鬼が赴くは、死線織り成す戦場
どうも、都合8ヶ月ぶりの更新です。
ちまちま書いていたのが、それなりの文量に達したので投稿しました。
公孫賛が率いる義勇軍への参加を認められた一刀達は、陣割が決まるまで休息をとる事になった。そして、数日後、彼らは遂に初陣へと赴く事となった。
その出陣を前に、一刀は初めての戦に緊張のあまり、体を震わせる。足が地面を踏み締めているのに、その感覚がいつもよりおぼつかない。まるで、ぬかるんだ泥の上を歩いているような気分だった。
父親がかなりの緊張にやられているのに対して、子である劉焔は緊張も気負いもしていなかった。いつも通りの飄々とした態度で、一刀の横をテクテクと歩いている。それに気付いた一刀は、思わず自嘲したくなった。
だが、一刀は少し思い違いをしている。劉焔が緊張していないのは、自身の武から来る自信からではなく、単にこれから始まる戦に思うところが無いからだ。正直を言えば、彼の中で死んでほしくない者は一刀達に公孫賛、ついでに趙雲だけだ。敵味方含め、その他が死んだところで自分には何の影響も無い。
――そう、自分には。
劉焔はチラと一刀と劉備を見る。
これから多くの命が失われる。それが行われる光景と事実に、彼らは耐えられるのだろうか?
関羽と張飛も戦死者が出る事に心を痛めないとは、勿論思わない。この二人は辛くとも武人としての心構えから、自身の死を含めて割り切る事が出来る。でなければ、生死を争う場で剣戟を振るう資格も無い。
しかし、一刀と劉備のお人好しが過ぎる二人にとって、多くの死人が出る戦場は地獄絵図に見えるかもしれない。
義憤に吼え、怨みを叫び、苦しみに喚き、悲鳴が上がる。
いくら後方にいようと兵と賊の衝突によって生じた怒号が、きっと耳に残り、焼き付く事だろう。
(それに、問題が他にもあるしね)
はぁ、と溜息を気付かれないように零すと、劉焔は半眼になって歩を進める。しばらくして、城門に到着すると、そこには整然と並ぶ武装した兵士達の姿があった。その数、3千。
彼らが醸し出すどこか緊張した雰囲気が周囲の空気を硬いものにし、張り詰めさせている。それも仕方のない事だろう。何せ、この半分は正規の兵ではなく、農民の出である義勇軍。つまり、戦闘訓練など碌に受けた事の無い、戦とは縁の浅い集団が戦力の一翼を担っているのだから。
そして、その義勇軍を指揮するのが一刀達の役割になる。その緊張がどうか正規兵にまで伝播しないように、と劉焔は願った。
そんな事を願っていると、戦支度を終えて白と金色の意匠を凝らした鎧を纏い、公孫賛が一刀達の下にやってきた。
「どうだ? 劉焔。大勢の兵士が立ち並ぶ光景の感想は?」
「正直、イヤ」
子供らしい感嘆の感想がくるかと思いきや、予想斜め上を突っ走った感想に公孫賛は開いた口が塞がらない。劉焔の事を知る一刀達は、そうきたか、と引き攣った笑みを浮かべた。
「い、嫌ってどういう事だ? ほら、凄いとかカッコイイとかそういうのはないのか?」
「無いよ」
劉焔の答えは、にべもない。期待していたと言わないまでも、少しは興奮気味に答えてくれるかと思っていた公孫賛は、ガクリと肩を落とした。後ろから聞こえてくる趙雲の忍び笑いを恨みがましく思いながら。
「ふっ。伯珪殿、聞く相手を間違えましたな。劉備殿、兵達を見ての感想は如何か」
「うん! すっごーーい数の兵隊さんだよね! これ、みんな白蓮ちゃんの兵隊?」
子供の口から出ると予想した筈の台詞が親友の口から出てきた事に、公孫賛は言葉を失った。聞きたかったは聞きたかったのだが、本当に予定が違う。出陣を前に思わず頭を抱えたくなった公孫賛だった。
「いや……正規兵半分と義勇兵半分の混成部隊だ――って、桃香はもう知ってるだろうが」
「あっ、そうだったね。あはは……」
半眼で公孫賛に見られ、劉備は恥ずかしそうに笑って誤魔化すが手遅れである。現に、劉焔も彼女を半眼で見ていた。
「本当に大丈夫か? これから出陣だって言うのに不安にさせないでくれよ」
「大丈夫だよ! 私も兵隊の皆と頑張って、たくさんの人達の笑顔を守るんだから」
「まったく、そういうところはブレないな、お前って奴は」
「うん、これだけはブレちゃいけないもん」
胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、劉備は答える。その姿に公孫賛は、自分が知る劉備と変わらぬ姿で安心半分、不安半分といった心境になるが、彼女の傍らには新しい仲間がいる。なら、ここは彼らに任せるべきだろう。
そう判断し、公孫賛は兵隊達の方へと目を向ける。
「なあ、桃香。実を言うと、私の部隊と同じくらいの数の義勇軍が集まった事にさ……私は素直に喜べない」
「…………」
憂いが満ちたその言葉に、劉備は何も返せない。その理由には彼女も気付いており、彼女自身が立ち上がった理由とほぼ同じ理由だからだ。
劉備に代わって答えたのは、趙雲だった。
