Episode009 とある漫画家の転機2
次の日。
不動カルマは伊万里美生と共に惑星アーシュリーに飛んだ。
親友たるハヤトから方法を教えてもらって予約した、旅客宇宙船に乗って。
目的は勿論、惑星アーシュリーのアニメ制作会社『マークル=レドック』のディノール=レノに直接会いに行くためである。
あの後、カルマは『コスモネットワーク』を活用してディノールなる人物の事を徹底的に調べたのだが、分かったのは相手が男性で、社内ではプロデューサーの地位におり、そしてそんな彼が勤めるアニメ制作会社『マークル=レドック』は、今まで別のアニメ制作会社の下請けに携わってきたものの、会社が中心となって制作したアニメがまだ存在しないという情報だった。
ネットで調べた限りでは、彼には黒い噂は無さそうに見える。
だが伊万里家のみなさまが知りたいのはそういう情報ではない。彼が本当に信用するに値する人物かどうかだ。虚実入り混じるネット内に書かれた情報ではない。
そこでカルマは、直接彼に会いに行く事にしたのだ。
【星川町揉め事相談所】に関わる者が、場合によっては学校を休めるという特権をフル活用して。ちなみに休んだ日の分のノートは、ハヤトに頼んだ。
「ほ、本当に大丈夫なのぉ?」
カルマの隣の座席に座る、優の姉こと美生……そして元漫画家でもある、綺羅星ニャルタールは不安の声を上げた。
「わ、私もう……あんな思いはしたくないけど、でも……でもやっぱり漫画を描きたくて……だからカルマ君を信じたよ? でも、やっぱり私……怖い。またあの時のように、私の作品が違う何かになったりするのは嫌だよ……うぐぅううううッ」
そしてそのまま、泣いてしまった。
かつて綺羅星ニャルタールを襲った、アニメ制作会社関連の悪夢が未だに彼女の心を蝕んでいるのだ。
「あ、安心しろよ!」
それを見たカルマは慌てて、笑顔で彼女を励ました。
――なぜか彼らしくない口調で。
「俺がお前を護る。お前は俺の大事な契約者だから……いや、それだけじゃない」
――どこか厨二病っぽい口調だ。
「お前がお前だから……俺は、お前を護るんだ。だから泣くな。というか泣いたら
……可愛い顔が台無しだぜ?」
――というか女ったらしも言いそうなクサい台詞だ!?
「…………ナユタきゅん♡」
するとそれを聞いた美生……というかニャルタール先生は目をハートにした!!
ちなみにナユタとは、彼女が描いた『あなたの隣の不定形』の主人公のバディである不定形な神の、人間の姿の時の名前である。そしてカルマが口にした、美生へのクサい台詞はそのナユタの……作中での台詞である。
元気付けるには丁度良い台詞ではないかと思って思わずチョイスした、まさかの己のキャラの台詞にこんな反応をするとは……いやまさか、ナユタくんはカルマに似た部分でもあるのだろうか?
