Episode008 とある漫画家の転機
間咲正樹さんの話を読んでいるとですね、
どうしてもこんなお話が浮かんでしまうのですよ。
綺羅星ニャルタールは漫画家だった。
いやそれ以前に、そのようなヘンテコな名前など、ペンネームなどの仮の名前でなければあり得ないのであるが。
とにかく綺羅星ニャルタールは元漫画家、それも月刊の少女漫画雑誌で5年近く連載していた……それなりに人気の出た漫画家だった。
さらに詳しく言えば、高校生の時に友人に勧められ描いた読み切り漫画『あなたの隣の不定形』が少女漫画雑誌に掲載され、読者アンケートのおかげで見事連載を勝ち取るほどに。
ちなみに『あなたの隣の不定形』は、かの狂気神話✕伝奇✕少女漫画的恋愛要素のコンボという、少女漫画業界ではまだまだ異色な組み合わせである。
その内容は架空の町『志波楠町』を舞台に、主人公が人に化けて町に住んでいた不定形な神と契約を結び、町内で起こる数々の怪異を解決しつつ、なぜ町で怪異が起こるのかを探っていく……というバディもので、ミステリやサスペンスの要素がありつつも、主人公と不定形の神だけでなく、彼らによって助けられた人達同士の程好い恋愛を描いた事で人気を呼び、ついにはアニメ化の話まで出た……のだが、信頼していたアニメ制作会社が作画崩壊を起こしたり、原作から乖離したシナリオに変更したり、キャラの担当声優がスキャンダルを起こす、といった具合に連続で不幸に見舞われたせいで作者たる綺羅星ニャルタールが自棄を起こし、全ての伏線が回収されずに強引に完結させられた、いろんな意味で有名で不運な漫画で――。
※
9月4日(日)
伊万里優は迷っていた。
己の目の前にある【星川町揉め事相談所】のドアを開けるか否かを。
今の彼女には……というか彼女の家族には悩みがある。
それは異星人絡みの悩みであり、ハヤトのように異星の事情に自分よりも詳しいと思われる人物にしか解決できないかもしれない悩みだ。
だからここまで来た。
しかしその悩みを打ち明けた時、その問題の家族はどうなるか……想像がつかず恐怖さえ覚え、ドアをノックして中に入るのをどうしても躊躇ってしまう。
だがしばらくすると、ドアの前で立ち続けている今の状況になんだか恥ずかしさを覚え始めたため、彼女は思い切ってドアをノックした。
「はいどうぞ」
ノックをすると、中から声が聞こえた。
ハヤトの声ではない。しかし聞き覚えのある声だ。
「入るわよッ」
返事を聞くと同時に、優は中に入った。
中に居たのは、不動カルマだった。
彼はどうやら事務仕事をしているらしく、時折キーボードをカタカタと、物凄い速度で叩く音が聞こえる。
ハッカーであった事は伏せられた上で、ハヤトの小学校時代の、パソコンに強い友人である事を、当のハヤトからカルマの転校初日にあらかじめ紹介されていた優は、それを見てさすがだ、と思った。
だが自分がここに来た目的をふと思い出し、彼女はこの場に、ハヤトとかなえが一応居ないかどうかを確かめた。
しかしどこにも居ない。
誰かの起こした揉め事の処理に向かったのか。それとも私用か。
「ハヤトなら、一応イギリスまで亜貴さん達を護衛しに行ったよ」
するとその時、優の視線に気付いたのかカルマが話しかけてきた。
「え、ええええええええッッッッ!?!?!?」
まさかの返答に、優は目を丸くするほど驚いた。
パソコンを見ていたハズのカルマが、自分の疑問に気付いた事、そしてハヤトがイギリスに向かった事に対してだ。
だが後者については、なんとなく理解できる。
亜貴や彼の妻子を襲った悲劇を考えれば当然の措置だ。
しかしなぜパソコンを見た状態で自分の疑問に気付いたのか。まさか気付かれるほど自分は目立つ行動をしていたのかと思い、優は羞恥心を覚えた。
実際の所は、優より前に相談に来た町民にそんな質問をされたから、優も同じ疑問を抱いているのではと思ってそう言ったのだが……当のカルマは、優がなぜ顔を少々赤らめているのか疑問に思った。
「…………ちなみに天宮さんは、正式な入団のための自主トレに行ったよ」
しかしかなえの事を言い忘れていた事を思い出し、一応そちらも教えておいた。
「そ、そうなんだ……もしかして2人共、当分戻ってこない?」
なんとか平静を維持しながら、優が訊ねる。
するとカルマは、顎に手を当て考えながら答えた。
「ハヤトは明日の朝には戻るって。天宮さんは……夕方まで帰ってこないかな?」
「そ、そうなんだ」
ハヤト、もしくはなえに相談できない事を知ると、優の顔は一瞬強張った。
問題が先延ばしになって嬉しい気持ちと、先延ばしにした事で悪い事が起きないか心配な気持ち、そんな相反する2つの気持ちが彼女の中に混在しているせいだ。
