第12話:人ならざるものたち
全てがクリアだった。ゾーンに入った感覚に似ていたが、あんなものではない。錯覚なのかもしれないが、俺は確かに見たのだ。世界が停止していた。否、そう見えるほどスローモーションに時が流れた。
この世界でなら迫りくる炎ですら、大きな意味を持っていなかった。
「死ね」
「消えろ」
「終わって」
緑と黄色と……これは透明の炎だ。先ほどは見ることが出来なかった無色の炎ですらその目には、はっきりととらえることが出来た。
「ああ……」
怯える桃ちゃんの声も聞こえた。部屋を覆い尽くす炎になすすべなどない。もっともそれは逃げる必要のある人間の話である。
炎に意識を集中しその両眼ではっきりととらえると、炎はその勢いを止めた。正確には固まったと言った方が良いのかもしれない。固まった炎に軽く手を触れると、砕け散り霧散する。
「何をした?」
デウスがそう呟いた。俺自身その答えを知らない。
人はどうやって歩いているのか知らないように、自然にできたのだ。
「消えろ」
3人の悪魔と彼女の方に歩いていくと、リヴァイと呼ばれたゴリラのような悪魔が、叫びをあげて、その腕を振り下ろした。黄色の炎を纏ったその一撃は、本来なら相当な威力があっただろう。だが、しかし……炎を纏った腕も、石へと変わり固まっていく。
石になった腕は軽く触れるだけで砕け散った。
「腕が……俺の腕が」
「お前?何なんだ?」
デウスが怯えた表情を見せる。アルルもまた動く気配がない。
一種の思考停止状態。あまりにも異質なその中を真っすぐ歩いた。
「どけよ」
俺は怒っている。
「は?」
俺は有無を言わさず、デウスの腹を思い切り蹴りつけた。インパクトスポットの力もあり、デウスの体が地面を跳ね転がっていく。壁に激突すると、地面を痛みで転げ回った。
まだ意識があるとは、見かねたタフさである。だが、同時にちょうど良かった。
「お前ごときが足蹴にしていい女じゃないんだよ」
そう言って、俺は見るも無残な姿にされた鳳凰院先輩を拾い上げた。この人にこんなに情を持っていたなんて自分でも驚きである。
決して好きではなかったが、憎めない人ではあったのだろう。
そのまま彼女を抱えて桃ちゃんのもとまで歩いていく。
「この女を連れてここから逃げてくれ」
「あの……私」
「君が居たら本気で戦えない。それに、彼女を守ってやるのがヒーローの仕事だろ」
桃ちゃんは迷いをもった顔をしている。彼女は俺とは違って正義感が強い。でも賢い子であると俺は知っている。
だから、最後は全てを察したように彼女は鳳凰院先輩を受け取った。
「敵ですけど、今は感謝します」
要らないよ、そんなもの……心の中でそう呟いて、俺はわが校への侵入者と向き合った。
「デウス、リヴァイ」
アルルは自分の頭部に手を置くと、髪をクシャッと掴んだ。
「弱いね」
イラついた表情で、デウスとリヴァイを睨んだ。とても仲間に向けるような表情ではない。彼女にとってはどうでも良いものなのだろうか。
「フェイカー……あなたって面倒くさいね」
「当たり前だろ。俺は怒っているんだ」
彼女の唐突な言葉にそう返した。
彼女の周りに緑炎が渦巻いた。別に女の子だから最後に残しておいたわけではない。この停止した世界でも撃ち込める隙がなかったのは唯一彼女だった。この子は、やっぱりそうなのだろう……実力が他よりも1個上にいる。間違いなくルシファーよりも格上だ。
さらに変身を残しているのなら、勝てるかどうかはこの状態でも分からない。
そもそもこの状態が何で、いつまで続くかもわからないのだ。
この状態が終われば、俺に炎に対抗する手段はない。広い外なら避けられるかもしれないが、ここは屋内だ。炎を躱すすべは多くはないだろう。そして、俺は外に出てはいけない。外にいる生徒たちを犠牲にしてはいけないのだ。
「私ね。私にご飯をくれる人が好き。だから、本当はあなたのことを殺したくないんだけどね。私の居場所はここにしかないから……ごめんね……ヘル……フレイム」
緑炎が彼女を包んだ。どんな恐ろしい化け物になるのか、そう思い身構える。しかし、炎の中から現れたそれはとても綺麗だった。炎が羽のように展開され、辺りに散らばった。
悪魔というよりも堕天使と言ったところだろう。そんな綺麗な姿ではあったが、受ける重圧によって吐きけがする。くらくらして足がもつれる。
