天音雪の明日と新庄陸の過去
死神との邂逅の翌日、陸は雪の病室を訪れていた。
「実は見学ツアーに参加する事になったんだ」
彼は死神との地下都市の罪を巡る旅を彼女にそう説明した。雪に自分が見聞きしたものを話す。それはタナトスが陸に挙げた条件の一つだ。彼女曰く「罪は個人の間で解決するものではなく、他者、それも二人以上の者に知られて初めてそれは罪と呼ばれるんだ」らしい。が、その理屈は彼には全くもって理解出来ない。どうせ、雪の反応が見たいとかそんな下衆な理由だろうと陸は予想していた。
「へぇ~そうなんだ。どこ行くの?」
憂鬱な陸の内心とは裏腹にベッドに腰かけた彼女は目を輝かせている。それもそのはずだ。地下都市の首脳部を覗ける事なんて殆どない。
「明日は第三区のタンパク製造工場の予定。そこで土を肉に変えるための装置だとか、『魔術師』が作った組成式変化表だとかを見せて貰えるんだって」
「いいなぁ。私も行ってみたいなぁ。すっごいレアな体験じゃん。陸君だけずるいよ。なんとかして私もねじ込んでよ」
雪は両手を握りしめてぷくーっと頬を膨らませる。その姿はまるで頬袋を一杯にしたリスのようだ。といっても陸はリスを実際に眼にした事はないが。
「無理だよ。僕だって凄い倍率の懸賞に合格してやっと選ばれたんだもん」
「そんなの分かってます~。言ってみただけです~」
相変わらずムスッとした様子で雪は不貞腐れている。けれど、陸が宥める様に「見て来たもの教えてあげるから機嫌直してくれよ」と口にすると、さっきまでの不機嫌が嘘のように満面の笑みを浮かべて「楽しみにしてるね」と笑った。
「うん。楽しみにしててよ」
そんな彼女に陸は神妙な顔つきで頷く。
「ところでさ。ちょっとお願いがあるんだけど聞いてくれない?」
「なに? 突然改まって」
眉を下げた雪に口角を上げて陸が尋ねる。
「実はもう長くないって言われちゃってさ。管理AIによると持って後一週間らしいの」
後一週間。
あと一週間。
あといっしゅうかん。
雪の言葉が陸の頭の中で何度もフラッシュバックする。
「え?」
つい先週は一か月だった。短いけれど、それでもまだ遠い未来のように感じられた。だが一週間は違う。そんなのは七日しかない。
「だからね、お願いがあるの。わがままな私の最後のお願い」
彼にとって雪にわがままを言われた記憶はない。彼女の言うわがままなんてものは、陸にとっての救いで、妹を失った自分を絶望から引き揚げてくれた彼女への恩返しでしかない。
「私のお願いはひとつだよ。私が死んだらこの病室の上から三段目の棚を開けて欲しいの。そのための鍵はAIに渡しておくから、死んだ後に受け取って」
ふわりと昔から変わらぬ暖かさで、雪は陸にそう言った。けれど、彼女の暖かさを素直に受け取れるほど彼は大人でなく、現実を見れない。
彼女はどこまでも陸の憧れだった。妹と同じ生命エネルギーを搾取される事による身体障害を抱えながらも誰よりも強くて、優しくて、妹が笑ったまま死ねたのも彼女のお陰で。雪は陸にとって道標だった。
文字通り彼女のためなら陸は命を捨てられる。
そう思えるほどに。
「分かったよ」
彼は瞳を潤ませて自分の手を強く握りしめた雪に震えそうになる声を押さえつけてそう返した。
「ありがとう」
彼女は小さく頭を下げる。雪の金色の髪が窓から差す人工太陽の光を反射して湖の波間のようにきらきらと輝く。けれど、その輝きは喪われてしまうもので、陸が地下都市で出会った本物は骸へと移り行く定めで。
「気にしないでよ。雪のわがままなんて僕にとってはご褒美みたいなもんだから」
彼は得意気に笑いかける。それを見て彼女は「そういう趣味だったんだ」とからかうようにはにかんだ。
「そういう訳ではないけどね」
困ったように陸は苦笑する。
「ちょっとでも雪に恩返しが出来れば僕はいいんだ」
