第1話:俺、悪の組織に転職します
大ヒーロー時代。誰もヒーローに憧れ、ヒーローになれる世界。世間ではそう言われていたし、俺もヒーローを目指した。
今の時代、ヒーローの専門学校なんていくらでもある。ヒーローの専門学校の生徒は、仮にプロのヒーローになれなくても、就職で有利という世間の優遇っぷり、ヒーローを目指すのは当たり前のことであり、損をすることはまずないと、俺はそう思っていた。
俺は人並み外れた正義感をもっていたわけでは決してないけれど、俺は人並み外れた能力をもって生まれたのだ。ただ単に血筋が良かったともいう。何を隠そう俺の親父はヒーローをやっていた。親父に敷かれたレールの上を進むのは嫌だったが、世間の風潮と言うものもある。俺は何の疑問も持たずプロのヒーローになった。
17歳でヒーロー。誰もが羨むエリートコースである。俺も勝ち組になれたと思って喜んだ。しかし、特に夢でもなく憧れもなく、成りたくてヒーローになったのではなく、成れるからヒーローになった俺に、ヒーロー何て勤まるはずがなかったのだ。人生で生まれて始めて転んだ時には、取り返しのつかない状況になっていた。そんな悪夢のような今日がやってきてしまったのだ。
街が燃えている。昨日まで建っていたビルは倒壊し、見る影もない。ここが地獄でないのなら、俺は地獄という言葉を2度と使うことはないだろう。
首が絞められているヒーローが1人。息も出来ないでいた。着ていたはずのオニューのスーツは装甲がボロボロで、今は露出している面積の方が明らかに多い。そんな装甲を軽々と握りつぶした腕で、首が絞められているのだ。首の骨でも折るつもりなのか、指が首に食い込もうとしている。馬鹿力もいい加減にしろと言う話である。役立たずになった彼の仲間はその下にただ転がっていた。、こういうピンチの場面に助けてくれるのがヒーローなのに、起き上がる気配もない……それも当たり前といえば当たり前か、皆、俺よりも弱いのだ……とか考えているのだろうか?
非常に申し訳ないことに、俺は首を絞められていないので、分からない。当方、死んだふりをしていて転がっている立場なので、首を絞められているレッドこと赤木の気持ちなど分かるはずがないのだ。
凄い可哀想だとは思うけれど、助けてやろうとは思わない。だってレッドの方が強いから、だからやつはリーダーをやっているのだ。いつもえばっているのだから、こんな時くらい役に立たって欲しいものである。アイツが勝てないのなら必然的に、俺も勝てるわけがない。
それはつまり、戦うことは意味を為さないことを意味する。
これは戦略的死んだふりであり、決してヘタレではない。むしろ、戦わない勇気をたたえるべきだろう。勝てない相手に向かっていくのは戦術的に間違っている。
レッド良いやつだったぜ。そう心の中で呟いた。レッドは熱いやつだった。口うるさいとも言える。今思うと、小言ばかり言って、嫌味できざな奴だった。そのくせ、ケチで短絡的で良い所なんて一つもないような気がしてきた……考えるのを止めよう。故人を悪く言うのは最低な行為だ。
「…………」
そんな馬鹿なことを考えていると、レッドが死んだのだろうか? 先ほどから聞こえていた足をバタバタする音すら聞こえなくなった。俺は薄目を開けて、レッドの様子を覗き見ようとする。そんな時である。レッドが俺に向かって飛んできたのは……レッドに飛行能力はない。どうやら、敵に投げ飛ばされたようである。死ぬ時でさえ、人に迷惑をかける男。そんな風に一瞬思ったが、受け止めたレッドの体はかろうじて温度があった。まだ生きている様である。
まだ生かしている。その理由が分からない。俺ならやれるときにやるね。
「おい」
低いドスの効いた声が響いたとともに、背筋が凍り付いた。
「…………」
無視安定である。俺は死んだふりをやり通す男。一度決めたことは曲げない男である。動かざる事山のごとしだ。
「おい、お前だよ青いの……仲間がやられていても、死んだふりで機会を伺っているその覚悟は立派だが、私相手にそれは通じないぞ」
何という好意的な解釈。俺、そんな立派な人間じゃないんです。きっと別人のことだと思いたいが、しかし、青いのは俺以外居ないので俺に対していっているのは間違いないだろう。まさか、青い顔して倒れているグリーンのことでは間違ってもないと思う。
ばれていては、俺の鋼の意思ももろく崩れ去り、返事せざる負えない状態に追い込まれた。悪の組織の幹部さん、何てやつだ。