「それは、義勇兵の多さが民自身が大陸の混沌とした情勢から危険さを感じ取っている証左が故、ですな」
彼女の言葉には、公孫賛の心境に共感する感情が乗っていた。客将となる前もなった後も、世の情勢について趙雲の耳に届くのは、悪い知らせばかりだ。大陸各地で盗賊、匪賊が暴れ回り、被害は増すばかりで、人々は悲しみに暮れる日々が続いている。
そんな世の中で、自分が暮らしている国の行く末に不安を感じない筈が無い。
だから、
「民の為、庶人の為……間違った方向には行かせやしないさ。……この私がな」
自分がそれを終わらせてみせる。そう、趙雲は強い意志を瞳に秘めて空を仰ぐ。その表情は凛々しく、自身の誇りが趙雲という女性を一層煌めかせて見せた。
語ったそれは劉備達の理想と同じく、人々の幸せを願う志。趙雲の声音から、半端な覚悟から出た言葉ではない事に気付いた関羽は彼女へと手を差し伸べる。
「趙雲殿、貴女のその言葉に深く感銘を受けた。良ければ、私と盟友となって頂けないだろうか?」
「鈴々も、おねーさんとお友達になりたいのだ!」
「ふっ……成程。志を同じくする人間、考える事は一緒という事か」
関羽に続くようにして、張飛も名乗り出る。手を差し伸べてくる関羽と張飛に、一瞬だけ趙雲は目を丸くした。そして、口角の片方を上げて、小さく笑みを浮かべる。
「? それはどういう事だ」
「私も関羽殿と同じ事を考えていたという事だ。貴殿らの瞳に、同じ国を憂い、救わんとする炎を見た。そして、同じ志を抱く者同士、共に歩んで行きたいと思ったのだ」
趙雲は穏やかな笑みを浮かべ、
「友として、共にこの乱世を治めよう」
差し伸べられた関羽の手を固く握り返した。同志を得られた喜びからか、彼女らの意気は一層高まっていた。
そのやりとりを見ていた劉備も慌てるようにその輪に入ろうとする姿に、一刀は微笑ましく思った。理想へと歩んで行くこの道から違えるような事が無ければ、趙雲はきっと劉備の下に史実通り来てくれるだろう。彼女が力となってくれるならば、百人力だ。
「で、朔は行かないのか?」
一刀が劉備達の輪に入っていかない劉焔に眼を向ける。その視線に劉焔は半眼で首を横に振った。
「行かないよ。僕と桃香様達じゃ、戦う理由が違う」
「そうか?」
「違う、全然違うよ。僕は誰かの為に戦う訳じゃない。僕は死にたくないから戦ってきたし、それにお父さん達といたいからって理由で戦う訳だから、桃香様達みたいに国を救うとか世直ししてみせるとか、そんなご大層な理由じゃないよ」
劉焔はあくまで自分の為だと言い張る。これに一刀は簡単に言い返してやれなかった。劉焔の以前の境遇を考えれば仕様がないとも言え、一刀自身も劉備の理想に共感して力を貸している以上、どちらかと言えば民達の為と言うよりも彼女達の為に近いからだ。
「それでも良いんじゃないか」
劉焔の言葉を聞いていた公孫賛は、彼の戦う理由を肯定した。劉焔と一刀の二人は彼女の方を見て、言葉の続きに耳を傾ける。
「なあ、劉焔。ここに集まって来た義勇軍の全員が世を憂いて集まって来たと思うか?」
「違うのさ?」
「まあ、いなくはないってとこかな。中には武功を挙げて出世の足が掛かりにしようとしている奴もいるけどな。
それでも、アイツらの大半は家族や自分が生まれ育った街を守りたいから集まったんだよ」
「つまり、僕と似たような理由で戦う人が大半って事なのさ?」
「そうだ。義勇軍に参加した奴らは気付いてしまったんだよ、戦ってでも抗っていかなきゃ失うばかりだってさ。だから、手に持っていた鍬や鎌を置いて矛を手にしてるんだ。戦う理由がどうであれ、結果的に誰かを守れたなら、それはそいつの頑張りがあったからこそだろ」
だから、お前の戦う理由も間違いじゃない。そう言うと公孫賛は劉焔の頭を撫でた。その言葉に劉焔は思うところがあったのか、考えるように目を伏せ、そして、ゆっくりと兵達の方を見た。
公孫賛は話し込んでいる劉備達4人を呼ぶと、今回の陣割を告げた。中央と右翼は公孫賛と趙雲達が担当し、劉備達は残る左翼全部隊の指揮を任された。
いくら仲の良い友人とはいえ、新参者である自分達に左翼を丸々を任せるとは思っていなかった一刀達は、驚きを隠せない。関羽はその公孫賛の決定を豪毅だと評し、劉備もそれを期待の表れと感じ取っていた。
しかし、一刀は任された兵達の数に精神的圧迫感を強く感じていた。ただでさえ戦場に赴くだけで酷い緊張に苛まれているというのに、この決定は更に緊張を悪化させてくれた。思わず唾を飲み込むが、気安めにもなりやしない。
せめて心臓の鼓動だけでも落ち着かせようと深呼吸していると、公孫賛の演説が始まった。彼女は兵達の先頭に立ち、一度全体を見渡すと続きを口にしていく。
公孫賛の檄が飛ぶ。決して長くないその言葉は兵達を鼓舞し、奮い立たせていく。意気軒昂とばかりに上がる兵達の鬨の声には、先程まで醸し出されていた緊張は消えていた。
それに公孫賛は満足げに頷くと、剣を高々と抜き放ち、掲げた。
「出陣だ!」
出陣の号令が出され、兵達は城門を抜けて意気揚々と戦場へと歩み出す。
