第6話:悪の道(後編)
何度も何度も殴りつけた。
自分の手が真っ赤に染まるまで、何度も何度も。
「ヒロ君、そこまでする必要はないんだよ」
「いいえ、ローリー博士、徹底的にやらないと」
ローリー博士の声も届かなかった。やられなければ自分が壊れてしまうと思っていた。 ローリー博士の声が、どんどん悲痛なものに変わっていくことにも気づかない。
望んでいたことは、毛ほども楽しい訳ではない。でも興奮だけがおさまらずに拳を振り下ろしたのだ。
「何をやっている?」
拳がヒーローの頭を割る前にその手は止められた。
振り向くと銀子さんがいた。前着ていたださいスーツではなかったが、声が変えられていなかったので、それで分かった。銀子さんの凛とした綺麗に響く声だ。
今は、女幹部らしいセクシーな服を着ているが、そんなことを称賛している気分ではない。
「敵を倒しています」
興奮気味にそう答える。
「敵なんて、どこにいるんだ?」
「俺の拳の下にいるでしょ!」
「……そいつのどこが敵なんだ? 気を失って倒れている。情けないやつが、お前の敵になるのか?」
「こいつはヒーローの癖に、ドラッグを捌いていた大罪人なんだ」
言っている意味が分からなかったので、語尾が強くなる。苛立ちを隠せない。
そして、今言ったことを悪の組織の人間に言って、何か意味があるとも思えない。
銀子さんは呆れたようにため息を吐いた。それが、俺には許せなかった。そんな簡単なことが流せなかった。
「悪の組織の一員なら、ヒーローを倒すのが正しいんだ」
「正しい? 私たちは悪だ。どうして正しいことをする?」
「じゃあ、ヒーローと戦うなって言うんですか?」
「そうは言わない。勝手にするがいい。だが、覚えておけ、1、雑魚刈りはしない。2、殺しはしない。3、それ以外は好きにやって良し。これが我が組織の鉄の掟だ」
「悪の組織が何を言ってるんですか? こいつに止めを刺す。邪魔しないでください」
俺は覚悟を決めて楽になりたかった。大嫌いな先輩を殴りつけてやったのに、心の中には虚しさしかなかったからだ。なら、いっそのこと一線を超えて楽になりたかった。きっと、そうすれば変わるから……人を殺せば俺も立派な悪だろう。
その時、マスクごしにでも分かる強い衝撃を受け吹き飛ばされた。ぶたれたのだと認識した瞬間には、地面に転がっていた。
「雑魚刈りはしないと言ったはずだ。聞こえなかったのか?」
「意味わかんないですよ。悪の組織でしょ?」
「そうだ我々は悪の組織だ。だがお前のやっているのは悪じゃない。チンピラと一緒だ。小物のやることだ」
「小物……じゃあ、悪って何なんですか?」
一歩も引くつもりはなかった。納得できなかった。俺はヒーローを倒したのだ。それも、ローリー博士のシマを荒らし、ドラッグ捌いていたどうしようもない屑を……ぶたれるようなことなどしていない。少なからず、俺の戦ってきた悪の組織は皆そうだった。自分勝手で人の迷惑をかえりみない、どうしようもない屑ども。俺もそうなるのだ。
「正しいことをするのが、正義だ。悪はその反対だ。間違っていようと、誰になんと言われようとも、自分のやりたいことを己の意思で貫き通す。それが悪だ」
「じゃあ、これも悪でしょ?」
「違うな」
「……何でです? 俺はようやく腹くくって悪になろうとしてるんだ!」
俺には銀子さんの言っていることが分からなかった。でも、苦しさは募るばかりだ。誰でも良い。俺を認めてくれ、誰か肯定してくれ、そうでないと俺は……
「マスク越しでも分かるからだ。お前が苦しんでいることくらいな」
「は?」
「これがお前のやりたいことなのか? 無理しているんじゃないのか? 大した意思もなく、流されて拳を振るう。それでは半端者だ。お前自身はどこにいる?」
苦しい、無理している。そんなのは当たり前のことじゃないのか?
