6.体育と優しさ(たぶん)
「と、言う事で。早速ですが、私とペアになってください!」
そう言って体操着に身を包んだ私は元気に手を差し出した。
「無理」
差し出した手は風に吹かれ、冷たい言葉だけが返ってくる。
「なんで!?近づいていいよって言ったのに!お許し出たのに!」
「そこまでは言ってない」
「でっでも。これはあくまで授業の一環だし、どうせ誰かとストレッチしないといけないんだから、だったら私でも!」
根気強く食い下がってみれば、思わず距離も近づいてて、氷雨さんに指で額を押し返された。
「見学だから、私」
そう言われ、押されて開いた長い腕一本分の距離、そこから氷雨さんを下から上へとなぞり見た。
「えっ……あ!制服……。って、大丈夫!?怪我とか?風邪?」
「そういうのじゃないから」
「じゃあ……お」
「関係ない」
「でも!何かあったなら心配だし。もし体操着忘れちゃっただけとかなら私、予備あるから貸すし!」
「……」
氷雨さんの動きが一瞬だけピタリと止まった。
「あれ……本当に体操着」
「早く戻らないと相手いなくなるけど、いいの?」
被せて言われてはっとした。
「た、確かに!」
氷雨さんが見学ということは、今の女子は奇数になっているということ。つまり、あぶれてしまった人は先生とペアになってしまう!なんてこと!それだけは避けたい!全力で!
呆れ顔の氷雨さん。そんな姿に後ろ髪を引かれながら「今度は絶対一緒にやろうね!」なんて言い残して駆け出した。
コミュニケーションに自信があるかと言われれば、全く無いけれど。ここは腹を括ろう、声掛けまくろう!そう思ってた矢先のこと。
「おーい、花竹!おまえ、私とな!」
大きな活きのいい声を掛けられた。
どうやら私は、氷雨さんとの時間を楽しみすぎたようだった。
190cmオーバーの高身長、衣服からははち切れんばかりの筋肉を覗かせて、腕首ボキボキ鳴らしながら歩いてくる角刈り女性。彼女こそ、強豪と言われる我が校のレスリング部顧問であり、私達のクラスを受け持つ体育の先生である。
「ひぃぃ」
恐怖から思わず喉が引き攣った。
なにせ、彼女は、努力と忍耐に長けた強者揃いのレスリング部員ですら、異常なまでのストイックスパルタ指導故に『筋肉悪魔』と言って恐れるほどの人物なのだから。
要するに、泣く子も黙るなんとやら。
そんな彼女が身体中の関節という関節をボキボキ鳴らしながら「本気で行くぞ」と目が笑っていない笑顔で距離を詰めてくる。
ストレッチの本気ってなんですか!?ってそういうのはほんっと全然分からない。ただ、エリート運動音痴の私が決してお相手できるものでは無いことだけは確かな訳で。
来たる恐怖に身が震え、まるで地獄の門前に立たされているかのような気分に陥った。
「あっ!折角だから肩甲骨剥がすか?」
思いついたように言うと、無邪気な顔で悪魔は微笑む。その無邪気さがまた私を縮み上がらせる。
「ほ、骨……?剥がす……?」
カタコトみたいな言葉が出て、絶望と恐怖で視界が滲み始める。
身ぐるみどころか、骨すら剥ぎ取られたら、何が残るんだろう、なんて青空見上げて覚悟を決めた時。
冷たい声が私の心を包み込む。
「ーー花竹さんの相手、私がやってもいいですか?」
って。
後ろから放たれる声に動揺して、思わず振り返れば、またデジャブ。
私の目には、まごう事なき王子様が映り上がってしまっていた。
ま、また……!またなのか……!