「分かった……私、頑張りゅ♡」
「…………ほっ」
後先考えない上での咄嗟の台詞だったが、とにかくニャルタール先生の情緒は、なんとか安定したようだ。
カルマは恥ずかしい思いをしながら安堵した。そして己の目の前に居るのが本当に、自分もかつて読んだ事がある少女漫画『あなたの隣の不定形』の原作者なのかと……改めて疑った。いや、彼女の妹の優の案内で、室内ではなく、家の中に引きこもっているタイプの引きこもりたる彼女の部屋を訪れて、室内にある原稿や資料から彼女が本物であると確信したものの……それでも信じられない思いだった。
◆ ◆
カルマが『あなたの隣の不定形』と出会ったのは、星川町に来る前の事である。
古本屋で好きな少年漫画を買おうと、少女漫画の棚を横切った時……偶然、彼は見つけたのだ。
タイトルだけでなく絵の良さを伝えるためなのか、表紙が見えるよう陳列された――漫画『あなたの隣の不定形』を。
なんとなく絵が気に入って、そして1度立ち読みして物語も気に入って……彼は全巻を、その古本屋で即買いした。ちなみにそれがアニメになった事は、買った後に詳しく調べて知った。無論、ニャルタールの消息を除く、その後の悲劇も……。
◆ ◆
とにかくカルマが気に入った漫画をかつて描いていた女性が、己の隣に居る。
クラスメイトの伊万里優や、彼女とニャルタールの母親である美夜子と、どこか似たような雰囲気を持つ……彼女達と違い、なぜか豊満な胸部をお持ちの女性が。
カルマは別に女性の胸部の大きさに対して好みはないが、さすがの彼も気になるほど、そして本当に優や美代子と血が繋がっているのかと疑うほど……彼女の胸部はデカい。
しかし相手が、自分の好きな漫画の原作者であろうとなかろうと、女性の胸を見続けるワケにはいかないだろうと、カルマはなんとか自制し……旅客宇宙船の窓の外を見た。
宇宙船に搭載されている重力制御装置により捻じ曲げられた空間――歪曲空間を抜け、ついに旅客宇宙船は、惑星アーシュリーの近くの宙域まで辿り着いていた。
何気に、カルマからすれば初めての宇宙旅行である。
窓の外に広がる、地球のTVなどでも見た事が無い未知の宇宙を見て、彼は目を輝かせた。
いや、もしかすると地球の技術レヴェル的に映された事もあるかもしれないが、それでも見ている位置の関係で、全く別の形として見えているかもしれない可能性もあるが……とにかくカルマにとっては初めて見る光景を。
まるで宇宙に咲いた花のように見えるガス星雲があった。恒星に照らされ、それぞれが異なる色を放つ数多の星々があった。
地球のどの国の夜景にも負けない……どころか確実に凌駕しているだろう美しい光景だ。飽きる気がしない。
だが途中でカルマは、窓の外に、地球のように碧い星が見えるなり……気を引き締めた。
(あそこが……惑星アーシュリーか)
※
惑星アーシュリーに降り立ち、宇宙空港に入ると、カルマは【星川町揉め事相談所】所員という事で、8月にハヤトより支給された、ネコミミカチューシャ型翻訳機……すなわちランスとエイミーも使用しているアイテムを付け、そして同じモノをニャルタールにも渡した。
そして彼女が、顔を赤らめながら頭にそれを装着したのと同時だった。
カルマ達の視界の中に、アニメ制作会社『マークル=レドック』のロゴマークが描かれた看板を持った1人の男性――『マークル=レドック』へ来訪のための予約を入れる時に、迎えに来ると約束していたディノール=レノその人が映った。
※
「いやぁ、わざわざ出向いてくださるとは思いませんでした」
ディノールは、宇宙連邦に加盟している惑星では主流の移動手段『ホバーカー』を運転しながら言った。
「こちらが出向こうと思っていたので、ビックリしましたよ」
「いえいえ。ニャルタール先生の唯一にして最後の長編をまたアニメ化するというアニメ制作会社がどんな会社なのか見学したくなりまして。そうですよね、ニャルタール先生?」
「あ、ええ……とぉ…………はぃ……」
笑顔でディノールと会話していたカルマが、いきなり己に話を振ってきたため、ニャルタールは目を泳がせ、オドオドしながら答えた。
「こちらこそ、突然の訪問に応えてくださってありがとうございます」
「いえいえとんでもない! ニャルタール先生が来てくださるのであれば無理やりにでも予定を空けますよ!」
「それはそれは。ありがとうございます」
カルマは笑顔で礼を言った。
ニャルタール先生は好意的な返事をされ、顔を赤くして俯いた。
カルマは先方ことディノールに、自分が日本の『異星人共存エリア』の【星川町揉め事相談所】の所員である事と同時に、今回ニャルタールのマネージャーとして付き添う旨をあらかじめ伝えていた。なのでディノールは、カルマを普通の子供として扱う事は一切無く、カルマとしては非常にやりやすかった。