少なからず、ヒーローをやっているときはいつも苦しかった。そんな状態で、仕事だからだと無理して自分を作って演じていたのは事実だ。
だから、そんなことを言われても俺には分からなかった。何も返す言葉を持ち合わせていなかった。今さらになって、ぶたれた頬が痛かった。だからだろうか、目頭が熱い。
演じてない俺は、無価値な人間なんだよ。
「肩の力を抜け」
そう言って、俺の肩に銀子さんの手が優しく触れる。
「私はお前の上司だ。だから、困ったら頼ればいい。全て抱え込もうとするな」
「あ……」
そう言って抱きしめられた。たったそれだけなのに、肩の荷が下りたような気がした。スーツ越しなのに温かかった。いつ以来だろうか?
こうやって子供のように抱きしめてもらったのは?
それはもう、遠い記憶のかなただ。
「……ごめんなさい」
口から自然と言葉が漏れた。
マスクをしていて、本当に良かったと思う。こんな表情をこの人に見せることは出来なかった。心臓が高鳴って止まってくれない。
ぶたれると痛いものだと思っていたけれど、それだけじゃなかったことを生まれて始めて知った。こんなに温かいものだとは知らなかったのだ。
「もう良いか?落ち着いたか?」
「……はい」
名残惜しい気がしたが、それ以上に俺の思考は別のことに割かれていた。
取り返しのつかないことをしてしまった俺は、これからどうすれば良いのだ?
タワーマンション
アジトのタワーマンションに帰ると、いつも通りの調子で、ローリー博士に笑われた。この人なりに気を使っているのが何となく感じ取れた。
「ヤス君、顔の半分が腫れ上がっているじゃないか。パンパンだよ」
俺の腫れ上がった顔が面白いらしい。
「銀子ちゃん、これはやり過ぎじゃないの?」
「知らん。ヤスが弱すぎるんだ」
ばつが悪そうに、銀子さんが答える。
「ローリー、治療してやってくれ。私は今回の活動をボスに報告する」
「了解」
そう言って、銀子さんが逃げるように去っていった。
「じゃあ、ヤス君。ちょっと見せてみなよ」
そう言って、顔を掴まれ引き寄せられる。ローリー博士は慣れた手つきで治療を始めてくれた。
「まあ、僕の薬なら1時間もかからないくらいで全快するよ」
「ローリー博士」
「何だい?」
「任務、失敗してすいません」
「失敗何てしてないよ。言ったでしょ。僕のシマでふざけたことしているヒーローを懲らしめるのが仕事だって」
ローリー博士も優しく微笑んでくれた。
そんな2人の優しさに、俺はますますどうしていいか分からなくなっていた。だから、必死に考えた。
俺は流されるまま悪の組織に入った。ヒーローとしてもそうだったが、自分をまるで持っていない。
青田泰裕という人間はどこにもいない。そこに自分という意思がないからだ。
銀子さんの言う通り、俺は半端者なのだ。悪としてもヒーローとしても何者でもない半端者。
「ローリー博士、うちってどういう組織何ですか?」
「ヤス君……今さらかい?」
ローリー博士は、呆れた顔をしながら笑った。
「うちは営利組織さ。だから、基本的に利のないことはしない。ヒーローとわざわざ戦ったりしないし、無暗に他人を傷つけることをしない。もちろん、あちらから来るのなら、今回みたいに叩き潰すけどね」
その表情には確かな覚悟と強さがあった。ローリー博士も戦ったら強いのかもしれない。
「安心した顔をしているね」
「え?」
「前にも言ったが、うちの組織は情報を売っている。世界のほとんどの技術はヒーロー本部が独占している。表向きの建前は悪の組織に危険な技術が渡らないためで、それは正しいだろう。でも、そのせいで救えるのに救えない人間がいるのも事実だ」
「売る以外にも使うんですか?」
「当然の疑問だね」
ローリー博士はにこりと笑った。良く笑う人である。
