3.自覚
「ーーって、ないない!絶対ないから!!」
私は、深く潜り込んだ布団から雑念を振り払うみたいに勢いつけて起き上がった。
朝5時。いつもより2時間ほど早く目を覚ました私は、布団の温もりに包まれながら昨日の出来事を回顧していた。けれど、思い出せば思い出すほどに、時間が経てば経つほどに自分の無意識下の言葉が頭を悩ませるのだった。
気がつけば早起き分の余裕は着々と消費して、いつもの起きる時間になっていた。
王子様っていうのは男の子。氷雨さんは女の子。そもそも根本的なところが違うから!
そう心に押し入れるかの様に、ペチンと自らの両頬を叩いて気合を入れた。
学校に着いて、目を向けたのら教室窓際、前から3番目。彼女の姿は……ない。
意外と朝はゆっくりなタイプなのかなーーって、何ギャップに思いを馳せてんの私!?
危ない危ない。
私は顔を大きく横に振って、ペチンと両頬に気合を入れた。
今日はできるだけ氷雨さんに関わらないようにしよう。出来るだけ見ないように考えないように。
そう心に決めたはずがーー
ダメだった。
ダメダメ。
全然ダメ。
朝礼ギリギリ3分前。他の人は「ギリギリセーフ!」とか言って、焦って駆け込んでくるにもかかわらず、そんな中でただ1人、まるで流れている時間が異なるかのように、優雅とさえ言えてしまうような余裕綽々な態度で歩くその姿とか。
体育の時間、持久走で3km。呼吸も荒く、汗水火照りで見た目ボロボロ。髪もキシキシ。普通はそうなる筈なのに。乱れる事を知らない呼吸に汗知らずの羽二重肌。短いストレートヘアをさらさら靡かせ走るその姿とか。
数学の時間。意地悪教師の悪趣味で、自作の捻った問題当てられても、スラスラ黒板に答えを記すその姿とか。
やることなす事全てがキラキラと輝いて、意識せずとも自動追尾で追ってしまう。そんな私の目にはいつだって、氷雨さんの背後に可憐な花がびっしり浮かんで見えるのだ。
ダメじゃん。私、めっちゃ気にしてるじゃん。
反省しつつの昼休み。どうやら氷雨さんは教室で昼食をとるタイプではない様で、私の自動追尾機能も行き場を見失い、やっと視界の自由を取り戻す。久々の開けた視界にぼんやりしてたそんな時、ピンッと額が弾かれた。
「ぅうわっ!!」
痛みというのはそれほど感じなかったものの、呆然としていた中だったので驚きが大きくて。ついオーバーリアクションになってしまった。
「お!いい反応!それじゃ、もう一発……」
「麻子ちゃん。だめ!」
目の前にはいたずらっ子のような笑顔で手を伸ばす麻子ちゃんと、幼子を叱るようにキリリと制する美子ちゃん。
「でもさー、こいつやっと『あー』と『うん』以外の言葉喋ったじゃん」
「でも、ダメ!……あ!ほら、ひめりちゃん、おでこ赤くなっちゃってる!」
慌ててお弁当に付いていたであろう、ふにゃふにゃの保冷剤を美子ちゃんは私の額に押し当てる。少し美子ちゃんの家の香りがする。行ったことはないんだけど。
「ごめんね。大丈夫?」
心配そうに覗き込んでくる美子ちゃん。物凄く近い距離。ふわりと甘い香りがただよって、私が男子ならイチコロだろうな、なんて考えてしまう。まぁ、私でもちょっと……照れる。
「あ、ありがとう。でも、びっくりしただけで全然痛くなかったよ」
照れ隠しに少し目線を逸らしつつ、保冷剤を受け取った。
「それなら良かったけど……、でも体調とか悪いなら無理しないでね?ひめりちゃん、今日様子がちょっと……おかしいから」
「ちょっとってレベルじゃないだろ」
「……?」
確かに氷雨さんを目で追いかけまくった自覚はあった。けど、それ以外については通常運転のつもりだった。だから、2人の言葉には違和感を感じる。思い返しても、これといって思い当たる節もない。
「あれ?私、そんなに変な感じだったっけ?」
「なんか取り憑かれてるみたいだったな。目も虚だったし」
「そんなに!?」
助けを求める様に美子ちゃんを見ると、ただ眉をさげてニコッと笑うだけだった。
あながち、という訳か。
無意識下の行動に結構衝撃を受けていると、さらに追い討ちをかけられた。
「それにさ、歩いてても急にフラフラどっか行くんだよな。よだれも垂らすしな。とにかく果てしなく気持ち悪いぞ、今日のお前」
「え!よだれ!?」
「大丈夫、ひめりちゃん。ちゃんと拭いてあげたから」
女神の様に微笑む美子ちゃん。励ましなのかグッと拳を握って見せてくれる。
「そういうことではなく!」
とにかく、2人の話をまとめてみる。つまり。
「虚な目でよだれ垂らしながら『あー』とか『うー』とか言ってフラフラ歩く……それが私」
「そうだな」「そうねぇ」
「妖怪じゃん!」
「そうだな」「……」
優しい美子ちゃんの無言は逆に効くものがあった。
「で、まぁお前が妖怪なのはいいとしてさ。何でそうなったんだよ?また変なのにでも言い寄られたか?」
「いや、そういうわけでは……、無いようなあるような……」
麻子ちゃんと美子ちゃん。
双子の様なネーミングだけど、双子ではないこの2人は、高校に入ってから知り合って、何やかんや行動を共にする、所謂同じグループの友達だ。
女神の様な優しい微笑みを投げかけるふわふわ美少女が美子ちゃん。金髪故かキリッとした目つきからか一見きつそうな印象を持たれがち。だけど意外とそうでもない、そんなクールビューティが麻子ちゃん。
2人とも超絶美人で、優しくて。何より私なんかよりずっと社交的でモテモテだ。
そんな2人がなんで私なんかと仲良くしてくれるんだろうって考えると、多分、入学早々色んな意味で目立っちゃった私を守るように一緒にいてくれたことがきっかけなんだと思う。
だから、そんな2人が姉に会いたいと言えば、ちょっと寂しいけど取り持つし、ガールズトークだって頑張って話に乗る、ような気がする。けど、そんな事は起きなくて、結局そういう2人だから、私は彼女達と一緒にいたいと思うのだろう。
私は、迷子のように戸惑っていた視線を、真っ直ぐ正面に定め口を開いた。
「あ、あのさ!」
正直話題に出すつもりは無かったから、少し胸がドキドキしている。
「氷雨さんってどう思う!?」
言い切って2人の顔を見てみれば、ぽかーんとした表情。
あれ?