「ところでレノさんは、どういう経緯でニャルタール先生の漫画をお知りになったんですか?」
制作会社まであと数分の所で、カルマはディノールに訊ねた。
道中で散々いろんな事を話し合った事で、ある程度緊張が解けたディノールへと
……ある意味では核心を突いた質問を。
「ディノール、で結構ですよ」
ディノールはまず、カルマ達にそう言うと……ポツポツと話し出した。
「実は私、1年くらい前にジ=アースの星川町を訪れているんですよ」
「ッ! へぇ、そうなんですか」
己が引っ越してくる前に、ディノールがかつて星川町を訪れていた事を知り……カルマは驚いた。
「綺羅星ニャルタール先生の作品は、漫画の方を先に読みました。ご存知の通り、我が社にはまだ独自に制作したアニメが無く、出すとしても歴史に名が残るような良作を出さなければ、我が社は一生下請けのまま……いずれ終わる。それを避けるために、アニメ大国だという日本にまずは出向き、その原作たる漫画を始めとする良作漫画を探している時に……ニャルタール先生の漫画『あなたの隣の不定形』を古本屋で見つけました」
話を聞いていて、カルマは同士に出会えたような感覚を覚えた。
だが、相手が言っている事が全て本当の事であるとは証明できないため、再び気を引き締めた。
「絵が凄く私好みで、アニメ化をしてなければ、是非ともアニメ化したいなーと、思ったのですが……最終巻からなんだか変な展開になってきて、なんだかしっくりこない終わり方をして。それでなんだか気になって『あなたの隣の不定形』の事を詳しく調べて……全てを知りました。アレはさすがに酷過ぎる!!」
突然ディノールが叫び、カルマとニャルタールはビクッと体を震わせた。
「あのアニメ制作会社には、ニャルタール先生への敬意が全くと言っていいほど無い!! 当時まだ女子大生だった先生をナメてるとしか思えない適当な作画だ!!しかも声優陣にもそんな適当な奴が居るとは……貴様らは作品の作者で仕事を選ぶのか!!? フザけるな!! どんな作品だろうと、アニメ化すると決めた以上は誠心誠意全力全開粉骨砕身玉砕覚悟で作品と向き合い作らなければ、作品に対して大変失礼だ!! …………なので」
叫びに叫びまくり、ディノールは1度咳払いした。
そして、まさかの作品愛の絶叫に呆然としていたカルマとニャルタールに気付くと、顔を赤らめ苦笑しながら改めて言った。
「私は、是非とも作品を……完璧な形で作り直したいと思いました。何ヶ月かけてでも、丁寧に……あなたの描いた世界を描きたいのです」
その言葉に。
ニャルタールは思わず、泣いた。
同時に胸の内が……温かくなるのを感じた。
まだ本心かどうかは分からない。
でも、たとえ嘘でも……その言葉に。
彼女はこの時……確かに救われていた。
※
(……もし彼の言う事が本心だとしたら、俺は悪役だな)
アニメ制作会社『マークル=レドック』に着くなり、カルマは胸がチクチク痛むほどの罪悪感に襲われつつも……行動を開始する。
(でも、もしもという場合もある。だから仮に、彼が心からの善人だったとしても
……俺は伊万里家のために、進んで……悪になろう)
最初に会った宇宙空港で、ディノールから貰った名刺に書かれていたアドレスへと――彼はウィルスを送り込む。
※
アニメ制作会社『マークル=レドック』の中では、様々な髪色……すなわち異星出身の社員達も働いていた。
(これが、ハヤト達が目指している光景か)
国際化ならぬ星際化が完了しているその光景に、カルマは感動を覚えた。
皆が皆、自分にできる事を見極め、それを必要としている場所へと赴き……互いの欠点を補完し合って生きている。
それは、1つの世界の完璧なる調和だった。
しかし一方で、地球はなんでバラバラなんだろうな……とカルマは思う。
様々な人種が存在する地球。
確かに違う人種同士、時に手を取り合う事もあろう。しかし中には考え方などの違いから簡単に……時に相手を殺める事もある。
そんな地球が、いつかこの惑星のようになれるのか。
カルマの中で、ふとそんな不安が過ったが……すぐに頭を振った。
(なれるかどうかじゃない。絶対に……してみせるんだッ)
「さぁ、この部屋です」
カルマが改めて、ハヤト達と一緒に世界を変えてみせると決意すると同時に……ディノールが自室のドアを開けた。
※
彼の自室には、異星文字を教わっていないカルマにはなんて書かれているか全く分からない大量の書類や資料本だけでなく、なんと日本語で書かれた『あなたの隣の不定形』全巻までもが置いてあった。
(まさかこの男、本気か?)
