第19話:目覚める力
最悪な想像をしていた。満身創痍だった身体が動き出す。思えば、この時既に能力が覚醒してしまっていたのだろう。力を得るには遅すぎた。
軽くなった足とは別に重くのしかかる重圧。2人のことなど置いて俺は突き進んだ。
「ああ……ああ……」
街が燃えている。
そして、あそこの方角は……そんなことってあるのか?
そんな非道が許されるのか?
最悪の想像をしていた。
そこは、病院の方向だった。
走った。さっきの何倍も早く駆けだした。
着いたとき、焼け跡になってそこには何も残っていなかった。何もないのだ。遺体すらない。骨になるまで燃やされて、もはや灰になった残りかすだけが残っている。
灰が降っていた。白く降り積もる雪とはまるで違う。汚い灰だ。
「ああああああああああああああああああああああ」
感情をコントロールできない。ただ苦しかった。何でこうなったんだ?
俺はこの感情をどこにぶつければ良いんだ?
分からない。俺には分からない。涙すら俺には流せない。
これは報復だ。俺がフェイカーとしっての報復だ。
それも最悪タブーを犯しての。ローリー博士に勝てないと察して、この街にトップヒーローを呼びたかったのだろう。最悪の一石二鳥だ。
病院などの施設への攻撃は最低最悪の行為として、悪の組織の中でもタブーとされている。そうしているのは、トップヒーローが派遣させてくるからだ。
「ヤス君?」
遅れてローリー博士がやってくる。
「来ないでください」
今は誰かと話せるような気分じゃなかった。後ろにいるローリー博士を一瞥することもしない。このドス黒い感情を、濁流のように流れ出す想いを誰かにぶつけてしまいそうだから……
「放っておけないよ。僕は君の上司だからね」
「上司?……有能上司で今回も無能な部下を助けたローリー博士には分からないでしょうね?無能な人間の気持ちなんて……何をやっても上手くいかない人間の気持ちなんて」
心の中で止めろと叫んでいる自分がいた。でも、一度溢れだしたものに蓋をしたところでもはや遅い。
お別れすら言えなかった。あれが最後だって言うのか?
いつか別れの日が来るとは覚悟していた。それでもこんなあっさりと終わると思っていなかった。何故俺はもっと……
悔やんでも悔やみきれない。最後の会話はあれだって言うのか?
俺は何で直ぐに会いに来なかったんだ。俺は生きてるって伝える暇もなかったじゃないか?
「これは俺の決断の結果か?」
重い。あまりにも重すぎる。
俺は自分の無能が許せなかった。これは俺が招いた結果だ。
俺がフェイカーになったからこうなったのだ。七つの大罪となんて最初からかかわらなければ良かった。そうしたら、こんな結果にはならなかった
ちくしょう。ちくしょう。
涙すらでない。考えるのはどす黒い感情だけだ。
殺してやる。絶対許せない。殺してやる。
「ヤス君、君のせいじゃないよ。戦いには不確定要素が常に付きまとう。それを予想することは誰にも出来ない」
「慰めの言葉何て、要りませんよ。全部俺のせいなんですから」
「悔しいのかい?」
「……悔しいに決まってるでしょ」
俺がここで初めてローリー博士の方を見た。仮面を外したローリー博士の素顔が見えた。悲しそうな今にも泣きだしそうな顔をしていた。どうしてそんな表情をしているのか分からない。でも、そんなことよりも重要なのは、ローリー博士の体が石に変わり始めていることだ。
無意識に能力が発動している?