想像をはるかに超えた怪物。どうして、俺の相手はいつも強い相手ばかりなんだと、愚痴でも言いたくなったが、現実はそんなものを聞いてくれない。
「私が変身すると皆そう……怯えた瞳をする。あなたもそうなんだね」
その瞳は悲しそうだった。そんな子には「そんなことないよ」と言って、優しくすることでフラグの1つでも立てるのだが、今はそんな冗談を言っている暇もない。
逃げ出したいけれど、ここは俺の学校なのだ。どこに逃げる必要がある。
「私は命令されたからあなたを殺す。恨まないでね」
「お互い様だ。俺も女の子相手でも一つも容赦するつもりはないからさ」
「初めて言われたよ」
緑の炎が揺らいだ。
「私たちの炎にはそれぞれ能力がある、私の炎はあらゆるものを吸収する。何でも食べてしまうんだよ」
「なっ、おい止めろ」
「アルル、止めてくれ」
「動けない悪魔何て要らないんだ」
アルルは口を開けて噛む動作をした。すると、リヴァイの体が緑炎に飲まれる。炎はリヴァイを飲み込んだ後、緑色の花に変わった。リヴァイの姿ははもうない。跡形もなく消えてしまった。
同様の炎が、遠い所に転がっていたデウスへも伸びる。
それを見ていた俺は、圧倒されていたことに気付いた。そして、今こそが好機であることに気付く。その瞬間はアルルの唯一みせた隙と言える瞬間だったのだ。一瞬だが、食うのに夢中で意識が俺からそれている。アルルのもとまで移動すると、剣へと変形させた腕で、容赦なくアルルの首を狙った。
しかし、空中に舞っていた緑炎が剣を覆う。だが、所詮は炎である、それを切り裂く自信が俺にはあったし、耐熱性能は保証済みだ。
「ぐっ」
しかし、あり得ないことが起きた。装甲ごと飲み込むかのように、緑炎は俺の右腕を食らったのだ。振り下ろした一撃の威力も殺され、炎に焼かれた右腕だけが残った。装甲は完全に持っていかれたのだ。
アルルの緑炎は、狙いをデウスではなく俺に変えたようで、空中に散らせてあった炎ではなく、その体の周りを漂っていた翼のような炎の塊が俺を休む暇もなく襲う。
避けられるような攻撃ではなかった。俺は目の力を発動させる。炎は勢いを失い空中で固まった。
「面白い力でしょ?私の炎」
アルルがそう聞いてくるが、答えている暇はなかった。
話しかけてくるくせに、既に攻撃のモーションに入っているかだ。
あれはリヴァイの攻撃モーションだった。緑炎がアルルの腕に集中すると、まるでレーザーかのように放たれる。それも先ほどよりも遥かに早い。
目の力を使って止めようにも、この力には弱点があることに俺は既に気づいていた。
数秒間は見ないといけないのだ。早さを増したこんな速い攻撃は見ている間に直撃する。
俺よりも先に弱点に気付いて有効な手段を取ってきたのだろう。思った以上にクレバーな戦い方だ。
俺は左手も捨てた。装甲を集められるだけ集めて、盾を形成して炎から己の体を守ったのだ。完全に捨て身だ。その結果、防ぎきれない部分に関してはもうしょうがない。
左腕が焼ける。装甲を炎が貫通した。左腕に激痛がはしる。
「虫の息だね。フェイカー」
アルルの言うう通りだった。荒く息を吐く。
でも生き残ったぞ。
勝てるなんて一時でも思った自分が恥ずかしいほどに実力差は歴然だった。銀子さんと対峙した時のように、死の恐怖が全身を覆っていく。
怖い。でも……俺は歯を食いしばった。
今、俺が踏ん張らなくてどうする。俺はこの学校を任されているんだ。
「お前の炎、食べた相手の能力をコピーするのか?」
「一時間だけだけどね」
アルルが素直に答える。
もちろん、実際のところ本当かどうかは試しようがないが、嘘ではないだろう。
「フェイカーの能力は、ゴルゴンの魔眼に似ているね。といっても、数秒間見ないと固まらないみたいだし、こうやって炎で覆われた私をピンポイントで固めることが出来ないみたいだけどね」
ご明察通りだった。炎が揺らいでアルルにピントが合わないのだ。それなら炎ごと全て固めてしまえばいいのかもしれないが、既に両眼がズキズキと痛みだしている。
前のことを考えると、能力が切れる前兆だろう。無駄に能力を使うことは出来ない状況だ。
あの炎を攻略しないと俺に勝ち目がないのに、その方法が思いつかなかった。話しかけて間をあけたが、敗北の2文字が浮かぶだけで、何も思いつきはしない。
こんなところで死ぬのか?
