第11話:悪魔の贄
暗闇と静寂だけが支配していた。目が覚めた時、そこには誰もいなかった。保健室のベットの上で俺は目を覚ましたのだ。
自分で貫いたとはいえ、身体にはまだ大きなダメージが残っていた。
適切な処理を施してくれたのだろう。傷口が表面上は塞がっているし、体に力もある。これなら帰れそうだと、そんなことを思った。
そう思うと、少し余裕が出てきたて疑問が浮かぶ。こんな怪我人を置いて皆帰ったのだろうか? もしそうなら薄情なやつらである。
桃ちゃんあたりは残ってくれそうなものだが、レッドについて行ったのかもしれない。
その時、静寂だけが支配した校舎に、コツコツという靴の音が響いた。
その音は真っすぐとこちらに近づいてくる。夜の校舎は不気味だ。電気も付いていない校舎の雰囲気といったらホラーである。
だから、少しビビってしまったのは仕方のないことなのだ。
動くでもなく、ただベットの上で待っていると、保健室のドアが勢い良く開けられる。暗闇になれた瞳は、その少女をはっきりととはいかないが、確かにとらえた。
「貴方、だーれ?」
「お前こそ誰だよ?」
保健室のドアを開けて入ってきた人物の顔に見覚えはなかった。全校生徒の顔を完全に覚えているわけではないが、こんな美少女を忘れるわけないだろ。
おっとりフワフワしという感じの少女は、あれあれという顔をして答えた。
「私の名前はアルルだよ」
見た目通り天然さんのようである。
「私は答えたよ。あなたのお名前は?」
俺のベッドまでやってくると、彼女は俺の瞳を覗き込んだ。顔が近い。
「七瀬光」
嘘をついた。こういう時は本名を言って碌なことはない。
「なーんだ詰まらないの。貴方じゃないんだね」
くるりと反転すると彼女はそれだけ言って、部屋から出ていく。一体、何だったんだろうか?
「?」
部屋の外で、誰かが倒れる音がした。
ほっておくわけにもいかないので、保健室から飛び出すと、さっきのアルルとか名乗った少女が倒れていた。
「おい、どうした?」
駆け寄って抱き起すと、気の抜けたグゥーという腹の音が聞こえた。
「お腹が減った」
「あっ、そう」
捨てて帰ろうと、抱き起した手を放そうとすると、逆に腕を掴まれる。
「お腹がすいて死にそう、助けて」
「…………」
「お願い」
「…………」
そんな涙目の上目遣いで言われると困る。
「美味しい」
別に下心があった訳ではない。打算も何もない。俺にとっては珍しく、善意から人助けをした。お腹を空かしている子をみていると、どうしても放っておけないのだ。
「あなた良い人だね」
「たかがカップラーメンだろ」
「ううん、それでもありがとう。青田泰裕」
電気をつけてすっかり明るくなった保健室。もともと保健室は仮眠のために俺が使っていたので、カップラーメンなどの食料が備蓄されていた。それは、遅くまで残って仕事をするためだ。それが今、誰かの役立っているのなら嬉しいことである。
それがこんな得体のしれない少女であったとしても。心がやたらとざわついた。違っていて欲しいと願っているからだ。
「なあ、アルル、お前何で傷だらけなんだ?」
無邪気に笑う彼女を見ながら、俺は核心に触れた。
明るい部屋で見る彼女の姿は酷いもので、全身すり傷だらけだった。そうやってみると、彼女の着ている黒いワンピースも血や汚れを目立たせないものにしか見えない。
「ちょっと、こっち来て、見せてみろよ。手当くらいしてやるぞ」
ヒーロー学校の保健室だけあって、ここには高価な薬が揃っている。俺の怪我だって、いくら急所を外したからと言って、普通は病院に行かないといけないが、ここの設備を使えば、ちょっと医療をかじった程度の学生でも治療できるくらいだ。
「いいよ。私はお腹さえいっぱいになれば、それで良いから……それにね、この傷はあなたを守ってた人たちに負わされた傷だから、治してもらう資格がないんだ」
汁まで飲み干したカップラーメンが置かれた机に突っ伏しながら、彼女は眠そうにぽつりと言った。
「!」
何でもないことのように言われて、頭が追い付かなかった。
「皆、頑張ってたよ。よっぽどあなたのことが大事だったんだね。そこまでして守るから、ターゲットかと思っちゃった、私馬鹿だからさ、ごめんね」
邪気のない笑顔で彼女は謝った。
