10.氷雨さんと温泉旅行2
やっと身も心も落ち着いた頃、そろそろ戻ろうかなと水から上がってみれば、なんと氷雨さんが消えていた。
勿論、消えたなんて言葉の綾に決まっている訳だけど、それでも突如出来た壁により、氷雨さんが見えなくなっている、というのは事実だった。
とはいえ、何処にいるかは一目瞭然で。氷雨さんは、恐らく一歩も動いていない。ただ氷雨さんの周りに、テトラポッドみたいな、威圧感ある人の壁がいつの間にやら建造されてしまっただけなのだ。
「なんってこった……」
そう呟いた私の声は後ろの波にかき消された。
私が海の藻と戯れている間に、随分とんでもないことになってしまったようだ。麻子ちゃんから聞いてはいたけれど、氷雨さんに人が引き寄せられていく状況をこの目で見るのは初めてだった。
これか、こういう事か。正直、中がどうなっているのか分からないけど、多分氷雨さんはこの中で――……。
えっ!?あれ?何してるんだろ?聞くところによれば、寄ってくる者は皆容赦なく切り捨てるスタイルらしいけど……。それなら、もう中にはいないんじゃ無い?バサッと一刀両断、それから……ホテルに戻ってる?
でもそうなら、あの人達は何してるんだ?なんでまだ集まってんだ?
まさか、氷雨さんの座っていた岩を眺めてる……とか?
いやいや、それは無い!無い……と思う。だってそんな『かつて、氷雨深王が座った岩』とか!なにその偉人!いや無い、無いでしょ!
そしたら、やっぱり氷雨さんは中に……?
考えても出ない答えに暫く人垣を眺めていると、ぼんやりと以前、姉と街を歩いた時の光景が重なった。
無遠慮な好奇の視線、口々に放たれる有る事無い事の勝手な言葉。
何となく、氷雨さんはそこに居る気がした。
もしかしたら、今が絶賛切り捨て中なのかもしれないし、まさかまさかオンではキャラ的クール気取ってて、プライベートはリアル王子様、握手会開催中ですみたいなことだったりするかもしれないけど。
それでも私はあの時の、ヘラヘラといつも能天気な姉の、ちょっとだけ辛そうな顔がこびりついて離れないから。
出来ることは無いと思うけど!って心で叫びながら、走り出していた。
眼前に迫るといよいよ熱気と迫力に酔いそうになる。本当に、この暑さに大丈夫かってくらいのお年寄りとか、派手なお兄様お姉様方、幼女まで、老若男女問わずでこの壁は形成されていた。
「どうなってんだ、これ」
ここ、こんなに人いなかったでしょ?なんて、異様な光景に若干引きつつも、無理矢理押し進んでいけば、嫌でも耳が色んな会話を拾い上げていく。
「1人かな?」とか「男の子かな?」とか「めっちゃ美人」「何かの撮影?」「芸能人?」とか。
その一つ一つに頭の中で突っ込んで、どうにか氷雨さん目指して進んでいった。けど、結構筋肉質なお兄さんとか強気なお姉様とかも居たりするので、一筋縄ではいかなくて、ちょっと押し戻されたり流されたりを繰り返してた。そんな時。
「あの子、すっごいイケメンだよね、俳優さんかなぁ?」
って声が聞こえた。いつも通り、違う違う!氷雨さんは女の子だし!そもそも一般人ですから!なんて突っ込みながら流そうとしたら、お返事まで聞こえてしまった。
「はぁ?あんた何言ってんの?あの子女の子だよ」
その声に、お!分かってるじゃん!なんて思わずうんうんと頷いてしまう。
「えぇ〜そう?」
なんて、いまいち納得して無い声が聞こえて、ふっとほくそ笑んだところで、凄い言葉が耳を掠めた。
「そうだよ!だってさ、ほら、股のとこ――」
は!?
「え〜そんなとこ見てんの?……まぁ確かに胸も――」
はぁぁぁぁぁぁ!?えっ……はぁ?えぇぇぇ!?
ちょっと頭が追いつかなかった。
え!なに!?好奇の目に晒される当事者ってこんな感じなの?
こんな、検査でもされるみたいに全身覗き込まれ、事実と想像が織り混じって色々明け透けにされたりするような、そんな感じなの!?って。
私はちょっと前まで集られることに関して、氷雨さんと同じような状況みたく考えてた。
けど、全然違う!私のは、姉代理みたいなものだから、流石に私自身ジロジロ見られるってことはないし。それに、姉の横にいた時だって、流石にここまで生々しい声を直接聞いたことは無かった。
だめだ!早く、一刻も早く氷雨さんをここから連れ出さなきゃ!