序盤で出てくる敵の強さじゃないぞと愚痴りたいが、そんなことをしている暇もない。最初からそうだ。俺のようなモブヒーローは、敗北イベントを待っているのは仕方ない。
開幕速攻で炎を出させる前に、終わらせれば良かったが、今はそんなことを考えても仕方ないし、それに、おそらく彼女は炎でガードしていただろう。
「じゃあ、終わりだね」
アルルがあの構えをした。炎を放つあの構えだ。
死ぬと分かった瞬間、走馬灯が流れた。前のように、思うのは死にたくないと言うことだけだと思ったが、前とは違った感情が溢れた。自分でも意外なのだが、俺は……勝ちたかった。
死にたくないではなく、逃げたいでもない。勝ちたいと願っている。
それは俺の中で起きた変化だろう。だから足掻いた。
こんな技が何の役に立つか分からないけれど、僅かに頭を過ぎった愚策とも言える選択に全てを委ねた。自分の命をかけた。自分の決断を信じた。
『青天・空震』
地面を思い切り蹴りつけた。本来は振動をつたえて相手の体を内部から破壊する技だが、地面に撃ち込んだ。
インパクトスポットで威力が倍増した一撃は、確かに地面を砕いたのだ。
「そんなことして何になるの?」
疑問に思ったかもしれない。でも俺には確信があった。この両眼が透かして見せてくれたのだ。そこにデカイ水道管が通っているってな。
「水?」
「行けよ」
水は、俺の予想を超えた流れになって、訓練場内に噴き出していた。
「そんなことをしても無駄。水なんて無視してあなたを撃ち抜けばいいし、私の炎は水では消えない」
「それはどうかな」
俺は水の中に潜った。別に彼女の炎を消すために水を噴き出したのではない。彼女の炎が吸収という性質をもつのなら、水だって吸収してしまうのではないか?
むしろ、水は攻撃のためではなく、防御のために使ったのだ。
ゴルゴンの魔眼は、相手が魔眼を見ることで発動する能力であるが、俺の目はどうやら相手が魔眼を見る必要がないのだ。俺が一方的に見ればいい。
だからこそ、防御は水にまかせて装甲をパージした。液体金属はあらゆる形に変化する。そして、この金属は鏡のような性質ももっていた。
「これは……」
気付いた時にはもう遅い。炎の合間を射貫くように、展開した装甲が何度も光を反射させ、彼女の姿をその目に捉えた。僅か数秒。
時間さえも止まったかのように、ただ、固まった彼女が水中に落下したのを見て、時間は動き出した。水中から浮き上がる。
「くっ」
両眼に激痛がはしった。前の時と一緒だ。痛みとともに能力が消滅する。痛みで両眼を抑えると、血の涙を流していたのが分かった。
べっとりと血がついている。勝利の余韻などない。
「手を抜きやがって」
俺はアルルが一瞬躊躇したのを見逃さなかった。辛そうな顔が脳裏にこびりつく。明らかにいやいややらされている顔だった。
「糞、そんな顔するんじゃねえよ」
行き場のない感情だった。