何と答えて良いのか、俺には分からなかった。どうしてこんなことになっているのか、そもそも分からない。でも、一番に確認しないといけないことがあった。
「なあ、アルル、俺の仲間は死んだのか?」
怒りよりも、純粋にそれだけが気になった。彼女が治療してもらう資格がないのなら、悪の組織の人間である俺には怒る資格がない。
「ううん、関係ない人間を巻き込むなって、ベル君がいうから、殺しはしなかったよ。でも、デウスはどうするか分からないな」
「デウス?」
「うん、デウスは女の子の悲鳴を聞くのが好きなんだって、そんなものよりもご飯の方が良いのにね」
こんなところで、寝ている場合ではなかったことに気付く。そのデウスとかいうやつを止めないといけない。痛む体が無理やり起こした。
「そいつはどこに居るんだ?」
「たぶん、地下に向かったと思うけど」
「地下だな」
俺は、地下……つまり訓練場のある隠れ施設に向かって走り出そうとする。しかし、その腕をアルルに捕まれた。
「邪魔したら駄目だよ。ごはんが食べられなくなっちょうから、お願い」
その無邪気さは、先ほどとは別物に見えた。
もっと早く気付くべきだったのだ。ヒーロー学校に部外者がいるわけがないのだ。いるということは、それは侵入者を意味する。でも、信じたくなかった。
どうすれば正解なのかは俺には分からない。この状況が何なのかわからない。でも、今自分のやるべきことをやらなければならないと思った。
「アルル、俺の仲間を殺さなかったこと感謝してる。でも、手を離せ。俺は地下に行かないといけない」
「それは、出来ないよ。お願いだから抵抗しないで」
彼女は、一瞬考えてそう答えた。おっとりしている様で判断は早い。
彼女の体に緑色の炎が灯ったのを見て、俺は急いで手を振り払った。激しく動くと傷口がズキズキとまだ痛んだ。
「ごめんね」
保健室を覆い尽くす。緑色の炎。エメラルド色に光るそれを見て、考えるよりも先に体が動いた。
起きた時、ベットの横に置いてあったベルトは、既に装着済みである。素早くアプリを立ち上げてパスワードを入力する。
「変身!」
変身とともに、保健室の床をぶち抜いた。そのまま下の階の床もぶち抜いて、地下へと向かって落ちていく。幸い、ベルトにはそれくらいのパワーがあった。
ベルトの液体金属によって、傷口が開かないように覆う。マスターフォームになって気づいたが、このベルトの応用性はスーツという一つの姿にとどまらない。
「フェイカー?」
俺の変身は、アルルにはっきりと見られていた。
しかし、そんなことを気にしている場合ではない。到着した地下はちょうど訓練場で、そこは酷いありさまだったのだ。頑丈に出来ているはずの訓練所は、大きな穴が空き破壊されている。
「何だよこれ? 何が起きている?」
まるで怪獣でも暴れたような滅茶苦茶に破壊がなされていた。そして奇妙なのは綺麗に円を描いて作られた大穴だ。その大穴を通って、本来なら各フロアへの移動にライセンスを必要とする地下施設を楽に移動することが出来るようになっていた。
ちょうどいいので、穴を通って誰かいないかと訓練のを捜索を開始する。
そうすると数分も立たないうちに、最初の生き残りに出会う。
「フェイカー?」
「も……」
出かけた言葉を止める。
もっとも見つけたたかった人物。それは俺の良く知る人物だった。後輩の桃ちゃんだ。全身ボロボロで制服もところどころが破れ、下着が露わになっていた。
そんな慢心創痍の彼女であったが、俺を見つけると怒りに震え、戦闘態勢をとる。
当然だ。今の俺は青田泰裕ではなくフェイカーなのだから。
どうすれば良い。寝て起きたらとんでもないことになっていて、俺もどうすれば良いか分からなかった。
「危ない」
その声とともに、桃ちゃんを抱き上げ、その攻撃を躱す。考える暇も与えてくれないと言う訳だ。悪の組織との戦いは理不尽だ。戦わなければ生き残れない。非常にシンプルな状況がそこにはあった。
黒い身体に黄色い炎。酷く醜悪なその姿は、出来損ないのゴリラと言ったところか、これならルシファーのほうが可愛げがあったほどだ。
「フェイカーか? 何という行幸」
俺の姿を見ると、そいつは嬉しそうにそう言った。炎に、悪魔のような姿。ルシファーの関係者だというのはいい加減俺でも分かった。おそらくは七つの大罪が攻めてきたのだろう。目的はわが校にいるアモンか? それとも生徒の口封じといったところか?