ださい黒マントに、変な「フシュー」とか音を立てるマスクをつけているので、きっと雑魚と思ったが、侮れない相手である。
「ばれていたようだな?」
「…………」
何か言って欲しい。せっかく、一世に一度の決め顔で返事したのに、無言で睨まれている? フルフェイスなので表情が分からないので、余計不気味で正直怖い。今すぐ尻尾を巻いて逃げ出したいが、相手の方が早いので逃げ切れるわけがない。俺は無駄な努力はしないのだ。
強いと言うのはいつも理不尽だ。だから、正義の味方は強くなければならない。理不尽に抗うには、より強い力が必要だ。そして、それと同時に高尚なる心を持ち合わせていなければならない。親父の言葉だ。
残念ながら、俺にはどちらもなかったようなので、その教えに意味はない。そもそも、まともに育ててもらってないので仕方ないね。親が悪いよ、親が……
その時の俺の中にあったのはは生きたいと言う思いだけであった。生きるためなら何でもする。17歳で死ぬなんて絶対に嫌だ。死ぬには早すぎるし、俺には生きなければならない理由がある。
「致命傷を与えたと思ったのに、生きているとはな、正直さっきまで気づかなかったよ……お前だけは見どころがあるようだ」
固いのが取り柄のイエローの後ろに隠れていただけである。イエローは俺の分も被弾して、スーツが全壊し、一番重傷なので、褒められることは本当に何もしていない。
「イエローのおかげだ」
「謙虚だな。気に入ったよ」
正直に答えたのに、先ほどから信じられないほど持ち上げられている。こいつは案外馬鹿なのかもしれない。土下座して命乞いしたら案外許してくれるかもしれないな。どうやら俺は気に入られたようだし。良し、善は急げだ土下座しよう……
「お前は私の獲物に相応しいかもな?」
「え?」
しかし、土下座よりも早く、最悪なことを言いだした。馬鹿なの死ぬの、俺が?
そんな戦闘狂みたいなこと言わないで欲しい。俺を倒しても雑魚刈りにしかならないよ。恥ずかしくないの? 俺だったら、恥ずかしいよ。
「お前もヒーローなら、命がけで私と戦うだろ?」
そんな気持ちは毛ほどもないのだが、俺の気持ちを勝手に想像して好きなこと言わないで欲しい。俺は給与分しか戦わないぞ。
その時俺は確信した。こいつはきっと見てくれも性格もブサイクに違いない。そもそも悪の組織に入る人間なんて碌な奴らではないのだ。行ってしまえば、社会の掃きだめ、底辺である。
だが、こんな屑に対しても下げたくない頭を下げるのが、立派な社会人というものだろう。そう下げたくない頭を下げる勇気。それが生きる上で必要なのだ。死ななければ戦いは勝ちである。
「それは、何のつもりだ?」
俺は土下座した。会心の土下座だったと思う。我ながら綺麗なフォームで、世界土下座グランプリで優勝できるほどである。
「命だけは助けてください」
プライド? そんなもの生きる上で無駄なものでしかない。かっこ悪くても良い。俺は生きたいのだ。俺は生きなければならない。
「ふっ」
悪の組織の幹部は笑った。幹部か知らんけど、こんだけ強くて幹部じゃなかったら、俺は絶望してヒーロー辞めます。
「自分の命を差し出して、仲間だけは助けて欲しいと言うことか?」
「ちが……」
コミュニケーション力。悔しいことに言葉足らずだった。守護が足りなかった。というか、こいつどんだけ俺のこと持ち上げるんだ。節穴もいい加減にしろよ。俺なんて、殺す価値のないカスだよ。だから、レッドの命に免じてるるしてくれないかな?
「本物だな。久しく見ることのなかった本物のヒーローだ。お前……殺すには惜しい男のようだ」
前言撤回。節穴最高。
「……だが、私が悪で、お前が正義なら生かしておく理由は何もない」
もっともな意見だが、上げて落とすなんて最低である。ふざけんなよ。それに悪の組織の人間の癖に、何、正論言ってんだ。
仕方ない。この言葉だけは言いたくなかったが、本当に仕方ない。
「……何でもする。何でも言うことを聞くから許してください」
ここでまた土下座。何回土下座するんだろ俺? 相手は悪の組織の幹部だ。こんなことで許してもらえるとは思っていない。きっと殺されるだろう。だが、俺は生き残るためなら本当に何でもする覚悟だ。試す価値はある行動なら何度でもする。
「…………」
無言だった。そんな時間がしばしたち、恐る恐る悪の組織の幹部を見ると、顎に手を置いて何やら考えていた。これ、ワンチャンある? 俺の中で一縷の希望が宿る。
「何でもというのは、本当に何でもするんだな?」
舐めるような視線を感じた。もしかしたら、こいつはホモ?
