9.氷雨さんと温泉旅行1
期末テストも無事終わり、夏休みに入って数日たったある日のこと。
それは突然にやってきた。
氷雨さんとの2泊3日、温泉旅行。
とはいえ、勿論2人きりというわけではなく、私の両親と氷雨さんという不思議な一行での旅路である。
元々は毎年恒例、『花竹家 夏の家族旅行』として計画されたものだったけど、姉の急な仕事により直前で空席が発生。旅費もたいして戻らない日程で、折角ならということで、うちの母が氷雨さんのお母さんにお誘いをかけたことにより、結果、その席を氷雨さんが埋めることになった訳なのである。
「…………って!お母さん!いつの間に氷雨さんのお母さんと仲良くなってたの!?」
後部座席から訴えれば、助手席からのんびりした声が返ってくる。
「あら、結構前からよ〜〜?」
「ちょっと!そんなの聞いてないよ私!」
「そうだったかしら?それより、深王ちゃん、この前はひめりの勉強見てくれてありがとうね。御礼というわけではないけれど、今回はひめりのお世話なんかは無視して思い切り羽を伸ばしてね」
「ありがとうございます」
「ちょっと!?」
「うるさいのは放っておきましょうね♪」
「!?」
ということで、我が父の運転する車は伊豆へと向かったのである。
「氷雨さん、待って!ちゃんと入らないと日に焼けちゃうから」
真夏の空の下、眩しく肌を反射させながら颯爽と砂浜を歩く氷雨さんを必死で追いかけた。ペットボトル1本分ちょっと余るくらいの身長差、背伸びをしながら日傘を差し出すのは結構つらいのに、
「別にいい」
同じ炎天下を歩いているとは思えない涼しげな顔と声で撥ねられた。
汗だくだくで崩れきっている私とは対照的に、たった今家から出て来ましたと言わんばかりの完璧なコンディション。美貌というものは、どうやら熱気からも贔屓されるらしい。とはいっても。
「よくない!折角の綺麗な肌が勿体無いよ!氷雨さんみたく白い肌は、ちゃんと守ってあげないとすぐ赤くなって痛くなっちゃうんだから!」
「すぐ治るでしょ」
「治るけど!それまで本当に痛いんだからね!服着るのも、お風呂も。さては氷雨さん、がっつり焼けた事ないでしょ?」
「ない」
「ほらほら!なら、せめて日焼け止めだけでも塗ってください!」
言いながらバッグから日焼け止めを取り出すと、得意げに氷雨さんに差し出した。しかし、一向に受け取る気配がない。
「受け取ってよ!?」
「……面倒臭い」
「いやいや、にゅって出してぬりぬりするだけじゃん!」
「……」
びっくりしちゃうくらい露骨に嫌な顔。何がそんなに嫌なのか……。ベトベトするのが?
いや、それでも引くわけにはいかない。その国宝級の透き通るような白肌を守り抜くため、気圧されそうになるのをグッと堪えて強気に出る。
「そんな嫌そうな顔したってダメだよ!ちゃんと塗ってよね!こんな強い日差し下を無防備な肌晒して歩くとか見ていられないから!」
言ってやったぞ。そんな誇らしい気分に浸れたのは、言い終えて1秒も無かったと思う。
「じゃあ、塗って」
真っ直ぐな眼差し。綺麗な髪を海風に靡かせて、至って真剣な顔で放たれたのはあまりに衝撃的なものだった。
「へ?」
素っ頓狂な声が漏れ出た。
「そこまで言うなら、花竹さんが塗って」
言いながら、氷雨さんは近くの岩に腰を掛ける。
はい、どうぞ。とでもいうように。
「いや、えっ……わ、私が?」
「塗らないの?」
「え……えっと。……ベタベタ触りまくる感じになるんですが、それは……?」
「我慢する」
「あ……そう」
そうですか。と一旦心を落ち着けてみる。
そこまで面倒臭いのなら、仕方がない?のか?
まぁ、本人が良いなら……?
僅かな混乱に巻かれつつ、結局ここまで言われて引き下がることもできないので、不承不承といった形で塗って差し上げることにした。
後悔しても知らないぞ!
「じゃあ、腕、借りるからね」
そう言って、氷雨さんの右腕を取り、上から下へと日焼け止め液で一本線を描いた。そして、ぬりぬりぬり。マッサージでもするみたいに両手で腕全体に広げ塗る。沈黙が気恥ずかしさを増長させる。
「くすぐったいかもしれないけど我慢してね」
目は合わせず声を掛けた。
「大丈夫」
温度差のある涼しい声が返ってくる。氷雨さんからしてみれば何という事もないらしい。
なんていうか、もっと嫌がられると思ってた。氷雨さんって、無駄に触られたりとかそういうの、嫌がりそうだなって。
「そっか、じゃあ次、反対の腕借りるよ」
同じように塗っていく。それにしても、一切引っかかりの無い恐ろしい程の玉肌で。やや不健康そうな青白さも相まって、人形めいたものを感じてしまう。それは、同性としての羨ましさというよりは、芸術品に抱く感動のようなもので、惚れ惚れとするようないつまでも見ていられる美しさだった。
「花竹さん、いつまで塗ってるの?」
「……えっ?あっ、ごめん!じゃ、じゃあ最後は首と顔だね」
そう言いながら、流石にそこは自分で塗るかな?なんて思ってみたりもしたけれど、氷雨さんにそんな気は更々無いようで、眠るように目を閉じた。
「……じゃあ顔から塗るからね」
「分かった」
綺麗な形の唇が、僅かに形を変えて声を成す。
恐る恐る前髪を横に流し、額から順に塗っていく。小さくまとまった彫刻の様に美しい造形は、腕同様、人形を思わせる完成された美しさを誇るものだった。それなのに、私は同じように落ち着いて、見惚れてなんていられなかった。
気恥ずかしさなんてものじゃない緊張が、波のように押し寄せて、心臓が異様にうるさく叩き込む。
人形の様に綺麗ではあるけれど、時折かかる吐息とか、頬や唇の柔らかさ、そういったものが生身の女性であることを主張する。
憧れの王子様みたいな氷雨さんは、自分と同じ女の子なのだと、そう強く実感させられる。
それは私にとって、青天の霹靂みたいなことで、えも言えぬ感情が身体いっぱいに広がっていく。
「花竹さん?」
「あ……え!?」
気が付けば、水晶みたいな氷雨さんの瞳が私を見つめていた。私はその中に引き込まれそうになっていく。
「顔赤いけど」
そう言いながら、氷雨さんはひんやりと冷たい手を私の頬と額へ添えていく。
「少し熱い。けど、熱は無さそう」
冷静に分析される傍で、私の体温は益々上がっていく。
こっ……これは……、このままじゃ……。
「だっ、大丈夫だから!」
焦るままに声を上げたら、自分もびっくりするくらいの大きな声が出た。勢いよく距離をとり、そのまま氷雨さんに背を向ける。
だっだめ!ダメだ!このままじゃ!よし……うん。一度頭を冷やしてこよう。
「ご、ごめん!ちょっと火照ったから、海で冷やしてくる!」
そう言って一目散に逃げ出した。向かうは、海、一直線に駆けて抜けて、そのまま海へダイブした。冷たい水は皮膚だけを冷やしていって、その中まで落ち着かせてくれない。
振り向けないまま、私は胸をギュッと押さえる。
「ひ、氷雨さんにドキドキするなんて、いつものことじゃん」
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