第2話:俺、改造手術されました
タワーマンションの中は、夢のような空間だった。広くて綺麗なエントランス。当然のように付いているシャンデリア。備え付けのドリンクバーまであるじゃないか。おいおいおい、週刊誌まで置いてある。俺が目指した成金生活がまさにここにあった。今すぐ、あのふかふかそうなソファーにダイブしたいぞ。
「どうしたんだ?」
女幹部さんが不思議そうに俺の顔を覗き込む。あの糞ダサい格好で街を歩くわけにはいかないので、服を着替えた女幹部さんは、ラフな格好をしていたが、服なんて真の美少女には関係ないようで、このうえなく可愛い。
どうでも良いことだが、俺もあの半壊したヒーロースーツで街を歩くわけにはいかないので、普通の格好をしている。
「ここが本当にアジトなんですか?」
「……ああ、悪の組織としては珍しいかもな。普通は地下に潜っている」
女幹部さんは、少し考えてからそう答えた。
「うちのボスは、不動産王でな。所有しているいくつかの物件を、アジトとして利用しているんだ」
何それ凄い。というか、不動産王の癖に何で悪の組織なんてやっているのだろうか? 俺には理解できない。俺なら平和に暮らす。人間高望みしすぎると碌なことがない。
「ここに住んでいるのは、我が組織の構成員だけとなっている。だから、ここでは思う存分寛ぐと良い。私もいつもそうしている」
大きく伸びをしながら、女幹部さんはそう言った。脇が見えてエッチだと思うの……
しかし、マンションを1つ、まるまるアジトとして利用しているとは、俺の思っていた悪の組織とはかけ離れている。もっと地味で、お金がないと思っていた。
「そう言えば、君の名前をまだ聞いていなかったな。指令室に着いたらメンバー登録するから教えてくれないか? お互い自己紹介をしよう」
女幹部さんの後に付いていき、エレベーターに乗ると、彼女が俺の名前を聞いてきた。そう言えば、お互い自己紹介もしていなかったのだ。女幹部さんとの戦いを終えた後、ヒーローの援軍が駆けつけたので、かなりバタバタしていた。俺たちは急いで戦場を後にしたのだ。
女幹部さんは約束したように、元仲間たちにとどめを刺さないでくれた。そのおかげで、仲間は助かったと思われる。俺の盾になったイエローは心配だが、あの場所に留まることは出来なかった仕方ないだろう。
「さあ着いたぞ」
「銀子ちゃーん」
指令室と呼ばれる場所に着く。それと同時に、一人の少女が女幹部さんに勢い任せに抱き着いた。女幹部さんは、何事もなかったようにその少女を受け止める。
「ここが指令室だ」
さらに、少女の存在を意に介さなかったようで、普通に話し始めた。というか、意図的に無視している様に見える。決して目を合わせようとしないし……
「もう、つれないな銀子ちゃんは?」
少女は、銀子さんに無視されたので、頬を膨らませて非難した。
「ところで、コンビニ限定のデラックスシュークリム買ってきてくれた」
銀子さんは凄い汗を流している。一体どうしたというのか?
「まさか、また忘れたんじゃないよね? 限定期間終わったらどうするのさ……お使いもできないの?」
酷い言われようである。これはあれか、味方になると弱くなるパターンだろうか? 弱くはなってないけど。
しかし、あの化け物のように強い銀子さんがタジタジにしているこのロリっ子は一体?
「……まずは、自己紹介をしよう」
「露骨に話題を逸らしたよね?」
「こいつは新しいパシ……挨拶しなさい」
今、パシリと言いかけたよ、この人、絶対パシリって言いかけたよね。
「青田泰裕です」
仕方ないので挨拶する。
「ヤス君か、宜しくだね」
「は?」
しかし、何故か、少女が変なあだ名ねつけて答えた。『ヤス』何て、三下みたいで嫌である。それに、俺は友達には『ヒロ』と呼ばれているのだ。百歩譲って『ヒロ』と呼んでほしい。そっちの方がカッコいいからな。
「ヤスか、宜しくな」
あなたもそう呼ぶんですか、銀子さん?
銀子さんも俺のことを『ヤス』と呼ぶので、もはや否定できない空気が出来ていた。俺は空気の読める男。ここで、否定してはKYである。
「ヨロシクオネガイシマス」
非常に遺憾であるが、俺は片言になりながらも挨拶した。初対面の自己紹介は重要なのに、このクソガキのせいで、最悪である。俺は少女を見下ろしながら睨みつけると、何を勘違いしたのか、笑顔を向けられた。悔しいが可愛い。透き通るような肌に、珍しい水色の髪。もしも黙っていて何も喋らなければ、妖精と見まがうだろう。悪の組織ってもしかして、顔面偏差値が高い?