フェイカーの正体が俺だと分かって襲撃してきたとは考えにくいのでその結論に至った。何故なら、俺の存在に驚いて見せたからだ。こいつらにとって、俺という獲物はいたことは予想外の幸運と言ったところだろう。
「離してください」
俺が抱きかかえていると、腕の中で桃ちゃんが暴れ、腕の中から飛び出していく。
「何のつもりですか?あなたに助けられるなんて屈辱です」
普段、仲の良い後輩の言葉に多少傷つきながら、視線だけは目の前のゴリラの悪魔を見ていた。
すると悪魔は、全身に纏っていた黄色の炎を、拳に集中させ始める。何か来る?
「きゃっ」
有無を言わせずに、彼女を再度抱きかかえて、穴の外に逃げる。そこはもとの訓練場だ。背後に何かが通り過ぎる。それが大穴の正体だった。
黄色い炎は貫通力をもち、まるで極太のレーザーかのように、地下の訓練場に大きな穴をあけたのだ。
直撃したら、このスーツでもどうなるか分からないだろう。実際どうなるかはローリー博士に参考までに聞きたいところだが、ここは地下なので電波が入らず、それが叶わない。
「フェイカー、殺す」
全く休む暇もない。どっかの誰かとは違い、追撃の手を緩める気配すらないとは。
「はな……」
なおも暴れる桃ちゃんの口を手のひらで塞いで俺は宣言する。ゆっくりする暇がないので、仕方がない。
「君にとって屈辱かもしれないが、何があっても守ってやる。俺の傍を離れるな」
「何を言ってるんです。偉そうに、ふざけないでください」
青田泰裕の時のようには上手くいかないようで、そう言って塞いで手も払いのけ、全力で噛みつかれる。
これじゃ、前門の虎後門の狼とでも言いたくなる状況だ。だけど、まずは目の前の虎を排除しないといけない。
そうこうしている間に振り下ろされる悪魔の拳。
桃ちゃんを捨てて、真っ向から受けた。
そのスピードはルシファーほどではなかった。拳に対してこちらも拳をぶつける。大と小の拳。本来なら小さい方が負けるものだが、インパクトスポットのおかげで衝撃が倍増され、悪魔の方が吹き飛ばされる。
どうやら、ルシファーに比べると数段落ちるようだ。これならやれるか?