一刀も任された部隊を率い、移動を開始した。その胸に不安を抱え、耐えながら。
城を出てしばらく経ったが、討伐対象である盗賊団の居場所まで、まだ時間がかかる。それをもどかしく感じるも、一刀はその時が来るのを恐ろしく感じていた。心臓の鼓動は相変わらず早鐘を打つような早さであり、目的地まで近づいている事を考えると体がまた竦んだ。表情もどんどん硬くなり、自然と曇っていく。
「どうかなさいましたか?」
関羽の心配そうな声に、一刀はハッと我に返り、何でもないと答えようとしたが失敗に終わった。関羽だけでなく、他の3人も彼の様子を窺っていた。これでは誤魔化しようがない。
「その、さ……こういう人の生き死にが左右される場所って初めてだから、不安で仕様が無いんだ」
震える自分の手を見つめながら、一刀は弱音を零して自らを嘲った。
元々暮らしていた世界では争いなど他人事でしかなかったのに、今ではその渦中に身を投じようとしている。恐怖を感じていない筈がなかった。手も足も震え、腰が抜けるかもしれない程に不安と恐怖が綯い交ぜになっている。
けれど、その寸前でいられるのは劉備達と劉焔が傍にいてくれるからだった。女の子と息子の前で情けない姿を見せたくない、となけなしの矜持と虚勢で堪えられている。
「天の世界には戦争って無かったの?」
不思議そうに聞いてきた劉備の問いに、一刀は首を横に振った。
「もちろん、あるよ。でも、俺の周りじゃ喧嘩が精々で、強盗や殺人事件があっても知らない場所で起こった出来事でしかなかった。……遠い所で起きた、他人事でしかなかったんだ」
実際にあっても、所詮は遠く離れた異国の地での出来事。戦争も紛争もテロリズムでさえ、以前の彼にとってはテレビや新聞、はたまた学校の教科書に載っている出来事であり、その言葉の意味だけを知っている単語の羅列に過ぎなかった。
しかし、その単語の羅列が今や実際のものとなって彼の前に立ち塞がる。人が死ぬ様は見た――見てしまったけれど、それも一度だけ。劉焔が賊を討ったあの場面でしかなく、その一度だけで慣れる筈もない。あの時は湧き上がった不思議な感情と劉焔にばかり気を取られ、あまり気にしていられなかった。だが、今回は敵味方問わずその時の数倍以上の数の死者が出るのは確実。目を逸らして逃げたくなる気持ちも少なからず湧いていた。
「愛紗や桃香、鈴々だって平気そうだし、朔だっていつも通り飄々としてる……。なのに、俺だけが怖がって震えてる。何て言うかさ、ホント情けないよな」
素直に心情を吐露した一刀は力無く笑うが、そこに悔しさを滲んでいた。失望しただろうな、と彼が卑屈な事を考えていると、
「えーっと、どこら辺が情けないの?」
解らないとばかりに劉焔が首を傾げた。
「怖いって思うのは、人なら当然持ってる感情でしょ。その感情を無くしたら、頭のイカレた人間になっちゃうよ」
「……朔も怖いのか? 戦争」
「怖いよ」
平気そうな顔をして、劉焔は当然だと答える。
「僕は、生き残る為に戦ってきた。死にたくないから敵を倒して、怖いのを早く終わらせたくて剣を振るってきたんだ。でも、今はもっと怖いよ」
「だよな……あの森にいた賊と今回のじゃ、比較にもならないもんな」
「敵の数より、身内が怖い」
「なんだよ、それ? 賊より俺達の方が怖いって」
「……お父さん達がいなくなったりしたら、ヤダから」
ボソリ、と呟かれた言葉に一刀達は、一瞬茫然とし、次の瞬間には頬を緩めた。中々可愛らしく、嬉しい事を言ってくれる。
「朔が言った通り、戦いに対する恐怖を抱く事は当然です。傷付く事も、傷付ける事も、その者にしか言い知れない恐怖が湧き起こりますから」
「そうだよ。戦うって事は人を傷付ける事だもん。本当なら、しちゃいけない事なんだよ」
「でも、不条理な暴力を見つけたら、それに向かって敢然と立ち向かうしかないのだ」
「うん。私達だって本当は怖い。でも、怖がってばかりじゃいられないの。じゃなきゃ、力の無い人達を守れない。悲しみも苦しさも消せないし、軽くしてさえしてあげられない」
「だから、勇気を振り絞り、暴虐と対峙するのです」
忘れていたのかもしれない。
北郷一刀はこの時代の人間ではない。この時代である関羽達は敵と対峙しても、勇ましく、凛々しい姿を見せてくれた。戦えない劉備とて、心の強さでは彼女らに引けを取らない。だから、恐怖など物ともしないのだと勝手に思い込んでいた。
でも、違う。
どんなに強くても、迫る脅威は脅威。命を奪うそれは、死の恐怖を湧き上がらせる。拒む事は出来ない。屈することも、また違うだろう。
だから、彼女達のように立ち向かうのだ。恐怖を自覚し、弱々しくとも一歩でも前に進もうと、己が理想の為に意志を以て心を奮わせる。
一刀は一度深く息を吸い込み、ゆっくりと息を吐く。そうして深呼吸を繰り返し、ささくれ立ちかかっていた心を撫で付けるように落ち着かせた。そして、小さな我が子を見る。