ヒーローよりも全然顔面偏差値高いんですけど……アイドルよりも可愛いだろこれ……
「銀子ちゃん、ヤス君が私のことエロい目で見てくるよ」
「なっ」
クソガキは、銀子さんに抱き着いて後ろに隠れた。そんな誤解されるようなことを言わないで欲しい……俺はロリコンではないぞ。俺は紳士なのだ。
「ローリー、パシリをからかうな」
銀子さんはせめてヤスって呼んでよ。
「ええっ、男の子何て久しぶりなんだからいいじゃない」
「駄目だ」
「銀子ちゃんのいけず」
「悪の組織の一員だからないけずで結構……ヤス、紹介するよ。ローリー博士だ」
銀子さんが、クソガキを紹介してくれた。どうやらクソガキは博士のようだ。白衣を着ているのは痛いコスプレかと思ったが、違ったようである。
「ローリーだよ。宜しくね。期待のパシリ君」
「宜しくな」
気のない返事を返す。
「ヤス、彼女は我が組織のNO3でこのアジトの最高責任者だ。ちゃんと挨拶しろ」
しかし、俺のそっけない挨拶に銀子さんの厳しい言葉が飛んできた。
「え?」
「ちなみに私は、NO4だ」
このクソガキが銀子さんよりも偉い。あのくそ強い銀子さんよりもか? 俺は手も足も出なかったのに……どうなってるんだ? コネか? 悪の組織でもコネなのか?
しかし、ここは郷に入っては郷に従えである。
「失礼しました。よろしくお願いいたします」
「宜しい、僕は小さなことは気にしない大きな女だから許してあげる。でも、ロリとか言ったら、ぶっ殺すからね。それだけは禁句だよ」
ローリー博士はニコニコしながら、怖いことを言う。調子乗って、ロリ博士とかいじらなくて良かったと心の底から思う。もう少し遅ければ、弄っていただろう。
しかし、こんな小さな子がNO3とは、やっぱり信じられない。この組織は大丈夫なのだろうか? 銀子さんは、馬鹿みたいに強いのを知っているので、若くてもNO4で納得であるが……
「ローリーは、こう見えても天才だ。我が組織の戦闘用スーツに戦闘用ロボット、改造手術、果ては情報収集まで1人で行っている」
俺の心を読んだように、銀子さんが教えてくれた。てか……1人ってブラックじゃない? 大丈夫か、この組織は?
「僕って凄い。えっへん」
ローリー博士が、ない胸を張る。
「ローリー、ヤスの社員証を発行してくれ」
「はーい」
ローリー博士は、アジトにあるPCを操作しだす。正面の大型モニターには、なにやら訳の分からない画面が表示されては次々に画面が切り替わっていく。
そして、一分も立たないうちに1枚のカードが出てきた。
「これがヤス君の社員証だよ」
「これが?」
それは、夢にまで見たブラックカードにしか見えなかった。
「うちは悪の組織だからね。見た目は偽造してあるんだよ。でも、機能は本物だから安心してね。このカードがあれば、組織の建物はレベル3まで自由に行き来できるし、あらゆるATMでキャッシュカードとしても使えるようにしてあるよ。そして見た目通りクレジットカードとしても利用できるんだ」
思えば、このマンションに入るのに、銀子さんも黒いカードを使っていた気がする。
「給与も、そのカードから下ろしてね」
「ええっ、給与が出るんですか?」
衝撃の事実である。悪の組織ってボスの根拠のない世界征服のために不眠不休で働くんじゃないのか?
「……ヤス、何を当たり前のことを言っている」
「馬鹿だね、ヤス君。給与が出なかったらブラック企業じゃん。うちは悪の組織、ブラック企業じゃないよ」
悪の組織何て良くて現物支給で給与などでないと思っていたが、2人はさも当然のように語るのだから、俺が間違っていたのだろう。だって俺、悪の組織の内部事情とか知らないし。
「うちは、昨今の少子高齢化問題を受けて機械化が進んでいているから、メンバーは少ないけれど、凄い儲かってるから、給与は良いよ。この支部のメンバーはおいおい紹介してあげるね。もう遅いから、皆、部屋に帰っちゃったんだ」
「もう遅い? 帰った?」
まだ、19時になったばかりである。
「うちは、9時~17時勤務で、休憩は決まった時間はないが、必ず1時間。基本残業はない。我々幹部にまでなれば別だけどな」
「そういう事だよ」
銀子さんが説明し、ローリー博士が頷いた。
7時間勤務とかホワイト過ぎませんか?