「ひ、氷雨さんって分かるよね?同じクラス窓際席の」
そう言いながらそっと今は空席の窓際前から3列目付近を指差した。
「いや、知ってるけどさー……どうした急に?」
麻子ちゃんの眉間に薄っすら寄るしわ。
あ、もしかして、まずった?悪口言おうとしてるとか思われた?
「あ!えっとね!わ、私、氷雨さんってすっごい綺麗だなって思って!しかも身長高くてスタイル良くてさ、多分頭もすっごくいいよね?だから、物凄くモテたり、人気爆発してもおかしく無さそうなのに、そう言うの聞かないなぁ〜って思って……」
なんて考えてる事を焦るままに口走ったものだから、我ながらすごくバカっぽい言葉に仕上がった。
その所為か、2人から思う反応が返ってくることはなく、ただただ気まずそうな表情をしているだけだった。
「……あれ?もしかして私にだけ特別スペシャルに見えてる?」
「いや、そういうわけじゃ無いんだけどさ……」
苦笑いに歯切れの悪い答え。視線すらも流れてる。麻子ちゃんらしからぬその態度は明らかに怪しい物だった。
意図の分からない麻子ちゃんの態度に首を傾げるが、2人とも居心地悪そうに変わらぬ表情を続けるだけ。
何を誤魔化されているのかはよくわからなくても、隠されるものってやっぱり気になっちゃう。何かあるなと確信した私は、とにかく怪しみの眼差しを一心に麻子ちゃんへ注ぎまくった。逸らす目を果敢に追いかけ続け、飛ばされるガンにもめげずに。そして、ようやく麻子ちゃんは溜息と共に観念した。
「まぁ、いいよ。むしろ早めに目が覚めていいかもしれないし」
呆れ顔と共に重い口が開かれて、語られたものはこういうものだった。
私が集られまくり追い回されまくって結構大変な思いをしてた、入学からの3日間。氷雨さんも、結構壮絶な状況にあったらしい。
入学当初、私の想像した通り、氷雨さんはその抜群の美貌で老若男女生徒教師問うことなく、悉くの人々を虜にしていたとのことだ。それは、歩くたびに声を掛けられ、告白されたり叫ばれたり失神されたりと、とにかくアイドルとファンというよりかは、教祖と信者という表現の方がしっくりくる、そんな異様な光景だったらしい。
そして、その数多のアプローチを氷雨さんがどうしたかといえば、見事なまでに容赦無く切り捨てていったらしい。
「興味ない」「うるさい」「邪魔」たったそれだけでも言葉が返るならいい方で、大体は無視。良くて、一瞥。とにかく平等に、上級生だとか人気者だとかに関わらず、流れ作業のように、足すら止めず。
そんな無慈悲な行動を表情一つ変えずに積み重ねた、その結果。周りの氷雨さんへの感情は憧憬から畏怖に変わっていき、たった3日で言い寄るどころか名前すら出す者は居なくなったとのことだった。
そんな話を聞いて、私は何度も何度も頭の中で想像してしまった。
氷雨さんが、大勢の人の中を颯爽と歩く姿とか、どんな気持ちでその中を歩いたのかなとか。相手の気持ちとかその反応、先のこと、考えなかったのかな、とか。
そんな事を考えて放課後。
校舎前、部活動中の生徒の声が諸所から聞こえる中、私は家路へ向かう氷雨さんの前に立ちはだかっていた。
そして、大きく息を吸って、声を大にして告げる。
「氷雨さん!大好きです!!」
「……っだから!あのっ!一緒に……一緒に帰りませんか?」
勇気を出して人生初めての告白。
そして、何故だか足を止めてくれた氷雨さんとの沈黙に戸惑って、思わず口にしたお誘い。
返事なんてないと思ってた。
「……勝手にしたら」
「……」
絵になる無表情の口からはちゃんと返事が返ってきた。しかも承諾。
目を見開いて、なんなら口までがっぽり開けた埴輪顔で唖然とする私。
そんな私を気にすることなく再び歩みを進める氷雨さん。
戸惑う間に、適度に開いた距離は長い脚で縮められ、すれ違う。
「……行かないの?」
……。
……。
……ん?
「いっ、行きます!!」
あれ?あれ!これってもしかして脈アリ!?