劉焔の言う失う恐怖は、今回の戦で自分達が生き残れば少しは和らぐかもしれない。その為には、自分を殺そうとする相手を最悪殺さなくてはならない。そう思うと、公孫賛に貰った剣が異様に重く感じた。
人を殺すのが怖い。
だが、死にたくない。
殺されるのが怖い。
まだ、死にたくない。
これはゲームじゃない。マンガや小説のワンシーンでもない。そんな架空の物語ではない、北郷一刀が体験する現実の出来事だ。
偽善で終わらせられる状況ではない。この手を朱く汚さなければ、何もかもが終わってしまう。なら、生きる為に剣を抜き放とう。
「……よしっ!」
気分を切り替える景気付けに声を張り上げる。劉備達が不思議そうに首を傾げているが、劉焔だけが口角を僅かに釣り上げたのに気付いて、一刀は笑みを返した。
「臆病者の父親でゴメンな」
「自分で決めた道を放り出して逃げない父親なら、誇って良いんじゃないのさ」
「誇ってくれるのか?」
そう聞くと、そのままであれば勿論、と劉焔は答えた。これはうかうかしていられない、と一刀が真面目に考えていると、劉備達は堪え切れなくなったようにクスクスという笑い声を漏らした。
「ふふ。では、朔がご主人様を誇っていられるようにお手伝い致しましょう」
「手伝ってくれるのか? 愛紗」
「ええ。私もご主人様の臣下である事を誇りとしたいですから」
「援軍じゃなくて追い打ち!?」
話している内に体を蝕んでいた緊張が和らいだ。心臓の鼓動がゆっくりと落ち着きを取り戻し、精神が段々と昂揚し始める。
しかし、それを小鬼が落としにかかった。
「そういやさ、桃香様やお父さん達が救いたいっていう人は――――」
――――あの賊の中に、どれくらいいるんだろうね?
一刀の、劉備達の足が止まった。
小鬼の足だけが、戦場への歩みを止めなかった。
公孫賛軍と義勇軍の行軍は、ついに目的地にまで辿り着く。公孫賛からの伝令より停止命令が届き、劉備隊はその歩を止めた。
敵がもう、すぐそこにいる。その事実に誰もが息を呑んだ。
手だけでなく、足も震え出した。呼吸するのが辛い。
怖い。
……死ぬのが怖い。死にたくない。
恐い。
……殺すのが恐い。殺したくなんてない。
義勇軍に参加した大多数が、戦場に立った事で今から行う戦争を痛感した。
最初こそ、自分が生まれた街や家族、友人に恋人の為に奮起した者もいただろう。この戦いで活躍し、名声を得る足掛かりにしようとした者もいただろう。
しかし、戦場に漂う死の気配に触れ、そんな意志が脆くも崩される者が大半を占めていた。
そして、その部隊を率いる長たる劉備の表情は、彼らと大差無い程に曇っていた。
劉焔の語った一言は、彼女の理想に一石を投じた。それは水面に落ちたかのように波紋を起こし、ゆらゆらと波立たせる。
人々を救いたい。そして、笑顔で暮らしていけるような世の中にしたい。
それは綺麗な願いだ。瑕も無く、穢れすら無い、無垢なるものだ。
官匪や匪賊といった悪を誅する。それは善行の筈だ。
しかし、この手が力及ばず届かなかったら?
残念ながら、劉備にとって、それはいつもの事であると言える。民草の一人でしかない彼女の力など僅かでしかない。後に、関羽と張飛の力も加わったものの、限界がすぐ目の前に立ち塞がった。だから、一刀に【天の御遣い】という神輿になる事を願った。足りない力が欲しくて、もっと多くの人が笑顔になれますように、と。
劉備は視線を前に、そして遠くへと向ける。そこにいるのは、今や官軍すら手を焼く規模にまで膨らんだ賊の一味だ。
彼らが街を襲い暴れ回れば、食料も財も家も、命すらも奪われる。そんな悲しくて辛い現実など、許したくない。
戦わなければ。でなければ、それを許したことになってしまう。……笑顔がまた、消えてしまう。
しかし、小鬼は救うべき人間があの賊の中にもいるのではないのか、と言う。憶測で言ったのかもしれないが、その可能性が無いとは劉備達には言えなかった。
救うべきか、救わざるべきか。
劉備が己の理想に思い煩おうと、開戦の時は刻一刻と近付いてきている。
劉備隊を率いる将の中で、指揮を担当する関羽と張飛が一歩前に出て戦訓を授けている。三人一組になり、敵一人に当たるという技量の無さを数で補い合う方法だ。一人一人が防御、攻撃、警戒の役割を分担し、死亡率を大幅に下げている。一人で突撃しているという心持ちより、兵達自身も多少は安心できるのではないだろうか。
戦訓を説明し終わった関羽と張飛は、劉焔も何か言っておけ、と兵たちの前に彼を押し出す。
一線級の武を持とうと、劉焔は一刀と同じで初めて戦争を経験する。しかし、前に出さないのは宝の持ち腐れになってしまう為、関羽の副将という体で戦ってもらう事になっていた
どこか――いや、真実面倒そうに劉焔は頬を掻きつつ兵隊の前に立つ。
兵達も自分達の前に立つ子供の姿に、一様に戸惑いの表情を浮かべる。彼らがこの子供を知る由もない、そうなるのも当然だ。先に出てきた張飛よりも小さいこの少年が将として先陣に立つことに不安さえ覚えた。
そして、兵隊の先頭にいる者達が気付く。