ヒーローとか、基本的に夜中でも呼び出されるし、休みも不定期である。俺のようなヒーロー学校に在籍中の義務教育を終えていない学生だから、まだいいものの、雑魚ヒーローは普通は12時間勤務である。近年、高校までが義務教育になって、ヒーローと言えど学校に通う必要があり、必然的に勤務時間が減った。これでもラッキーな世代と言われている。
それでも学校が終わった後、部活もせずに夜の23時まで働いているのが現状であるのだが……
キツイ仕事であるが、我慢して何年か経てば、年収が1千万を余裕で超えるので何とか頑張っている。
「ちなみに、給与はいくらなんですか?」
給与は高いと言うが、期待せずに聞いて見た。俺は悪の組織の平均年収何て知らないからな。まさか、ヒーローよりも高給取りのわけがないだろう。
「銀子ちゃん、ヤス君は正構成員ということで良いんだよね?」
「ああ、私の下に着けるからそれで構わない」
「それなら、1千万だね。税金何て払ってないから、手取りとして1千万だよ」
「は?」
これ、新手の詐欺だろ?タワーマンションに住めて、こんな美少女に囲まれた職場で、手取りで1千万円とかあり得ない。悪の組織汚い、汚過ぎるよ。俺を騙しているに違いない。絶対に何か裏があるはずだ。うまい話ほど、裏があるはずなのだ。俺は警戒レベルを上げた。
「何か、厳しい条件があるんでしょ」
「話が美味過ぎるか?」
挑発的な表情で銀子さんがそう聞いてきたので、俺は意を決して頷いた。
そうすると、ローリー博士がにやりといたずらっぽく笑う。
「ヤス君は、ヒーローでしょ?」
「何で知って……」
「戦闘見てたから……」
「…………」
なるほど、俺がボコボコにされていたのを、ポップコーン片手にコーラーでも観ながら、見ていたと言う訳か?
「君はヒーローを続けなさい。仕事を辞めないで、ヒーローとしても生活してもらう。それが条件だ。スパイってやつだね。カッコイイ」
「そんなことって……」
「我々は悪の組織だが、専任で働いているものは少ない。私も高校に通っているし、ローリーも不登校だが学生が表の顔だ」
銀子さんの制服姿観てみたいと思うと同時に、それは決して悪くない条件だと思えた。だって、ヒーローとしての給与ももらえるのだ。さらに社会的な地位を維持しながら、私生活も捨てなくてよくなる。2重生活は大変であるが、金さえもらえるなら俺は別に文句ない。
「君の仕事は、ヒーロー活動をそのまま続けて、スパイとして情報を提供してもらう。それだけだ」
つまり、裏切り者になれということだ。ばれた時、文句なく殺されるだろう。ヒーロー本部は裏切り者のヒーローに容赦がない。どれだけ苦しめられて殺されるか想像するだけで恐ろしい。
「もちろん、ヒーロー活動してて、ここに出勤してなくても、1日の労働をこなした扱いとして給与はちゃんと払うから安心してね。ただし、私たちと戦う時は、上手いこと死んだふりでもして負けてね。まあ、ヤス君が銀子ちゃんに勝てるとは到底思えないから、杞憂だと思うけどね」
悔しいが、事実なので何も言い返せなかった。
「まあ、そういう訳だから、この雇用契約書にサインしようか?」
そう言って、ローリー博士は一枚の紙を差し出した。
俺は、少し迷った。このまま悪の組織に入ってしまって良いものなのか分からなかった。でも、ここで悪の組織に入らなければ、俺は殺されてしまうかもしれない。俺には死ねない理由がある。
だから、これは拒否権のない契約だ。流石は悪の組織と言ったところか……紙など読まずに。サインする。それが間違いだったとも知らずに……社会人なら、契約書は隅々まで見ないといけない。少なからず、この2人は理不尽な契約を強いるほど、強情な2人ではなかった。ちゃんと紙を読んでおけばあんな目に合わずに済んだものを……
「サインしたね」
俺の人生は間違いなくこの瞬間に変わった。
ローリー博士の雰囲気ががらりと変わった瞬間でもあった。これは殺気? それも銀子さんのさして変わらない。こんなロリでも、ローリー博士は悪の組織のNO3なのだ。
目に映らない速さで、首筋に注射を打たれていた。
「こ、れ、は?」
「僕はさ、天才美少女なんだけど、1つだけ欠点があってさ、マッドサイエンティストなんだよね」
俺は銀子さんからされたローリー博士の説明を思い出していた。改造手術まで行っていると言っていたっけ。もっと警戒すべきだった。
「銀子さん」
俺は銀子さんに助けを求める。
「うちは少数精鋭だ。悪いが君はそのレベルに達していない。改造手術を受けてもらう」
「安心してね。うちは遺伝子改造とかしてないから、ちょっと脳を弄って、潜在能力を解放させるだけだから、成功確率も45パーセントもある。業界としては最高の確率だよ」
半分も超えないのに、何が最高の確率だ。失敗したらどうなるんだ?