悔しい思いと、自然に湧き上がる高揚感。
憧れ憧れ憧れ、憧れだから……って念仏みたいに唱えて落ち着ける。
そんな私なんか露知らず、先生と氷雨さんとの会話は着々と進んでいた。
「やっていいかって、お前、今日見学だろ」
「体操着を忘れただけなので」
「あれ?そうだっけ?」
「はい」
「悪い、ちゃんと聞いてなかったわ」
「……」
「まぁ、そういうことなら全然いいよ、参加して。私も、感想文読むのとかめんどいしな」
「ありがとうございます」
淡々した声と底抜けに明るい声のテンポの良い会話。終われば、先生は背を向けて元の位置へと帰っていく。
「ひ、氷雨さんんんん〜〜!!」
私は氷雨さんの方へ身体ごと向き直り、心のままに飛びついた。
「なに」
心底迷惑そうな顔と声が返ってくる。
「ううううう〜〜〜ありがとう〜〜〜」
涙ながらに伝えると、氷雨さんはため息をつく。
「離れて。感想文よりマシなだけだから」
ここで頬でも赤くしてくれたらツンデレなのかな、なんて勘違いできるのに。氷雨さんは相変わらず真っ白な陶器肌、そして眉間に皺を寄せるだけ。
日に日に大きくなる愛おしさに、より一層強く抱きついた。
「ううううううう〜〜〜!氷雨さん!大好きです!!」
「うるさい、離れて」
冷たい言葉に冷たい態度、それすらも私を笑顔にしてしまうのだった。
■おまけ■
「花竹さん、寝て」
一通りストレッチを終えた後のこと、ちょっと余った時間で氷雨さんからそう言われた。
素直に仰向けになって、何だかドキドキする。何されるんだろう、なんて少し高揚感に包まれて待ってみると。
「うつ伏せで」
そう言われてしまった。うつ伏せ……、うつ伏せって何が出来たっけ?とか訳わからないことに考えを巡らせていると、そっと背中に触れるものを感じた。
ちょうど背筋から少しズレたあたり、そこをくすぐったい位の優しさでなぞられる。つつーっと、探るように。
「ちょ!ちょちょちょちょっっと!?氷雨さん!?」
ダメな感覚、ダメな時間!今、授業中!!急いで私は氷雨さんを呼び止めた。
「なに」
どうでも良さそうな声は本当にどうでも良いらしく、私の言葉に手を止める気配すら無かった。
「いや、私がなに、だから!ていうか、本当何してるの!?」
そう言って無理やり顔を後ろに捻ろうとする。けれど、両手で優しく戻された。布越しだった指が直接肌に触れて、細さと冷たさが感じられる。その感覚に私の胸は大きく跳ね上がる。
「もう少しだから前向いてて」
淡々とそう返される。けれど、うつ伏せにされた身体では、潰れた胸の真ん中で自分の心臓が力強く反発をしてくるから。否応なしに自分の心内を見せつけられるようで、それが羞恥と相まって、尚のこと自分を熱くさせるのだった。
「あ……これか」
公開処刑みたいな時間が暫く続いた頃、氷雨さんが、独り言のようにそう呟いた。
なんていうか、物凄く嫌な予感。
待って!これかって何!?
そう言おうとした時だった。
「まっ!こ!?うあっ!!」
クイっと初めての場所に力が入って変な感覚に襲ってくる。それから、肩の付け根からゆっくり動かされ。気持ちいいかと言われると、そうでもない。というか寧ろ、気持ち悪い。
「こっ……これなに?」
ゆっくりと私の腕を待って回し続ける氷雨さんを、少しだけ傾けた顔で覗き見た。さっきまであった胸の脈動なんか、すっかり収まってた。
「肩甲骨剥がし」
「…………え!?」
先程、この世の終わりかの如く恐れていたソレ。今まさに、と聞いて固まった。ていうか、事後報告!
「別に痛くないでしょ」
「……まぁ、うん」
若干の不服感は残るけど。それでも、取り敢えずは頷いた。確かに、あれだけ怖がっていた自分が馬鹿馬鹿しくなるくらいには、なんて事のないものだったから。
それに、何で急に?私の絶望の姿を目の当たりにしてるはずなのに。と、ちょっとした引っ掛かりを突き詰めれば、夢見がち楽観主義な私は、良い方良い方に考えを進めて。
恐怖していた私に、肩甲骨剥がしは怖くないものだと教えてくれようとしたんじゃないのかな!?とか考えちゃう。
それで、私は、
「……氷雨さん、あ、ありがとう」
なんて、照れつつも心を込めて言ったりして。
「なにが?」
なんて言われても、それすら照れてるのかな?とかご都合思考を突き進んでいた、けど。
「肩甲骨剥がし、怖がってたからやってみてくれたんでしょ?」
って期待を胸に聞いてみれば、見事なまでに砕け散った。
「……何それ」
「…………何それ!?えっ、じゃあこれなに?」
「昨日テレビでやってたからだけど」
「……え」
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