胸から湧き上がる嫌悪の炎が私を焚き付けて、さっきよりも強引に割り入っていく。最初は一応、『すいません、すいません』なんて謝りながら進んでいた私も、途中からはかなり図太く図々しく。軽くブーイングを受けるくらいには激しめに突き進んで行った。
その甲斐あって、やっと氷雨さんが見え始めて。
心のどこかで、バサバサといつも私に言うように冷たく尖った氷柱みたいな言葉を放ちまくってるって思ったのに。こんなに囲まれたって、素知らぬ涼しい顔をしているんだろうなって思ってたのに。
なんて顔を――――。
そんな時。
「ちょっと写真撮っとこ」
少し前から女性の声が聞こえてきた。目を向けた先には、スマホが構えられていて、画面には氷雨さん。私は、咄嗟に距離を詰めて身体を傾けた。
こういう時、少女漫画とか乙女ゲームならもっといい感じになるんだけど、基本平和主義な私には、これが精一杯だった。
「うわー、転ぶー」
そう言ってから、女性の手を振り払うように躓いた。パサっとスマホが砂浜に落ちる。そして、私も落ちる。うっ、ちょっと痛い。
うだるような暑さ、人集りの熱気も相まって、せっかく冷やした身体はかなりべとついていた。だから、そのまま砂浜に倒れ込んだ私の全身は、当たり前だけど砂まみれになっていた。
一応すぐそばに落ちたスマホを拾う。それで、振り返って女性に返した。
「ごめんなさい……」
すると、まるで化け物でも見るみたいに、みるみる血相が変わっていく。
え……、そんなに?
砂まみれだけでそこまで引かなくても、ってちょっぴり心に傷を負っていると、だ。
腕にポタっと水滴が落ちてきた。口に少し、鉄の味もする。
――?
何だろうって確認するよりも先に「きゃあ――!」と叫び声を上げられる。それからスマホを奪い取り、走って去っていく女性。
なんだ、いよいよ悲しくなってくるぞ。
しかも、周りの人達ですら、氷雨さんではなく私に視線をシフトさせていた。そして、そのなんとも言えない引いた表情。
え、なぜ……そんなに?
洗脳された集団に追い詰められるみたいな不気味な感覚を味わいながら、振り向き直す。
やっと出た先頭。勿論、氷雨さんがいた。
そして何故か氷雨さんの口角はちょっと上がってた。だから、もしかしたらあの顔は見間違えかもしれない。でも、まぁいっか!
私は、周りの不気味な視線なんかさっぱり忘れ去って、そのまま氷雨さんに駆け寄った。それで開口一番「行こう!」って氷雨さんの手を取ったのだった。
それからは無心で、ただただ一生懸命、逃げるように手を引っ張った。
それからなんとなく走り続けて、だいぶ人気もまばらになった頃。ホテルに戻ろうと、ぼちぼち歩きながら色々話を聞いていた。
聞けばあの異様な人だかり、発端は氷雨さんのうたた寝らしい。うたた寝!?あの暑さで?と突っ込んだことは置いといて。とにかく私が逃げ去った後、暇を持て余した氷雨さんは強い睡魔に襲われたらしく。それで、初めは岩に寄りかかるようにしていたのが、いつの間にか寝そべる形になり、そして夢の中へ…………旅立ちそうになったところで声を掛けられたとのこと。「大丈夫ですか」って。(いや、当たり前!)
それで仕方なく目を覚まし、起き上がってみると、あの光景。要は、体調不良で倒れてるんじゃ無いかって心配されてたってことだ。
流石に悪いと思って、謝りつつも事情を話していたら、野次馬的人も加わってきて、あの状況。
心配を掛けた人もいる訳だから安易に無下にも出来なくて――。
「って!もぉ――――本当、何してんの!!」
ツッコミどころがありすぎて思わず叫んだ私を、氷雨さんは僅かに笑う。
「笑い事じゃ無いよ!本当、まったく!心配したんだか……ら?」
急降下するみたいに最後だけ勢いがおかしくなったのは、何やら動きを見せていて目で追っていた氷雨さんの手が、何故だか私の頭に着陸したからだ。
え?何これ?ご褒美的なやつ?それとも、何かトラップ?
戸惑いと共にその手に意識を集中させていれば、氷雨さんのいつもより少しだけ柔らかい声が落ちてくる。
「花竹さんも……何してんの」
言いながら氷雨さんの親指が私の額をなぞり上げる。
少しドキッと胸を鳴らした所で、親指をゆっくりと目の前に見せつけられた。それは、言葉通りの眼の前で。そこには、綺麗で鮮やかな……。
「血――――!?」
慌てておでこを抑えてみると、確かに感じる僅かな痛みとほんのりヌルヌル感。
「な、なんで早く教えてくれなかったの〜〜!」
恥ずかしさとか色々で涙目で訴えてみれば、目を細めて笑う氷雨さんがそこにいた。
ああ、もう!と。
私はちょっと不服な表情を作りつつも、あの時のあの氷雨さんの顔が、混線した状況に対する困惑的表情だったらいいな、みたいなことを考えた。
いつもお読みいただきありがとうございます!
温泉旅館は、2泊3日なだけあってもう少し続きます。




