鬼、初陣
これは改稿前の第壱章の話になります。その為、現在改稿中の第壱章が完成次第削除したいと思います。ご容赦ください。
「盗賊退治?」
「そうだ。得意だろう?」
半眼で劉焔が聞き返すと、趙雲は肯定した。
「得意じゃないよ。というか、主上の護衛が僕の仕事だったと思うんだけど」
「回せる将がおらんのだ。主には許可も頂いている。それに鬼の名を世に広める為にも、お前にも出陣してもらわねばな」
「鬼の盗賊退治、ね。面倒だけど、仕方ないか」
「出発は一刻後だ。なに、お前のことだ、心配はいらぬだろうが、無理はするなよ朔」
「了解。天の御遣いを鬼が守ってるってこと、思い知らせてやるよ」
劉焔は命じられた通り、盗賊退治に向かったのだが、
「いすぎでしょう」
遠くから目を凝らし、大群で移動する盗賊を眺めながらぼやいた。
盗賊の数、恐らく3000は下らないだろう。
自分が住んでいた森に来た盗賊のざっと10倍。対して味方は補佐の鳳統が連れてきた1200人。
戦いの基本は、相手よりも多い数で挑むことだという。
簡単に言えば、挑む前から敗戦の色が浮かんでいるのだ。
「報告で、何人って言ってたっけ?」
「……800」
「いや、違い過ぎでしょ。どうしよっか、雛里」
「……敵は領内に潜んでいた黄巾党の残党だから、それ程強くないよ。……けど、バラバラだった残党が、私達の来る前にこんなに多く集まるなんて計算外」
「打開策は?」
「……ここ一帯は遮蔽物が少ない平原。要所も無い上に、兵数が違い過ぎるよ」
「近くに策に使えそうな要所は無いかぁ」
仕方ない、と劉焔は双剣を手に取ると、踵を返した。
「雛里、僕があの数を減らせれば、勝ち目は出て来るよね?」
「確かに減らせれば、方形陣である程度まで耐えて従深陣へと編成すれば、敵を引き込むように包囲も出来るけど……」
そんなのは無茶だと彼女の眼が物語っていた。
だが、劉焔は引き下がらない。
「いい機会なんだってさ、僕が経験を積むのに。それに主上に誓ったんだよ、主上が望む世への道を切り開いてみせるって」
これは、その最初の一歩なのだ。
施してくれた恩を返す為にも、誓いを果たす。
「…朔くん……どうしても一人で行くの?」
「うん。危なくなったら、鳳雛殿の策がきっと僕を助けてくれるって信じてるからね」
「信じてくれるんだ……」
「仲間を信じて助け合うのは、うちの流儀なんでしょ?」
そうだね、と鳳統は頷くと、兵の一人を呼び出した。その兵は箱を持って来ると、劉焔の前に置いて隊列に戻っていった。
箱の中身は漆黒の鎧。そして、焔のように緋い兜だった。
「これは?」
「朔くんの兜と防具。意匠はご主人様が考えてくれた特注品です」
「へぇ。主上の美的感覚、中々だねぇ」
感心しながら、劉焔は鎧を装着していく。
黒一色に統一された軽鎧、籠手、脛当てといった必要最低限を組み合わせた代物。その為、防具としての能力は低いが、劉焔の動きをまったく邪魔しない。
防御よりも、敏捷性に重視した装備を劉焔は選んだのだった。
「あれ?」
よく見れば、どちらの籠手にも劉備がくれた羽のお守りに似せた模様が施されていた。
「御利益が3倍かな」
そして、最後に劉焔はじっと箱の中の深紅の兜を見つめた。
「ははっ。これは、確かに“鬼”には必要だね」
深紅の兜を被ると、劉焔は口許を吊り上げた。
濛々(もうもう)と土煙が上がる。その量の多さから、それを生み出す人の数がどれだけ多いかなど容易に想像がつくだろう。
彼らは今から悪行をなす。他者を傷つけ、虐げ、奪い、殺す。
そんな大群の前に、ぽつんと人影が一つ現れた。
それに気付いた盗賊たちはその歩を少し緩めた。
近付くごとに人影の形がはっきりしていく。
子供だ。
小さな体に不釣り合いな漆黒の鎧を纏い、腰には二振りの剣を佩いている。頭には意匠の変わった真紅の兜を被っていた。
その兜には、ちょうど額の辺りからまるで角が生えたように刃が付けられていた。
(………子供の鬼?)
