瑠璃色の尾を震わす君
「…行ってきます。あなた」
僕の頬に幽かな君の吐息が触れたと思ったら〝チュッ〞とキス音のようなものが聴こえ、思わず目蓋を開きそうになった。
君は蝶の羽音のような幽かな声で僕に囁くと、ぎしっ…とベッドを軋ませた。どうやら、ベッドから離れたようだ。
────パタン。
寝室の扉が閉まる音と、廊下向こうに君の足音が消えてゆくのを鼓膜で確認すると、僕はぱちりと目蓋を開いた。
ベッドから降りて、窓の外を見る。そこには、薄手のネグリジェのままで何処かへと向かう君がいた。
「君はいったい何処に行くんだ…こんな真夜中に」
僕はそう呟くと上着を羽織り、君に申し訳ないと思いつつ、静かに君の後を追った。
最近、真夜中になると毎日のように妻がベッドから離れる。最初はトイレとか水でも飲みに行ってるのかなと思っていたが…昨夜、たまたま窓の外を見てみると、ネグリジェ姿の妻が何処かに向かって歩いていくところを目撃した。
だから今夜、僕は寝たふりをして君の後をこっそりと追うことにした。
(こんな真夜中に…しかも、あんな薄い寝間着で何処に行くのだろう…もしかして男か?)
冷たい潮風に身体を震わせながら、君に気づかれないように君の後ろを追いかける。
(もし、君が男と逢い引きしているところを見たら…僕はどうすればいいんだろう。どうするんだろう…)
不安が僕の胸を強く叩き、うっ、と思わず吐きそうになる。
君の後を追っていると、潮の香りが濃くなってきた。
そして。
────ザザー…ン………
明かりのない木々の間の道を抜けると、広大な闇が…夜の海が静かに波音をたてていた。
君はさくり、と砂浜をひと踏みすると一度足を止め、ほどなくして暗い海へ向かって真っ直ぐに歩みを進めた。
すると、君が海の傍まで行って足を止めた瞬間───雲に隠れていた金色の満月が顔を出した。
さっきまでの真っ暗な海がうそのように金色に煌めいてゆく。
まるで、金色の満月が君に会うために顔を出したかのように。もしくは、君が魔法を使って満月を覆う雲を晴らしたかのように見えた。
「───」
潮風に乗って幽かに。君が満月を見上げながら何か囁いているのが聴こえた。
瞬間。
────ぱさり。
君は砂浜にネグリジェを脱ぎ捨てた。
露になる、君の白くて美しい身体の曲線。
普段から美しい君の素肌。けど、満月に照らされた君の素肌はいつにも増して美しく…神々しく見えた。
目が、離せなかった。
君は裸になると、ゆっくりと海へと入っていき…そして。
───ザブン!
君は勢いよく海に潜った。驚いた僕は君の名前を叫びながら、ジャブジャブと慌てて海に入った。
すると、大きな魚の尾のようなものが海面を叩いた。と思ったら、ザブン!と海から勢いよく出てきた。
キラキラとした水飛沫を散らしながら海から飛び出てきたのは…紛れもない、君だった。けど、下半身は魚の尾びれのようになっていた。
君は瑠璃色の尾を震わせながら、楽しそうに、気持ち良さそうに、ざぶんざぶんと海に潜っては勢いよく飛び出るを繰り返していた。
その様はまるで────
「人魚…」
僕がそう呟くと、君が僕に気づいた。
「なんであなたがここに…」
目を丸め、消え入るような声で君は言うと、ぽろりぽろりと真珠のような美しい大粒の涙を溢し、そして。
「さよなら…」
そう言って、君は海の方にくるりと向きを変えた。
───今君を掴まえられなければ、もう2度と君に会えない。
そう思うより先に、僕は君に手を伸ばし君の腕を掴んでいた。そして。
「…行かないでほしい。行くな」
君の身体を抱き寄せ、僕は言った。
「…でも私人間じゃないのよ。人魚…化け物なのよ」
声を身体を震わせながら、君は言った。
「化け物なんて思わない。どんな姿でも君は君だ。寧ろ、人魚姿の君はいつにも増して魅力的で美しい。…君をもっと好きになったよ」
「あなた…」
「人魚でもなんでもいい。これからも、僕の傍にいてほしい…ずっと」
僕はそう言って、君の頬に手を添えた。君のサファイアブルーの瞳が揺れて、大粒の真珠がぽろりぽろりと零れていた。
「愛してる……」
濡れた君の柔らかな身体をさらに抱き寄せながら、僕は君の口唇に口づけた─────
ありがとうございました。