「ローリー博士……」
いけない。能力を止めないといけない。俺は目を閉じた。
しかし、俺の瞼はローリー博士の小さな手に無理やりこじあけられる。
「いいかいヤス君、悔しいならちゃんと悔しがらないとだめだ。悲しいならちゃんと悲しまないと駄目だ。君は感情を押し殺しすぎる、それじゃ、いつか壊れてしまう」
「何をやってるんです。壊れていっているのはあなたでしょ」
「感情をコントロールしないと、能力は安定しない。怒りや憎しみ、悲しみなんて感情は、戦いにおいてもっとも不要なものだろう。君はヒーローだからそう教えられてきた。でも、そういった感情こそ、君の力を目覚めさせる。使うのと目覚めさせるには、全く違う心の動きが必要になるんだ」
「俺の話を聞いてください」
ローリー博士は全く意に返さない。既に体の半分が石化してしまっているのに……効きにくいのか、俺が力をセーブしているのかはわからないが、明らかに石化の進行が遅いのだけが、助けだろう。
それでももう……
「えっ」
強く抱きしめられる。体がごつごつしていて痛い。それは、俺の石化の影響だろう。それが苦しかった。
「君を見ていると痛いほど分かるよ。君は昔の僕によく似ている。心に余裕がないのに、それを誰にも見せようとしない。いつも冷静を装っている。リーダーには必要な才能だろう。でも、誰だって弱い人間なんだよ。だから……」
「……ローリー博士?」
動かない。何も言わない。
「嘘でしょ? からかってるんでしょ……ローリー博士」
また俺がやったのか?
違う。自業自得だ……違う……俺がやったんだ。分からない、分からない。もう道を示してくれる人はいない。酷く孤独だった。美涼がいればそれで良いと思っていたけど、今は酷く孤独で寂しい。
そんなことを考えても意味がない。今はどうすれば良いんだろ。答えてくれる人はもういない。頭を抱えた。体が震えた。
どうすれば、どうすれば良い?
「おい、俺の力なんだろ言うことを聞け」
意味もなく騒いだ。目に手を突っ込んだそれも意味のない行動だ。視界がぼやけて赤色に染まる。
涙は流せない代わりに、血の涙が出た。
ヒーローはただ悪を倒せば良いと教わった。ヒーローたるもの常に冷静な判断で適切に対処する。理事長の大嫌いな教えだったのに、いつの間にか俺の心に染みついた。
思えば俺は悪の組織に入って、銀子さんに合って、ローリー博士に合って、自分という人間を知った。でも、何の感情もない空っぽな人間だったのは変わらなかったのだ。こんなに辛いのに涙すら流れない。
俺に合ったのは何が正しくて、何が大切で、何が許せないかとかそう言った、合理的な判断から出てくる、無機質なものでしかなかった。
ローリー博士を体から剥がして、優しく地面においた。
そして、骨と灰になった仲間たちのもとに進んでいく。その灰を手に取った。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
そう呟いていた。抱きしめた灰は人間の温もりはない。どこまでも無機質だ。それが失ったことを、鮮明に感じさせてくれた。
「悔しいならちゃんと悔しがらないと駄目だ。悲しいならちゃんと悲しまないと駄目だ」
ローリー博士の声が聞こえた気がした。そして一粒零れ落ちた。血ではない、確かな透明な液体が溢れていた。それが止まることはない。
いつ以来だろうか……だぶん、母さんが出て行ったとき以来だろう。空っぽな自分の中に最後のピースが埋まったようだった。
「あっ……あっ」
嗚咽が漏れた。
俺は失ったんだ。仲間を失ったんだ。何も残ってない。死は音もなく現れて全部を奪っていく。
青天の空に、雨が降る。
雨は灰を洗い流して空に虹をかけた。ヒーローとしての呪縛はこの時壊れ、失ったものは仲間の命と引き換えに戻って来た。
ヒーローになって、俺はずっと悲しかったのだ。仲間が死んで、それを当たり前だと思う日々。感覚は麻痺して、それすら感じなくなっていた。
俺は馬鹿だ、無くしたことすら気づかなかった。
銀子さんの誘いに乗って、悪の組織に入ったのは何故だ?
最初から、仲間を助けたいと、死なせたくないと思っていたからだったんだな。
壊れた感情は、こんな時に正常に戻っていた。
前の俺なら、何も感じなかったかも知れない。おそらく、涙など流してはいなかっただろう。
だが今は、張り裂けそうな胸の痛みと、悲しみを感じている。怒りではない。これは悲しいだ。皆が思い出させてくれた。
俺の心の鏡のように、雨が降る。
それは第3の能力の目覚めに他ならなかった。そして、第2の能力も俺の制御下におかれた瞬間でもあった。心が動き、リミッターが外れたのだ。一目見ただけで、ローリー博士の石化が解かれていく。
トップヒーローになんて渡してなるものか……
「サタンは、俺が倒す」