この少年は、“人間の目をしていない”と。
後退る者もいれば、息を引き攣らせる者や、明らさまに怯える者もいた。それらを目にしながらも、劉焔はゆっくりと息を吸い、言葉を発した。
「最初に言っておくけど、僕はアンタ達が死のうが生きようがどうでもいい。ここにいる劉備様達が無事なら、それでいいんだ」
その問いに、兵達は意図が分からず顔を見合わせる。一刀達も劉焔が何を言いたいのか、まだ分からずにいた。
「前の方にいる人は気付いてるだろうけどさ、僕は人じゃない。人間から恐れられ、疎まれる鬼だ。だから、ずっと独りだった。何度も騙されそうになって、何度も命を狙われた。……人なんて、信じられなかった」
けどさ、と彼は続け、
「そんな小鬼に劉備様達が、一緒にいてもいい、って嘘なんかじゃなくて、本心から言ってくれたんだ。
僕はもう、独りでなんかいたくなかった。やっと信じられる、信じたいって思える人に出会えた。大切な仲間が出来て、嬉しくて仕方なかった。
……でも、僕の大切を奪おうとする人達がいる」
――――ほんと、気に入らない。
淡々と語るその口調に、どこか威圧を感じさせるものが混じり始める。劉焔の異形の双眸が向けば、見られた端から端まで体を震わせる。
彼よりも体格の大きな兵達の体が。
「僕だって生きているから、当然いつか死ぬ。戦ってれば嫌でも理解してきたし、当然の事だって覚悟もしてる。
けど、まだ死にたくない。僕の大切な仲間を何処とも知れない奴らに奪われたくもない。だから、戦うんだ。それは、ここにいる大半の人達も同じじゃないのかな」
その言葉に皆が気付く。
この目の前にいる小鬼の戦う理由は自分達と大差ないのだ、と。
失いたくないから、戦う。
奪われたくないから、殺す。
太平の世をつくりたいという綺麗な思いでもなく――ただ、自分の為に剣を振るっている。
劉焔という小鬼に対する畏れが、小さな共感によって薄まっていった。
「僕は自分の為に戦場へ立つ。劉備様みたいに綺麗な理想を持ってる訳じゃないしね。だから、自分が正義の徒だなんて謳うつもりは欠片もないよ。
それに、僕は死に急ぐ人が嫌いで、生きようとする意志がある人が好きだよ。だから、正直言うとさ、悪い事してまで生きようとする気持ち自体を否定できない。程度の差はあるけど、少なからず好感を覚えるかも」
せっかく畏怖が薄まったかと思えば、劉焔は賊を擁護するような言を言い放った。
これには戸惑いを通り過ぎ、兵達に動揺が瞬く間に走る。
一刀達も戦の直前にまさかそれを言うとは思っておらず、我を取り戻すまで言葉を失ってしまった。すぐに劉焔を後ろに下げようとしたが、それよりも早く次の言葉が発せられた。
「だって、生きたいって気持ちに善悪なんてないでしょ」
その一言に動揺がしんと静まり返り、皆が皆、劉焔を見つめていた。
「賊の中には、生きる為に悪事に手を染めた人が少なからずいるよ、きっと。勿論、賊の全てがそうだ、なんて言わない。
ただ、選択肢が無かったんだよ。死にたくない、って手を伸ばした先は底無し沼で、ズブズブと身を落とすしか無かったのかもしれない」
だから、覚えておいてほしい、と彼は言う。
「慈悲とか同情しろ、だなんて言わない。ただ憎悪や怒りで賊に立ち向かわないでよ、それがいくら正しい怒りだったとしてもさ。そんな感情に流され続けたら、皆が守りたいと思ったものをいつか失くしちゃう気がするんだ」
思い浮かべてほしい、と彼は言う。
「僕らが選んだのは、大切なものを失わないように抗う事。それは自分の大切なものを守る為に、敵を切り捨てる事でもある。だから、そこに綺麗事を差し込む必要は無いと思う。
戦ってでも守りたいと思った街や人の所に帰ろう。生きて帰ろうよ」
まるで、何でもない事のように彼は言う。
「そうしてくれるなら、僕の役目は二つに絞れる。
一つは賊を討つ事、もう一つが皆を家族の下へ帰す事。だから、怖くなったり、死にそうになったら、逃げたっていいと僕は思う。無理に踏み止まろうとして死なれるより、ずっと良いからね」
劉焔はもう一度兵達を見渡し、口角を吊り上げた。
「……もう僕が言いたい事、解ったよね? 犬死に、無駄死になんて許さない。一時の矜持に命を捨てるな。死を覚悟したその上で、生き残る事こそが皆の役目だ。死に抗って生きようとしてたなら、僕が出来る限り守る。……改めて言うよ。家族を遺して勝手に死なないでよ」
劉焔は言った。戦場に於いて禁じられる行為を許す、と。それよりも、一時の気の迷い染みた矜持の陶酔や無駄死を許さない、と。
死ぬな、と命じた。
無茶だ、無理だ、と兵達は口々に漏らす。戦場で死人が出ない筈がない。所詮は子供の言う事だ、と吐き捨てる。
しかし、同時にそうありたいと思う自分を心の何処かで感じていた。
守る為に戦う、そして死ぬ。
それも立派な最期だと思う。けれど、それが最善ではない。守れたとして、それで納得できても満足するには足りない。