「気にしなくていいのに。というよりむしろ気にしないで。私は私がしたかったから桜ちゃんと一緒にいただけだよ」
「そうだとしても僕は返しきれない恩がある」
「本当に陸君は強情だね」
雪は唇を尖らせて、
「陸君が私と一緒にいてくれるのは桜ちゃんと仲良くした私なの? 天音雪は見てくれないの?」
泣きまねをしながら陸の胸に倒れ込む。
突然自らの胸の中に倒れ込んできた彼女の体を彼は慌てて抱きとめる。びっくりするほど華奢だった。女性の健康的な肉付きのよさなんてかけらもない細さ。それが万の言葉よりも陸に雪の命の儚さを克明に刻む。
「あれ、黙っちゃってどうしたの?」
黙り込んだ彼を彼女が見上げ、こてんと首を傾げている。
「もしかして今更になって私の魅力に気づいちゃったとか?」
きょとんとしたとぼけ顔からにやけ顔へと表情を移し、雪は陸の胸の中で喋り続ける。
「うん。そうだね。雪はいつ見てもとんでもなく可愛くて、綺麗だ。僕はそんな君を見てばっかだよ」
彼女の細い、折れてしまいそうな体。魂を現世に繋ぎ止める体。それは運命の赤い糸なんかよりも大切で、だからこそ目に見える。見えなければ雪の死を悟らずに済むのに見えてしまう。
せめてもの救いを願うように陸は彼女の体を強く抱いた。
一方その頃、雪は彼の胸の中で慌てふためいていた。彼女の世界は二か所しかない。すなわち、病室とその外。新庄陸という少年はその架け橋だった。地下都市では人に親はいない。結婚した男女の精子と卵子を採取しそれを元に人工授精を行い、それを疑似的な子宮へと放つ事で生命は誕生する。いわゆる試験管ベビーの発展形だ。
だから天音雪に育て親はいないし、新庄陸にもいない。子育ては短い生の中では幸せに繋がらないとされ、その役目はAIが取って変わった。
ゆえに他者との繋がりは自分で作るしかない。
けれど、雪は小さい頃から不死鳥機構の生命エネルギーの搾取に体が耐えきれず寝たきりの生活を送っていた。外を眺め、空中に浮かぶディスプレイで本を読む日々。
「おねーちゃんの髪きらきらしてとってもきれい! お星さまみたい!」
彼女の世界を変えたのは幼い少女の一言だった。新庄桜という名前の彼女は兄とともに幾度となく雪の病室を訪れ、そして最後はその名の通り儚く散っていった。しかし、雪と桜の兄である陸との関係は続き、現在に至る。
そんな訳で彼女には抱きしめられながら可愛いと言われた時にどうすればいいのかなんて分からなかった。
陸の胸の中で雪は自分の頬が紅潮するのを感じる。彼の心臓の鼓動を聞いて、自分の鼓動が速くなるのを感じる。
なぜ私を見ていないのかなんて言ってしまったのか。
どうして彼の胸に体を預けてしまったのか。
茹るような頭で考えても答えは出ない。いや、出るはずもないと言うのが正しいだろう。なぜなら、その行動は彼女の奥底から湧き出る防衛機構。死に直面した雪が本能的に求めた人肌。籠の鳥の自分に外を教えてくれる陸に、餌を求める雛鳥のように彼女はつい身を寄せてしまったのだ。
それが彼の不幸に繋がると分かっていながら。
「ふ、ふーん。分かってるならいいよ」
内心の動揺を必死に押し隠しながら雪は彼の胸に顔を埋める。彼女の頭に陸の手のひらが触れ、髪を柔らかく梳く。優しい触れ方なのに雪の心臓はまるで握りつぶされたかのように強く跳ねる。けれど、彼女はそれが心地よくて思わず目を細めた。
しかし、その温もりは失われる。彼女の髪も瞳も体温も全ては消えゆく定めで、覆しようのない未来。
天音雪が地下都市を去り、この世界から消え去るまで残り一週間。
けれど、今はまだ生きている。それを実感するために彼女は酸欠の金魚のように大きく口を開けて息を吸った
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