武装した少年の姿を見た盗賊は、そう思った。
少年は双剣を鞘から抜くと、一直線に大群に向かって駆けた。
莫迦な子供だ、と盗賊は嗤う。
子供が大人に勝つのは容易ではないうえ、たった一人で3000の大群に挑んでくるなど、誰の目から見ても愚行この上ない。
だが、その笑みもすぐに消えた。
鮮やかな赤が宙を舞い、彼らを染めた。
それは仲間の――いや、仲間だった者の血。ある者は顔に付いた血のぬめりを信じられないとばかりに手で確かめていた。
そして、彼らは一様に仲間を物言わぬ骸に変えた少年を見た。
「さて、僕はあんたらを倒さなきゃいけないんだけど」
双剣についた血を振り払いながら、少年は言う。
「覚悟、できてる?」
「て、テメェは……」
「劉焔翔刃。平原の相、劉玄徳と天の御遣いに仕えし鬼だ。主の望む世に、アンタらみたいに悪行を為す人は邪魔なんだ。だから――」
―――――――喰らうぞ。その命。
宣告直後、劉焔は地を這うように低い姿勢で疾走し、盗賊に肉薄する。
瞬間、彼の姿が消え、衝撃が盗賊を襲った。衝撃は一直線に盗賊の隊列を貫き、それをなぞるように血飛沫が上がった。
疾る衝撃の終端。そこには地を削りながら、足を止めた劉焔がいた。彼は短く息を吸うと、もう一度疾走した。
劉焔の双剣――黒刃の干将と白刃の莫耶が盗賊の首を撥ねていく。
黒と白の刃の煌めきは盗賊を魅了し、そして斬撃は疾く鋭く美しい。
「この餓鬼がぁあああ!!」
叫び、盗賊の一人が槍を突き出す。
干将でその穂先を弾き、
「餓鬼? 鬼は鬼でも鬼違いだ。僕はあんたらに滅びを齎す鬼だよ」
莫耶で縦一閃に両断した。
「さて、ここからは鬼らしくやらせてもらおうか!!」
劉焔は咆哮をあげる。
「はあああああぁ!!」
大気を震わす咆哮は、盗賊を威圧する。彼らは自分が数歩後退ったことさえ気付かない。
「消えろぉぉーー!!」
干将、莫耶を一閃する。
双剣が鋭く弧を描いた途端、盗賊は黒の塊となって吹き飛んでいく。
その様はさながら、鬼の腕に薙ぎ払われたかのようだ。
先程までの斬撃が優雅であるのならば、今の斬撃は荒々しくも凄まじき豪撃。
その身だけでなく、その魂さえも斬り裂いてさえいそうだ。
「相手は餓鬼一人だろうが! さっさと囲んで殺せぇぇ!!」
大群の後方から頭らしき男の号令が飛ぶ。
盗賊たちはその号令に従え劉焔を素早く囲んでいった。
「へぇ。少しは頭を使う人はいるんだ。でも、その選択は間違いだよ」
人垣を睥睨すると、劉焔は己の言が誤りでないと証明した。
囲いをそのすぐ後ろにいた者さえ巻き込んで吹き飛ばす。
それを眼にした盗賊の一部は恐怖が頂点に達し、一目散に逃げ去っていく。
それは瞬く間に全体に伝播し、次第に我先にとばかりになった。
「お、おい!! 逃げんじゃねえ! あの餓鬼を殺せ!!」
「人望無いね、大将」
叫んだ頭らしき男は、首に当てられた干将の黒刃の冷たさに声を詰まらせた。
男はゆっくりと劉焔を見、気付いた。
「なんだよ、その眼は……」
人らしからぬ劉焔の双眸に射竦められ、男は己の間違いを悟った。
「化け物を相手にしてたのかよ………くそ、逃げりゃ良かった」
「そう、それが正解。あんたがこの盗賊の頭で合ってる?」
「ああ、そうだ……」
「じゃあ、今までの罪を清算させてもらうよ」
干将に力を込め、劉焔は頭の首を撥ねた。
ごろごろと転がる頭の首を一瞥し、劉焔は次に盗賊たちが逃げた方角を見た。
「一個訂正。逃げても無駄だったらしいよ」
そこには『鳳』の一文字が描かれた牙門旗を掲げる軍隊が、盗賊を次々と捕らえていた。
「うちの軍師殿はやっぱ聡いな」
うん、と一度頷くと劉焔は鳳統の許に歩き出した。
劉焔の戦い様を遠方より眺める者たちがいた。
「やるわね、あの子」
亜麻色のクルクルとカールさせた髪に人形のように整った顔立ち。彼女の碧い瞳が劉焔の戦い振りを見つめ、褒めた。
「華琳様」
自身の真名を呼ばれ、彼女は振り向く。
そこには髪を後ろに流した女性と片目を隠すように髪を伸ばした女性がいた。
そして、その後ろには『曹』の牙門旗を掲げた大軍団がいた。
亜麻色の髪の少女――性を曹、名を操、字を孟徳という。
己が覇道を突き進む英雄。
乱世の奸雄。
そして、曹操の真名を呼ぶことを許された彼女らは夏侯惇と夏侯淵という姉妹である。
「あの子、どこの所属か解った?」
「はい。あ奴が逃がした盗賊を捕らえているのは、鳳士元の部隊。恐らく、劉備の配下の将かと」
「そう。また劉備の許に英傑が集ったのね」
「嬉しそうですね、華琳様」
感慨深げな曹操の瞳に、夏侯淵は喜色を見た。
「ええ。困難なき覇道はつまらないわ」
「そうでしたな」
「そうだぞ、秋蘭。強者を打ち破り、我ら曹魏の武が最強だと証明してこそ、華琳様の覇道は成るのだ」
「その通りよ、春蘭。劉備は我が好敵手になり、覇道に華を添える力を付けつつある。眠れる龍が目覚める日も遠くない筈」
ほくそ笑み、曹操はまた劉焔を見遣る。
「あの童が気になりますか、華琳様」
「……そうかもしれないわね。速く優雅に戦うかと思えば、力強く荒々しくも暴れる。まるで人と妖との境界を行き来しているようだわ」
「そういえば、あの童。己のことを鬼だと言っていたようですね」
「へぇ。鬼を語るとは随分な子ね」
面白い、と曹操は思う。
緋色の一本角の兜、漆黒の鎧。
目にも留まらぬ速さに、体格に似合わぬ怪物じみた膂力も合わせ持つ。
「まさに小さな速疾鬼ね」
「そくしつき? 何なのですか、それは」
頭上に疑問符を浮かべる夏侯惇。そんな姉の相変わらずな面に、夏侯淵は頭を抱えた。
「姉者。速疾鬼とは地獄卒とも呼ばれる、破壊と滅亡を司る鬼神の別名だ」
「その鬼神の名はね、春蘭」
――――羅刹、と言うのよ