「……2人じゃなくてもいいなら、俺が相談に乗るよ?」
すると、そんな優を見て心配になったカルマは助け船を出した。
「……え、でも」
優は、今度は不安そうな顔をした。
確かにカルマも【星川町揉め事相談所】の所員で、ハヤトの助けになってる事を彼女はハヤト達の『民間協力者』という立場上知ってはいる。しかし彼がハヤトの助けになっている事と、異星の事情に詳しいか否かは全くの別問題だからだ。
しかし彼女は、かなえの中の異星人に関する既成概念を破壊した人物。
一瞬不安にはなったものの、すぐにそんな自分の中の〝決めつけ〟を頭から払いのけ、勇気を出して彼に告げた。
「私の姉にかかってきた電話の相手が、信用できる相手かどうか知りたいの」
※
カルマは伊万里家にお邪魔する事になった。
相談の内容的に仕方のない事なのだが、異性の家に上がる事にカルマはちょっと緊張していた。しかも相手はクラスメイト。結構可愛い部類に入る小柄な少女だ。逆に緊張しない異性が居るなら名乗り出てほしい。
「で、そのかかってきた電話の相手はなんて名乗ってたんですか?」
伊万里家の台所で、優とその母親である、優と雰囲気が似ている短髪の女性こと伊万里美夜子と対面しながらカルマは訊ねた。
漢字の苗字と名前を足して6文字なんて珍しいな、と思いながら。
「そ、それが……」
美夜子が口ごもる。
しかしすぐに意を決して答えた。
「惑星アーシュリーのアニメ制作会社『マークル=レドック』のディノール=レノと」
「……………………ん? アニメ、制作会社?」
まさかの想像の斜め上な返答に、カルマは眉をひそめた。
オレオレ詐欺の類でもかかってきたのかと想像していたのだが、どうやら違ったようである……が、これはこれで怪しい。
いや、その前に。
「アニメ制作会社って……どういう事ですか?」
1番重要な問題はそこだ。
「……カルマ君」
カルマの疑問に、優はかなえの、異星人関連の既成概念を破壊したあの時のように表情を引き締めつつ……なぜか顔を赤らめながら言った。
「お姉ちゃんの事、誰にも……ハヤト君にも話さないって、約束してくれる?」
「え、なに……? どういう事?」
カルマは困惑した。
今までハッカー【Searcher】として、ネットを通じて世界を飛び回り、裏社会のヤバい情報を入手した経験もあり、そのせいである程度精神的に成熟している彼だが……今回ばかりはなぜかその台詞、そして優の表情から危機感のようなモノを覚えた。
クラスメイトの家族の、予想外にも程がある、意外な一面を知ってしまう事への恐怖……のようなモノか。確かにそれはある。しかしそれだけじゃない。そんな気がした。
すると、その何かを自覚した時。
なぜか顔が熱くなる。
心臓の鼓動が、早くなり始める。
そして全身から、冷や汗が噴き出し始める。
――緊張のせいか。
カルマは頭の片隅でそう結論付けた。
――ではなぜ緊張するのか。
次にカルマはそう考えて……ふと気付いた。
(これ、アニメ制作会社やお姉さんの事で呼び出されたんじゃなくて……その上で母親が居ない状況だったら〝告白シーン〟じゃないか?)
あらかじめ優の姉の話だと聞いていなければそう勘違いしていたかもしれない。
なるほど。危機感にも似たモノを覚えるワケである。もしもカルマが勘違いしたままで、しかも臆病者であったならば逃げ出していたかもしれない。
「……いいけど、ハヤトにも?」
緊張の謎が解け、改めて冷静になったカルマ。
すると同時に、なぜハヤトにも秘密にしなければならないのか、そしてなぜ顔を赤らめるのか……その2つに疑問を覚えた。
「できれば……知っている人は少ない方がいいの」
赤らめつつ、優はその顔を逸らした。
美夜子の方も、苦笑しながら顔を赤くしていた。
ますます、話の全貌が見えてこない……というか逆に混乱させる言動だ。
「……分かった。ハヤトにも、言わない」
だけどカルマは、意を決して伊万里家の事情に踏み込む覚悟を決めた。
どんな事情があるにせよ、優は【星川町揉め事相談所】へとやってきた。ならば頼られた側には、その覚悟に応える責任があるのだから。
「……ありがと、カルマ君」
優は、安堵の溜め息を吐いた。
「それで、伊万里さんのお姉さんと、アニメ制作会社に……いったいどんな関係があるんですか?」
「……実はね、カルマ君」
優は、なぜかさらに顔を赤くしながら口ごもった。
そんな娘に、母・美夜子は「あなたが言うって言ったんでしょ」と、肘で小突きながら小声で言った。彼女の顔も赤いままだ。よほど恥ずかしい事情なのか。
「わ、分かったわよ」
すると優は、恥ずかしさのあまりプルプルと震えつつ……ついに告げた。
「お、お姉ちゃんは……元少女漫画家なの」
「……え、そうなんだ」