「僕は得た情報を、自分の研究のために使っている。僕は研究さえ出来ればそれで良いからね。それ以外に大した興味はないんだ。ただ、組織はその情報を民間や悪の組織に売ってる。それで救われる人もいれば、不幸になる人もいるだろう。だから、そのことをどう思うかは君が決めな」
「俺が?」
「そうだよ、ヤス君。君は組織の歯車じゃない。君が自分の意思で決めるんだ。正しいと思うかい、それとも間違っていると思うかい?」
俺には分からなかった。ローリー博士の言う通り、救われる人の裏には不幸になる人もいるだろう。ヒーロー本部はそれが分かっていて、情報を統制している。
どれだけ危険なものか分かっているからだ。でも、そのせいで救えたのに死んでしまった命があるのも事実なのだ。何度も問題になっている。でも、何も変わらないのは、ヒーロー本部が握りつぶしているだけだ。この世の全ての富・名声・力は、今の時代、ヒーロー本部に集まっている。独裁と言って良いレベルだ。
「どうして、俺に聞くんですか?」
「君が悪の組織に残るなら、君にはスパイとして情報を提供して欲しいからさ。そのために、僕は君を強いヒーローとしてプロデュ―スする。君には、トップヒーローになってもらいたい」
「俺が……トップヒーロー?」
俺には、無理だと思った。俺にはそんな才能なんてないんだ。俺は凡人なんだ。
それに、今日戦ってさらに良く分かった。俺は悪として生きていくのも無理だ。大嫌いな相手であっても、俺には……
「ヤス君、今日の君を見ていて分かったよ。君は理由もなく戦える人間じゃない。今日の君は魔がさした一般人だった。ヒーローにもヴィランにも向いていない」
俺の心を察してか、ローリー博士はそう語りだした。
「でもね。だからこそ、僕は君を選ぼうと思う」
「え?」
「君は空っぽだ。だからこそ、君は何にでもなれるんだ。君はなりたい自分になりな」
「なりたい自分になる?」
そんな風に言ってもらえたのは、いつ以来だろう。そんな風に人から期待されたのはいつ以来だろう。
そんなことを考えて、夜の街をとぼとぼと歩いていた。「今日は帰ってゆっくり休みな」という、ローリー博士の優しさに甘えて、家までの道を進む。
「うわー」
「キャー」
その時だ、轟音が響いた。それとともに叫びが波のように押し寄せてきた。逃げ惑う人々。何が起きたのかは明白だ。いつもの日常、悪の組織が暴れているのだろう。思えば、先ほどから爆発音がなっていたっけ……
遠い爆発音だったが、いつの間にかその中心に向かって歩いていたようで、逃げ惑う人の流れにぶつかった。
そんな人々から奇異の目で見られながら、反対の道を突き進む
こちらの方が自宅に早く着くし、ヒーローが負けることなんて、本来は滅多にないことだからだ。理由はそれだけのはずだ。まっすぐ歩いて行っても問題ないだろう。ヒーローが解決してくれる。俺と違い、本物のヒーローがきっと助けてくれるのだ。
それを見て、俺はカタギとして生きて行こうとそう思っていた。俺は半端者だ。どちらにもなれないのだ。なら、どっちにもならない。光と一緒に受験勉強でもしよう。
俺の成績では絶望的かもしれないけど、美涼にも教えてもらえれば何とかなるだろう。
辛い戦いの世界からの決別。そのために歩いたが、俺が見たのは全く別の光景だった。
『ヒーローは負けたのだ』
たった1人の怪人の前に、無数のヒーローが倒れていた。
俺の1個上の世代は糞だ。しかし、その強さは歴代でも類を見ないと言われている。そのために学内では我儘が通り、結果、出来の悪い下の世代は苦労している。
「お前ら、強いのだけが取り柄じゃなかったのかよ」
そう呟いていた。その光景を見て早々に隠れた癖に、拳を握っているのは何故だろう?