思わずカルマは、ギョッとした顔で思った。
さらに胸がチクチク痛むが……なんとか平静を保つ。
「えーと、確か企画書が……あっ! しまったぁ」
そんな彼の事が眼中に入っていないのか、ディノールは書類が山積みの机の上を探り……苦い顔をした。
いったいどうしたのか。
カルマとニャルタールは同時に彼の手元へと視線を向け……思わず呆けた。
なんと彼の手中に収まっていた、これから見せてくれると言っていた『あなたの隣の不定形』のアニメ化についての企画書が……この国の文字だったのだ。
「申し訳ない」
ディノールは頭を下げた。
「ジ=アースの日本語に翻訳するように部下に連絡しておいたと思ったんだが……うっかり忘れていたようだ」
「いえ、気にしないでください」
カルマは苦笑する。
わざとなのかどうかは知らないが、少なくともこの程度のミスは、日本のアニメ制作会社にも起こりうる事だ。だからあまり気にしなかった。
「こちらの自動翻訳アプリを使わせていただきますから。ミコガミ、お願い」
『了解です。我が主様』
それどころか彼は、こうなる事を予期していたのかすぐに手を打った。
まず、企画書のページを地球製の通信端末『マイフォン』のカメラ機能で次々と撮影。その画像を【星川町揉め事相談所】に関わるようになってから入手した自動異星文字翻訳アプリを使って、ミコガミの手を借りつつ翻訳する。
3分もしない内に全ページが翻訳された。
「ええと、どれどれ?」
ディノールの自室に置かれた来客用の席に座り、机の上にマイフォンを置くと、カルマはその内容を確認した。ニャルタールもオドオドしながら画面を覗き込む。
内容は、とても細かく書かれていた。
もしかすると本当に、ディノールは『あなたの隣の不定形』が好きなんじゃないかとさえ思い……カルマの胸がさらにチクチク痛む。
「…………あれ? 32話からの話……何も、書いてない?」
するとその時、ニャルタールは企画書の不備……というか書いてあって当たり前のレヴェルの事が書かれていない事に気付いた。
(まさか手抜きか?)
すぐにそれを確認したカルマに、戦慄が走る。
もしやこれは、傷心のニャルタールに対する壮大な嫌がらせの一環ではないかと警戒する。
しかしすぐに、ここまで目立つ嫌がらせは、訴えられても文句は言えないんじゃないか、と思い直し……そして気付いた。
「これ、もしかして……無理やり完結させられる方向に向かう寸前……?」
原作者の前で失礼かと一瞬思ったが、それでもつい口に出た。
「その通りです」
ディノールは答えた。
「我々が今回作ろうと思っているアニメ『あなたの隣の不定形』は、かつてニャルタール先生が考えていたストーリーにしようと思っています。なので、話の道筋がニャルタール先生のご意思で歪められた部分からは空白になっています」