だったら、死ぬよりもつらい日常が待っているかもしれない。さらに、悪いことは続く。
「ひっ」
気が付くと、俺の顎を人差し指で持ち上げられていた。俗に言う顎クイというやつである。おっさんにやられたかと思うと、全身に悪寒が走り、訓練されている俺でも、思わず、悲鳴を上げてしまうほどである。
「お前、私の奴隷になるなら許してやるぞ」
あっ、終わった。俺の人生は今終わったのだ。そう思った。こんなホモのおっさんの部下になるくらいなら、やっぱり、死んだ方がましである。何でもすると言ったが、デメリットが大きすぎるので、あれはなかったことにしよう。
悪の組織の奴隷にまでされて生かされるなんて、生きているとは言わない。
俺は何をするのも早い男だ。そして、躊躇いなく行動に移せる。それだけが取り柄だ。
数秒とかからないほど、一瞬だった。隠し装備である光線銃を相手に向かって発射した。小型化と威力を追求しすぎて、一発撃ったらオーバーヒートして壊れてしまう。だから、狙ったのは当然頭である。たまに心臓を破壊しても死なないやつがいるが、顔をぶっ飛ばして、死ななかった奴は経験上いない。
照準がシビアで、確実に当てる自信がなかったので、撃つ気はなかったが、当方は異性愛者なので、今までやらなかったが、覚悟を決めてやられる前にやることにした。
幸いなことに弾は当たったようである。
フルフェイスの仮面は、剥がれ落ちて素顔が拝めた。元々潰れている不細工な顔が、どれだけふっとんだか、期待してその結果を確認する。
信じられないことに、無傷だった。体が震えた。恐怖からではない。驚いて言葉も出なかったのだ。
「窮鼠猫を噛むか。卑怯なだまし討ちでも悪くない良い判断だ。益々気に入ったよ」
凛とした声が響いた。ボイスチェンジャーで変えていたであろう、先ほどの声とは違う。それは女性の声だった。
「だが、私の素顔を見たんだ。覚悟出来てるんだろうな?」
迫る拳。走馬灯のように流れる人生。その最後に彼女の顔を見た。俺はまだ死ねない。その顔を見てしまったら……『生きる』そう強く願った。
俺は迫る拳に右手を差し出した。骨が砕けたのが分かった。俺の拳は全く威力が足りず、身体ごと後ろに吹き飛んでいく。これじゃ自転車でダンプに突っ込んだようなものである。でも、俺は生きている。まだ死んでないぞ。
女幹部は俺の顔を見て、自分の拳を興味深そうに見ていた。全くきいてないってか、傷1つ与えられてないだろう。俺の実力何てこんなものである。本当に強い悪には勝てない。
眼前に迫る敵、フルフェイスに隠れていた綺麗な銀色の髪が、夕焼けを受けて輝いていた。目を奪われるなというのは男なら不可能だろう。そんな神秘的な要素すら彼女の美しさを彩る脇役でしかないのだ。恐ろしく、恐ろしほど、彼女は綺麗だった。
そんな彼女が膝を付いて俺を覗き込む。
「お前、私の部下にならないか?」
「え?」
空気が変わった瞬間である。
「……違うな。私らしくないか。私の部下になれ、これは決定事項だ。その代りに、お前の仲間は見逃してやろう」
飴と鞭を使いこなす、最高の女上司である。正直レッドはどうなっても良いけど、他の3人の仲間も見逃してくれると言う。迷う必要などなかった。
「……末永くよろしくお願いします」
しかし、言った後に正気に戻る。何、言ってるんだ俺は? 悪の組織に入ったら碌な人生なんて待っていない。悪の組織なんてブラックに決まっている。残業代も有給もないどころか、福利厚生がそもそもあるかすら怪しいのだ。その上、有名になればなるほど命を狙われる危険がある。偉くなればなるほど、前線から離れて、ふんぞり返っていられるヒーローとは天と地だ。
否定しなければ、全力で否定しないといけない。
「うん、お前ならそう言うと思ったよ。宜しくな」
……そんな笑顔を向けられたら否定何て出来る訳ないだろ。ふざけんなよ。男という良きものは馬鹿なほど可愛い女の子に弱い。
かくして、俺は悪の組織に寝返った。2度と日の目を見ることはないだろう。でも、死ぬよりはましである。
悪の組織何て、地下のじめじめした場所で、暗躍を行っている暗い連中なのだ。要はインキャの集まりである。でも、死ぬよりはましである。
本当はイケメン過ぎるヒーローとか言われたかった。そして、可愛いアイドルとゴシップされたかったな。でも、死ぬよりもましである。
そして、タワーマンションの最上階に住み、毎週、有名人を呼んでホームパーティを行いながら、余生を過ごすと言う俺の夢のヒーローライフは永遠に潰えたことになる。でも、死ぬよりはましだ。
俺はそんな風に自分に言い聞かせて、逃げる隙を伺ったが、この人全く隙が無い。
そして、あれよあれよと、女幹部さんに連れて来られたのは、タワーマンションそのものだったのだ。俺の街にある最高級の1つではないか。
「ここが我々のアジトだ」
「は?」
「君もここに住め、一室やろう。私の隣が空いているぞ」
変な笑いが止まらなかった。悪の組織も案外悪くないのかもしれない。美人のお隣さんとのタワマンライフが始まろうとしていた。