「それに、君にはスパイとしてヒーロー内で出世してもらう必要があるからね」
改造された人間の末路は知ってる。醜い化け物になるんだ。逃げなければ、でも身体がうごかない。
「はあ、はあ、改造手術ってどうしてこんなに興奮するんだろ」
荒い息づかいで、ローリー博士は実に嬉しそうである。
「変態め」
「やん、銀ちゃんもっと罵って」
人の気も知らないではしゃいでいるローリー博士、憎たらしいことこの上ない。
「大丈夫だからね。僕が強くしてあげる。君の人生が変わるよ」
そんな俺の気をしっているのか、知れないのか、ローリー博士が、俺の顔を両手で持ち上げ、サディスティックな表情で微笑みながら、そんなことを言う。挑発しているとしか思えない。
「ファイトだよ」
極めつけはこれである。ファイトだよじゃないんだよ。悪女め。
「ギャー」
上手い話には必ず裏がある。俺は強制的に改造手術を受けさせられ、その想像を絶する痛みに長時間苦しめられた。骨が折れたのには耐えられた。でも脳が溶けるのではないかと錯覚する、利害の外にある痛みに、訓練されたヒーローの俺でも、痛みでとうとう気絶して倒れてしまった。常人なら幸せなことに最初の数秒で倒れるのに、無駄に耐えられたのは、皮肉なことに全部ヒーローとしての訓練のせいである。
そんな可哀想な俺を見ながら、2人は満足げに話していたことを薄れゆく意識の中、辛うじて覚えている。
「成功したよ。ヤス君、よく耐えたね」
「当たり前だ。私が選んだ男だからな」
「銀子ちゃんが、部下を選ぶなんて始めてだかね。私も腕によりをかけたよ……でもやり過ぎちゃったかも?」
「どういうことだ? 成功したんだろ?」
「化け物を作ってしまったかもしれないんだ。思っていたよりも、ヤス君の潜在能力が凄まじかったよ。これならベルトにも耐えられるかもしれない」
「あのベルトにか? それは楽しみだな」
「銀子ちゃんは、強い人と戦いたくて悪の組織に入った変態だもんね」
「人のことは言えないだろ。マッドサイエンティスト」
「それで、どうするの? ヤス君」
「明日からも普通の生活をしてもらうからな。ヤスの家にでも置いてくればいいだろう。住所を調べてくれ」
「もう調べてあるよ」
「相変わらず、仕事が早いな……本当にベルトに適応しているのか?」
「うん、始めてだ。彼に託してみようと思うんだ。ベルトをね。銀子ちゃんには様々なスーツを来てもらってデータを取ってもらったから、調整は完璧に出来た」
「私は構わないが……」
「きっと強くなるからね彼、僕らにも牙をむくかもね。でも、気に入ったんだ。自分の研究の成果で身を滅ぼすなら、それで構わない」
「……それこそ、悪だな」
かくして、俺の長い一日は終わった。その時の俺は、ローリー博士のことを糞ロリ女と思っていた。しかし、その腕は本物だったことを後で知る。
大ヒーロー時代、ヒーローも悪党も様々な能力を使う、スキルだったり、闘気だったり、変異だったり、魔法だったり千差万別の呼ばれ方をしている。俺の場合はスキルである。生まれつき強いスキルに恵まれたので、他の能力が使えなくても、生まれ持ったスキルに頼って生きてこれた。
俺は運が良い。本来、スキルは1人に対して1つである。2つスキルを持つ人間なんて1000万人に1人の割合と言われている。だから、1つしかないスキルが、強いということは本当に運が良いことなのだ。
リセマラも出来ない単発のガチャで、最高ランクを引き当てるようなものである。
だから、俺は満足していた。でも、だからこそである。そのスキルが複数目覚めてしまう余地が俺にあったなんて、17年間生きてきて空想でもしたことがなかった。
俺の中に眠っていた才能は、この時目覚めたのだ。