「卑怯者。正々堂々戦いなさい」
唯一、立ち上がった鳳凰院先輩が、そんな言葉を吐いた。ご自慢の白いヒーロースーツを着ているので一目見れば分かる。
怪人は、その腕に泣き叫ぶ子供を持っていた。子供を盾にして戦っているのだろう。珍しいことではない。ヒーローの戦場ではよくあることだ。
俺はその怪人をそんな他人事のようなことを思って眺めていた。
怪人とは、能力もしくは何らかの要因によって、人ならざる姿になったものの総称である。その怪人も人型であるが、全身真っ黒で3メートルはある。姿形は悪魔のようで邪悪さをはらんでいた。
「子供を盾にすれば戦えもしない。ヒーローとは本当に馬鹿だな」
「ひっ」
そう言って、怪人は子供を長い舌で舐めた。
「お止めなさい」
「止めるだと、止めてみろよ。こ自慢の能力でな」
「くっ」
そう言って、鳳凰院先輩は消えた。超高速で動ける、スピード特化の肉体強化能力である。俺の目から見ても、ほとんど何も見えない。
「ほーらよ」
しかし、怪人には見えているのだろう。鳳凰院先輩の攻撃に合わせて子供を盾にする。それが出来ると言うことは、最初からはるか格上なのだ。盾などいらない。遊んでいるだけだ。
「卑怯な……きゃっ」
そんな言葉とともに、ヒーローらしく攻撃を止めた鳳凰院先輩は、怪人に弾き飛ばされた。殺さない程度に手加減して、弄んでいる一撃。
「糞野郎」
俺の口から洩れたのは、そんな言葉だった。
「お前には、誰も救えない。諦めて逃げたらどうだ?」
「……諦めません。ヒーローは諦めない。わたくしたちはか弱い市民を守る最後の砦なのだから」
「お前らが砦だと? 笑わせるな。そんなに弱いのにか?」
「……何をいわれようとも、わたくしは諦めません」
昔から、糞の役にも立たない馬鹿女だと思っていたが、ここまで馬鹿だとは思っていなかった。でも、少なからず彼女は自分をもっていた。その姿を見て、ずっと聞かないようにしていた心の声に耳を傾けた気がした。
俺はどうしてヒーローになったんだ?
馬鹿な選択をしようとしているのは分かっている。俺はヒーローではもうないのだ。でも、一生に一度くらい馬鹿になってみようと思った。空っぽの人間でも、何かになれるという、ローリー博士の言葉に背中を押された。
俺はスマホを手に持った。
「ローリー博士」
何コールかすると、ローリー博士が電話に出てくれた。
「何だい、ヤス君、私、お風呂入ってたんだけど」
「お願いがあります。ベルト、しばらく貸してもらえませんか?」
「……おかしなことを言うね、ヤス君。そのベルトは君のだ。好きに使うと良い」
俺の言葉に何かを感じたのか、真剣な声でそう返してくれた。
「良いんですか?」
「良いも悪いもない。一度使用したら、そのベルトは君にしか使えないからね」
何気なく言う言葉に、驚きが隠せなかった。そんなものどうして、俺にくれたんだ?
「何でですか、何でそんなものを俺に用意してくれるんです? 簡単に作れるものじゃないでしょ?」
「部下を守るのが私の仕事だよ。最高のものを用意するのは当たり前のことでしょ」
「部下……」
今から、俺がすることを考えると、部下ではいられないかもしれない。それは俺にとってつらいことなのに気づいた。もう少し、この人の下にいたいと思ってしまったからだ。
俺はずっと誰かに道を示して欲しかったのだ。
でも違う、道は自分で見つけるものだった。例え苦しくても、立ち向かわないといけない。弱い自分と言う、矛盾した最強の相手と戦わないといけない。
「ローリー博士、俺、ベルトを使って怪人と戦うつもりです」
「……そうなのかい? それはヒーローに戻るってことでいいのかな?」
「いえ、ヒーローには戻りません。でも、ヴィランと戦います」
「……何故だい?」
「助けたいと思ったからです。もう小難しく考えるのは止めました。俺は、俺の正しいと思ったことをします。そして、たぶん、これからもヴィランと戦うと思います。時にはあなたとも戦うかもしれない。でも、今はあなたの下にいたいから。いつ噛みつくか分からない、こんな俺でもこのままおいてくれますか?」
電話越しで、ローリー博士が笑っているのが分かった。
「いいね。正直だ。心からそう言っているのが分かるよ。。狂ってるそれが君かい?」
「分かりません。でも、一歩踏み出します」
「……今度は覚悟を感じたよ。なら、行きなヤス君。前にも言ったろ、僕はいつでも背中を押してあげる。君の上司だからね。暴れてきな。君は何にでもなれる」
俺は通話を終了すると、アプリを起動して、コードを入力した。
「変身!」
不思議だ。心のもやが晴れていくようだ。仮面をかぶっているのに、もう演じている自分は何処にもいない。夜なのに、世界が生まれ変わったように輝いている。こんなに、煙がたちこめ空気がわるいのに、息をするのが楽だ。矛盾している。でも、悪くない。
俺は自分を見つけたかもしれない。きっと、青田泰裕という人間は酷く歪んでいて、矛盾しているのだ。