容赦のない追撃をするのは何も相手だけではない。俺も同じだ。かつて空を飛んだスーツの推進力を利用して、立ち上がろうとしている敵の前まで移動すると、その顔面を思い切り蹴りつけた。
蹴りでもインパクトスポットが発動し、その衝撃が倍増され、地面を水面を切る石のように跳ねると、悪魔は壁に激突する。
そんな敵に対しても一瞬も気を緩めない。
「まっ」
鳩尾に一発。さらに追撃の蹴りを入れると、赤い血を吐いて倒れ込む悪魔。どうやら血は赤いらしい。
そんな流れた血を見ていると、再び悪魔の体から炎が噴き出した。先ほど放出した炎が再び灯ったのだ。
炎は悪魔の拳にあつまり、今度はグーではなく、掌底としてパーで放たれる炎。貫通力を落とし、拡散された炎が噴き出した。
「無駄だ」
俺は悪魔の腕を蹴りあげて攻撃を上へと逸らした。拡散された炎は天井を突き破ることはかなわずに霧散される。
「強い」
桃ちゃんが後ろでそう呟いたのが分かった。実をいうと自分でも驚いている。
昔の俺なら、こんなスーツをきていても、ここまで圧倒することは出来なかっただろう。良くて相討ちと言ったところだ。
でも、たった数回、命がけの戦いをしたことで、劇的に変化した。今は前以上に相手の動きが読める。体が軽い。何をどうすれば良いのか分かる。身体が熱い。
怪人タイプの生命力は凄まじいものがある。ルシファーにいたっては首だけで生きていた。俺は両の腕のガントレットを変形させ剣を精製する。
「取った」
俺が悪魔の四肢を切断しようとした瞬間。何もないはずの空間で剣がはじかれた。透明な壁のようなものがある。そうとしか考えられなかった。
「何やってるんだよ、リヴァイ」
「デウス」
「今日は狂炎の宴だろ。その贄相手に何やってんだ。狩人が獲物に狩られてどうする?」
そんなことを言っているデウスという男を見て、まず不快感しか持たなかった。人間にまるで馬みたいに乗っていたからだ。それもあれは……鳳凰院先輩だった。
「何やってるんだよ」
変わり果てたその姿はメス豚という言葉が似合うだろう。物も言えない乗り物にされていた。不幸になれと思っていたが、何もそこまで不幸になることはないだろう。目をそむけたくなるような悲惨な姿だった。
デウスはまだ人間の姿である。銀色の髪に服も黒一色でハードに決めて、ビジュアル系バンドのボーカルのような格好をしている。場違いのふざけた姿であるが、強いことは一瞬で分かった。こいつはルシファー並みかもしれない。
「デウス」
「アルルか」
不味いことは続く、あの保健室であったアルルが俺の開けた穴を通って、地下にまでやってきたのだ。否、今までこないでくれたことを感謝すべきか?
変身するか知らないが、変身するなら悪魔が3体。これなら、確かに贄と呼ばれても仕方ない状況だ。圧倒的、劣勢だ。このまま桃ちゃんだけ抱えて逃げるのもありだろう。でも……
「見ろよ、アルル、フェイカーだ。お父様に喜んでいただける。面が割れてない分、探す手間が省けたってものだ」
「……そうだね」
一瞬の間を置いて、アルルがそう答える。
「散々苦しめて、殺してやらないとな」
「おバカなフェイカー、デウスに見つかる何てね。せめて私が楽に殺してあげる」
「お前、話聞いてたか?」
デウスとアルルの漫才を見ながら、俺は覚悟を決めた。難しく考える必要なんてなかったのだ。
「大丈夫だ。」
デウスとアルルのだしている圧に飲まれている桃ちゃんの肩に優しく手を触れる。
「君は守ってみせる……大丈夫、俺に任せろ」
こんな敗色濃厚な状況でどうしてこんなに落ち着いてそんなことを思っていられるか分からないけれど、自分の中で何かが目覚めようとしているのだけが分かった。
戦う理由は知らん。
でも、俺は知っている世界は残酷だ。戦わなければ、生き残れない。
ローリーによる改造手術。そしてベルトをつけての戦闘経験。さらに、彼自身の心の変化に、危機的状況が折り重なり合い、あの天才ローリーの計算よりも、もう数ヶ月早く彼の潜在能力の解放を為そうとしていた。
失った光を取り戻したその両目に、怪しい光をともらせた。それは透視能力のそれではない.。彼自身の中でずっと眠っていた力が目覚めようとしていた。