器を無くしたらどうするんすか?」
「え……」
「武器がいくら頑丈でも刃毀れはするし、折れもする。それに弾かれてどこかに飛ばされるかもしんないっすよ? 戦場で武器を無くした武人に待つのは、死だけっすよ。
一芸特化も良いとは思うっすけど、生き残る為の手段は多い方がいいっす。だから、徒手格闘も覚えるべきっすね。それに力の使い方ってのは覚えておいて得はあっても損は無い。旭ちゃんはそう断言するっすよ」
そこまで言われると反論も思いつかない。戦場で武器を無くすよりも生き死にのイメージが先行してしまい、そんな考えに至った事もなかった。
ふと、戦場で武器を失った自分を想像してみる。この場合、失った武器は刀になるだろうか。
人を斬る。一人、二人、三人と。四人、五人と斬ったところで血糊が刃の鋭さが奪い、人骨を断った影響で刃毀れしてしまった。こうなっては切断ではなく鈍器のようなものだ。それでも叩きに叩きつけ、ついに刀は折れてしまう。
折れた刀に呆然とする自分。そこに敵の凶刃が迫る。次を避けても攻撃は治まる訳ではなく、矢が飛び、剣が掠め、とうとう槍衾に一斉に貫かれた。
「ダメだ……。やられる光景しか浮かばない」
自分でイメージした死に方に一刀は、げんなりとした。
武器を失った自分に、想像だけでここまで気落ちさせられるとは一刀は思わなかった。もう少し頑張れよ、と思わないでもないが想像できなかったという事は、ここまでの実力だと自認しているという事だろう。
妥当な判断に嫌になる。
「んじゃ、運動量の勁の重要さを解ってもらったところで。徒手格闘も並行してやってくすっよ」
周倉の言葉に一刀は深く頷く。
武器を得意とする武人から得物を取り上げてしまっては、その才は如何様にしても発揮されない。発揮できる方法が少ないが為に、自身の生存確率を下げるのは頂けない。
自分は死ぬ訳にはいかないのだ。仲間の為にも、家族の為にも。
「よっし、やるか!」
気合いを入れ、一刀は周倉との鍛錬を開始する。
そして、1分と経たない内に天の御遣いの悲鳴が城中に響き渡った。
袁術の居城、その一室で于吉は縦長の紙へ筆を走らせる。筆が画く軌跡は複雑に交ざり合い、段々と形を成していく。形には意味が込められ、それらが幾つも組み合わされる事で、ただの紙は一つの能力を持つ呪符となる。
于吉の机の上には同じように完成された呪符がまとめて積まれている。一枚出来れば積み、また出来れば積む。彼の腕は機械的に動き、その作業は止まるどころか遅くなる様子さえなかった。
「……精が出る事だな」
部屋に重く低い声が響く。
その声に機械的に動いていた于吉の腕が止まった。
「ようやく到着ですか……礼青」
于吉は筆を置くと、何も表情を浮かべぬまま訪問者を見上げる。そこには円形の笠を被った男がいた。
彼の容姿を一言で言うならば、長身痩躯が相応しいだろう。身長は一丈(約3m)あるかと思う程に背が高く、その高身長もあってか手足も異様に長いが全体的に細い。笠に隠れた顔は肉付きが悪く、眼の周りも落ち窪んでいて病的な印象を受ける。
「こちらの事情を無視し、召集をかけたのは貴様だ。文句は聞かん」
「そうですね……では、不問としましょうか」
不遜な態度で礼青が告げると、于吉は言葉とは裏腹に気にしてもいないような口調で返した。
「さっそくですが、貴方には袁術軍の傘下に入って頂きたいのです」
「ほう……わしに矮小な人形の駒になれと言うか」
言葉の端に苛立ちを滲ませ、礼青は腰に佩いている剣の鯉口を切る。鞘と柄の間から青い刃が顔を覗かせ、陽光を青く照り返した。
それでも于吉は恐れを微塵も出さず、礼青を見返す。
「下賎な人形の駒になるなど我が矜持が許さん。このような“世界”にいるだけでも不快だというのにな。貴様一人でやるがいい」
「私も死神から身を隠している身でして、なるべく人目には付きたくないのですよ」
「ずいぶんと下手な言い訳だ。貴様の術を行使すればどうとでもなろう」
「いえいえ、術の痕跡が残ると厄介でして。前回、術の反応を察知されて追い付かれるところでしたよ」
いやぁ、危なかった、と于吉が肩を竦めると、ふん、と不快そうに礼青は鼻で笑われた。そんな礼青の態度に于吉はまた肩を竦めると、口を開く。
「敵に北斗の弟子がいる。それは貴方が剣を振る理由には足りませんか?」
「……何?」
北斗、という名に礼青の顔色が変わる。苛立ちはなりを潜め、彼の顔には凶暴な笑みが張り付いていた。
「北斗の弟子……戦鬼がいるというは本当か?」
「ええ、袁術の標的は徐州――劉備です。そこには北郷一刀もいる。その彼の傍には当然、劉焔翔刃と周倉の二人がいます。しかも戦鬼の“角”も継承済みの上物です。
どうです? やる気は出てきましたか?」
にたりと于吉が笑みを浮かべながら問う。それは聞かなくとも答えは解っている笑みだった。歪んだ性格をしている、と彼は于吉を評すが、すぐに考えるのをやめた。
自身が属する組織に真っ当な者など一人もいないのだから。
「いいだろう。ただし、戦鬼はわしに寄越せ。奴の弟子ならば、多少は歯応えもあろう」
「ええ、楽しみにしていてください」
導師と巨人は笑みを浮かべる。
先に起こるであろう、人形同士の戯れを楽しもうと。
今回の【練功】の件を書こうと調べるまで、勁が運動量だなんて知りませんでした。もうwikiに頼りまくり、ググってどうしようかと内容探しの日々になってました。