カルマは意外だとは思いながらも、そもそも己の母も元女優である事からあまり衝撃を受けなかった。
「あ、もしかしてアニメ化決まったの? 凄いね」
というか、もっと深刻な家庭の事情があると予想していたために、緊張が解けて安堵した。アニメ制作会社からの連絡が来たという事実から、もしやアニメ化決定かと連想し、祝福する余裕もある。
「ちなみに、なんて名前の先生なの? 俺も知ってる人かな?」
「…………………………綺羅星ニャルタール……」
「…………え?」
カルマは耳を疑った。
「今、誰だって言ったの?」
思わず真顔で聞き返す。
「…………ッッッッ!!!!」
すると優は、カルマの言動が癪に障ったのだろう。
顔を真っ赤にし、さらには自棄を起こし怒鳴り付けるように言った。
「アニメ『あなたの隣の不定形』が失敗したせいで〝アニメ業界恐怖症〟になって一時期家に引きこもったり!!!! 無理やり漫画本編を完結させた後で細々と別名義で短編を描いたり!!!! さらには千葉で年に2度開催される〝同人誌即売会〟用に、じゅっ、じゅじゅっ、18禁な薄い本を作って売るようになっちゃった綺羅星ニャルタール……それが私の姉よッッッッ!!!!」
「…………え、ニャルタール先生短編描いてたの!? というか同人誌!?」
――しかしカルマは、綺羅星ニャルタールの事は知ってても、彼女のその後の事は何も知らないようだった!!
次の瞬間。
自分が今、自棄になって何を言ったかを自覚した優は……湯気が出るほどに顔が真っ赤になった。
※
数分後。
冷静になった優が、母・美夜子と一緒に事情を改めて話してくれた。
彼女達によれば、今年の夏冬も綺羅星ニャルタール先生……本名は伊万里美生というらしいが、とにかく彼女は千葉で開かれる〝同人誌即売会〟に参戦するつもりだったらしい。
しかし7月に起きた星川町テロ事件の影響で……さすがに今の星川町の空気的に参戦は躊躇われた。というか去年2度売り子として手伝ってくれた優、ユンファ、そして現在植物状態のリュンをまた手伝わせるワケにいかず、塞ぎ込んでしまったらしい。それも、また引きこもりになってしまうほどに。
というかカルマは、同人誌即売会で優達が売り子をしていた事に驚いた。
まさか一緒になって、先ほど話に出た18禁な薄い本を売っていたというのか。
それは年齢的に大丈夫なのか。
いやまさか、年齢がバレないようメイクとコスプレで誤魔化したのか。
カルマは色々と不安になった。
コスプレに関してはちょっと見たい気もしたが。
「美生は、さっき優が言ったけど……アニメが大失敗した後に引きこもったけど、短編や薄い本に関わって1度は気力を取り戻したのよ」
母・美夜子は語る。
「親としては、ちょっとアレかな~って思わなくはないけど、あの子が元気になるならって……お父さんも、目を背けてたけど応援していたわ」
凄い家族だ、とカルマは改めて思った。
ホントもう、いろんな意味で凄過ぎる。
「でも、これもさっき言ったけど……テロ事件のせいで同人誌即売会に参戦できる空気じゃなくなって、また引きこもっちゃって。そんな時、ウチに電話がかかってきたの」
「……それが、惑星アーシュリーのアニメ制作会社『マークル=レドック』のディノール=レノと?」
改めて訊ねたカルマに、優と美夜子は頷いた。
「……なるほど。確かに大勢に知られたくないですねこれは」
カルマは苦笑しつつ、ようやく納得した。
一族の恥という程ではないとは思うが、それでも親族が腐女子となり、さらにはその妹と親友が売り子をしていたという事実は……知られるのは家族としてメチャクチャ恥ずかしいだろう。
カルマも、もし母親が腐女子……というか貴腐人であったならとても恥ずかしいと思ったのでそこはさすがに納得する。
というか、ハヤトとジェイドの対決に優、リュン、ユンファが目を輝かせていたのはもしかして……?
「それで、そのディノールさんは……なんと?」
「お姉ちゃんの描いた『あなたの隣の不定形』を……またアニメ化しないかって」
「なるほど」
アニメ制作会社が絡んでいる事実からして、そういう内容じゃないかと気付いていたものの、改めて伊万里家の事情などを踏まえると……その内容はとても怪しく思えてくる。
「傷心のお姉さんから、金を騙し取るんじゃないかと?」
「「そういう事です」」
優と美夜子は顔を赤らめながら、申し訳なさそうな顔をした。
「……事情は分かりました」
カルマも顔を赤くしながら、言った。
「そのディノール=レノっていう人物の事を徹底的に調べてほしいって事ですね。任せてください」
【全盛期の綺羅星ニャルタール先生のお言葉】
真のビエルニストとは、相手の性別を自在に脳内で変換できる存在の事を言う。