戦って死ねと命じず、戦って生きろと命じたこの小さな少年は、本当にそれを成してくれるのか。期待と不安が皆の胸中に入り雑じる。
「……まあ、いきなり信じてくれる訳無いよね。だから、信じてほしいなんて言わない。証明するだけだしね。
でも、僕を信じなくてもいいから、出来たら劉備様達だけでも信じて、力になってよ」
それが僕からのお願い、と劉焔は締め括った。
踵を返し、劉焔は関羽の横に戻る。その瞬間、彼の眼が自分の方をチラと見たのに劉備は気付いた。
次は自分の番だと、視線だけで伝えている。
深呼吸を一度して、劉備は劉焔と入れ替わるようにして兵達の前に立った。
兵達の視線が自分に集まっていくのを感じ、劉備の体は緊張からビクリと震える。だが、子供の劉焔が彼なりの答えを出した。なら、年上の自分も答えを出さなければならない。
自身の答えを劉焔に、そして兵達へと伝える為に劉備はゆっくりと言の葉を紡ぎ出す。
「私には力がありません。あるのは、太平の世を願う志だけです」
自分達を率いる長の言葉に、兵達は共感するように頷く者もいれば、綺麗事を述べていると小さく鼻で笑う者もいた。
それに気付かない劉備ではない。それも何度も見てきた光景だ、嫌でも目に着く。
「私も皆さんと同じ民草の一人だから、誰かの力になろうとしても出来ない事ばかりでした。
今だってそうです。最終的な目的が違う人もいると思うけど、ここにいる皆さんがいなければ賊を討つ事も満足に出来ず、一時の小さな平和も得られません」
本当に皆さんは凄いです、と劉備は言う。
「私は剣をまともに振れません。槍も弓も……上手く、扱えません。義勇兵として参加された方の中にも、私みたいに武器をまともに振るった事のない方もいると思います。
……それでも武器を手に戦おうと決意した事を誇ってください。貴方達が決意した事でたくさんの人達を救う事が出来る。これが正しい選択だった、と私達の手で証明しましょう」
劉備は目を閉じて一度だけ深呼吸する。胸の前で自身の手を会わせるようにして握り締め、劉焔が問うた答えを発した。
「それでも、いつか私達には救えない人達が出てくる事でしょう。それは共に戦った仲間かもしれません。家族に友人、故郷なのかもしれません。戦いたくないと思っていた人達が敵になってしまうかもしれません……大切な何かを失う、辛くて苦しくて、生きる希望を失くしてしまう出来事を経験してしまう事でしょう」
私もそれが怖いです、と彼女は言う。
しかし、劉備の眼は失う恐怖に負けていなかった。恐怖に打ち克ち、強い志を秘めた煌めきに満ち満ちている。
「怖いけど、私は前に進みます。進まなくちゃいけないんです。けど、犠牲になった人達を忘れる訳でも、忘れたい訳でもないんです。だから、時には過去を振り返って足を止めてしまうと思います。忘れたくないから振り返るんです。力の無い、不甲斐ない自分を奮い立たせて、また前に進む為に。
守れなかった人達、犠牲になった人達が求めたものが実現した時、それはやっと彼らへの手向けになるんだと思っているからです」
劉備は思い切り息を吸い、自身の想いの丈を叫ぶ。
この思いは、兵達に届くかもしれない。
届かないかもしれない。
けれど、届いてほしい、と叫んだ。
「だから、戦いましょう、皆さんと私達で! 失わない為に、大切なものを守る為に勝ちましょう! ちっぽけな人間の集まりだと言われても、私達のちっぽけさが誰かの救いになるんだって見せてあげましょう!!」
これは、独りのちっぽけな覚悟かもしれない。この想いが理解が出来ないと嘲笑われるかもしれない。
それでも、劉備玄徳はこの理想を捨てる気は無い。
劉備は母より託された剣を抜き放ち、高く高く掲げる。それは所々刃毀れをしているものの、剣から放たれる威風は損なわれず、見る者の目を惹きつける。
靖王伝家――中山靖王・劉勝より伝わるとされ、彼女がその王家の血を引く証。
陽光に輝くそれに魅せられた一刀は、劉備に倣うように剣を掲げる。彼の後に張飛、関羽と続き、最後に劉焔が自身の得物を掲げた。
兵達も周りと顔を見合わせ、勢い良く己が武器を掲げる。
「さあ、私達の命と想いを賭した戦いを始めましょうっ!!」
義勇軍大将、劉備玄徳の号に兵達は有らん限りの声で空気を震わせて応えた。
濛々と土煙が上がる。それを生み出しているのは、頭に黄色の布を被った人の群れ。その量の多さから、その数がどれだけ多いかなど容易に想像が付くだろう。
一個の群れと化した彼らは、今から悪行を為す。他者を傷つけ、虐げ、奪い、殺すのだ。
そんな大群の前に、ぽつんと人影が一つ現れる。
それに気付くも、盗賊達はその足を緩めるどころか止めもしない。
何故ならば、彼らに恐れる理由は無いのだ。朝廷に仕える官軍とさえ、その数の多さで苦戦を強いらせて来たのだから。
近付く毎に人影の形がはっきりとしていく。
子供だ。
遠くからでも分かる程に見事な焔色の髪。小さな体には漆黒の戦装束を纏い、腰には不釣り合いな二振りの剣を佩いている。
まさか、独りで向かって来る気なのか?
そう思うも、考え違いだと賊が断じた瞬間、少年は双剣を鞘から抜くと一直線に大群に向かって駆けた。
莫迦な子供だ、と盗賊は嗤う。
子供が大人に勝つのは容易ではない上、たった独りで3千の大群に挑んでくるなど、誰の目から見ても愚行この上ない。
向かって来るのならば子供だろうと容赦はしない、さっさと終わらせてしまおう。目的地である街の襲撃によって手に入るモノを考えると、下卑た笑みが醜悪に浮かんだ。
だが、その笑みも硬直し、すぐに消える。消し尽くされる。
黒と白の閃光が幾重にも疾走り、黒みがかった赤を宙に舞わせ、彼らを染めた。
それは仲間の――いや、仲間だった者の血。ある者は顔に付いた血のぬめりを信じられないとばかりに手で確かめていた。
そして、彼らは一様に仲間を物言わぬ骸に変えた少年を見た。
「さて、僕はアンタらを倒さなきゃいけないんだけど」
双剣についた血を振り払いながら、少年は言う。
「覚悟、できてる?」
「て、テメェは……」
「劉焔翔刃。義勇軍大将、劉玄徳と天の御遣いに仕えし鬼だよ。
平和を願う主の願いを、アンタらは悪行を以て踏み躙る。それをさせないのが、僕の役目。だから――――」
――――喰らうよ、その命。
宣告直後、劉焔は地を這うように低い姿勢で疾走し、賊の群れに肉薄する。瞬間、彼の姿が消え、衝撃が賊を襲う。衝撃は一直線に盗賊の隊列を貫き、それをなぞるように血飛沫が上がった。
疾る衝撃の終端。そこには地を削りながら、足を止めた劉焔がいた。彼は短く息を吸うと、もう一度疾走する。
劉焔の双剣――黒刃の干将と白刃の莫耶が賊の首を撥ねていく。黒と白の刃の煌めきは賊を魅了し、そして放たれる斬撃は疾く、無慈悲にその一生の幕を引く。
「この餓鬼がぁあああ!!」
叫び、盗賊の一人が槍を突き出す。
劉焔は平然と干将でその穂先を弾き、
「餓鬼? 鬼は鬼でも鬼違いだ。僕はアンタらに滅びを齎す鬼だよ」
莫耶で縦一閃に人体を両断した。
「……まったく、数が多いだけあって手間がかかるなぁ。もうちょい、頑張りますか」
劉焔は咆哮をあげる。
「はああああああ!!」
大気を震わす咆哮は、盗賊を威圧する。彼らは自分が数歩後退った事さえ気付かない。
干将、莫耶を一閃する。双剣が鋭く弧を描いた途端、盗賊は黒の塊となって吹き飛んでいく。その様は、さながら鬼の腕に薙ぎ払われたかのようだ。
先程までの斬撃が疾さに重きを置いているのならば、今の斬撃は荒々しくも凄まじき豪撃。その身だけでなく、その魂さえも斬り裂いてさえいそうだ。
「相手は餓鬼一人だろうが! さっさと囲んで殺せぇぇ!!」
大群の後方から頭らしき男の号令が飛ぶ。盗賊たちはその号令に従え劉焔を素早く囲んでいった。
「へぇ、少しは頭を使う人がいるんだ。でも、その選択は間違いだよ」
劉焔は自身を囲む人垣を睥睨し、問題など無いとばかりに淡々と告げる。
そして、小鬼はそれを証明してみせる。
同時に振るわれた双剣は豪撃の威力を余す事無く放ち、囲いをそのすぐ後ろにいた者さえ巻き込んで斬り飛ばす。
宙に舞う赤い血と人間の肉片。豪撃の脅威から辛くも避けられた賊は、呼吸も思考も一様に凍りついたように停止した。
だが、思考は停止しようとも、感情は停止していない。湧き上がっていく恐怖が頂点に達し、悲鳴を上げるや否や一目散に逃げ去っていく。それは瞬く間に全体に伝播し、次第に我先にとばかりになった。
「お、おい!! 逃げんじゃねえ! あの餓鬼を殺せ!!」
逃げていく賊の中、独りだけその流れに取り残されている者がいる。慌てた声で仲間を引き留めようとするが、誰も止まる気配など無い。
「人望無いね、大将」
劉焔はゆっくりと叫び続ける男に近付き、干将の黒刃を首へと当てた。その刃の冷たさに男は声と息を詰まらせた。
男はゆっくりと劉焔を見ると、大きく目を見開いた。
「なんだよ、その眼は……」
人らしからぬ劉焔の双眸に射竦められ、男は己の間違いを悟った。
「化け物を相手にしてたのかよ……くそ、逃げりゃ良かった」
ただの人間が化物に挑もうなど、無謀に他ならない。鬼に出会ったのなら、逃げる事しか許されない。
それすら叶うかどうかは、鬼の気まぐれでしかないのだが。
「そう、それが正解。あんたがこの賊の群れの頭で合ってる?」
「ああ、そうだ……」
「そっか。じゃあ、泰山府君に宜しく言っといてよ」
干将に力を込め、劉焔は頭の首を撥ねた。
ゴロゴロと転がる頭の首を一瞥し、劉焔は次に盗賊たちが逃げた方角を見た。
元が烏合の衆であるだけに瓦解も早い。仮初とは言え、一応の頭が討たれた事で拍車がかかったのもあるのだろうが、今の賊に統率の欠片も無い。公孫賛と義勇軍と衝突した賊は得物を滅多矢鱈と振り回して、まるで駄々っ子のようだ。
「はてさて、息つく暇もないね。そんじゃ、もう一個の役目を果たしに行きますか」
劉焔は双剣を握り直すと、地を蹴った。
小鬼によって恐怖に侵された賊は瓦解したものの、武器を捨てて降伏した訳ではない。死にたくない、と自分達を討伐しに来た公孫賛と義勇軍に反抗し続けた。
官軍として調練を受けた公孫賛軍の兵士はともかく、戦闘の素人たる義勇兵の動きは仕方の無い事だが、ぎこちないの一言に尽きた。
関羽が戦闘開始前に授けた戦訓通り、三人一組となって戦っているものの、生死を賭ける戦場の空気に未だ蝕まれていたのだった。
防御を担当する者は恐怖に耐えながら凶刃を防ぐものの、歯をガチガチとぶつけ合って震え、目からは今にも涙が零れそうだ。
攻撃を担当する者は人を斬った感触に気が触れそうになり、返り血の生温かさに吐き気が込み上げてくるのも我慢し、それでも武器を振るい続けた。
索敵を担当する者はキョロキョロと辺りを忙しなく見回す。視界を埋め尽くす殺し合いの果てに出来る死体、たった今物言わぬ骸に成り果てた敵の姿に何もかもを投げ捨てたくなる。しかし、攻防を担当する仲間を死なせたくないと、無理やりにでも自分を奮い起こし続けた。
――うわああああ!! 死ね! 死ね! 死んでくれぇぇええ!!
――い、嫌だ……! こんなとこで、こんなとこで死にたくなんかねえ!!
――お前らみたいのがうちの村を襲ったせいで、俺の家族が……!!
――返せ! 返してくれよ! 母ちゃんを、娘を、俺たちの家を返せええええ……!!
生きたいが為に、刃を以て死を押し付け合う。
恐怖に侵され、怨嗟に狂う。
失ったものが、もう二度と返ってこないと解っている。だが、解っているからこそ、その感情に心は染まり切ってしまう。
その気持ちが幾らかは共感出来るようになった、と小鬼は思う。
親しい仲間も居らず、名さえ無かったから。
親しい仲間が出来て、名も貰えたから。
失いたくないという気持ちを得たが故に、己へと課した役目を果たす為に駆ける。
劉焔の小さい体ならば、大人では身動きが取り辛い密集空間でも、ある程度の余裕がある。その空間を十全に使い、敵味方入り乱れる中を移動速度を落とす事無く突き抜ける。
敵が味方を槍で貫こうとしている。
させはしない。
干将で槍を切り落とし、莫耶でそっ首を断つ。そして、吹き上がる血飛沫に濡れるより早く、次の標的を狙う。
劉焔は味方の肩を足場代わりに跳び上がり、莫耶を投擲する。その威力は賊の首を刎ねるだけに止まらず、そのまま他の賊数名の胸を貫いて絶命させた。
残る干将を振るいながら駆け、莫耶を取り戻せば更に速度を上げて彼は翔ける。
劉焔は自身の字が示す通り、己が役目を全うしていく。
戦場に於いて彼は鬼であり、剣戟の如き刃である。
ならば、駆けるだけでは駄目だ。まだ足り得ない。
戦場を駆け、死線を翔け抜けてこそ――化物の片鱗を現せられる。
劉焔の翔け抜けた跡は、賊の血と骸で織り成される。そして、生者の驚愕と茫然が入り混じった表情が色濃く残された。
けれど、劉焔は歯牙にも掛けずに賊を屠り続ける。
戦いが終わるまで、敵がいなくなるまで。
いつしか、戦争は終わっていた。
劉焔の目に映るのは物言わぬ死体となったか、降伏して命乞いをしている賊の姿。そして、健在なれど此方にありありとした畏怖の感情を露わにして向けてくる味方の姿だった。
何度、双剣を振るったか。どれだけ命を奪ったか、劉焔は分からなかった。いや、解っていたとしても、興味など露程も無かった。
解るのは、鬼として武を振るった結果が、いつも通りの有り様であることだ。
骸で出来た山の中で佇み、劉焔は自らを嘲笑う。
別にこれで良いのだ、と。自分を恐れないでほしいと願った訳ではない。そう約束した訳でも無い。ただ、自分の大切な人達に力を貸してくれるのであれば、それでいい。
戦いは終わった。さっさと帰ろうとする劉焔に駆け寄ってくる姿が見えた。
関羽だ。無事だろう事は分かっていたが、やはり実際にその無事な姿を見ると安心した。
劉焔も彼女の方へ歩いていくと、
「この、莫迦者……!!」
「み゛に゛ゃうっ!?」
怒声と共に頭に重い拳骨をもらった。
戦闘中に掠り傷ひとつ負わなかった劉焔の今日初の負傷が味方からだとは誰も思うまい。
関羽は痛みに呻いている劉焔の首根っこを掴むと、肩を怒らせて連行していった。
後に残った兵達は、茫然とする余り固まって誰一人動けなかった。
書きたいことがまとまらない。なんとも歯がゆい感じで過ごしていましたが、なんとかここまで書けました。
本当なら、もうちょっと続く予定だったんですが、そうすると3万字を超える気がしたので、戦闘終了で区切りました。
他の話でも修正が必要な個所が多いので、そちらも追々やらないと……